第25話 アップライトピアノ
しかし、これはコンクールに参加するには必要な作業である。
『
半年近く『
ただ一つ、褒められたことはあった。
コンクールで課題曲を弾いたとき、焦ってテンポを数段上げて弾いてしまったのだが、一度も引っかかることがなかった。そのことを、審査員の人が褒めてくれたのである。
(でもそれは、怪我の功名みたいなやつで、結局求めている音楽のテンポに合わせて弾けなかったんだから、全然いいわけない。審査員の人たちは何とかいいところを探し出そうとしただけなんだよね)
璃緒は褒めてくれた内容について、冷ややかに受け止めていた。
自分はコンクールのことも良く知らず、ピアノに指の練習用の楽譜があることもこのとき初めて知ったのだ。上を目指す者たちは璃緒なんかよりもずっとピアノのことを知っているだろうし、もっと沢山練習しているだろう。もしかするとそういう子たちと張り合ったことはいい経験なのかもしれなかったが、彼女は緊張していて他の子が弾いた音色を何一つ覚えていなかった。その上、自分はピアニストになるつもりでいるわけでもない。案の定、演奏を聞きに来ていた父に「何でコンクールなんて出たんだ?」と言われる始末である。
そのとき、自分はどうしてピアノを弾いているのだろうか、とふと考えた。
璃緒がピアノを始めたのは、幼稚園に通っていたとき。
物心つく前に始めた習い事は、当然彼女の意思ではなく両親の計らいだった。いや、特に母と当時の生活様式が後押ししたと言ったほうが正しいかもしれない。
璃緒が幼かったころ、清水家は父方の実家で生活していた。そこに一台のアップライトピアノがあったのである。昔は父の妹が使っていたそうだが、弾き手は嫁に行ってしまって誰もいじらなくなっていた。
璃緒の祖父も祖母も、誰も弾く人がいないなら売ってしまうことを考えたらしいが、母はそれがもったいないと思ったのである。
「璃緒がピアノを習うなら、売らないでいてくれますか?」
彼女は子どもができたら、何かしら習い事をさせたいと思っていたらしく、ピアノは理想的だったという。ピアノを習うことが娘にとって良い影響をもたらすことは、彼女の想像のなかで間違いのないことだったらしい。
人前で演奏を披露することは度胸を得ることに繋がるだろうし、何よりピアノを奏でることは、普通の学校生活にはない人との出会いや縁に巡り合える。それが璃緒にピアノを習わせた母の気持ちだった。
しかし璃緒のなかで、ピアノを習っていた記憶のなかに、愉快だったことはほとんどない。
特に最初のピアノの先生とのレッスンは最悪だった。彼女は沸点が低く、出来ない子に対して酷く叱った。一方で出来る子は褒める。子どもながらに、自分が格付けされていくことを璃緒は感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます