第10話 高いイメージ

「え」


 璃緒は思わず顔をしかめる。


(試し弾き? 何を言っているの、この人は)


 万が一習い続けることになったとしても、三ヶ月で弾けるようにはならないだろうし、そもそも買おうとは思わないだろう、と彼女は思ったのである。


「あの、一ノ瀬さん。ヴァイオリンって、高いじゃないですか。仮に習い続けようとしたとしてもですよ、私にはとても買えるとは思えませんけど」


 璃緒の言い分に、瑞樹は小首をかしげる。


「まぁ、ぱっと買える買い物ではないかもしれませんが、普通に働いている方であれば、手が届くものだと私は思いますが……」

「え?」


 璃緒はますます眉間にしわを寄せる。


「だって、ヴァイオリンって初心者のものでも三十万はしますよね」


 璃緒の記憶だと、テレビなどで出てくる初心者用のものは三十万程度だったはずである。


 このレッスンを始めるにあたっても、たった三か月の為にそれほどの大金を出すことは出来ないと思っていたし、教える方も買うことを勧めず貸してくれるだろうと思っていた。案の定、思っていた通りに事が進んでくれている。


 しかし、続けたいと思ったとしても、ヴァイオリンを買うというのは相当な勇気がいるだろう。月給の手取りが十七万円の彼女にとって、中々容易なことではない。


 一方で、瑞樹は璃緒が出した値段にきょとんとする。


「初心者で三十万って言ったら、結構いいものですよ」

「え……?」


「皆さん、テレビの番組なんかの影響で、ヴァイオリンに対してとっても高いイメージを持ちがちですけど、ピンキリです。私が初心者の方にお勧めしているのは、弓やケースなどがセットで大体五万円から十万以下のものですね」


「ええ⁉ 五万円⁉ ケースもセットでそんなに安いものもあるんですか⁉」


 三十万円から比べたら十万円であれば三分の一。五万円なら六分の一の価格である。


「安い……」

「あ、すみません……」


 三十万円から比べたら随分と安く感じるだろう。璃緒の気持ちを察して、瑞樹は「確かに、三十万から比べたら随分と安く感じますよね」と言った。


「はい……」

「でも、清水さん。先生によっては三万円のものでもいいという方もいるんですよ」

「さ、三万⁉」

「清水さん、驚きすぎです」

「いや、だってヴァイオリンってとっても高いイメージでしたから……」

「それならこれで、少しはそのイメージが変わりましたか?」

 璃緒は大きく頷く。

「はい。かなり」

「実はですね、言ってしまうと、一万円台で買えるヴァイオリンもあるんですよ」

「そうなんですか⁉」


 まさかの一万台である。

「ヴァイオリンは高いもの」と言うイメージが強かったお陰か、一万円だったら自分でもヴァイオリンを即決で購入できるとさえ思った。しかし、折角お金を出す気になっていた璃緒の気持ちを萎えさせるように瑞樹が言う。


「ですが、それは流石にお勧めは出来ません」

 期待に満ちた璃緒の表情が一瞬にして曇る。

「どうしてですか?」


「ヴァイオリンの値段が高いと言うのは、それだけ職人の手が加わっていることを意味します。その分使いやすいですし、音も出やすい。逆に安いものは手がかかっていないと言うことになります。機械を通して木から型を取り出して、ヴァイオリンという形になるまでの工程に、さほど職人が関わらない。すると音が歪になりやすいので上達の妨げになりますし、何より清水さんが一所懸命練習しても、ヴァイオリンが応えてくれないことになりかねません」


「そう、ですか」


「とりあえず今日はこのくらいにしておきましょう。次のレッスンの時までに、教本は用意しておきますね。そして次回、ヴァイオリンの扱い方や練習の仕方など一通りお教えいたします。そしたら、私のヴァイオリンをお貸ししますね」


「はい……」


 こうして、ヴァイオリン教師とのはつ対面は終わったのである。

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