偶因狂疾
巨勢亜蘭
1
電話が掛かってきた時、俺はゴミ捨て場から拾い集めてきた家庭用ゲーム機に汗とマス掻きの名残が染み付いた万年床をおっかぶせている最中だった。
タコ足に配線したマルチタップのスイッチをぱちぱち入れながら携帯のディスプレイをのぞくと、発信者には大学の後輩だった鹿波木更の名が表示されていた。
「先輩、宝探しに興味は?」
「徳川か? ナチスか? どっちにしろロクでもねえ。貧乏暇なしって言葉知ってるか。俺は日々の糧を得るのに忙しいんだよ」
「じゃあアルバイトでもなんでもしたらいいでしょう。なんだったら腎臓売る先紹介しますよ。アル中にはいいクスリだ。これからそっち行きますから出かける準備しといてくださいね」
ヤツは道化のようにケタケタ笑いながら一方的に告げて電話を切った。ディスプレイに唾を吐きかけて鬱憤をはらしてから三日間洗っていないシャツの裾で拭う。型落ちスマホがゴミ捨て場と唾液がミックスされたフレグランス付きの高級品に早変わりする。
居留守を使うことも考えたが瞬きする前にあきらめた。俺が住んでいるアパートを紹介したのは鹿波で、ここのオーナーはヤツの関係者だ。合鍵を持っていても驚きはしないし、追い出されでもしたらコトだ。ヤツの家業については不動産関係ということくらいしか知らないし、知りたくもない。付き合ううちに察しがついたが、どうも真っ当でない方面でも荒稼ぎしているらしい。
鹿波と知り合ったのは地下の学食で同学科の阿呆どもに実話怪談を披露してコンビニでワンカップを買う資金調達をしている時で、俺が話す脳の配線がショートしたような体験談を聞かせて欲しいと近づいてきたからだった。ヤツとは学年も学科も違ったが、学食入り口の殺菌用エタノールをキメて上機嫌になっていた俺にはブラウスとフレアスカートに身を包んだ黒髪の女神が光背付きでやってきたように見えた。
学内ではいいとこのお嬢様らしく猫をかぶっていた鹿波は実際のところ尊敬する偉人はナンシー・スパンゲンと答えるようなイカレポンチで、自分から厄介事の肥溜めに頭から突っ込んだ俺の脳ミソは牛乳を入れ過ぎてでろでろになったラザニアなみのクソだった。
請われるままに釘調整を間違えたパチンコ台のようにジャラジャラと、酔っぱらうと幽霊が視えるという与太話まで垂れ流してしまって以来の腐れ縁だ。初見で俺が目を奪われた烏の濡れ羽色の長髪は人毛を使った鬘で、その下のスキンヘッドには蝶を象った紋々が躍っていた。
死にかけのドアチャイムが轢かれた蛙のゲップみたいな音を立てた。閉め切った室内では暖房機ともバーベキューともあだ名されるゲーム機のせいで焦熱地獄へのゲートが開かれる寸前だった。
玄関の時点ですでに放射される熱気に鼻白む鹿波は城に入れなくておたつく測量士なみに滑稽で少し気分が晴れた。ジーンズにシャツのラフな格好で、ツーブロックの髪を薄紫のメッシュに染めている。
「いくら金がないと言っても夏場なんだから冷房くらいつけてくださいよ。それともとうとうトチ狂って一人我慢大会でも開催してるんですか。自殺の方法としちゃ感心しませんね」
「好きでやってるわきゃねーだろ。シゴトだよ、シゴト」
本当はしばらく散歩でもして時間をつぶすつもりだったのが、鹿波が来ると言ったせいでサウナを堪能するハメになったのだ。
俺はゲーム機を抱卵する万年床をスカした淫売のスカートへ手を突っ込むみたいにやさしくめくり上げた。途端に部屋が熱々の焼き石を投げ込んだワッパ煮と化した。墓石のように立ち並んだゲーム機から蜃気楼が立ち昇っている。
「マッドサイエンティストにでも目覚めたとか? プレステでHAL 9000なんて出来っこないですよ」
「お前チャッピー観てないのかよ。プレステ並列化すりゃ精神だってアップロード可能だぜ」
「そういう口上で死にかけの老人の預金を引っこ抜くわけね」
本当にそうだったらどんなに楽で儲かることか。
「いいか、こいつらは電源は入る。入るけど画面にはなんも映らない。中途半端な壊れもんだ。基盤のどっかで半田割れして接触不良を起こしてることが多いんだ。だから電源入れて布団かぶせて放置する。そうすると半田が溶けて、冷やすとまたくっつくって寸法だ。まあ直る確率は五台に二台ってとこだな。もちろん応急修理だから長持ちしない。また壊れないうちに売っ払うんだよ」
これを俺に教えたパーツショップのオヤジは店の上に大東亜共栄圏がどうのこうのという横断幕を掲げて客を尻込みさせ、営業トークに人工地震から読み解く北の脅威を訴えるようなゆだった輩だったが、ゲーム機をゆでる方法だけは妄想じゃなかった。
「暑すぎるんでとにかく車で話しましょう」
その意見には俺も大賛成だった。緑茶のペットボトル二本を冷蔵庫から出して、一本を鹿波に放ってやり、二人して駐車場へと降りた。
「最近の猛獣による襲撃事件って知ってますよね?」
聞きながら鹿波が乗ってきた不動産屋のロゴが入った軽ワゴンのエアコンを十八度まで下げる。
「知ってるとも。動物園から逃げ出したんじゃないかって噂のヤツだろ」
事件はワイドショーでも連日騒がれていたから概要は知っていた。被害者は三名、すべて若い女、なかなかグルメなけだものだ。テーブルマナーはなっていないらしく、現場は惨憺たる有様だったようだ。
一件目の現場は公園、二件目は場末のスナック、三件目は民家。関連性は今のところ見つかっていない。一応はどこも都内だった。
警察もノータリンばかりとは限らない。全国津々浦々の施設にお宅から何か逃げ出してませんかと聞き込みをカマしたらしいが、結果はノー。今は密輸の線を探っているらしい。
「あれの被害現場の一つですけどね、一軒家。ウチで貸してたところなんですよ」
「なんだアレか? 後ろ暗いところのあるヤツに高値で貸してるっていう」
「そうソレ。あそこは又貸しで使ってる人間と貸してる人間が違いましてね。もちろんウチは又貸しってこと以外何も知らなかったんですが、流石に事件現場になったら調べないわけに行かないですからね。警察は知ってるのか知らないのか、あそこを使ってたのはヤクの売人だったんですよ」
「また厄介事に巻き込むつもりなのかよ」
予想した通りきな臭くなってきた。どうせ襲撃事件もヤクに絡んだ裏社会の暗闘かなんかなんだろう。お宝ってのは売人が隠していたヤクのことなんじゃねえのか。この女がサバくためのルートに伝手があったところであまり驚かない。
だが、こいつの口から出てきたのは俺の小さい灰色の脳ミソを逆さに振っても出てこないようなシロモノだった。
「なんですかその顔は。わたしがヤクの売人に見えますか? 妙齢の乙女を捕まえてとんでもないこと考える人ですね。違いますよ。虎ですよ、と・ら。一休さんが屏風から出すやつです」
「一休さんは屏風から虎は出さねえよ。どんな能力者だよ」
「細かい男だなあ。あのですね、あそこで虎を飼ってたらしいという噂があるんです」
鹿波が言うには売人の男が付き合いのある密輸業者が持て余していたものを引き取ったらしい。どっかの金持ちが山奥の別荘で飼うのに密輸させたものの、引渡し前に本人は脱税でムショの中、そう簡単に別の引き取り手が見つかるはずもなく、面倒も見切れないということで格安で手に入れたらしい。真実味のあるようなないような、ようはどこにでもある与太話だ。
「その虎が見つかったとしてどうするんだよ。ヤクも虎も犯罪には変わりないだろ。俺は将来もある身だ。ヤバいことは金輪際ごめんだね」
「そうは言ってもヤクじゃなくて虎って聞いたら随分とほっとした顔してましたよ、先輩。将来のある身なんて笑わせないでください。若い身空でお先真っ暗どん詰まりの代表格みたいな人間が。安心してくださいよ。とりあえずは確認しに行くだけ。だいいち最初の事件が起きたのは一ヶ月前ですよ。売人は十中八九逃げ出してますし、虎は餓死してますって」
餓死していなければ一ヶ月お預けを喰らった化け猫の親戚の前にレアステーキを二塊ぶら下げるということになりかねない。
「虎なんて動物園でいくらでも見れるだろ。なんだったら連れてってやるぞ、上野動物園」
鹿波は猿回しの猿が綱渡りに失敗するのを見たような呆れた顔をした。確かに俺は動物園に行くような柄ではない。そもそも明日のメシも定かではないほど困窮している。
「運転手代は出しますよ。それに煙草も買ってあげます。さっきから禁断症状なのか無精ひげ撫でまわしながら灰皿ちらちら見て気持ち悪いんですけど」
図星だった。もう三日もヤニを入れていないせいで体調は最悪だ。いい機会だから何度目かの禁煙に挑んでいたのだが。
俺は犬のように鼻を鳴らしてギアをDに合わせた。
「なんでもその虎ってのはホワイトタイガーだったらしいですよ。西を司る白虎ですね。北から送ってきたらしいです。朝鮮半島じゃまだ絶滅してないらしいですから」
鹿波は虎に関してインターネットから得たらしいニワカ知識を延々と披露してくるが、俺の興味はコンビニでラッキーと一緒に買ったジャックダニエルに釘付けで、二回ほど信号を無視してしまっていた。
「半島の虎ならアムールトラですからね。これは珍しいですよ」
「デカい白猫には興味ねえよ。そもそも俺は猫より犬派だしな。これ、よく見ろ」
俺は鹿波の方へアゴを突き出して、顔に残った傷を強調した。
「ガキの頃に犬に噛まれた傷だがね。それでも俺は犬好きなんですよ。狂犬病の注射は痛いし、医者はヤブだから傷口に綿棒突っ込んでいじくり回すし最悪だったが、犬よりやっぱり猫だね。猫なんてのはちょっと面倒見てやったってすぐフラッとどっかに行って別のヤツに媚びを売ってみせる。その点、犬ってのは忠実だからね。可愛いもんさ」
「噛まれといて何言ってんだか」
「俺の犬じゃなかったんだよ。自分の縄張りによく分からんガキが入ってきたから噛みついたんだろう」
信号で止まったついでに買ったばかりのラッキーから一本引き抜いて火をつけ深く吸い込むと、これみよがしに鹿波に煙を吹きかける。
「せめて窓開けろやクソが」
あまりに反応が素直すぎて思わず窓を開けてしまった。
「お前も吸うだろ、そんなマジで怒るなって」
ダッシュボード備えつけの灰皿を引き出して灰を落とす。
「信じらんねえこのインポ野郎。ソレは小銭入れだ」
俺は開けた窓から火のついたラッキーを投げ捨てると黙ってアクセルを踏んだ。
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