第三章
夢の中の声
―――
「強くならなきゃなぁ~、俺。」
「え?何の話?」
ボソッと呟いた俺の言葉に、隣にいた浩輔が反応して顔を向けてくる。俺は苦笑しながら浩輔を見返した。
「だってさぁ~、辻村はちゃんと彼女がいてこれから先の幸せが待ってんだぜ?だけど俺は報われない想いを抱えながら、ずっとずっと一人でいる覚悟を決めたんだ。だったら強くなるしかねぇじゃん。傷つく事なんて恐くない、どんな事があってもあいつの事想っていられる、っていう強い気持ちを持たないとやってられねぇよ。」
「そっか。でもさ仲本君。」
「うん?」
「あんまり思いつめないでね。仲本君、昔からそういうとこあるからさ。」
真面目な顔で覗き込んでくる浩輔の眼の鋭さに怯みながら、俺は一応頷いた。
「わかってるよ……」
「そう、ならいいんだ。僕も裕君も……晋太も、みんな仲本君の事大好きなんだからね。無理はして欲しくないんだ。」
「浩輔……」
「何かあったら僕達に言って。絶対だよ!」
「あぁ……約束する。」
何とか絞り出した笑顔でそう言うと浩輔は何故か一瞬悲しそうな顔を見せたが、すぐにいつものふにゃっとした顔になって頷いた。
「絶対だよ……」
うっすらと浩輔の目尻に光るものが見えた気がして、俺はゆっくりと目を逸らした……
―――
「はぁ~……」
俺は持っていたカバンを床に放り投げながら、ため息をついた。つい先程まで浩輔と楽屋で話していたから何となく喉が渇いて酒が置いてある棚に目をやる。でも明日もリハだという事を思い出して飲むのを諦めた。
「強くなる、かぁ~……」
普段あまり使わないソファーにそのまま寝っ転がる。俺は天井を睨みながら、さっき浩輔に言った自分の言葉を呟いた。
傷つく事が恐くない人なんていない。そして自分の気持ちが一生変わらずに続いていける保証もない。
……それにはっきり言って、俺は自分自身を完全には信じていない。自分が本当は弱い人間だって事も、周りの人達が助けてくれなきゃダメな奴だって事も、ちゃんとわかってる。それなのに俺は強くなろうとしている。
辻村巧海という、一人の人間の為に……
「辻村……」
ふいに口に出した名前が、妙に熱を帯びながら空気中に吸い込まれていく。目頭が熱くなってきた事に戸惑いながら、俺はまた辻村の名を口にした。
「…巧海……」
久しぶりに呼ぶ辻村の下の名前。ついに溢れ出した涙はそのままに、ゆっくりと目を閉じた。
「好きだよ……」
瞼の裏に浮かぶ彼の姿に向けて愛の言葉を囁いてみる。だけど想像する辻村は何故か、いつもの笑顔を見せてはくれなかった……
―――
『……とっ…なかもっ…と……』
誰かが俺を呼んでいる。誰だろう……?聞き覚えのある懐かしい声……
だけど思い出そうとすればするほど、意識は混濁していく。俺はじれったくなって、やみくもに手を伸ばした。
「……仲本君!!」
「……あ…れ…?しん…た……?」
目を開けた俺を心配そうな顔で覗き込んでいた晋太が、パッと表情を明るくした。
「どうしたんだよ?……っていうか、俺何で寝てんの?」
ソファーからゆっくり起き上がる。つい先ほどまで体にかかっていたのであろうブランケットが、するりと床に落ちた。
「覚えてないの?仲本君倒れたんだよ!リハーサル中に!!」
「倒れた?俺が?」
「そうだよ!歌ってたら急に倒れたから皆ビックリして……」
心底安心したっていう表情の晋太を、俺は申し訳ない気持ちで見つめた。
「で、リハは?どうなった?」
自分でも相当焦った声になったのはわかっていたが、構わずに晋太に問いかける。途端にビックリした表情を浮かべたのを見て、小さく『わりぃ……』と呟いた。
「裕ちゃんがスタッフに上手く話してくれた。仲本君はこのところあまり寝てなかったみたいだから、しばらくゆっくり寝せてあげてくれって。寝たらきっと大丈夫になるからって。あともう一時間はゆっくりできるよ。」
「そっか、裕が……後で礼言わなきゃな。」
「そうだよ、裕ちゃんのくせに頑張ったんだから。」
「んだよ、くせにって……あいつ聞いたら怒るぞ。」
「いいの!普段なぁ~にもしないからこういう非常時に活躍させてあげなきゃ。」
俺は何故か力説する晋太に見られないように苦笑した。
「あ~でもホント良かった……辻村君なんて焦っちゃって、倒れて動かない仲本君を揺さぶりながらずっと名前呼んでばっかりでさ。辻村君の方が青い顔しちゃって……」
「辻村が……?」
思わず勢い良く顔を上げてしまった。くすっと笑う気配を感じてそっと晋太を見ると、晋太は落ちたブランケットを畳みながら俺からさっと目を逸らした。
「良かったね。辻村君は仲本君の事大事に思ってるよ。あの辻村君がなりふり構わずに心配するほど……ね。」
「晋太……?」
「じゃあと一時間、ここでゆっくりしててよ。僕スタッフに話してくるから。仲本君起きたよって。」
「あ、おい!」
俺の声にも耳を貸さず、晋太は部屋を出て行った。
「あの辻村が……?」
誰もいなくなった部屋でさっきの晋太の言葉を反芻する。
意外と緊張しいでプレッシャーにも案外強くないのに、周りの期待と希望をその背にしょっていつも平静を装うあの辻村が?
テレビの前でも、俺らやスタッフにも弱みを見せずに毅然としてる辻村が……?
俺の為に声を張り上げて、俺の名前を呼んでくれたのか?
「そういえば……」
さっきの夢の中で聞こえた声を思い出す。
そうだ、あれは………
「辻村の、声……?」
これは自分に都合のいい夢じゃないのだろうか。こんな俺を心配してくれる辻村の姿。
どうして肝心の俺が見れなかったのかと理不尽な怒りが沸き上がって、そんな自分を心の中で笑ってやった。
ふっと耳を澄ませてみる。倒れた時に聞いていたはずの愛しい声……だけどそれは目を覚ました瞬間に、何処かに飛んで行ってしまったかのようだった。
「さむっ……」
ふいに寒気がして辺りを見回す。晋太が畳んでくれたブランケットを見つけ、それに手を伸ばす前に俺の意識は唐突に途切れた。
『辻村…………』
自分で発した声に返ってきたのは、虚しい沈黙だけだった……
―――
次に目を覚ました時には、側に裕と浩輔がいた。起き上がろうとすると、目ざとく気付いた裕が俺の肩をそっと押し戻す。俺は逆らえないまま、ソファーに逆戻りした。
「なんかわりぃな……お前らにまでこんな迷惑かけて……」
「何言ってんの、仲本君らしくない。」
「そうだよ。それに最初こそビックリしたけど、昔の事思い出してちょっと懐かしかったなぁ~ね?裕君。」
「そうそう。仲本君ってば限界まで我慢するから昔はよく倒れたり体調崩したりしてたじゃん。そういう時僕達どうすればいいかわからなくなってね。皆で仲本君の事囲んで目覚めるの待ってたよね。」
裕と浩輔の話を聞きながら、俺も昔の事を思い出した。
「そういえばそうだっけなぁ~目覚めたら皆して死にそうな顔して俺の事見てんだもん。こっちの方がビックリしたよ。」
「でもね、仲本君。今じゃ僕達あの頃のまま、何もできない子どものままじゃなかったよ。仲本君がいなくてもちゃんと自分たちで考えて行動できた。成長したんだね、僕ら。」
真面目な顔でそう言った浩輔を、俺は呆れた顔で見た。
「ばぁ~か!!当たり前だろうが、んな事。お前らいくつだと思ってんだよ……」
「わかってるよ、自分の歳くらい。でもやっぱり仲本君がいるのといないのとでは、気持ちが違うというか頼り過ぎちゃうというか……さ。」
『俺がいなくても、お前らはお前らで十分やってるよ?』
何処か淋しげな顔の裕を見て、もう少しで口から出かけた言葉を飲み込んだ。
「さて……と、リハ始めるか。」
「大丈夫?まだ寝てた方が……」
「時間だろ?大丈夫だよ。」
ちらっと見た時計が意識をなくす前よりぴったり一時間進んでいる。自分の体内時計の正確さに驚きながら立ち上がった。
「わかった。じゃあ一緒に行こ!」
何故か嬉しそうに俺の右腕を掴んでくる浩輔に呆然としていると、左腕にも重みを感じて振り返る。
「お前もかよ!裕!」
裕が滅多に見ないニヤニヤ顔でそこにいた。
「は~な~せって!キモい!気持ち悪い!マジでヤダ!!」
「おっ!いつもの仲本君だ。これなら大丈夫だね。」
「レッツゴー!!」
「誰か俺の話を聞け~~!!」
そのままいい歳した男三人で武道館の廊下を走る。
途中で辻村から裕と浩輔が頭を思いっきり叩かれるまで、この地獄のような時間は続いた……
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます