【Ⅶ】—2 黎明
前にデリヤから聞いていたように、中央の民たちは夜に活動することをほとんどしない。白軍は夜の見張りをするが、その白軍は皆事情を知ってるので、夜の間は不思議なほどに騒ぎは起こらなかった。その間にランテたちは急
すべきこともなくなって落ち着けたので、日の出まで残りわずかな時間を、ランテは王都を眺めて過ごすことにした。時の呪のせいか、王都全体が結界に囲われたようになっている。呪を解くまでは外から干渉はできないし、もちろん中に入ることもできない。紫の軍の皆はどうなったか、そして両親はどうなったか。確認したいことがたくさんあったが、今は置いておくしかないのだろう。
「日が昇るね」
テイトがぽつりと言った。東の空が薄っすらと朱に染まり始めている。そのままランテたちは、ほんの短い間しか見られない世界の変貌のときを静かに見つめていた。徐々に強まっていく光に闇が溶かされていき、世界に色が戻っていく。美しい光景だと思った。
「上手くいくといいな」
セトの声を傍らに聞く。頷いて、ランテは胸に手を遣った。速まり始めた鼓動が伝わってくる。緊張しているのに、なぜかとても安らぐような心地がした。
日の出から少し経ち空一面が青く変わる頃になると、徐々に街の方が騒がしくなってきた。ちらほらと貧民街の住民らしい人間が門から出てくる。ランテは初めて貧民街に入ったときに見た、あの生気のない目を思い出していた。あの何に対しても関心を持たないような人たちが、今は王都に関心を持ってくれている。
「もういいだろう」
オルジェが言う。ミゼが頷いた。
「いつでも大丈夫です」
まずモナーダが演台に上がる。最も中央に縁の深い彼が真っ先に呼びかけることで、一人でも多くの者に耳を傾けてもらおうという思惑からだ。
「中央にお住まいの皆さん、朝早くに失礼します。私は元白軍本部上級司令官のモナーダ・ルルファです。今回起こったこと、それからこの世界の真実についてお話したいことがあります。皆さん、街の北側を見てください。大きな城が見えるはずです。今、かつてのラフェンティアルン王国の王都を白都のすぐ北側に出現させました。その傍で話をしたいと思っています。これから少しの間待ちますから、どうか街の北へ。街にも会場付近にも警備の者はおりますから、安心しておいでください。ただ、様々な理由で外出できない方もいるでしょう。その方にも声は届くようにしますから、無理のないよう、お越しになれる方だけ来てください」
声は、ミゼが呪で白都全体に届くように取り計らってくれていた。モナーダの静かで穏やかな語り口はきっと、聞く者の心を多少は安心させるだろう。
ランテたちが演台傍に整列して待っていると、少しずつ少しずつ人が集い始めた。装いを見ると、市民街の人が一番多いように見受けられる。働いて生計を立てている人が一番多いのが市民街だろうから、この時間帯が活動時間である人が多かったのかもしれない。
人々は、
モナーダが演台に上がり直すと、ざわつきが収まる。白都全体の人口を知らないので何割に当たるのかは分からないが、現在二千人ほどが集まっているだろうか。多くの者が不安げなまなざしをしていた。
「朝早くなのに、呼びかけに応じて集まってくれてありがとうございます。私がモナーダです。皆さん、ここ数日とても不安な日々を送られたと思います。白都を戦場にしてしまったことを、深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした」
モナーダが頭を下げると、ほんの少しだけ集った者たちの不安が和らいだような気がした。本物だ、という声がランテの耳に入る。モナーダは、白都の人たちには顔をよく知られているのだろう。
「他にも、皆さんには謝罪しなければならないことがあります。……いえ、謝罪したところで許されないような過ちを、我々中央白軍は犯してきました。その事実を、皆さんに知っていていただきたいのです」
曇らせた瞳で、モナーダは民衆を見渡した。今は誰も私語をすることなく、緊張したようにモナーダを見つめている。
「これまで長らく、中央白軍は西大陸の民を欺いて来ました……頑なに否定し厳しく取り締まって来た王国説こそが、真実なのです」
人が大勢いるのが嘘のような静寂が続く。
「ここにいらっしゃるのは、ラフェンティアルン王家の
民はまだ静まっている。戸惑うような表情が多々見られたが、大部分の者がモナーダの言葉を疑ってはいないように思われた。
「残虐性や非道さを持っていたのは、むしろ我々中央白軍の方でした。兵に洗礼を施し、意志を奪って戦場に立たせたこと。人質を取って司令官らを強制的に従わせたこと。歴史を歪曲し無為な戦を続けてきたこと。真実を求める者たちを抹殺してきたこと……そして今回、支部連合軍共々白都ルテルを消し飛ばそうとしたこと……全て、中央白軍——ベイデルハルクの指示によるものです」
モナーダが話し始めてから初めて、ざわめきが広がった。さすがに皆が動揺している。無理に話を進めず、モナーダは少々時間を置いた。自然と静まり始めたところで再び口を開く。
「私も中央白軍の一員として彼の命に従い、動いて来ました。私は滅んだワグレにいた誓う者イベット殿を包囲し、攻めようとした……私もまた、裁かれるべき者の一人だと感じています。しかし今は、討つべき巨悪ベイデルハルクに立ち向かうことが先決と思い、ここに立っています。中央白軍を構成していた者の一人として、そうしたことで許されるというものでもありませんが、詫びさせてください。今までみなさんを欺いてきたこと、多くの命や心に犠牲を強いてきたこと。本当に申し訳ありませんでした」
低く腰を折ったモナーダを、誰も何も言わずに見つめている。やはりと言うべきか、集う者の表情の多くを占めているのは困惑だった。
「あの……」
最前列にいた男性が挙手をする。顔を上げたモナーダが促すと、彼は続けた。
「自分は市民街の者です。我々はモナーダ様にも奥方様にも事あるごとに良くしていただいて、あなたの仰ることなら信じたいという気持ちでいます。ただ、その……あまりにも突拍子もないことで。今目の前にあるのが王国の街だと言われても、自分たちは実物を知らないので、確かめようがないんです。そもそも激戦地にあったという話ではなかったですか? 現実味がなくて……疑いたいわけではなくて、信じたいんですけど、何か他にもっと身近な証拠はないですか?」
頷きが
「お気持ちは分かります。今すぐに示せるというものではありませんが、中央白軍が言っていた『日没後出歩けば黒女神の支配を受け、黒の使徒になる』ということは全くのでたらめです。あれは、中央白軍が民に知られては困ることを行う時間が欲しかったゆえの欺き……現に、東西南北の準都市では夜も活発に人が行き来しています。初めは恐ろしいかもしれませんが、試していただければ嘘と分かるでしょう」
男性のすぐ傍で、もう一つ手が上がった。あちこちが擦り切れた服を着る女性だ。
「モナーダさんの仰ることは本当だと思います。私、貧民街の者です。家がありません。夜は路上で寝泊まりすることも少なくありませんでした。ですが、私は黒の使徒にはなっていないと思います。白軍の言う黒の使徒とは、手当たり次第に罪を犯す者たちのこと……私は、罪を犯さないことだけを誇りに生きてきました。殺人はもちろん、盗みもしたことはありません。……誰かにされても、自分だけはしないでおこうと思って、固く守って来たんです」
緊張ゆえか身だけでなく声まで震えていたが、ミゼが声を全体に届くようにしてくれたのだろう、よく聞こえて来た。顔を上げた女性の瞳には、涙と一緒に誇らしさが浮かんでいる。
大衆の戸惑いはそれでも消えなかった。けれども、少しずつモナーダの話を信じようとする者が増えていくのをランテは感じていた。今なら、と思う。今ならきっと、ランテたちの言葉にも耳を傾けてくれるだろう。ミゼに向けられた視線を受けて、ランテは自分から頷いた。モナーダに対して感謝の念が湧いてくる。ランテはもう、信じてもらえるかどうか不安がりながら話す必要はない。そういう状況を彼が作ってくれたのだ。自分の番はまだであったが、強く励まされたような気がした。
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