第44話
夏休みが終わり、新学期が始まった。
僕達はもう彼女については何も言わなかった。
一つは勝幸の気持ちを思い憚ったこと、それと彼女が居なくなった事実をきちんと知りたくないということから目を背けたかったからかもしれない。
彼女を思えばあまりにも突然に僕達の前に現れ、そして去った。
新学期のチャイムが鳴って僕達は一斉に席に着いた。後ろを見渡すとツトムが居た。勝幸もいる。奥の方で頬に絆創膏を張ったゲン太も居た。
チャイムが鳴り終わり新穂先生が現れるのを待った。
先生とはヒナコの家で別れてから一週間しか経っていなかった。
やがて教室のドアが開いた。
委員長が「起立」と言った。一斉に皆が立ち上がると、一瞬、しんとなった。
そこには新穂先生の姿が無かったからだ。代わりに初老の眼鏡をかけた婦人が居て、その後ろに教頭先生が居たからだ。
僕達は一瞬の沈黙の後、ざわつき始めた。
(新穂先生は・・?)
僕は心の中で先生の姿を探した。
「皆さん、静かに」
僕達のざわつきを押さえるように教頭が言った。
「新穂先生は、ご結婚の為、学校を退職されました。こちらは後任の小村先生です。今日から君達の担任になります」
教頭の言葉が終わらないうちに再び、皆がざわつき始めた。
僕は目の前が真っ暗になった。数歩ふらつくと無意識のうちにその暗闇をかき分けるように教室を駆け出して廊下へ走り出した。
ただただその暗闇が僕を覆わないように、その先の光を見つけ出したくて僕は走り出した。
「ナッちゃん!」
ツトムが言った。
(こんなことって!)
僕は心の中で走り出した。
(こんなことってあるのか!先生が僕達に何も言わず出て行くなんて!)
「あ!」
僕は廊下で躓いて思いっきり倒れた。僕はそのままその場で蹲り、声も無く泣き出した。
泣き出した僕の身体に誰かが覆いかぶさって来た。
ツトムだった。
「ナッちゃん。泣くんじゃない。悲しくても泣くんじゃないっちゃ」
ツトムが言った。
「ツトム!」
僕はそう言って覆いかぶさったツトムの背中に手をまわした。ツトムが強く僕を抱きしめる。
「ナッちゃん、帰ろう、教室へ。僕達はこれから沢山の別れをこれからも経験していくっちゃ。だから先生は僕達に強くなってほしくて何も言わずに僕達にお別れしたっちゃ。そうにきまっちょる!」
ツトムもお母さんと別れた。勝幸も初恋のヒナコと別れた。僕は大好きな先生と別れ、皆には言っていないけれどやがて大阪へと去ってゆく。
一体どれだけの別れがあれば僕達は強くなれるのだろう。
僕の身体に誰かが触れた。
勝幸だった。何も言わず、僕の顔を見て笑った。
「うん」
僕はそう言って、ゆっくりと立ち上がると教室へと向かって歩き出した。
その時、誰かが渡り廊下から校庭の方を見て指さして叫んだ。
「先生じゃ。新穂先生じゃ!先生があそこにおっど!」
教室の皆がその声にひきこまれるように集まってゆく。
僕もツトムと勝幸と顔を見合わせて走り出した。
「先生!先生!」
渡り廊下に出て同級生の女の子達が叫ぶところまで来ると僕達は先生の姿を探した。
先生の姿は校庭の真ん中に在ってこちらを見ていた。
教室の皆がそろうと先生が手を振った。それは大きくゆっくりと三回振った。
誰かが遠くに見える先生に大きな声で言った。
「先生、結婚おめでとう!」
僕達は一斉に言った。
「おめでとう!先生。おめでとう!」
皆の声が湿っている。皆が悲しみをこらえて声を湿らせていた。
僕は渡り廊下から身を乗り出して、声を大きく言った。
「先生!元気で!元気で居ればまた会えるから!」
その声に先生は確かに振り向いた。しかし手は振らなかった。
でも僕には見えた。
先生は僕の声に頷いて、大きく笑ったのを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます