第36話
庭で向日葵が咲いている。
風が吹いて向日葵が揺れたと僕が思った時、激しく勝幸が平手打ちを頬に貰って転んだ。
転ぶや否や腕を掴まれ向日葵の中に吹っ飛ばされた。
思わず僕は目を閉じた。すると今度は勝彦が兄の身体の上に覆いかぶさるように平手打ちを見舞って同じように飛んで行った。
「お前ら兄弟はどんだけ人に心配かければ気が済むんじゃ!」
怒声が鳴り終わらないうちに勝幸は再び首を掴まれて飛ばされようとしていた。
「待って下さい!」
館林先生が勝幸の首を掴んだ男に言った。それに振り返ると男は少し強面の顔のまま静かに先生を見ていたがやがて力を緩めると勝幸を地面に落とした。
勝幸の父親だ。
「兄ちゃん!」
側に勝彦が寄って兄の方を心配そうに見た。
「父ちゃん!いくら何でもふっとばすことは無いじゃろ!」
勝彦が睨み付けるように父親に言った。
「何じゃと!」
「まぁまぁ、お父さん、落ちついて」
「先生、じゃけんど、この子達がどんだけ学校、警察に迷惑をかけたか」
そう言ってから勝幸の父親は後ろを向いた。そこには新穂先生をはじめ警察官やツトムの祖父と母親、僕の父親も居た。
ツトムは黙っていた。それはそこに母親がいたからだ。母親はただじっとツトムを見ている。ツトムは何も言わず下を向いている。
僕はツトムが気になった。近寄って来る母親の前でツトムは地面を唯黙々と見ている。
ちらりと前を見ると父親が重い足取りで僕の前に歩いてくる。
(こりゃ、殴られるな)
そう思った時ポケットに手を差し込むと指が何かに触れた。
(あっ!)
僕はツトムの母親から預かった千円札を渡すの忘れていたことに気が付いた。僕は父親が来るのを無視してツトムの方に走った。
「待て、夏生!」
父親が走り出した僕の腕を掴まえ、平手打ちを頬に見舞った。
「っ!痛ぇ!」
思わず声を出して地面に倒れ込んだ。
「お前もどんだけ皆に迷惑かけたかわかっちょるんか!」
父親はもう一発平手打ちをくらわそうとして腕を空に向かってあげた。
倒れ込んで起き上がった僕は思わず父親を睨んで言った。
「父さん!僕にとっては大事な夏なんだ。皆と過ごす最後の夏なんだ。それがどれほど大事のなのか、父さんに僕の気持ちなんか分かりっこない!」
それを聞いた父親は一瞬驚いて僕を見た。するとゆっくりと振り上げていた腕を下ろした。
僕は腕を振り下ろした父親の姿を一瞥するとツトムの側へ行った。
「ツトム・・」
僕は声をかけた。
母親は真っ直ぐにツトムを見ているが目には涙が溜まっていた。
僕はツトムの肩を摩ると急いでポケットから千円札を取り出した。
「ツトム、御免。これおばさんから預かってたんだ」
僕は角が折れた千円札をツトムに握らせた。
ツトムはそれを手に取ると丸めて地面に叩きつけた。
「ツトム!」
僕は声を出した。
その声と同時にツトムの頬に母親の手が素早く動いて音が鳴った。
「ツトム!何しちょっと!大事なお金なのよ」
ツトムは打たれて赤くなった頬に触れることなくただ黙って肩を震わせて泣き出した。
「母ちゃん、もうこれしかツトムにできることが無いのよ・・それなのにツトムどうしてこんなことするの・・?」
ツトムはゆっくりと泣き始めた。それを見ていた新穂先生が手に何かを持って近寄ってツトムの肩に手を遣った。
ツトムは腕を目におくと周囲を憚ること無く泣き始めた。
先生が言った。
「お母さん、ツトム君寂しいのです。だってまだ少年ですから・・・。この前もお母さんのことで同級生の子にからかわれて大喧嘩になったのです」
先生が優しくツトムの背を撫でた。すると先生が手にしたものをツトムに渡した。それはゲン太と喧嘩した時、破れてしまったツトムのシャツだった。
「そうよね?ツトム?」
ツトムはシャツを受け取ると頷いた。
「そうやっちゃ。やっぱさみしいっちゃ。母ちゃんが居ないのが辛いっちゃ。福岡なんて行かなくてまた昔のように父ちゃんと仲良く暮らしたいっちゃ」
自然とツトムの声が涙交じりになり、顔をシャツで覆って泣いた。母親は聞きながらとツトムを抱きしめた。
「知っていたのね、ツトム…」
抱きしめると、母親がツトムの頬を撫でた。
「御免ね、こんなお母さんで、御免ね・・」
最後の方は声が湿っているのが分かった。
もうそれ以上ツトムは何も言わなかった。
僕は黙ってツトムを見た。
先生はツトムの事を「少年だ」と言ったけど、僕はツトムの心はきっと既に大人になっていて、決して母親が父親と元通りになって一緒に生活なんてできないと言うことを大人の理論で分かっているのだと理解した。
だからもうこれ以上何かを言って母親を困らせようとはせず、大人しく何も言わなかった。
ツトムは強い、僕は心の底から思った。泣いてももう心は立派な強い大人だった。
「ご両親方、もう宜しいでしょうか」
館林先生の声がして僕達は先生を見た。
「今回の事はもとはと言えば私の娘が瓶に手紙を入れて川に流したことが原因です。もし誰かがこの手紙を拾えば、もしかしたら皆さんの息子さん達ではなく別のお子様がやはりここを目指して来たかもしれません。娘に代わって謝ります、大変申し訳ありません」
頭を下げた先生に勝幸の父親が言った。
「先生、頭を上げて下さい。先生にはこの地域の者が誰も感謝をしています。こんな僻地ともいえる宮崎の田舎に東京のえらい有名な先生が来てくれて、我々の診察をしてくれているのですから。悪いのは本当にこのチビ達やっちゃから」
勝彦の父親の言葉にそれぞれの両親達が頷く。
勝幸の父親は息子を睨むと勝幸の耳を力一杯引っ張った。
痛ぇ!!と勝幸が叫ぶ。
「お父さん、もうそれくらいに」
息子を見てふんと言うと父親は勝幸の耳から手を離した。耳がみるみる内に赤くなってゆく。
「それでどうでしょう」
館林先生の声が響く。
「こんなことを言っては大変恐縮なのですが。ヒナコは勝幸君、勝彦君、夏生君にツトム君とお友達になれました。もしよければ夏休みの間、是非、こちらへできる限り遊びに来ていただくことはできないでしょうか」
そう言った父親の背中からヒナコが顔を出して僕達を見てぺろりと舌を出した。
そして微笑すると、向日葵の中に駆け出して行った。
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