第28話


「鳶ケ峰じゃ」

 勝幸の言った言葉が皆に耳に響く。

 山の峰をゆくこの坂道は、左右から伸びた緑の木々が生い繁り、トンネルのようになっている。

 道は繁る木々の濃い影に覆われており、所々空を覆う木々の葉の隙間から差し込む陽の光が出口へと導く自然の道標のように見えた。

 昨晩降った雨がまだ道を濡らしており、左右を見ればミミズたちが動くのが見え、また風も無いのに何かが草木の奥で動く音が聞こえた。

 僕達はペダルを漕ぐ足に力を入れて、この峰のトンネルのような坂道を上がり始めた。

 蝉が鳴いている声が聞こえてはいたが、この時僕達の耳は草木の奥に潜む何かが動く物音の方がはっきりと聞こえていたに違いない。

 草木の奥から音が聞こえる度、僕達は一斉に目を合わせては作り笑いをして、ゆっくりと息を切らせながら坂道を上って行った。

「やっぱ、何か動きよるんじゃない。マムシじゃなかと?襲ってくるんじゃろか?」

 勝彦が怯えたように僕に言った。

「かっちゃん。大丈夫だよ。しっかりツトムの背に掴まっていれば問題ないよ」

 僕はペダルを漕いでゼイゼイ息を切らせながら勝彦に答えたが、やはり時折草木の奥で動く音がやはり気になる。

 なんせここは別名“毒ケ峰”、マムシの住処だからだ。

 ツトムが息を切らせて言う。

「かっちゃん、もしマムシが現れたら言ってくれっちゃ」

「何でツトム?」

 僕が聞く。

「うん、実は爺ちゃんからマムシをやつける方法を聞いてるっちゃ」

「本当?」

 勝彦が喜色を顔に浮かべた。

「さすが。ツトム君じゃ。喧嘩も強いし、マムシにも強いし。凄いっちゃ」

 その言葉にツトムが照れるようにへへと笑うと鼻を摩り、ペダルを強く漕ぐ。

「さすがだよ。ツトムは無敵だね。で、どうやってやつけるの」

「それは見てのお楽しみっちゃ」

「じゃ、楽しみにしてるよ」

 そう僕が言った時だった。

「うげっ!」

 突然、勝彦が叫んだ。

「どうした?」

 ツトムが背中を振り返る。僕も振りかえった。

「あれ、あれ!」

 勝彦がツトムの背から顔を出して指さすと前を走っていた勝幸がその場所を過ぎようとしている。

 何か大きな塊が細く横に伸びているのが見えた。

「ん・・・?何じゃ?」

 勝幸が弟の声に自転車を止めて振り返る。

「何じゃ?勝彦」

 兄が弟に向かって言った。

「兄ちゃん、下!下!」

 その声に勝幸は反応して足元を見た。

 勝幸の目にそれははっきりと映った。いや、映ったと思った時には自転車を投げ出してその場所から勢いよくジャンプしていた。

「マムシじゃ!!」

 ツトムが叫ぶ。

 僕の目にも横に伸びたマムシの姿が見えた。

 そう言うや否やツトムは自転車を勝彦に渡し、勢いよく勝幸の側に走り出した。

「ツトム君!」

「かっちゃん、ナッちゃん。自転車に乗って一気にこの場所を駆け抜けろ!」

 走りながらツトムが言った。

「マムシをやっつけちゃる!」

「危ないツトム!!」

 僕はそう言って、勝彦の後に続いて自転車を勢いよく漕いだ。

 ツトムが叫び声を上げながらマムシへと向かってゆく。

 ツトムの走りは僕達の自転車より早かった。

「ツトム!」

 僕は叫んだ。

 ツトムはその声が届くと同時に素早く屈みこみ勢いよく踏んづけた。

 一瞬、何かに気付いたのか動きを止めたが、一気にマムシの尻尾を手に掴むと奇声をあげながら空へ放り投げた。それは木々の葉を突き破り、空の彼方へ消えて行った。

 僕は息を切らせながらツトムの側に近づいた。

 ツトムが肩で息を切らせている。

「ツトム・・大丈夫かい?マムシはやっつけた?」

 ゼイゼイ言いながらツトムが下を指さした。

「爺ちゃんの言う通り、やっつけた。マムシを見つけたら踏んづけろ、それで遠くに投げろといっちょったから」

「えっ!無茶苦茶だよ、それ!」

 僕はツトムの言葉に少し青くなったがツトムの勇気には感服した。

「見て、ナッちゃん」

 ツトムが指さす方を見る。

「このマムシ・・死んじょる」

「え?」

 僕はそう言ってツトムが指差す方を見た。

 胴から上の少し丸い蛇の頭部分までが道にへばりついている。白黒の縞模様の引き裂かれた部分にタイヤの跡が見えた。

 空へ投げたのはどうやら轢かれたマムシの下半身のようだった。

「どうやら子供のようじゃけど、道を渡る時に車に轢かれたようじゃ。まだ目が開いてるのを見るとそんなにたっちょらん」

 ツトムが屈みながらマムシを掴む。

「死んじょるみたいじゃな」手を伸ばして僕に見せる。

「大丈夫?ツトム?」

 僕が心配そうに言うと勝彦が自転車を押して側にやって来て、ツトムの背中越しに覗いた。

 見ると、うげ!と叫んだ。

「かっちゃん。大丈夫。死んでるみたい」

「ナッちゃん、本当?」 

 勝彦がツトムの掴んだマムシをまじまじと下から顔を近づけて見た。

 その時だった。

 死んだはずのマムシが口を開けて動いた。驚いたツトムは一瞬マムシから手を離した。

 するとマムシは勝彦の顔に落ちて身体を捻ってシャツの襟もとから躊躇することなく勝彦のシャツの中に滑りこんだ。

「ぎぃやぁああ!!」

 勝彦の叫び声が鳶ケ峰の木々の中に響いた。僕達は急いで勝彦のシャツを脱がせた。

「怖い!怖い!」

 勝彦が青い顔で地団駄を踏んで叫ぶ。僕達は急いでシャツを捲ると這いずって落ちたマムシを見つけた。

 ツトムがそれを見つけるときぇぇえと奇声ともいうのか叫び声を上げて思いっきり空へと放った。

 森の木々の葉を突き抜ける音がして、マムシは空へと消えた。

「勝彦、大丈夫か!」

 兄が弟に言った。

「かっちゃん、大丈夫?ねぇ、何も無かった?」

 勝彦は青ざめた顔をして震えながら背中を指さした。

「どうした?」

 兄の声に勝彦は泣き出した。

「だめじゃ。兄ちゃん。噛まれた!」

 その声に全員が背中を見る。

「どこ!どこ!どこ!」 

 全員が背中をくまなく探す。

「あった!」

 ツトムが指さす。

「ここじゃ!」

 ツトムが指さしたところに小さな赤い斑点が見えた。わずかにその部分が腫れ始めていた。

 すると勝幸がその場所に口をつけ勢いよく吸い込んで、唾を吐いた。

「かっちゃん。しっかり!」

 勝彦は少しふらつくようになって震え始めた。

「いかん、毒じゃ。毒が回り始めよる!」

 勝幸がそう言って、また同じように吸って地面に唾を吐いた。

「勝彦、いま毒出しちゃるからな!」

 僕は坂道を見上げた。坂の先に何か建物が見えた。

「ツトム!」

 僕はツトムを呼んだ。

「ほら、坂の上に建物が見える!あそこに行って人を呼んできて!」

 ツトムは頷くと自転車を漕いで急いで坂道を上り出した。

「おい、しっかりしろ!」

 勝幸の声に僕は振り返った。

 勝彦の顔は真っ青になっている。

「兄ちゃん、兄ちゃん・・・」

 勝彦が言う。

「やっぱ、帰った方が良かったっちゃ」

 勝幸が懸命に毒を吐き出す。

「ナッちゃん、ごめんね」

 勝彦が僕に謝った。

「どうして?」

 僕は言う。

「だってさ、足手まといになったっちゃ」

 それを聞いて僕は涙ぐんだ。

「そんな・・そんなこと気にしなくていいのに」

 勝彦は首を振った。

「この前、学校で西南戦争の本を読んだんじゃ。その戦争では怪我した侍は大将さんに迷惑かけないように皆、ひとりひとり自害したとよ」

「何?何?かっちゃん、だから何?」

「じゃから・・僕も同じように皆の迷惑になるんじゃったらこのまま死んだ方がいい」

 その言葉に僕は深い衝撃を受けた。僕達にとって死に方など全く興味のない話しや出来事であるのに、勝彦は知らないうちに自分のなかでそんなことを考えていて、それを口にしたからだ。

 普段は菓子を口に頬張っていて皆に冗談を言う、なんともおっとりとしたどこか頼りない少年なのに、いつそんな刃のような精神が勝彦に宿ったのか、僕はこの時驚きを隠せなかった。

「昔、町内の演劇の出し物で会津の白虎隊をやってから、興味があってね。それでお侍のことこっそり調べちょったんよ」

「かっちゃん・・・」

 僕は涙ぐんで勝彦の手を握った。

「馬鹿か!」

 勝幸の声が響く。

「勝彦、弱音を吐くな!」

 兄が弟に言った。しかしそれはどこか潤んでいるように聞こえた。

「お前のことは俺が助けちゃる。心配するな!俺の弟なんじゃ。何としてでも助けちゃるからな」

 勝幸が手の甲で瞼を拭った。その目は赤くなっていた。

「ガッチ・・」

 僕がそう呟いたとき坂の上からツトムの声がした。

 その声に僕達は振り返りツトムの方を見た。するとツトムの横に丸坊主頭の老人の姿が見えた。

「こっち!こっち!」

 そう言いながらツトムが駆け下りてくる。

 僕は勝幸と目を合わせると、力なくうなだれている勝彦の両腕をそれぞれの肩に回して太ももを持って坂を上り出した。

 下って来たツトムが僕らに加勢すると僕達は駆け足になりその丸坊主頭の所に来て勝彦を下ろした。

「弟がマムシに噛まれて」

 勝幸が咳き込むように言った。

 すると丸坊主頭は勝幸に言った。

「その事ならその少年から聞いた。それで近くに住んでる医者の館林先生に電話したからもうすぐここに来るじゃろ。心配せんでええ。それより早う、中にお入り」

 丸坊主頭は勝彦の前に背を出した。

「背中に乗りなさい。本堂まで運ぶから」

 僕達は急ぎ、勝彦を坊主頭の人の背に乗せると 門を潜った。

 門を潜る時、天井に大きな文字が見えた。

 それには『慈恵寺』と書かれていたが、当時の僕達には誰一人その漢字は読めなかった。

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