第10話

 蝉の声が再び響く。

(もう、来年の夏はこの蝉の鳴く声を聞けないのだ)

 そう思うと悲しくなって自然に涙が出て来た。

 二人はますます心配になって僕の面前に顔を出す。

「ナッちゃん、何かあったの?泣いているよ」

 勝彦の言葉に反応して手の甲で涙を拭くと僕は言った。

「いや、急にこの前のサッカーの試合を思い出してね。ほら南郷の二十四番にシュート決められたじゃない?あのとき僕がもう少しあいつにしつこくやってたら、試合に負けることもなかったと思ってね」

 僕は自分が思っていたこととは別の事を言って兄弟の心配をはぐらかした。兄弟も一緒に地元のサッカー少年団に入っている。

 案の定、僕の話したことに納得したように勝幸が言う。

「ウイングのあいつにやられた。確かに足が早かった。ナッちゃん、それ気にしてたんか?」

「気にするよ。だってそれで夏の大会終わったのだから」

 勝彦がチップスを口に咥えて将棋の駒を戻しながら言った。

「でも、いいじゃない。また冬の大会があるし、それに監督も言っていたよ。冬までにお兄ぃのいがぐり頭を強化してヘディングの強い選手にするって」

 おう、といいながら勝幸が頭を撫でてペンと音を立てて笑った。

「うん」

 僕は小さく言った。

(でもね冬の大会には、僕は居ないのだよ)

 将棋盤の上に綺麗に駒が配置されると僕は勝幸に向き直ってじゃんけんをしようとお互い手を出した。

 すると外で僕達を呼ぶ声が聞こえた。

 誰だろうと思って三人で目を合わせて僕達は窓の方を見た。勝彦が立ち上がり窓を開け、首を出して窓から外を見る。

 誰か居たのか手を振った。

「勝彦、誰?」

 勝幸が弟に言う。

「ツトム君だよ。僕達を呼んでるみたい」

「ツトム?」

 僕と勝幸が目を合わせて立ち上がり並んで顔をのぞかせて窓の外を見た。

 小さな農道の側から陽に焼けた両腕をシャツから出してひとりの少年が僕達を見て手を振っている。

「ツトムじゃ」

 僕達は揃って中二階の階段を下りてサンダルを履くと走り出して農道に立つツトムの側までやって来た。

 近くまで行くと彼が大きな網を持っているのが分かった。

 カブトムシやクワガタを獲りに行くタイプではなく、それよりも輪が大きな網だった。

「ツトム、何するの?」

 勝幸が聞いた。

「おう、ガッチ。そこの川でな、昨日の夜、大きな鯉が泳いでるのを爺ちゃんから聞いてな。それ、獲りに行くんじゃ」

「本当かよ」

 勝彦が言った。目が輝いている。

 ツトムが網を置いて手を広げた。

「一メートルはあるらしい」

「げっ、本当?それは、主じゃねぇ?」

 勝彦が驚いて同じように手を広げて自分でもその大きさを確認している。

 ツトムが勝彦の広げた手に合わせるように網を持っていく。

「これ、爺ちゃんから借りて来た山鳥を取る網やっちゃ。これなら獲れっど」

 網を動かしてツトムが言う。

「よし、それなら。今から俺達も一緒に行く」

 勝幸が僕達を見て言った。

「行くか?」

 ツトムが言う。

 僕と勝彦が頷いた。

「じゃ、行くど」

 そう言って僕達四人は小さな農道を歩き始めた。

 歩き出すと昼食を食べに戻って来た勝幸兄弟の親父が軽トラックの窓から何かを息子達に言った。

「父ちゃんじゃ」

 勝彦が兄に言う。

「まぁ昼飯の事じゃろ。ええっちゃ後にしよ」

 僕達は父親が見ているのも気にせず一斉に並んで走り出した。

 それが冒険への始まりに近づいていることも知らずに、蝉の鳴く声を背に聞いて、僕達四人は進んで行った。

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