第458話 ヴァージル・アイツールベイハムエル

「取りあえずお店の中で話をしましょうか、ヴァージルは時間は大丈夫ですか?」

「……はい……大丈夫です」


 ヴァージルと名乗った少年を連れて私の執務室へと向かった。

 こんな夕暮れ時に成人前の少年が一人街中を歩くのは、落ち着いたブルージェ領ならばいざ知らず、色んな人間が集まる王都では危険が一杯だ。


 それにヴァージルは貴族の子に見える。下手すればお金目的で誘拐も考えられるだろう。

 それでもヴァージルがスター商会に一人で来て「働かせて欲しい」というには何か事情があるからだと思う、ヴァージルの緊張した表情を見ればそれが分かった。


 クルトにお茶を入れてもらい、ヴァージルには軽食も出して貰った。

 ヴァージルは見るからに痩せていて、お腹もすかせているように見えたからだ。ヴァージルが遠慮しないように私もお菓子を摘んだ。そしてスター商会自慢のサンドイッチなので食べて見て欲しいとお願いすれば、ヴァージルは遠慮気味ながらも頷いてから口を付けてくれた。

 一口食べた瞬間の驚いた顔はやっと緊張が少しほどけた様な子供らしい表情だった。とても可愛い子だ。


 ヴァージルがお皿の半分ほどサンドイッチを食べたところで、セオに連れられてリアムとランスがやって来た。リアムが私に向けたその目には「今度は何の厄介事だ?」と書いてあり、それにニッコリと笑顔で返事をした。

 私が次々に人と出会うのは神様のお陰なので私のせいではない。それに今回はヨナタンの時と違って私が引き込んだわけでもない、ヴァージルの方から働きたいとスター商会にやって来たのだ。リアムに怒られる様な事では無いと自信があった。

 けれどリアムは私の笑顔に何故かため息を返してきた。笑顔では納得できないようだ。


「少年、ここで働きたいんだって? 俺はスター商会の副会頭のリアム・ウエルスだ。理由を聞かせて貰えるかな?」


 ヴァージルはリアムの前で立ち上がると、きちんとした礼を取った。

 そして初めて会ったときのような緊張した表情になると自己紹介を始めた。


「ヴァージル・アイツールベイハムエル、10歳です。ここでは……あの、スター商会様では子供も働くことが出来ると聞いてやって参りました。どうか僕を雇って頂けませんでしょうか?」

「悪いがウチでは下働きは置いて無いんだ。成人前の奴らは皆学生で ”アルバイト” って言って他の店の下働きや、従業員とはちょっと違うんだ。お前は……あー……ヴァージルはどんなふうにここで働きたいんだ?」

「あるばいと? ぼ……あ、いえ、私は……」


 アルバイトの意味が良く分からなかったのだろうヴァージルは口ごもってしまった。

 取りあえずヴァージルを再度ソファーへと座らせ、落ち着いて話をして見るとにした。

 急に副会頭であるリアムが来たので緊張もあるのだろう。普通は子供が働きたいと言ったからといって店の会頭や副会頭がわざわざ顔を出すことは無い、ヴァージルが子供でもそれ位の事は知っているはずだ。だからこそ混乱もしてしまっているのだろう。


 リアムもゆっくりとヴァージルが話が出来るようにと、お茶を飲みお菓子を食べ始めた。まあそこはただお菓子を食べたかっただけかもしれないけれど、ヴァージルに自分が食べているお菓子の事を説明したりして、何でもない事を話しかけ少しでも落ち着けるようにしてくれていた。やっぱりリアムは優しい好青年だと思う。素敵だ。


「あの、僕は普通に働きたいんです……」

「普通に? それは従業員として働きたいって事か?」

「……はい……」


 困っている子供をこのまま追い出すわけにもいかないし、かといって成人前の子供が大人同様に働くのには無理がある。ヴァージルは私と同い年、これから学校だって行かなければならないだろう。そこまでして何故働きたいのかをヴァージルは言い辛そうにしていた。


「ヴァージル、働きたいのならスター商会で働く事は構いません。でもご家族は? ヴァージルが働くことを何て言ってらしゃるの?」

「……はい……僕の家族は……母だけです……でも……」


 そこまで言ってヴァージルは黙ってしまった。やっぱり何か理由がある様だ。ここは話してもらえるように私たちを信用してもらうしか無いだろう。


「ヴァージル、大丈夫ですよ、ここに居る大人の人達は皆良い人なのは私が保証します。ヴァージルも街の噂でスター商会ならば大丈夫だと思ったからここで働きたいって言いに来たのでは無いですか? 悪い様にはしません。もしそれでも心配ならお母様もここに呼んでから話をしても良いですよ。先ずはなぜ子供であるヴァージルが働かなければならないのか、それを私たちに話してくれますか?」


 ヴァージルはまだ少し不安気だったけれど、自分と年が変わらない様な私が話をしたからか、小さく頷き、今日ここへ来たことをぽつぽつと話しだしてくれた。


 ヴァージルの両親はフォウリージ国の出身らしく、結婚を反対されたためレチェンテ国に逃げてきたらしい、いわゆる駆け落ち婚だ。ティボールドに聞かせたら次の小説のネタに出来ると喜びそうだ。この世界では親が決める結婚が殆どで、駆け落ちする人もいる様だけど、親からの支援がないのはとても大変な事だ。それも別の国に行っての結婚はとても大変だったと思う、きっとご両親は苦労したことだろう。

 

「父上が亡くなって、母上が働いていたのですが、最近体調が悪くて……僕、いえ私が働けば少しは母上も元気になるかとそう思ったのです……ですからお願いです。僕をここで働かさせては頂けないでしょうか?」

「うん、話は分かりました。では先ずはヴァージルのお母様の様子を見に行きましょうか?」

「えっ……?」

「リアム、話はそれからで良いですよね?」

「ああ、そうだな……それしか無いだろう……」


 リアムは頭をぐしゃぐしゃと掻きながら、仕方がないといった様子で認めてくれた。ヴァージルは驚いたまま「えっ?」と何度もつぶやいている。

 そんなヴァージルの手を引き玄関先まで降りて行くと、早速かぼちゃの馬車でヴァージルの自宅に向かう事にした。リアムも付いてきたがっていたが、ここは私とセオとクルトの三人で向かう、大勢で病人の居る家に押し掛ける訳にはいかないだろう。

 ちょっと不貞腐れ気味のリアムにはアダルヘルムへの連絡をお願いしておいた。可愛く唇を尖らせて「ちぇーっ」と言って居たが、リアムの顔だから許されるのであって、リアムの年齢の一般男性があれをやったらドン引きでは無いだろうか? いや、同級生のルイスがやっても違和感がないので普通の事なのだろう。

 私が少しセオの相手としてリアムを厳しく見過ぎているのかも知れない、気を付けよう。


 ヴァージルの案内で馬車は進み、王都の端にあるイカルイットの街に来た。

 イカルイットはワルシャックとは違った意味で治安の悪い場所だ。ワルシャックが魔獣が多い街で危険な場所なのに対して、イカルイットの街は犯罪が多くて危険な場所だ。魔石バイク隊の隊長であるレオナルド王子が一番気にしている街でもあった。そんなところからヴァージルは合い馬車を乗り継ぎ今日は一人でスター商会に来たようだ。きっと勇気が言った事だろう。後で話がまとまったらヴァージルを褒めて上げたいと思った。


「この馬車は凄く早いのですね……」


 ヴァージルは自宅に向かっているからか、少しだけホッとして笑顔を見せてくれるようになった。年相応でとても可愛い。ヴァージルの髪は茶色に赤が混じったようなこの辺りでは見かけない色合いだ。レチェンテ国でも茶色の髪の人が多いが、どちらかと言うと茶色の中でも落ち着いた色が多い。ヴァージルの髪色は茶色でももっと明るい色で、日が当たればオレンジに近い色かも知れない。瞳も同じ様な色をしていてとても綺麗だと思う。早くニッコリと笑った笑顔が見てみたいものだ。


「ここが僕、いえ、私の家です」


 大通りで馬車を降り、五分位歩くと長屋が沢山並んでいる場所に着いた。それぞれの家は大きくは無いが、以前ラウラやパオロが住んでいたスラムを思えばそれ程酷い場所では無かった。

 ただやはり人相の悪そうな人や、値踏みするかのような視線を送ってくる人は何人かいた。皆クルトを見れば何か仕掛けて来る事はなかったけれど、ここで一番怖いのはセオだと気づきはしないようだった。

 セオは見た目が可愛らしいのでハッキリ言って強そうには見えない。本人もその事を理解しているようで、油断させて倒すのを楽しんでいる気がする。残念ながら今回ちょっかいを掛けてくる人は居なかったけれど、クルトが居なければセオはきっと何人か病院送りにした事だろう。


 だって私に卑猥な視線が送られてくることにピリピリして居たからね。浮かべる笑顔がアダルヘルムの様だったもの……妹思いも怖い物だ。


「母上戻りました」


 ヴァージルの母親は寝込んでいるという事なので、先ずは私とヴァージルだけが自宅に入った。特に寝室が分けられているわけではなく、玄関に入るとすぐに台所、そしてベットがあるのだというので、セオとクルトは玄関前で待機だ。

 女性の寝間着姿は家族ならまだしも、顔も合わせたことの無い者なのに、勝手に押しかけて、それも寝込んで置居る姿を見るのは流石にダメだろう。特にこの世界ではタブーだと思う。

 それにヴァージルは貴族の子に思える。貴族のご夫人の寝間着姿などもってのほかだろう。


「……ヴァージル……」


 ヴァージルの母親はベットで寝ていたようだが、ヴァージルが戻って来たことにホッとし、起き上がろうとした。頬は赤くなっていて、熱が有ることはその顔色ですぐに分かった。ヴァージルと同じように痩せていて、台所には保存用の魔道具等は勿論なく、食品も殆ど無い様だった。あまり食事もとっていなかったのだろう。胸が痛んだ。


 無理矢理起き上がろうとするヴァージルの母親を止めて、寝たままで申し訳ないが挨拶をさせてもらう事にした。ララ・ディープウッズだと名乗るにはここでは心配なので、ララとだけ名乗り、スター商会の娘だと伝えた。詳しい事は治安の悪いここでは話さない方が良いだろう。癒しもスター商会へ戻ってからだ。


「あの、ヴァージルのお母様、宜しければこれからスター商会へといらして頂けませんか?」

「……お嬢様、お気持ちは有難いですが……私はこの通り病人です……とてもじゃありませんがスター商会まではいけません……お気持ちだけで……」

「大丈夫ですよ。スター商会までは転移で一瞬ですからね。それにここでは癒しも掛けられませんし、何も食べていない状態ではポーションも無理だと思うのです。スター商会へ行ってゆっくり休みましょう。ヴァージルの事も心配ですからね」

「転移って……お嬢様……貴女は一体……」


 驚いているヴァージルの母親を説得し、カーディガンを羽織らせるとセオとクルトを家の中へと呼び寄せた。本当は女性の私がヴァージルのお母様をお姫様抱っこした方が良いだろうが、病人を驚かせるのは心配なので断りを入れクルトに抱えて貰った。

 そして皆で固まると、私とセオの魔法を使って転移をした。一瞬の事なので体には負担は無かった事だろう。私の執務室へと着けば、アダルヘルムが待ち構えてくれていた。これでヴァージルの母親の事も安心だ。

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