第172話 プリンス伯爵

 食堂へプリンス伯爵に抱っこされたまま着くと、ワイアット商会の会頭であるジョセフ・ワイアットと下僕のチャド、それからワイアットの護衛らしき人物と、一緒に行動を共にして接待をしているティボールドとディエゴとヤコポがいた。食事を終えたところだろう、セルフサービスなので自分たちで食器を片付けている所であった。

 私とプリンス伯爵の顔を見るとジョセフ・ワイアットの目が大きく見開いた。それだけで十分に驚いている事が伝わって来たのだった。


「ダレル・プリンス伯爵!」

「おー、これはこれは、ジョセフ・ワイアット殿お久しぶりだねー」

「は、はい。ご無沙汰しております」


 どうやらワイアットとプリンス伯爵は顔見知りの様だ。王都に住んでいる商家と伯爵家だ、その可能性は十分にあるだろう。

 ワイアットは手にトレーを持ち、プリンス伯爵は私を抱えている為に握手はしなかったが、手が空いていたら握手をする仲なのは話をしている表情で分かった。もしかしたらワイアット商会とプリンス伯爵家は長年のお付き合いがあるのかなと思わせるような雰囲気であった。


 ワイアットはプリンス伯爵と挨拶を交わすと、ティボールドを紹介した。ティボールドがウエルス家の名を口にすると、プリンス伯爵は少しだけ表情が固くなった。ウエルス家の事があまり好きでは無いのかもしれない。


「……ウエルス家というと……ロイド・ウエルス君と兄弟なのかな?」


 ウエルス家の長男であるロイドの名前を出したところでプリンス伯爵の笑顔が嘘の物になったような気がした。ロイドはプリンス伯爵に対して何かをやったようだ。評判の良くないロイドならあり得る事であった。


「残念ながらロイドは私の兄です……ですがここスター商会に私が居るのは、会頭と友人という縁あっての物です。副会頭に弟がいるからでもありません」


 ニコニコと笑顔で紳士らしく対応するティボールドは普段とは別人である。リアムと 「馬鹿ー」 と言い合って喧嘩しているとはとても想像できない態度であった。


「こちらの会頭とご友人なのですか……噂では女性と耳にしましたが……まさか婚約者とかでしょうか?」


 ティボールドはプリンス伯爵の言葉を聞いて何故かとっても嬉しそうに笑った。商人の表情では無く普段のティボールドの笑顔だ。ワイアットは会頭である私の話が出て少し動揺しているのか、目が泳いでいた。私を見たり、プリンス伯爵を見たり、ワイアットより少し前に出て居るティボールドの後頭部を見たりととても忙しそうで、眩暈を起こさないかと心配になるぐらいだった。


「フフフ、実は結婚の申込をしているのですが……弟に邪魔されてしまい、受けて頂けていないのです……」

「ほう……それは、弟さんの方もスター商会の会頭殿に愛情を抱いているということでしょうか?」


 ティボールドはフフフとまた笑うと、プリンス伯爵に頷いて見せた。抱っこされたままの私は思わず 『いやいや、リアムの好きな相手はセオだから』 と突っ込みたくなったが、個人情報なので(それもとてもデリケートな)賢く黙っておいた。


「これは、会頭殿にお会いするのが今から楽しみですね……さぞやお美しい方なのでしょう」


 ティボールドはその返事に、「美しいと言うよりは神々しくまるで女神の様であり、人を惹きつける魅力を持った素敵な女性」 だと会頭伝説のハードルを天井まで引き上げて私の説明を始めた。

 何故かワイアットもうんうんと頷いていたので、プリンス伯爵のスター商会の会頭に対する期待は益々大きくなったようで、私はリアムとの約束があるからだけでは無く、絶対に自分が会頭だと名乗るのは止めようと心に誓ったのだった。

 それと、ティボールドとワイアットには、唐辛子入りの料理でもプレゼントしようと決めたのだった。


 二人と分かれてプリンス伯爵と料理のメニューを見る。ここでメニューを見るためにやっと私の事を降ろしてくれた。プリンス伯爵は見たことも聞いたことも無い料理がメニュー表に乗っている事に興奮しているようで、頬を染め目をキラキラとさせていたのだった。


「あー、悩むねー日替わり【和食定食】? って言うのも面白そうだ……それに、【中華粥】って言うのも面白そうだねー、あーでもここはパンも美味しのだよね……【フレンチトースト】セットとか【クロワッサン】セットとか……どれも美味しそうじゃないか……ここに居られる時間は短いし、全部食べるのも難しいよね、それにパン屋のスターベアー・ベーカリーにも行ってみたいし……今日の夜は新しいレストランで食事もある……お腹を空かせておかないと困るから、食べ過ぎる訳にも行かないし……うーん……」

「……あー、プリンス伯爵、それでしたらシェアしてみたらどうでしょうか」

「シェ? シェア?」


 接待役として役に立たなければならない私は、驚くプリンス伯爵に頷くと説明を始めた。食べたい料理を二種類選んで今日は護衛さんと半分こするのだ。明日は例えば先程あったワイアット達と一緒に食事を取り、シェアすれば四種類の味を楽しめる。

 そしてスターベアー・ベーカリーのパンはおやつにし、食べきれなかったものは魔法袋に入れて持ち帰ることを進めた。夜の食事の為にお腹を空かせたいのなら剣の稽古をしても良いと話すと、プリンス伯爵はやっと悩むのを止めた様だった。


「そうかシェアか、良いことを教えてもらったよ、それに魔法袋か……スター商会で販売もしているんだったね」

「あ、はい。販売していますが、良かったらこれをどうぞ」

「えっ?」


 私がポシェット型の魔法鞄から巾着型の魔法袋をプリンス伯爵に手渡すと、プリンス伯爵は目を見開き驚いた顔をした。子供が突然高価な魔法袋を差し出したら誰でも驚くだろう。なので私はスター商会では従業員は誰でも魔法袋を持っていることを説明した。それはお手伝いしている子供たちもだ。だが、説明すればするほど何故かプリンス伯爵の目は大きく見開いて行った。この店での従業員の生活の様子などまで詳しく説明したのに、それは変わらなかったのだった。


「そうか……スター商会は私が想像する以上に凄いお店の様だね……」

「いえ……そんな事は……」


 プリンス伯爵は手にした魔法袋をジッと見つめた後、私の方へと笑顔を向けてくれた。どうやら普通の事だと分かってくれたようだ。安心できる笑顔だった。接待としての私のホスト役もなかなかの様だ。


「君……お嬢さん……名前を教えてくれるかい?」


 そう言えば名乗っていなかったことを今頃思いだした。私は淑女らしく微笑んでレディの挨拶をした。アリナの特訓の成果だ。これでこそ出迎える側として完璧な対応だろう。


「私はララ・ディ……です。宜しくお願いします」


 危なくディープウッズと言いそうになったが、そこは素敵な笑顔でごまかした。プリンス伯爵も紳士の笑顔を返してくれた。良かった。

 プリンス伯爵は二種類の料理を選ぶと私が渡した魔法袋へとしまった。ニコニコ顔だ。


 プリンス伯爵の部屋へ一緒に戻るときはやっぱり私は抱っこだった。貴族と言うのは子供と一緒に移動するときは抱っこなのだろうかと首を傾げてしまう。でもプリンス伯爵は鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌で部屋へと戻ったのだった。


 部屋の前に着くとキョロキョロとしている男性が立っていた。小柄ながらガッチリとした体型だ、剣も差している事から護衛だとすぐに分かった。


「ダレル様!」


 その男性はプリンス伯爵を見つけると勢いよく近づいてきた、少し怒っているようにも見えた。


「ああ、エドモンド、起きたのかい? よく眠れたかな?」

「ダレル様! 眠れたかなではありません! また黙って居なくなるなど、どれほど心配したことか!」

「こらこら、エドモンド、レディの前でそんな怖い顔をするものじゃないよ」


 エドモンドはやっと私が抱っこされている事に気が付いたのか、ハッとすると口を閉じた。だが注意し足りないのか口がへの字になっていたのだった。


 食事を持ってきたからとエドモンドに部屋の扉を開けさせて、プリンス伯爵は部屋に入った。勿論私は抱えられたままだ。抱っこする事が好きなようだ。接待役として申し訳ない気持ちになる。

 二人の食事を魔法袋からプリンス伯爵が取り出すとエドモンドは驚いた顔になった。見たことも無い料理にもだが、魔法袋にも驚いているようであった。


 やっと降ろされた私は二人にお茶を入れて上げた。少しでも良いところを見せたい。だが小さな子がテキパキとお茶を入れる作業をしている事に、二人はまた驚いているようであった。


「……ララちゃん……君はお幾つかな?」

「はい? 6歳ですが?」

「そうか……メルキオッレの二つ下か……」


 プリンス伯爵は感心したように私を見つめると、入れたてのお茶を食事より先に口にしてくれた。私への感謝の気持ちの様だ。

 ラディアの花で作ったお茶はプリンス伯爵も気にいってくれたようで、ボソッと 「美味しい……」 と呟き、カップの中をジッと見つめていたのだった。

 二人は私が話した通り朝食をシェアして食べていた。最初は主と分け合うなどと恐縮していたエドモンドだったが、美味しそうであり、見たことも無い料理が目の前に置かれると、渋々それを受け入れ、今は全く気にせずどちらの料理も嬉しそうに食べていたのだった。


「いやー、和食って言うのは美味しいのだねー、感動したよ……」

「はい、魚がこんなにも美味しいとは知りませんでした。それにここ店の米はとても美味しいです。王都で米料理を食べた時はくちゃくちゃして美味しく感じられませんでしたが、ここのは全く違いますね」

「それは、米の焚き方が原因ですね」

「「えっ?!」」


 驚く二人に米は焚き方が大事だと教える。そして洗い方もだ。最初に水を吸ってしまうので、最初に入れる水が一番大事だと教えた。水の量の調整もだ。和食関係の事になるとつい熱が入ってしまい、炊飯魔道具や、精米魔道具の話までしてしまったのだが、二人が啞然としているなど全く気が付かず、接待する側として気合が入り、最後にはおにぎりの具の話までしてしまった私なのであった。


「今スター商会では米の改良に力を入れているのです」

「……か、改良……?」

「そうです、今の米はパサパサしてますが、もっとモチモチッとしたお米が目標なんです。私が作ったお米で随分改良はしたんですが、まだまだ物足りなくて、今研究チームにお願いしている所なんです」


 二人は口を開けたまま頷いていた。私はそれを (そんなにお米が好きなのかー) と思っていただけだった。まさか二人が6歳児が語るような内容ではない事を、目の前の幼女が言って居ることに驚いて居ることには全く気が付かず、リアム、セオといった私の行動のストッパーになる人物がいない事で、この後益々有り得ない行動をしてしまうのだが、”もてなし”に気合が入る私はそんな事には全く気が付かなかったのであった。


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