第90話 領主婦人

 ドナの話によると、ドナとハンナ姉妹は領主夫人が結婚の際に、実家から一緒に付いてきたメイドなのだそうだ。夫人が成人する前からお世話していたので、気心が知れている為、安心出来る存在として夫人からも慕われていたそうだった。

 姉のハンナはメイナードが産まれるとメイナード付きのメイドとなり、メイナードの事をとても可愛がっていたそうだ。メイナードもハンナの事を慕っていてとても仲良く幸せな日々が続いていた様だった。

 だが、前領主が亡くなった途端にその幸せが崩れ始めた。領主夫人の流産、病気、それから姉であるハンナの解雇、それに病気を理由に領主は妻の元へと一切通わなくなってしまったそうだ。


「あんなに仲のいいご夫婦でしたのに……」


 姉のハンナは解雇されたとあって、評判が落ちてしまった為、次の就職先はきちんとした貴族の屋敷には勤められないだろうとドナは悔しがった。

 それに第二夫人を進め出した周りの者が、夫人と離縁するように領主に進めてくるかもしれないとドナは言った。


「私もいつまで奥様の元に居られるかは分かりません……」


 もう夫人の部屋には近づく事も許されておらず、今は見習いメイドと同じ様な仕事をさせられているそうだ。ドナは涙をこらえながらそう話してくれたのだった。


 結界を解き領主夫人の部屋へと入ると、そこはお世辞にも病人の部屋とはいえない物だった。締め切られたカーテン、空気がよどんだ部屋、そして変えられていないであろうシーツや衣類、まるで 早く死ね と言われているような部屋であった。


「奥様……」


 ドナは手を口元に持ってくると驚いた表情を浮かべていた。どうやらドナが夫人に付いていた間はこの様な状態ではなかったようだ。枕元の飲み水を見てもいつの物か分からない様だったし、食事もそのまま置きっぱなしで傷んでいるようにも見えた。


「病人にこんな事をするなんて……」


 抑えられていた私の怒りが爆発寸前になった。それをアダルヘルムに肩を叩かれ深呼吸をする事で何とか落ち着かせる。

 とにかく今は領主夫人の様子を見ることが最優先だ。こんな事をした者へのお仕置きは後で存分にさせて頂こうと私は固く誓った。


「ドナ、奥様の薬歴や食歴が分かるものが有りますか? 有ればすぐに持ってきてください」

「は、はい!」


 ドナはメイドだという事も忘れたかのように勢い良く部屋を飛び出していった。その間に私とアダルヘルムは夫人の様子を見る。顔色は青白く死体の様になっており、その上満足に食事も水分も取っていないのか肌は荒れ、唇もカサカサになっていた。目はうつろで私達の存在にも気が付いていない様だった。

 先ずは癒しを掛ける、それだけでも婦人の頬には少し赤みがさした。次に脈を取るために手を取る、夫人のやせ細っている様子が良く分かり胸が痛くなって来た。


「ララ様いかがですか?」


 きっとアダルヘルムが診た方が良いだろうが、ご婦人ということもあり本人の許可がないため、私が症状を調べた。脈も弱く栄養も足りていない、このまま放っておけば数日で亡くなってしまう事はすぐに分かった。


「これは、本当に病気なのでしょうか……」


 病気というよりも、栄養失調に近い気がする……


 そんな事を考えているとドナが夫人の薬歴などを持って部屋へと飛び込んできた。アダルヘルムと私はすぐにそれを確認する。


「これは……」


 アダルヘルムが薬歴を見て驚いている。私は食歴を見て血が沸騰しそうになった。薬歴には健康なものが摂るには問題のない青竹草が必ず入っており、食事には裏紅茸が必ず入れてあった。どちらも少量なら問題が無いが、毎日とれば堕胎効果がある物で、強い副作用がある為薬としてはあまり好まれて使われない物であった。

 私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、領主夫人に鑑定を掛けた。


【ロゼッタ・ブルージェ 女 23歳 薬漬け 栄養失調 感染症……】


「ドナ、ロゼッタさんはここに居ては殺されてしまいます」

「えっ?!」

「すぐに私達の屋敷に連れていきますので、準備をして下さい」

「はっ、はい!」


 私はロゼッタに洗浄魔法を掛けると、アダルヘルムと共に領主の部屋へと足早に向かった。アダルヘルムも怒りが込み上げてきているのか、厳しい顔つきになっていた。

 領主の部屋へ戻るとまだブライアン達は部屋にいた。そして私達の方へと嫌な笑顔を見せてきた。


「戻られましたか、どうですか、もうロゼッタは手遅れだったでしょう」


 ニヤニヤと笑うブライアンを無視して私はタルコットとイタロだけと話せるように結界を張った。その風圧でブライアンとデルリアン、それからガブリエラが吹き飛ばされたが、わざとそうしたので無視をしておいた。


「お、叔父上!」


 タルコットはブライアンの心配をして結界の外へと出ようとしたが、アダルヘルムがそれを止めた。アダルヘルムの握る手の力が強かったからか、タルコットは ヒッ と声を出して青い顔になった。


「ロゼッタさんは長い期間毒を盛られておりました」

「「なっ、そんな……」」


 タルコットとイタロが驚いた顔をこちらに見せてきたが、私はそのまま話を続けた。


「ロゼッタさんはディープウッズ家でメイナードと共に預からせて頂きます」

「え……あ……そんな……」

「この城に居ては二人共殺されてしまうでしょう」


 そして貴方たちも――


 その言葉は私は声には出さなかったが、アダルヘルムには分かっていた様だった。


「あの……叔父上に相談を――」

「いい加減にしなさい! ここの領主は貴方ではないのですか?」

「……それは……その……」

「貴方の優柔不断な態度が、妻や子を危険にさらしているのですよ」


 私の言葉にタルコットは何も答えず黙ったままだった。私はタルコットの後ろでオドオドしているイタロにも話し掛ける。


「イタロさん、貴方も補佐なのでしたら領主がキチンと自覚を持てるように促すべきだと思います。ただ側に居るだけでは補佐とは言えませんよ」


 イタロはガックリと肩を落とすと、小さく頷いて見せた。


 それから二人には十分にブライアンに気を付ける様に伝え、くれぐれも私達の事はディープウッズ家のものだと話さないようにとも伝えた。そして最後に――


「奥様が元気になられた時に、離縁したいと言われても仕方ないことだけは覚悟だけはしておいてくださいね」


 そうニッコリと笑って、青くなっているタルコットとイタロを尻目に、私とアダルヘルムは結界を解除して転がっているブライアン達をそのままに、領主の部屋を後にしたのだった。


「アダルヘルム、勝手をしてごめんなさい」


 領主夫人のロゼッタの部屋に向かいながら、私はアダルヘルムに領主関係者への非礼をわびた。どうしても妻を蔑ろにしているタルコットを許せなかったし、まるで道具の様に人の命を扱っているブライアン達を許すことが出来なかったのだ。

 蘭子時代の記憶があるからかもしれないが、それを抜いても人として、上に立つ立場の者としてそれはどうなのかと思ってしまう。

 私が反省からしゅんと肩を落としていると、アダルヘルムがクスリと笑った。


「あれぐらい可愛い物ですよ、城を壊さなかっただけ良しとしましょう」

「えっ?」

「アラスター様なら怒りから、城の半分は壊してしまいそうですからね……」


 アダルヘルムはそう言って懐かしそうな表情を浮かべて笑っていた。私はお父様の違う意味の凄さを知った気がした。

 アダルヘルムが言うには、とにかく女性に対して酷い行いをする者にはお父様は容赦がなかったようだ。その中でもお母様に対して何かしてくるものがいれば、正々堂々と決闘を申し込んでいたのだと教えてくれた。


「アラスター様が本気で剣を振れば、城など簡単に壊れてしまいますよ……」


 この話を聞いて、アダルヘルムやマトヴィルが改装工事や修繕工事がとても上手で、作業も早い事が理解できた私であった。

 領主夫人の部屋の前に着き、部屋へと入る前にアダルヘルムが立ち止まり私の方へと顔を向けた。その表情はとても真剣だった。


「ララ様、領主と……貴族と関わるという事はとても面倒な事に巻き込まれる可能性があります。あの卑劣な人間を見て頂ければお分かりかと思いますが、貴族という生き物はああいった考えの者が普通です、自分の損得勘定でしか物が考えられない者が大半です、この扉を開けて夫人を引き取ればもう後戻りは出来ませんが、宜しいですか?」


 森で迷子になっていたメイナードを保護したのとは意味が違う、領主夫人を自分の関係者、もしくは後見人として意思表示しているのに近いのだとアダルヘルムは付け加えた。

 私にとってはただ友達を助けたいだけなのかもしれないが、引き取ればそれ以上の意味が付いて回るとアダルヘルムは言いたいのが良く分かった。


 私はアダルヘルムの言葉を受け、覚悟を決めた。


 これは神様からの出会いの導きであると私は思っている、それに困っている友人を無視するなど私には出来るはずが無いのだから。


「アダルヘルム有難うございます。私は誰と戦うことになっても家族や友人を必ず守ります」


 アダルヘルムは笑顔で頷くと夫人の部屋の扉を開いてくれた。中ではドナがロゼッタの荷物をまとめていたのだった。


「ドナ、荷物は最小限にして下さい、我が家には何でも揃っていますので、ここに置いておけない物だけにして下さい」

「は、はい」

「それからこれを」


 私は紙飛行機型の折り紙をドナに渡した。速達用の青色の用紙だ。


「急いでハンナに手紙を書いてください、荷物をまとめて中央地区にあるスター商会を訪ねる様にと」


 さすが優秀なメイドだ。ドナは理由を聞かずすぐに行動に移った。その間に私とアダルヘルムはもう一度ロゼッタの様子を見る。まだ意識は戻ってい無い様だ。この状態でポーションを飲ませれば、強すぎて劇薬になってしまう可能性がある。これは屋敷に戻ってから点滴をした方が良いだろう。

 私は手紙を書き終わったドナに声を掛ける、ドナは紙が勝手に飛行機の形になって空へ飛びだしたことに目を丸くしていた。


「ドナ、貴女はどうしますか? 私たちと一緒に来ればもうここには戻れなくなるかもしれませんが……」

「私はロゼッタ様付きのメイドです。たとえロゼッタ様が領主夫人ではなくなってもそれは変わりません、どうか一緒にお供させてください」


 私はドナに笑顔を向けて頷くと、ロゼッタの荷物を自分の魔法鞄に閉まった。

 それからアダルヘルムがロゼッタを抱えて、玄関の方へと向かった。途中何人かに声を掛けられたが、領主には許可を取ってあるとアダルヘルムが威圧を掛けて答えると、ひるんで黙り込んでいた。

 領主部屋へと向かうときは誰ともすれ違わなかったのに、これだけ騎士や使用人たちに声を掛けられるという事は誰かが手を差し向けているのだろうなと、先ほどのブライアンの厭らしいニヤケ顔を思い出していた。


 私達が玄関に着くと、合わせたようにハンキとランタが馬車を乗り場へと引いてきた。さすがアダルヘルムの指導を受けているだけあって、優秀だなとこういう時に感じてしまう。


「ドナ、ロゼッタさん、さあ、我が家へ参りましょう」


 私の掛け声ですぐさま馬車へと乗り込んだのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る