無力と無気力
七月二十日、月曜日、夕方。何でも屋朱雀店に一人の依頼人がやって来た。引き戸を開けて私に「いらっしゃいませ」と言われた彼女は、緊張でカチコチになった顔の筋肉をなんとか動かして「依頼があるんですけど……」と言った。彼女の緊張はとても良くわかる。私がこの店に初めて足を踏み入れたのも高校生の時だが、あの時は私も相当緊張していた。
私は依頼人を店長がいるソファーに案内して、台所で三つお茶を淹れてテーブルに置いた。店長と依頼人はもう話を始めていたが、空いているソファーに私も腰掛けた。
「それで、依頼したいのはこれなんですけど……」
ちょうど依頼人の自己紹介が終わって依頼内容の話に入ったところらしい。依頼人の女子高生はスクール鞄から一枚の紙を取り出してテーブルの上に置いた。カラフルな文字と青い空と海が描かれていて、それはどうやら何かの広告のようだ。私は身を乗り出して広告の見出しを読み上げた。
「第七回琵琶湖ベストカップルコンテスト?」
「はい、そうなんです!」
急に元気な声になった依頼人に私はびっくりしながらも、とりあえずソファーに座り直す。依頼人は明らかに先程よりも目を輝かせて話し出した。
「これは毎年七月下旬に琵琶湖でやってるコンテストなんです。基本的にはビーチバレー勝負なんですけど、優勝賞品はなんとペアの海外旅行!」
「つまり優勝したいってことですか?」
優勝賞品が海外旅行なのは知っていた。だって広告に赤文字ででかでかと書かれているから。しかし依頼人は小さく首を振ると、バンとテーブルに手をついて身を乗り出した。
「違います、私が欲しいのは準優勝賞品です!」
準優勝賞品……。私はテーブルの上の広告を読み直してみたが、優勝賞品以外の賞品の情報は書かれていなかった。そこで、今までスマートフォンを操作していた店長がようやく口を開く。
「……滋賀県のゆるキャラ鱒の鱒之助グッズセット?」
「そうです、それです!」
どうやらコンテストについて調べていたらしい。スマホの画面を見て微妙な顔をしているなと思っていたら、店長はそっと画面を私に見せた。鱒に手足が生えたようなキャラクターが映っていたが、どうやらこれが鱒之助のようだ。正直に言ってあまり可愛くない。そしておそらく知名度は低いだろう。
「私は鱒之助の大ファンなんです!グッズも観賞用と使用用いつも二つずつ買ってます!鱒之助のイベントがあったら必ず行ってます!鱒之助のファンクラブ入ってます!」
「うん、君の鱒之助への愛は十分伝わったから。うまり依頼は君を準優勝させればいいの?」
しかし依頼人は再び首を振った。
「違います。というか、そもそも私は出場できません」
「何でですか?」
親がダメと言っているからとか?それとも、通っている学校が規制しているとか?依頼人は悔しそうな顔をしながら、私が想像したそのどれでもない答えを口にした。
「これはベストカップルコンテストです。私には……彼氏がいません」
「それは……仕方ないですね……」
依頼人が本当に悔しそうな顔をしているので、私はそれしか言えなかった。彼女はまるで切腹間際の武士のような顔をしている。今にも「無念」とか言いそうだ。
「その鱒之助はコンテストの賞品用に作られた特別仕様で、準優勝しなきゃ手に入らないんです。ちょっと画像検索してみてくれません?水玉模様の水着がクソかわいいですから」
依頼人の画像検索の勧めに、私と店長は微妙な笑顔を返した。
「じゃあさ、別にコンテストに出なくても準優勝した人から譲ってもらうのもアリなんだよね?」
店長の提案に依頼人はぶんぶんと首を振った。本日三度目だ。
「準優勝の人が譲ってくれるとは限らないじゃないですか!」
「大丈夫譲ってくれるってこんなの」
「今こんなのって言いました!?こんなのって鱒之助のことですか!?」
「ファンじゃない人からしたら“こんなの”でしょ」
「ファンかもしれないじゃないですか!」
店長が私に「こりゃダメだ」という顔を向けた。私は苦笑いを返した。
「わかった、そこまで言うなら譲ってもらうのは無しにしよう」
「当たり前です」
「じゃあ手っ取り早く審査員を買収しようか」
店長の言葉に依頼人は眉を寄せた。
「それって買収するお金私が出さなきゃダメなんですよね?私見ての通り高校生なんで、あんまり依頼料出せませんよ」
「それもそうか……。じゃあ事前に盗んでおこう」
「それ賞品持ってる依頼人が捕まるじゃないですか」
店長の言葉に私はツッコミを入れた。賞品のグッズは世界に一つしかないのだから、賞品を所持している依頼人が泥棒だとすぐにバレてしまう。
「ならどうしろって言うの?」
「それは……じゅ、準優勝の人を脅すとか」
「確かに安上がりだね。じゃあそれで行こう」
「冗談ですよ、もう」
私と店長のくだらないやり取りを見ていた依頼人が、私達の会話が一段落したところを見て、おずおずと口を開いた。
「あの~、別に普通に準優勝してくれればそれでいいんですけど」
「だって誰がそのコンテストに出るの?」
「お二人が出ればいいのでは?」
満面の笑みで言う依頼人に店長はしかめっ面を返した。
「でも結局正攻法でいくのが一番いいんじゃないですか?誰が出るかは別として」
私の意見に店長は肯定の意を示した。どうやら納得はしているようだ。依頼人はホッとした顔をした。
「まぁやり方はどうであれとりあえず君の依頼は受けるから、ここに名前と連絡先書いて」
店長は横のチェストの引き出しから紙とペンを取り出すと依頼人の前に置いた。依頼人は必要項目に次々と文字を書き込んでゆく。全ての項目を書き終えた依頼人は、ペンを置いて顔を上げた。
「絶対に鱒之助をゲットしてくださいね。この機会を逃したら一生手に入らないんですから」
「わかってるって」
「ほんとにわかってますか?一生ですからね、一生!」
依頼人は最後まで「絶対手に入れてくださいね」を繰り返していたが、やがて帰って行った。店長が肩でため息をつく。引き戸まで依頼人を見送った私はソファーの方へ戻って、テーブルの上から紙を取り上げた。
「佐々木雪花(ささきゆな)さんですか。高三なら私と一つしか変わりませんね」
ようやく依頼人の名前を知ることができた。私がお茶を淹れに行っている間に自己紹介はしただろうから、店長もちょろっと教えてくれたらいいのに。
「それで結局どうするんですか?」
私がそう尋ねたのと同時に、店の裏から瀬川君が出て来た。瀬川君は真っ直ぐ店長のところへ向かって、店長に紙を一枚差し出した。私は自分が手にしていた紙を瀬川君にわたす。これには依頼人の個人情報の他に依頼内容も書かれているのだ。店長と瀬川君はその場でそれぞれの紙に目を通した。
「それで、結局どうするんですか?」
私は店長が紙から顔を上げたタイミングでさっきと同じ質問をした。瀬川君も依頼内容の欄を読み終えたようだ。
「リッ君雅美ちゃんと出ない?」
「嫌です」
「いいじゃん二人で出なよ」
「嫌です」
店長が瀬川君に声をかけるが、瀬川君は無表情無抑揚でそれを一蹴した。私だって出たいわけではないが、そこまで即答されると何だかなぁ……という気分になる。
「仕方ない、この依頼は他店に回そう」
「それがいいですねそうしましょう」
店長の一言に瀬川君は珍しく少し食い気味に賛同した。
私は改めて広告をよく読んでみた。出場資格は滋賀県民であることと書いてある。何でも屋の従業員はほとんど滋賀県在住だろうから、この点は大丈夫だろう。あと特筆すべき項目は、夫婦は禁止というところくらいだろうか。カップルであるならおじいちゃんおばあちゃんでもオーケーらしい。
広告の左下に去年の優勝者の写真が載っていたが、普通に美人とイケメンだった。依頼は優勝者の決め方は基本的にはビーチバレーと言っていたし、広告にもそのようなことが書いてあったが、この写真を見ると「結局は顔なんじゃないか」とやる瀬なくならざるを得なかった。
「開催地が由岐野だから頼むなら青龍店かなー。嫌だなー。あいつに頼むの」
店長が私の手から広告を抜き取りながら独りごちる。瀬川君はその後ろに「僕もう部屋に帰っていいですか」という顔で立っていた。私は青龍店の面々を思い出していた。青龍店の店長の相楽勇人さんはとにかく嫌な奴だった。思い出しただけで胸がムカムカしてくる。彼はとにかく子供っぽいのだ。そして実際はたいしたことないくせに態度が偉そうなのである。
勇人さんによくくっついている二人の女性従業員を思い出してみた。赤髪のパーマ頭のお姉さんは、いつもすごい剣幕で朱雀店に噛み付いてくるので怖いイメージしかない。まるでトラのようだ。もう一人、前髪を上げておでこを出しているクールな雰囲気のお姉さんは、朱雀店の悪口をいうどころかいつも勇人さんを諌めていたので、少し好感を持ってるのだが。
「まぁこれは僕から連絡しとくからリッ君は何もしなくていいよ」
「そうですか。安心しました」
瀬川君はそれだけ答えると、依頼人の記入した紙を持って自分の部屋へ戻ってしまった。瀬川君が裏へ消えると、先程私が出したお茶を飲み干した店長が立ち上がって、そのまま店の裏へ行ってしまった。さっそく青龍店に連絡しに行くのだろうか?
店内は私一人が残り、ひどく静かに感じた。先程の依頼を他店舗がやってくれるなら、私が今すべきことは何も無い。カウンターでボーッとするのも面白くないので簡単に店の掃除でもしようかと、ホウキとチリトリを取りに行くために私も裏へ向かった。
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