Who can you be?2
翌日、二十六日木曜日。深夜一時。店長がテーブルの上に広げた見取り図を、私と瀬川君は覗き込んだ。
「二人共もう知ってるだろうけど一応おさらいね。この学校で黒い影の目撃情報があったのはこことここ。で、火の玉がここで二回とここ」
店長はそう説明しながら、見取り図のいくつかの場所にペンで丸印を書き込んだ。
このお化けの目撃情報は、私は有田さんが依頼に来た時に直接聞いている。店長と瀬川君は私が書いたメモからこの情報を得たはずだ。さらに、目撃情報は細かく依頼報告書にも書かれている……らしい。
私は店長の手の動きを目で追いながら、もう一度目撃情報の場所を確認した。
黒い男性のような影が見えたのはA棟二階のベランダ左端。それと一階の保健室の中。火の玉は二階のトイレの前のベランダで二回、その真下の男子トイレの中で一回。
どれも学校敷地外からの目撃なのでぼんやりとしか見えなかったが、確かに黒い影や火の玉があったらしい。目撃者は怖くてすぐに立ち去ってしまったので、一瞬しか見ていないようだ。しかしそれを責めることはできない。そんな幽霊まがいのものを見たら、私だってダッシュで家に帰るだろう。
「この学校は警備員も雇ってないしセキュリティもザルだから、正門と裏門の監視カメラさえ気を付ければ誰でも簡単に忍び込めるよ」
店長の説明に瀬川君が「監視カメラの映像も翌日には消してしまうみたいですしね」と補足した。
一通りの説明が終わると、店長は私と瀬川君に見取り図の縮小版を配った。まぁこれを調べたのは恐らく瀬川君だと思うが。手渡された見取り図を見ると、目撃情報の場所にはすでに丸印が付いていた。
「とりあえず、時間が無くなっちゃうからさっさと行こうか」
店長が懐中電灯が点くか確かめながら言う。瀬川君は「さっさと行ってさっさと帰りたい」とばかりに面倒臭そうに頷いた。
依頼人が通う深尾高校は、この南鳥市と三つ離れた深尾市にある。私達朱雀店の三人は店長の車でそこへ向かった。夜中は道路が空いているので思ったより早く到着した。学校の近くに車を停めると忍び込んだことがバレた時厄介なので、少し離れた路地に駐車する。
「門のところに監視カメラついてるんですよね?どうやって入るんですか?」
私達は一応暗闇に紛れるために黒い服を着ている。顔もフードを被れば隠せるが、カメラに映らないに越したことはない。後々面倒に成りうることはできるだけ避けるべきだ。
「体育館の方に簡単に忍び込めるところがあるんだって」
「そうなんですか。有田さん達も肝試しするのにそこから入る予定なんですかね?」
「そうだと思うよ。生徒の間では割と有名な抜け穴らしいし」
いくら生徒といえども夜中勝手に学校に忍び込んだら先生に怒られてしまうだろう。もしかしたらそうやって皆で忍び込むスリルも楽しみの一部なのかもしれない。私達はさっそく体育館の方へ向かった。
正門から見て左側、体育館の真後ろの面は住宅地と密着していた。こんなすぐ側に学校があっては、この辺の住人は騒ぎ声などに迷惑しているのではないだろうか?
住宅のひとつの庭にあったステンレス製のごみ箱を、瀬川君が指差した。
「あれみたいですね」
ごみ箱は丈夫そうだし、学校の塀に密着するように設置されている。なので、ごみ箱を踏み台にして塀を越えるつもりだということはすぐにわかった。私はフードを深く被り直す。
「とりあえず先に行って様子を見てくるよ」
「お願いします。できれば一人で解決してきてくれれば更にありがたいです」
店長はごみ箱を足場にして塀の上に乗った。白に塗られたコンクリート製の塀は、厚さが十五センチ程あるので楽に乗れそうだ。一息に向こう側へ行かなくてもいいという安心感もある。店長は塀の上に立ったままこちらを振り返った。
「全然大丈夫そうだよ。ほんとに誰もいない」
と言われても夜の学校になど入りたくはない。私がまごまごしていると、隣りにいた瀬川君がすっと動いてごみ箱の上に乗った。すぐに店長が塀の向こう側へ飛び降り、やがて瀬川君も姿を消した。私は一人とり残されたのが怖くなり、急いでごみ箱を足場に塀の上に上った。
塀の上から下を確認してみると、石碑のようなものが置いてあった。だいぶ古い岩なので、もしかしたら新しい石碑を作ったから古いものはこちらに持って来たのかもしれない。この高さから飛び降りなければならないと思っていたので安心する。私は厚さ十センチの石碑に狙いを定めた。
「その上に飛ぶのやめた方がいいと思うよ。踏み外したら危ないし」
「いやでも結構高いですよこれ」
「大丈夫大丈夫、思ってるより低いから」
私は石碑を踏み外した場合の事故を軽く四、五個考え、結局直接地面に着地することを選んだ。この気持ちは、子供の頃ジャングルジムから飛び降りた時に似ている。
私は意を決すると塀を蹴った。足の裏が地面についた瞬間、じんじんとした痛みが脳に伝達される。
「その石は出る時に使うらしいよ」
瀬川君が石碑にちらっと目を向けながら言った。なるほど、帰りもこの場所が使えるのか。なら監視カメラに映る可能性は完全にゼロなんだな。
私達は下足室へ向かって真っ暗な敷地内を歩き出した。今にも幽霊が出てきそうだ。自分の足音がやけに大きく聞こえる。
「あ、黒い影が見えたのってあそこのベランダですよね。何か本当に出そうですよね……」
「もしかしたら出るかもよ?お化け」
「えっ、店長幽霊とか信じてるタイプですか?」
「半信半疑かなぁ。知り合いに幽霊関係の仕事してる奴がいるから完全には否定できないんだよね」
幽霊関係の仕事ってことは、除霊とか祈祷とかするのだろうか。それとも心霊相談とか?なんにせよ、霊能力者なんて眉唾物である。自分は見えないので正直信用できない。
「瀬川君は幽霊とか信じてる?」
私は店長を挟んで右隣にいる瀬川君に話しかけた。彼はぼーっと歩いていたが、私の声で顔をこちらに向ける。
「さぁ……どうだろう。僕は見たことないから信じてないかな……」
「やっぱそうだよね。私も霊感ないんだけど、テレビとか見てたらもしかしたらいるのかもって思っちゃうんだよねぇ」
「テレビなんてだいたいヤラセだと思うけど……」
瀬川君がそう答えたところで集中下足室へたどり着き、この話は終了する。瀬川君がドアの取っ手を一、二回引いたが、当然ながら鍵がかかっていた。
「開きませんね」
おそらく店長に向けたものであろう言葉を瀬川君が呟いたのと同時に、店長がポケットから何かを取り出した。どうやら金属製の小さな工具のようだ。店長はそれをドアの鍵穴に差し込む。
「何ですかそれ」
「何でも屋の従業員なら一つは持ってる魔法の道具」
「僕持ってないんですけど」
「黄龍に申請したら貰えるよ」
瀬川君が「入社した時に言ってほしかったです」と言ったのと鍵が開く音がしたのはほぼ同時だった。店長が立ち上がってドアを開ける。
なるほど、その魔法の道具とやらを使えば、アナログの鍵なら傷一つつけることなく解錠できるのか。簡単に鍵を開けれるし侵入した痕跡も残さない素晴らしい道具だ。黄龍がどこかから仕入れているのだろうか。それとも黄龍が自ら開発しているのか?申請したら私も貰えるのだろうか。
下足室に入り、私達は上履きに履き替えた。上履きと言っても学生が使っているようなものではなく、外で使ったことのないきれいなスニーカーだ。外履きのまま校舎内に入ると、忍び込んだことがバレてしまうかもしれない。
夜の学校はやはり不気味だった。ほとんど光の無い真っ暗な廊下。静かな闇。冷たい空気。廊下の奥でぼやっと浮かび上がる非常口の緑色は私の恐怖を掻き立てた。つい及び腰になってしまう。
「じゃあとりあえず、ここを集合場所にしようか。何かあったら電話してね」
そう言って店長はスマホを取り出し、画面をチェックした。しっかりと電源が入っていることを確認したのだろう。私と瀬川君も同じようにスマホを取り出す。
「あのぉ……やっぱりみんなで行きませんか?その……迷子になったら困りますし……」
「見取り図あるんだから迷子にはならないでしょ。どうしても今いる場所がわからなくなったら電話してよ。迎えに行くから」
「あー……ええと、じゃあ……。もしかしたら一人では対処しきれないことが起こるかもしれないので、やっぱりみんなで行動した方が……」
「要するに一人で行くのが嫌なの?」
「まぁ一言で簡単にわかりやすく言えばそういうことになるのかもしれませんね」
私がおそらく肯定であろう返事をすると、店長は「なら最初からそう言えばいいのに」とぼやいた。それに瀬川君が「最初からそんな感じだったと思いますけど」とボソッと言う。気付いてたなら最初から言ってくれればいいのに……。
「じゃあ雅美ちゃんはリッ君と組んでよ。それなら文句ないでしょ?」
「うぅ……はい……ありません……」
本当は全員固まっているのがベストなのだが、一人よりは断然マシだ。瀬川君に目を向けると、特に迷惑そうな顔もしていないのでありがたくついて行くことにする。
「とりあえず一時間後にここに集まろっか。あんまり時間かけたくないし」
「近隣の住民に見られてるかもしれませんしね」
「うん、幽霊騒ぎで校舎に注目する人増えてるだろうし、不審者とか言って通報されても困るしね」
瀬川君が「まぁ僕ら紛うことなき不審者ですけどね」と的確なツッコミを入れた。
「この校舎は渡り廊下でA棟とB棟が分かれてるみたいですけど、店長どっち行きます?」
瀬川君が見取り図を懐中電灯で照らした。
この学校の見取り図はここに来るまでに何度も見返しているのでだいたい頭に入っている。同じような造りの二つの校舎が渡り廊下により中心で繋がれているのだ。
「僕がA棟を回るよ。そっちは二人がかりだし」
「わかりました。なら僕達はB棟にします」
B棟は校舎が四階まである。私と瀬川君はB棟の担当になったようだが、調べる所が多い方なので思わず異議を唱えそうになった。しかしすでに一つわがままを聞いてもらっているので、すんでの所で思いとどまる。
「じゃあまずは職員室に鍵取りに行こっか。ちょうどこの真上みたいだしね」
私は今一度見取り図を確認した。職員室の場所はA棟二階の左端。私の通っていた学校では、小中高共に職員室は一階にあったのだが、この学校は二階にあるらしい。ちなみに、この職員室付近のベランダで黒い影が目撃されている。
私達は下足室のすぐ左横の階段を、連れ立って上がった。懐中電灯の明かりは安心感どころか恐怖感を与える。一部分しか照らされていないというのが恐ろしく不安なのだ。
店長と瀬川君から離れないように気を張りながら歩く。階段を上がり切るとすぐに職員室のプレートが見えた。店長が先程と同じ方法で鍵を開ける。どうやらあの道具に鍵の種類は関係ないようだ。私も持っていれば今後の仕事が捗りそうだ。
「誰もいないね」
「それが普通ですけどね」
職員室に踏み込むなり呟いた店長に、瀬川君が律儀に返事をする。職員室は真っ暗で、物達は陰だけでその姿を表していた。窓にはカーテンがかかっていて、弱々しい月の明かりも意味はない。
瀬川君が懐中電灯の明かりを部屋の隅から隅まで移動させる。
並んだステンレス製の机の上は、それを使う人間の個性を表していて、ごくありふれた職員室といった感じだ。壁にはホワイトボードがはめ込まれていたり、様々なプリントが貼られている。私が通った学校でも、ドラマや漫画に出てくる学校でも、職員室といえば大抵こんな感じだ。
「はいこれリッ君の分」
店長はドア横のキーボックスから取り出したいくつかの鍵を、振り返った瀬川君にわたした。結構数がある。当たり前だが、教室の一つ一つに鍵が付いているのだろう。鍵は少なめに見積もっても十五個はあった。
「結構ありますね」
「でもこの学校教室少ない方だよ」
瀬川君は受け取った鍵の約半分を私に手渡した。さすがにこの数の鍵を持ち歩くのは大変だろう。それに目的の鍵を探しにくくなる。二人で分担するのは懸命だ。
職員室はどうせまた来るからとたいして調べずに廊下へ出た。順当に一階から見ていくことになり、いったん階段を下りることにする。
「何か学校の中歩くって懐かしい気分になるね」
「そうですかね。現役なんで全然そんなことないです」
「僕だけオッサンみたいに言うのやめてくれる?」
「事実じゃないですか」
店長と瀬川君の楽しげな会話を聞きながら階段を下りる。この二人怖いもの無いのかな。店長なんて学生時代を思い出してちょっとテンションを上げている。
再び下足室へやって来る。ここからふた手に分かれて本格的に幽霊探しをする。さすがに幽霊を捕まえようなんて思ってはいない。黒い影や火の玉が出現する理由を見つけ出し排除するのだ。だ、第一、この科学の時代に幽霊なんて……。黒い影も火の玉もきっと科学で証明できるはずだ。そう、幽霊なんていないのだ。
「じゃあ僕こっちから行くから。また一時間後ね」
店長は廊下の奥を指差しながらそう言った。懐中電灯の明かりだけでは廊下の奥はまるで見えない。私達なんてあっという間に飲み込まれてしまいそうな闇が広がっている。
「早く帰りたいんでさっさと済ましましょう。明日も学校ですし」
瀬川君があくびを噛み殺しながら答えた。店長が早々に廊下を歩き出す。瀬川君が唐突に振り返ったので、私は思わず肩を跳ねさせた。
「じゃあ僕らも行こうか」
「あ、うん、そうだね」
「クラブ室からにしよう」
瀬川君は一度見取り図に視線を落としてから、目の前の廊下に懐中電灯を向けた。
店長が消えた廊下は右方向。私達はまずB棟に行かなくてはならないので、真っ直ぐの道を進む。二階より上は渡り廊下でしか二つの校舎を行き来できないが、一階は両端にもう二箇所B棟へ渡る手段がある。廊下とも呼べない道だ。今私達が歩いている道には、右手に中庭が見え、左に延びた道は体育館へ通じている。
「この管理室も見た方がいいよね」
瀬川君はコンクリート製の道の途中にある小さな部屋の前で立ち止まった。体育館のすぐ近くにあることから、体育教師やスポーツ部の顧問などが使う部屋だとわかる。入る部屋はなるべく少なくしたいが、見取り図を見ても私達の担当区域だろうし、私は素直に瀬川君に同意することにした。彼はたくさんの鍵の中から一つを選び出し、ドアの鍵穴に差し込む。
ゆっくりとドアが開く。私は瀬川君の背中に隠れて部屋の中を覗き込んだ。だが正直、誰かの背中に隠れても、背後から何かが近づいて来るかもしれないという恐怖があってあまり安心感は得られなかった。それでも隠れていないよりは遥かにマシであるが。
「何か臭いね。湿布みたいな臭がする」
ドアを開けるなり瀬川君が眉を寄せる……寄せたと思う。私は彼の真後ろにいるのでその表情は見えなかった。
「何かいた?」
「特に何もないみたいだけど……電気つけてもいいのかな」
私が「つけようつけよう」とうるさく言うので、瀬川君はドア横のスイッチを押して電灯を点けた。蛍光灯の白い明かりにホッと息をつく。
と思ったら、突然瀬川君のスマホが鳴り出した。私は「ひょう!」というわけのわからない悲鳴を上げ、それが恥ずかしくなり手で口を押さえる。瀬川君は冷静にスマホを耳に当てた。
「もしもし……はぁ……わかりました」
電話を取った瀬川君は、相槌を打ちながら部屋の電気を消した。私はそれに驚き間抜けな声を出しそうになる。が、口を押さえたままだったのが功を奏して、何とかそれを回避した。
「何で電気消したの?」
瀬川君が通話を終えるなり問い詰めるように尋ねた。彼はついでに時刻を確認しながらスマホをポケットにしまった。
「店長が点けないでほしいって言うから」
そう答えるなりカチッと音が鳴って瀬川君の懐中電灯が消えた。しかし、どんな顔をしていたのかはわからないが、私の顔を見るなり懐中電灯を点け直す。そんなに絶望的な顔をしていたか。
「まぁ僕達は懐中電灯は点けていいって言ってたけど」
「何で明かり点けちゃダメなの?点けなきゃ何も見えないじゃん」
「さぁ……」
「それを僕に聞かれても……」という顔をする瀬川君。ちょっと待て。ということは、店長は今明かり無しで一人夜の校舎をうろついてるの?どんな罰ゲームだよそれ。
「店長もう校長室まで見終わったらしいよ。僕らも急ごう」
そう言うと瀬川君は私の返事も待たずに管理室の中に入って行った。もうこの依頼店長と瀬川君の二人でやればいいじゃん……。私いらないじゃん……。
管理室は狭いのですぐに見終わった。黒い人影を作りそうな物も火の玉に見えそうな物もない。私達はコンクリート製の道を進み、階段の脇をすり抜け、突き当りの洗面所へと向かった。
「ひっ!」
「鏡だよ」
「いやわかってる、わかってるんだけど……」
横長の大きな鏡に映った自分がまるで別人に見えて、喉が勝手に悲鳴を作る。この場所には掃除用具用のロッカーしか無かったので、私達はすぐに廊下へ戻って来た。鏡は心臓に悪いよ鏡は。
「次はクラブ室だね」
瀬川君が手の中の鍵を一つ一つ確かめながら言う。まずは一番端のクラブ室から入ることにする。この教室は、管理室前の道を真っ直ぐ行って、右に曲がってすぐの場所だ。私は自分の手から鍵を一つ選び出した。
「あ、瀬川君、ここの鍵私が持ってた」
瀬川君は自分の手から顔を上げる。私は半ば押し付けるように、彼にクラブ室の鍵を手渡した。
「意外に物が少ないね……」
「そうだね。何に使う部屋なんだろう」
「私の高校にもなかったなぁ、クラブ室」
部屋に入ってみると、物が少なくてすっきりとした空間だった。前の方に大きなホワイトボードが置いてある。一番後ろには備え付けのロッカーがあった。その手前には学校で一番よく見るあのイスが乱雑に積まれていた。
「こんなに物が少ないんじゃ調べる所もないね」
瀬川君がそう言いながら教室の後ろまで歩いて行き、隅に置いてあった掃除用具用のロッカーを開けた。私は離れないようにそれについて行く。ロッカーの中には箒とバケツと雑巾が一つずつ。他の教室と比べても少なめだろう。
「じゃあ次行こうよ次」
「次は……一年四組だね」
瀬川君が開いた見取り図を、私も覗き込む。
「このクラスだけ一階にあるんだね」
「二年一組もこれだけ四階にあるよ。もうちょっと考えて決めればいいのにね」
瀬川君は見取り図を閉じると、教室前方のドアへ向かった。廊下へ出て、きちんと鍵を閉める。これをあと何回繰り返せばいいのだろう。
次の一年四組、教具室には特に何も無かった。中央の渡り廊下の前を素通りし、トイレを確認する。女子トイレに入る時に瀬川君が少し渋ったが、「私だって男子トイレに入ったじゃん!」と力説するとついて来てくれた。瀬川君曰く、女子トイレは男子が足を踏み入れてはならない禁足地らしい。一度でも入れば卒業まで変態というレッテルを貼られるそうだ。男子って大変なんだね。
トイレの隣には二階へと上がる階段がある。階段の先にはまだ少し教室が残っているので、今は素通りする。踊り場の陰から何か出てきそうで怖い。私達は階段正面の洗面所に何も無いのを確認して、次の教室へ向かった。次は被服室だ。
瀬川君が鍵を開け、懐中電灯で教室の中を照らす。光の円の中に突如浮かび上がったシルエットを見て、私は短い悲鳴を上げた。何てことはない、ただのマネキンだった。
「マネキンは心臓に悪いよマネキンは……」
聞き覚えのあるような気のする言葉を呟き、私も懐中電灯の光を彷徨わせる。壁際の戸棚に生徒の作品が並んでいた。窓の付近にいる二体のマネキンにはなるべく目を向けないようにする。ていうか、普通入って真っ先に目に入る場所にマネキン並べる?あれをあそこに置いた人頭おかしんじゃないの?
結局被服室にはこれといったものは何もなく、私達は隣の調理準備室へ入った。この部屋は隣の調理室と繋がっているらしい。
「冷蔵庫だ。冷蔵庫は開けてもいいのかな?」
そう言いつつ、私はすでに冷蔵庫の扉を開けていた。冷えた箱の中から溢れ出す光は、この暗闇では眩しいくらいに感じる。部屋の照明はダメだけど懐中電灯がいいなら、冷蔵庫の光もオッケーだろう。私はつかの間の明るさを味わった。
「あれ、ここだけ抜けてる」
「何が?」
瀬川君がポツリと呟いた言葉に、私はそちらを振り向く。渋々冷蔵庫の扉を閉め、彼に近付いた。瀬川君は食器棚の下部の両開きのフタを開けていた。
「ここだけ一本抜けてる。他はみんな揃ってるのに」
瀬川君はフタの内側を指差した。そこは包丁を並べてしまえるようになっていて、確かに一番端だけ空いていた。他は穴なくきっちり並んでいるし、別の箱にしまってある葉切包丁や出刃包丁などの特殊な包丁も足りない様子はない。
「生徒が壊しちゃったとかかな?それか研いでもらってるとか」
「研ぐなら全部一気に頼まない?」
「そっか……。なら、刃が欠けたから新しいの買うまで空けてるのかな」
「そうならいいけど……」
瀬川君はフタを閉めた。包丁って準備室にあるんだな。私の学校では鍋とかフライパンは調理室のテーブルの下にしまってあった気がするけど。そういえば、調理実習の時って休み時間のうちに器具と食材を先生が準備してくれてたっけ。準備室の鍵は先生が持ってたから、包丁みたいな危ない物は生徒は触れないようになってたんだ。
ふと顔を上げると、瀬川君がスマホを操作していた。手の動きからすると文字を打っているようなので、メッセージでも送ろうとしているのだろうか。なんにせよ、スマホの光が顔だけを照らしていて少し不気味だ。
「あのドアから調理室に入ろう。調理室の鍵荒木さんじゃない?」
「あ、そうかも」
そうかもとは言ったが、そうだと思ったわけでなく、瀬川君がそうだろうと言ったからそうだと思ったのだ。しばらくじゃらじゃらやっていると調理室の鍵が見つかった。
結果から言うと、調理室も何も無かった。私達はトイレ横の階段から二階に上がる。瀬川君がさっさか歩くので、私は離れないように必死にその後を追いかけた。
二階でまず始めに調べるのは、一番端の第一理科室。場所は調理室の真上だ。瀬川君が鍵を開け、中に踏み込む。瀬川君の背中に隠れながら教室の中を覗き込んでみる。真ん前の窓には他の教室と同様カーテンがかかっていた。
「あ、荒木さん、あれ」
「何?……ぎゃぁぁああ!」
瀬川君に言われて彼の懐中電灯の光を目で追うと、左約二メートル先で顔半分がただれた人間がギョロッとした目玉を私に向けていた。
「荒木さん怖がりだね」
「わかってるならわざわざ驚かさなくてもいいでしょ!?」
私はまだバクバクしている心臓を必死で落ち着かせながら、横目でそれが人体模型だと確認した。
「人体模型は心臓に悪いよ人体模型は……」
「荒木さんそれさっき聞いたよ」
「何度でも言うよ何度でも!それよりさっさと調べてここ出ようよ……」
「うん、なら手を離してくれると助かるんだけど」
私は瀬川君の腰部分の上着を掴んでいた手をパッと離した。くそぅ、瀬川君のせいで……瀬川君のせいで……。店長はいったいどういう育て方をしたんだ。
第一理科室にも何も無かった。そもそも、私達は明確な何かを探しているわけではない。人影や火の玉の原因になりそうな物という、何ともふわふわとした物を探しているのだ。正直、何かあるのに何も無いと判断してしまっても、それは仕方がないというやつだろう。
理科準備室は第一理科室とも第二理科室とも通じている。準備室は狭い部屋の中に物がごちゃごちゃと多かったので、調べるのに時間がかかった。棚に虫や両生類の標本が並んでいるのも気持ちが悪い。昼に見ても気持ち悪い物を何故わざわざ夜に見なければならないのだ。
隣の第二理科室は第一理科室よりマシだった。壁に貼られているのは化学反応や周期表のポスターなんかで、人体模型や標本が無くてホッとした。
洗面所とトイレを調べ、渡り廊下の前を通り一年三組、二組、一組と順調に調べてゆく。階段前の洗面所も異常なしと判断し、三階へ向かう。
「お化けに見えそうな物全然ないね。今日中に片付くのかなぁ……」
「このまま何も見つからなかったら昼にまた来ないといけないね」
「せ、生徒と先生がいるのに忍び込むってこと?無理だよ」
「金曜の夕方までに片付けるって依頼だからね……」
もし手掛かりが掴めないままなら、三階と四階は放り出して帰りたい。残りの教室を探しても何も出てこなかったらどうしよう……。
「もし昼に探すってことになったら、やっぱり学校に潜入するってことになるのかな……?」
「僕と荒木さんは変装して校舎をうろついても大丈夫そうだけど、店長は無理だろうね。あんな目立つのがいたら一瞬で侵入者だとばれるよ」
変装して校舎に入り込むというのは、やっぱりリスクが高い。ばれたら警察に突き出されるかもしれないし、そしたら親に何て説明したらいいんだ。昼に侵入だけは何としてでも避けたい!
「絶対に夜中中に見つけないとね」
瀬川君が「そうだね」と答えたところで三階に到着。洗面所、二年二組、三組、四組と順調に調べてゆく。普通の教室は物も少なく内装もほとんど同じなので調べる時間が短くて済む。私達は渡り廊下の前を通過し、男子トイレに入った。
「そういえば、お化けの目撃情報はA棟ばっかりなんだよね。もしかして私達が何も見つけられないのってそれが原因なのかな?」
「そうかもね。だから店長がA棟を買って出たのかも」
「え?何?」
「でも店長からまだ連絡が来てないから、A棟でも何も見つかってないはずだよ」
私もスマホを取り出して着信がないか調べてみた。メッセージが一通来ていたのでアプリを開いてみたらただの公式アカウントだった。こんな時間に送ってくんなよ。
私達は男子トイレを調べ終わり、隣の女子トイレに移る。相も変わらず瀬川君を盾にするように中には入り、個室を一つ一つ覗いた。
「何もないね……」
「次は音楽室か」
「ベートーヴェンの顔で驚かせたりしないでね」
理科室の人体模型のことを思い出して釘を刺しておく。瀬川君は「もうしないよ」と答えた。彼の言葉が珍しく信用できない。反省もしてなさそうだし。
女子トイレから出て、私達は思わず足を止めた。相手も驚いたようにこちらを見ていた。すぐ隣の階段をちょうど上がりきった所らしい四十代の男性が、私達と同じ様に目を見開いて固まっている。
瀬川君が突然私の手首を掴んで走り出した。私はそのおかげで我に返り、足を動かすことに集中する。上下黒い服を着て包丁を持った男性は、ワンテンポ遅れて廊下を蹴った。
瀬川君は私の手首を掴むと同時に走り出し、階段とは逆方向の、トイレ横の渡り廊下への角を曲がった。一瞬見えなくなった男の姿が、すぐに角から現れる。私達は渡り廊下を駆け抜けてA棟へ入った。
「ほほほほほ、ほうちょう!包丁持ってた!」
「いいから黙って走って!」
瀬川君の言葉に「はいぃっ」と悲鳴混じりの返事をしながら、懸命に足を前に出す。瀬川君はA棟に入ってすぐ、一番近い階段を下り、渡り廊下でまたB棟に入り、すぐ右隣のトイレ横の階段を下り、被服室の鍵を素早くこじ開け雪崩れるように中に入った。
男性は年齢のせいか運動不足のせいか、幸い足は遅く、B棟二階でトイレを曲がった辺りで巻くことができていた。被服室の鍵を内側から閉めた私達は、懐中電灯を消し、机の陰に身を潜め、ゼェゼェいう呼吸を何とか抑えようとしていた。
すぐそばの階段をかけ下りる足音がする。男が二階から下りてきたのだ。だが完全に私達を見失っているらしく、足音は被服室とは逆の方向へ歩いて行った。
足音が聞こえなくなって、私達は止めていた息を吐き出した。激しく動く心臓が全然落ち着かない。まだ緊張している。そりゃそうだ、包丁持った男に追いかけられたのだ。……死ぬかと思った!
私が今更冷や汗を流していると、瀬川君はポケットからスマホを取り出し、慣れた動きで番号を呼び出した。電話は声が出るし、メッセージの方がいいのでは……と思ったが、時は一刻を争うのだ。あの男が私達を探してここに来るかもしれない。
「……店長ですか。今男に追いかけられたんですけど、包丁を持っているので僕じゃ対処しきれません。……上下黒の服で四十代半ばくらいです。……被服室です」
瀬川君は短い会話を終えると、スマホを耳から離した。私は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で尋ねる。
「店長何て?」
「よくやった、明かりを点けないでそのままそこにいろ……だって」
「どういうこと?」
そう言ったのと同時に、視界にキラッと眩しい光を捉える。窓の外で小さな白い光がゆっくりと横に動いている。首を少しだけ延ばしてその正体を確かめる。あれは懐中電灯の光?
「店長かな」
「たぶんね。あの男は包丁以外何も持ってないみたいだったし」
光は集中下足室前の廊下をゆっくりと移動していた。被服室とは対角の位置でだいぶ離れているが、この校舎はA棟とB棟の間がスカーンと抜けているので、暗闇の中を光が動くとよく見える。
突然光が素早く動いたと思ったら、そのまま消えた。一瞬見失ったのかと思ったが、見失ったわけではなく本当に消えたらしい。消えた辺りを見回しても懐中電灯の光は見当たらない。
「て、店長に何かあったんじゃ……」
「大丈夫だよ。それに僕らが出て行っても何もできない」
瀬川君の言うことはもっともだ。私達が助けに向かっても、おそらく邪魔になるだけだろう。というか、それ以前に足がすくんで立てもしない。
あれから何分経っただろうか。十分にも一時間にも感じたが、瀬川君のスマホの時計を見るとたったの二分だった。そのスマホが鳴り出し、瀬川君はすぐに耳に当てる。
「捕まえたから下足室に来てだって」
通話を終えるなり瀬川君はそう言った。ホッと一安心するも、足の震えはまだおさまっておらず立ち上がるのに苦労する。私と瀬川君は被服室を出て、さっそく下足室を目指した。
「店長!」
下足室の前の廊下で店長を見つけるなり、私は彼に駆け寄った。店長は私達の姿を確認すると、壁に預けていた上半身を起こした。
「懐中電灯つけてくださいよ。わかりにくいじゃないですか」
「投げたら壊れちゃってさ」
そう答えて店長は、懐中電灯を持った右手を私の顔の高さまで上げてみせた。外見はちょっと欠けている程度だが、衝撃で中がやられたのだろう。
「さっきの男はどこですか」
瀬川君が尋ねると、店長は下駄箱と下駄箱の間を指差した。下駄箱の間は、放課後生徒が押し寄せても大丈夫なようにかなりの間があいている。そのスペースに、暗くて見えにくいが先程の黒服の男がうつ伏せに倒れていた。
「こいつは何なんですか?黒い影の正体ですか?」
「この学校に住み着いてたみたいだね。ホームレスなのかな」
男は何も拘束はされていなかったが、どうやら完全に気を失っているようだった。少し離れた所に包丁が落ちている。恐る恐る近付いてみると、少し臭かった。いったい何日風呂に入っていないんだ?
店長が私の横をすり抜け、男に近付く。その側にしゃがみ込んでポケットの中を漁ると、何か白い物を取り出した。それを背後の瀬川君に投げて寄越す。
「火の玉の正体はたぶんそれ」
「タバコですか……」
瀬川君に近寄りその手元を覗き込むと、タバコはかなり減っていた。中身は二本しか残っていない。
「とりあえず、これどうしよっか」
「黄龍に引き渡すのが手っ取り早いんじゃないですか」
「そうだね。面倒事は全部押し付けたらいっか」
店長はスマホを取り出すとどこかに電話をかけ始めた。通話中の店長から瀬川君に視線を戻す。瀬川君はタバコを放り投げた。タバコは男の背中に当たり、わずかに跳ねて傍らの床に着地した。
「これで依頼は解決したね」
「そうだね。私有田さんに必ず解決しますって言っちゃったからさ、ダメだったらどうしようかと思ったよ」
瀬川君は無意識のうちにすごいですねで時刻を確認した。そういえば、私達は明日も学校がある。それに私は最近親がうるさいし、早く帰らなくては。瀬川君はスマホをポケットにしまうとこう言った。
「幽霊の仕業じゃなくて良かったね」
私はその言葉に微妙な表情を返した。正直、この一時間ちょっとの出来事は忘れてほしい。
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