何も分からぬプロローグ4




部屋の大きな時計がボーンボーンと鳴り響き、午前十一時になったのを知らせた。部屋の一番前に立った三千院さんが挨拶を始める。

「皆さん、本日は私の五十歳のバースデーパーティーにお越しいただき、本当にありがとうございます。この台風の雨の中ここまで来るのは大変でしたでしょう。私もなぜこんな所に別荘を建てたのかと、少しばかり過去の自分を恨んでいたところですのよ!」

会場から和やかな笑いが起きた。こんな調子で三千院さんの挨拶は終わり、大勢の客はそれを拍手で締めた。三千院さんの挨拶が終わると、あとは各々好きに行動するらしい。ここでコネを作っておこうと大人達は忙しいようだ。

「店長、これからどうします?」

「とりあえず何か食べたら?雅美ちゃん朝食べてきてないでしょ?」

そう言われればそうだ。私は部屋のあちこちに置かれたテーブルの上に並ぶ料理に目を向けた。高そうなお肉、新鮮なサラダ、綺麗な色の飲み物、かわいらしいお菓子。今も執事やメイドが新しいものを運び入れているこの料理達は、パーティーの間中好きに食べていいらしい。食事に決まった時間はなく、バイキング形式のようだ。ちなみにテーブルには椅子もない。

「じゃあ私このサラダ食べようかな……」

私はテーブルに積んであった皿を一枚取ると、トングでサラダを少しよそった。本当は分厚く切られたあのお肉を食べたかったのだが、あまりがっつき過ぎるのは良くない。周りを見ても、まず肉に手を延ばしている人はほとんどいなかった。

「リッ君もサラダ食べなよ。たまには野菜とらなきゃ健康に悪いからさ」

「僕はお腹すいてないのでいいです」

断る瀬川君に店長がサラダを押し付ける。結局瀬川君はもさもさとサラダを食べ出した。店長はというと、瀬川君にサラダを勧めておいて自分はチョコレート菓子をつまんでいる。

「美味しいですね。このドレッシングどうやって作るんだろう」

やっぱり本職のコックさんがいるんだろうなぁ。このドレッシングもあっさりしているが味はしっかりとついていてとても美味しい。細かく切られた野菜がドレッシングになっているのだ。どんどん野菜が食べられる。

隣を見ると、サラダを食べ終わった瀬川君はケーキに手を出していた。全く店長といい瀬川君といい、ご飯を無視してお菓子を食べるなんて。でもまぁあのケーキは美味しそうなので、私もお肉の後に食べることにしよう。

「瀬川君、ケーキ好きなの?」

「別に……」

皿に山盛りケーキを乗せている瀬川君に聞いてみたのだが、彼は無表情のままそう答えた。私は「美味しそうだね。私も後で食べようっと」と言って話を切り上げた。

パーティーが始まって一時間程した頃に、私達三人の方へ三千院さんが近づいてきた。三十ちょっとくらいの二人組の男女を連れている。

「相楽さん、少しお時間よろしい?私の家族を紹介したいの」

三千院さんはそう言うと、まず男性の方を手で指し示した。

「長男の幸一(こういち)です。こちらは妻の由香里(ゆかり)さん」

紹介された二人は「はじめまして」と挨拶して小さく頭をさげた。

「幸一は実によく仕事をしてくれていて、私の仕事はじきに全て幸一に任すつもりなの。由香里さんも本当に気が利く方で幸一をサポートしてくれているし」

由香里さんはシンプルなノースリーブのドレスを着て、肩にストールをかけている。髪は緩く巻いてサイドに流しており、少したれ気味の目尻からは温厚そうな性格が感じ取れる。彼女は三千院さんの褒め言葉に「ありがとうございます」とはにかんだ。

幸一さんはこれまた堅実そうな人だ。不正を嫌い、まっすぐ誠実に仕事をしていそう。ただ、三千院さんのおおざっぱで才能溢れる仕事ぶりに対して、真面目な彼では些か力不足のように思う。

三千院さんは二人を帰すと、今度は近くにいた二十代後半くらいの男女を呼び付けた。

「こちらが次男の三千流(みちる)。そして妻の絵里香(えりか)さんよ」

三千流さんは店長に右手を差し出しながら愉快そうに笑った。

「あんたらお袋の指輪をあっという間に見つけたんだってな。恐れ入るぜ。職業探偵だって?」

「見つけたっていうか、たまたま場所を知ってたっていうか」

彼らは長男夫婦とは真逆の印象だ。三千流さんは会場の中でも目立つ純白のスーツを着て、ピカピカに磨きあげられた靴を履いている。黒髪をオールバックにして顔には愉快そうな笑みを浮かべていた。

妻の絵里香さんは終始腕を組んで片足に重心をかけていて、けだるそうな表情をしている。シンプルな形の細身のドレスを着こなしていて、深いスリットからは形の綺麗な脚を出していた。しかし臭いくらいキツい香水をつけていて、私は鼻をつまみたい衝動に駆られた。

「俺も何か困った時はあんたん所に頼むとするぜ」

「なら私は旦那の浮気調査でも頼もうかしら」

くずした調子で店長に話しかける三千流さんに、絵里香さんが刺のある一言を投げかける。三千流さんは「もうしねぇから許してくれよ~」と言って絵里香さんに手を合わせた。絵里香さんは「どうだか」と言ってそっぽを向く。

「二人はいつもあの調子なのよ」

三千院さんは呆れたように言った。次男夫婦が帰ると、今度は三十手前くらいの女性と二十歳を少し過ぎたくらいの男性が呼ばれた。

「こちらが長女の二葉(ふたば)と婿養子の拓海(たくみ)さん」

女性はメガネのつるを手でクイッとやると、「よろしくお願いします」と言った。理知的で頭の良さそうな人だ。服装もきらびやかなものではなく、どちらかというとスーツに似たような形のものを着ている。髪を引っ詰めていて、賢そうな形の額が顕になっていた。とにかく仕事が出来そうな女性だ。

次に、二葉さんに続いて「よろしく」と言った拓海さんに目を向ける。二葉よりかなり年下なようだ。ふんわりとしたショートヘアは猫を連想させ、彼の顔にも親しみやすそうな笑顔が浮かんでいる。グレーのスーツも暖かそうなイメージを倍増させた。

「ずいぶん若い旦那さんなんだね」

店長が私も気になっていたことを二葉さんに尋ねる。だが答えたのは隣の拓海さんだった。

「僕が一目惚れしてしまって、猛アタックしたんです。付き合うまでに二年もかかりました」

「今では二葉の方がぞっこんなんだけどね」

三千院さんの言葉に、二葉さんはその無機質な頬を少し赤くした。

最後に呼ばれたのは、長い黒髪の女の子だった。年は私と同じか一つ上だろうか。私達の前に立たされ、少しびくびくしている。

「この子が次女の四乃(しの)。まだ大学生なんだけれど、彼氏募集中だから相楽さん付き合ってあげてくれません?」

「ははは、僕にはもったいない子ですよ」

四乃さんは店長の答えにホッと小さくため息をつき、おどおどと私達を観察し始めた。どうやら人見知りらしい。彼女は黒を基調とした膝丈のふんわりしたドレスに身を包み、常に指をいじっている。肌はうらやましい程白くて綺麗だ。店長と並んだら発光しそうだなとくだらないことを考えた。

「ほら、四乃も何か一言ご挨拶なさい」

「し、四乃です、はじめまして……」

三千院さんに促されて、四乃さんは少し俯いたままそう言った。それからパッと三千院さんの背中に隠れてしまう。

「ごめんなさいね。この子重度の人見知りで」

三千院さんが四乃さんを帰らせると、私と瀬川君はようやく名乗ることができた。自己紹介の際三千院さんは気の利いた言葉をかけてくれて、私はますます彼女が好きになった。

私達の自己紹介が終わると、彼女は「ゆっくりしていって」と言い残して去って行った。

パーティーが始まって二時間程して、瀬川君がケーキを食べる手を止めた。様子を見守っていると、瀬川君はしばらく何か考えてから隣の店長に声をかけた。

「店長、トイレ行って来てもいいですか」

「一人で行ける?」

「馬鹿にしないでください」

瀬川君は食べ終わった皿を近くにいた執事に預けると、すたすたとパーティー会場を出て行った。どうやらトイレは別の場所にあるらしい。もし私が行くとき場所がわからなかったら近くの使用人に聞けばいいだろう。

「店長、このあと何があるんでしたっけ」

「別に何もないって。ここはコネ作る場所だから、ずっと立食。あとは夜にダンスとかやるみたいだけど」

店長と話しながら時間をつぶす。先程の場所から少し移動してしまったので、瀬川君は私達を探しているかもしれない。先程いた辺りに目を向け瀬川君を探してみたが、見つからない。まだ戻っていないのだろうか。

「あれっ?」

振り返って気付いた。右を見て、左を見て、後ろを見て、再び前を向く。どこにも店長の姿がない。私が少し目を逸らしているうちにはぐれたらしい。

「世話の焼ける……」

ぶつぶつ文句を言いながら、店長を探すために歩き出した。キョロキョロと見回して店長の銀髪を探すがなかなか見つからない。こんな短時間でどこへ行ったのだろう。

「あら、かわいらしい子がいるわよ。ねぇ、あなたおいくつ」

その声に振り向くと、きらびやかなドレスを着た大人っぽいお姉さんが二人、私を見て立っていた。先程の質問は私にあてたものだと解釈して、「十九です」とどもり気味に答える。

「まぁお若いのね。どなたかいい人はいるの?」

「私の兄なんてどうかしら。今年二十七になるんだけど」

「え、ええっと……」

二人のお姉さんは至ってしとやかな態度だが、その雰囲気はぐいぐいと私を威圧してくる。私は何て答えたらいいのかわからなくて口をもごもごさせた。

「あなたはどんな人がタイプなの?私の兄は今三十だけど、あまり歳が離れ過ぎてるのもダメかしら?」

「それならやはり私の兄がよろしいわよ。次期社長ですし。ねぇ?」

「は、はぁ……」

「ねぇ?」と言われても反応に困る。おそらくこのお姉さん達は私がどこぞの社長の娘だと思っているのだ。私が嫁に行けば、自分の会社は私の会社を吸収できる。ただ残念なことに、私の父は普通のサラリーマンなのだが。

「じゃあ私達そろそろ行くわね」

「気が向いたらまた声をかけてくださいな」

二人のお姉さんは上品に手を振ると、連れ立って去っていった。一人残された私は再びキョロキョロと辺りを見回す。

「店長どこ行ったんだろう……」

瀬川君だってもうとっくにトイレから帰ってきているだろう。早く二人と合流しなければ、またあのお姉さん達みたいな人に捕まりそうだ。

「そこのお嬢さん」

そう思った矢先に、真横からした声が耳に届いた。気付かないふりをすればいいものの、反射的に振り向いてしまう。そこには笑顔を浮かべた二十代半ばくらいの男性が立っていた。

「お名前は?」

「えと、荒木雅美です」

「ということは、もしかして荒木商会さんかな?驚いたな、あそこの社長さんにこんなにかわいい娘さんがいらしたなんて」

「え!?ええと……」

私がどう誤解をとこうかあわあわしているうちに、男性はどんどん話を進めてゆく。

「俺は柳田昇平っていうんだけど、どうかな?今夜のダンスを一緒に」

「す、すみません、お断りさせていただきます……っ」

「そう言わずに。大丈夫、俺がエスコートしてあげるから」

勇気を出して断ったのだが、相手の面の皮はいったい何センチあるのか。一向に引いてくれる気配がない。荒木商会って聞いたことないけどそんなに魅力的な会社なのだろうか。

しつこく誘い続ける男性をどうやって追い返そうかと必死で考えていると、突然背後から腕を捕まれた。びっくりする間もなくそのまま腕を引かれる。

「雅美ちゃん何やってるの。勝手にはぐれないでよ」

「勝手にはぐれたのは店長じゃないですかっ」

私の腕を引いたのは探していた店長で、男性を置き去りにしてどんどん別の場所へ移動する。反射的に言い返してしまったが、正直店長が来てくれて助かった。後ろを振り向くと、男性はさっさと別の女性に声をかけた所だった。

「雅美ちゃん目立たないから探すの苦労したよ。もう勝手にいなくならないでね」

「目立たないってどういう意味ですか!チビってことですか!?それとも庶民臭いって意味ですか!」

「どっちも」

店長はその場で辺りをキョロキョロと見回し始めた。おそらく瀬川君を探しているのだろう。私も瀬川君の馬の尻尾みたいな後ろ髪を探しながら、店長に尋ねる。

「店長もああいうのに捕まりました?」

「捕まったけど婚約者がいるんでって言ったらたいてい引いてくれたよ」

「どうして息をするように嘘がつけるんですか……」

でもまぁ相手が花音ちゃんだと考えたら、あながち嘘ではないか。何を察知したのか「雅美ちゃん何か不吉なこと考えてない?」と言う店長に、私は苦笑いを返した。

しばらく歩き回ってようやく瀬川君を見つけた。私達が必死に探していたというのに、彼は呑気にマカロンを頬張っていた。あんなにケーキを食べた後なのに、まだ甘いものが腹に入るのか。

「やっぱり三人でいるのが安全だね」

店長の言葉に私は大きく頷いた。瀬川君は「?」を浮かべていたが、一人でいて誰にも話しかけられなかったのだろうか。おそらく外見がどう見ても高校生だからなのだろう。とにかく二人とはぐれないようにしよう。あんなのは懲り懲りだ。お金持ちも大変なのね。



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