世界はとても窮屈だ9




黄龍に到着して、花音に会わないように遠回りをして三十七階に上がる。両親のいるリビングには寄らずにさっさと自分の部屋を目指す。すると間の悪いことに二つ隣の兄の部屋のドアが開いた。

「…………」

「…………」

ドアを開けたままの姿勢で固まる兄。そういう俺はドアノブに手をかけた姿勢で固まっている。

間の悪いことに、と言ったが、よく考えてみれば兄は俺が来たタイミングでドアを開けたに違いない。俺が廊下を歩く足音くらい聞こえただろう。普段俺を避けている兄がわざわざこのタイミングで出てきたのだ、何か俺に用があるはずだ。俺は兄が口を開くのをじっと待った。

「……朱雀店の店長になることが決まったらしいな」

「まぁ……」

一分程待って、ようやく兄は喋り出した。一分も待ったっていうのにこの話かよ。まぁ今兄が俺にする話といったらこの話くらいしかないが。

「おめでとう」

「そんな顔で言われても嬉しくねぇよ」

どんな顔で言われても嬉しくないが、と心の中で付け足す。しかしまぁガチガチのしかめっ面で言われるよりは、笑顔で言われた方が幾分マシだろう。

「話はそれだけ?」

俺はドアノブにかけた手に力を込める。兄はまだ何か言いたげだが、あまりこの廊下にいたくない。こんな所を母にでも見られたら兄弟仲が良くなったのかと勘違いされるだろう。そうなったら面倒臭い。

「いや、あの……」

「何だよハッキリ喋れよ。弟にまで人見知りかお前は」

「そうではなく、その……蓮太郎、今まで済まなかった」

兄は足元を見ながら言った。俺は今自分がどんな顔をしているのかわからなかった。兄は下を向いているのでその顔色から自分の表情を伺うことも出来ない。俺は今自分がどんな顔をしているのかわからなかった。

「俺は自分に才能がないことをよくわかっていた。だから才能のあるお前が羨ましくてつい酷い態度を取ってしまった。お前のことを僻んでいたんだ。……本当にすまなかった。後悔している。……お前は許してくれないかもしれないが、俺はまた昔みたいに仲良くしたいと思う。……邪魔して悪かった。店長になっても頑張れよ」

おそらく兄が顔を上げたであろう頃、俺はすでに自室のベッドの端に腰をかけていた。兄のクソ長い話は途中で無視してさっさと部屋に入った。おそらく「店長になっても頑張れよ」とか言って話を締めたに違いない。本当につまらない話だ。聞かなくてもわかる。

「はぁ……」

ため息をついて、そのまま背中からベッドに倒れ込んだ。白い天井だけが見える。

つまり兄は負けを認めたのだ。降参したのだ。つまらない話をする奴だと思ったら兄自身もつまらない人間だったようだ。……あいつは諦めてしまったのだ。

しかし俺は兄を責めることは出来ない。勝てない戦はしない。兄は俺と同じことをしただけなのだ。クソつまらない人間がする、逃避ということをしただけなのだ。

兄の井戸の広さなんてたかが知れてるだろうに、あいつ一体どこに逃げるつもりなんだろうな。




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