世界はとても窮屈だ7
くだらない話をしている間に今日が終わってしまった。海がまだ小学生のため一足先に帰った瀬川姉弟と、相変わらず自室に引きこもっているナスを除いて、今店内にいるのは俺、志歩、一郎の三人。特にやることも無いので、もう帰ろうと俺はソファーから立ち上がった。
「おや、蓮太郎、帰るのですか?」
「悪いか?」
カウンターに座っていた一郎が、俺の帰る気配を察知して立ち上がる。そのままゆっくり近づいて来た。
「いえいえ、帰るなら水無月さんを送るよう頼もうと思いましてね」
その言葉にソファーに座ったままの志歩が顔を上げる。
「店長、私が帰るにはまだ時間が早いのですが」
志歩の言う通り、普段彼女が帰る時間より二時間程早い。一郎め、ついに時刻が読めなくなる程ボケたか。
「水無月さんも引っ越しの準備などまだ残っているでしょう。今日明日くらい早く帰りなさい」
一郎はそう言うが、真面目な志歩は「ですがお給料を頂いているうちは……」などと渋っていた。
「帰っていいって言われたんだから帰りゃいいじゃねぇか」
「また来月から忙しい店での仕事になりますから。今日は帰ってゆっくりしなさい」
二人掛かりの説得で、志歩はようやく首を縦に振った。一郎に見送られながら二人並んで店を出る。志歩の家がどこにあるかは知らないが、おそらく向かう場所は駅だろう。俺も電車に乗らなければ帰れないので、例え送る気がなくても一緒に帰ることになる。
「あと一日しかあの店にいられないなんて不思議な気分」
「お前がいなくなったらお前のやってた仕事誰がやるんだろうな」
「それは君がやるのでは?」
「やだよ面倒臭い。ナスの仕事も俺がやらなきゃならねーのに……」
俺の一言に志歩は少し驚いて言った。
「ナス君、バイト辞めるの?」
「……さあ。そんな気がしただけだ」
「そう……」
しばらくの沈黙。志歩と話すとどうしてこう間が出来るんだ。
「それなら、アルバイトを募集した方がいいわね」
「また変なのが入ってこなきゃいいけどな」
「私の朱雀での最後の仕事は貼り紙作成かしら」
「お前のセンスの貼り紙で人が寄ってくるのか?」
俺は白い紙に何の変哲もない黒い文字で【アルバイト募集中】と書かれたポスターを思い浮かべた。志歩は本当にこんなのを作りそうだから怖い。
「新しいアルバイトは動けて事務もできる人が理想ね。店長は機械に弱そうだから」
「パソコンの使い方くらい勉強すればいいのにな」
「ご老人には難しいのよ」
どうでもいい話をしているうちに駅の近くまで来た。あと一、二分歩けば駅に着くという所で、志歩は立ち止まった。
「私の家、ここだから」
そう言ってすぐ目の前にあるアパートを指差した。古くも新しくもない、小さくも大きくもない普通のアパートだ。ただ、駅に近いので家賃は高めだろうな。
「お前こんな近くに住んでたのか」
「明後日には引っ越すけれど」
「お前の部屋物少なそうで引っ越し準備ラクそうだな。まぁ俺の部屋も物少ねぇけど」
「…………」
返事が返ってこないことを不審に思い隣の志歩を見てみると、こちらをガン見している彼女とバッチリ目があった。
「何だよ」
無言でジッと見られるとまるでガンつけられてるみたいだな、と思いながらとりあえずその行動の理由を尋ねる。
「前から気になっていたのだけれど」
「?」
「君のその口の悪さどうにかならないかしら」
「……育った環境が悪かったもんでね」
「それと」
「まだあんのかよ」
「人のことをお前と呼ぶのは失礼だと思う。私には水無月志歩という名前があるのだから」
そう言って志歩は真っ直ぐに俺を見上げた。
「…………」
「…………」
「……志歩ちゃんの部屋は物が少なそうで引っ越し準備がラクそうだね。まぁ僕の部屋も物少ないけど」
思い切り棒読みで言ってやると、志歩は満足そうに頷いた。
「うん、そちらの方が断然いいと思う」
「耳大丈夫か」
「何か言った?」
「いや、何も」
話が一段落すると、志歩は「じゃあまた明日」と言ってアパートの中に姿を消した。あいつ言うだけ言って帰りやがった。なら俺も鉄仮面女とかうんこ製作機とか堅物ユーモア殺しとか言ってやれば良かった。
「はぁ」
まぁどうでもいいか。明後日にはもういないんだから。次の電車は何分発だっただろうか。俺はスマホで時刻を確認すると駅へ向かって歩き出した。
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