無限ループの回答4
「十八歳で店長に就任」という話を聞いた時、こいつは明らかに姉と同じ種類の人間だと思った。ただ姉と違うのは、彼からはやる気が感じられなかった。
この店に来て五日経ったが、僕がやった仕事といえば紙の束をホッチキスで止めたり、中身もわからない荷物を郵便局に出しに行ったり、店の掃除をしたり、これだけだ。後は店のどこかでぼーっとしていたり、「空さんの弟特権」で与えられた自室でぼーっとしていたり、これでは家にいるのとほとんど変わらない。
姉は僕が店に行ってもいないことが多い。外に出なければ解決しない仕事を任されているのだ。弟をバイクの後ろに乗せて外を走り回っている姿を想像してみたが、快活でじっとしていられない性格の姉にはピッタリだと思った。
僕が出勤するとまずカウンターで気怠そうに本を読んでいる久世華織(くぜかおり)さんが視界に入る。彼女は肩上で切りそろえた黒髪と、細いフレームの眼鏡という風貌で、いつも眠たそうなやる気のなさそうな目で活字を追っている。背はそんなに高くない。
僕は彼女をスルーして自室に荷物を置きに行く。ここで挨拶をしないのは彼女から挨拶をされないからだ。というか、彼女は本から顔を上げようともしない。
与えられた仕事もないので自室で宿題をしていると、今出勤してきたのであろう上根定秋(かみねさだあき)さんがノックもせずにドアを開け放つ。彼は茶色く染めた髪をわざわざツンツンにセットしていて、いつもでかい口でガハガハ笑う。頭の悪そうな顔にはキリッとした眉と一重がちの三白眼がついている。背は百七十五センチくらいだろうか。
ノックもせずドアを開けた彼は、欝陶しいことに、「こんなところにいたら部屋の黴胞子になるぞ!」などと言いながら僕を店へ引っ張り出すのだ。この人は心の底から店長に心酔しているようなので正直好きになれない。
上根さんに強引に店に連れ出され、他に居場所もないので来客用のソファーに座る。ノートパソコンを広げ人差し指でタイプしながら報告書らしい物を作成している上根さんの隣で、たいして面白くもないバラエティー番組を見る。
テレビから流れる芸人の与太話や隣でうるさい上根さんの武勇伝などを聞き流していると、空が少し薄暗くなった頃に姉と弟が帰ってくる。そのまま退勤時間まで暇を潰して、バイクの姉と弟とは別々に家へ帰る。こうして僕の一日は終わる。
店の様子をしばらく見ていて思ったのだが、この店でまともに仕事をしているのは姉だけのような気がする。上根さんは熱意はあるが頭はあまり良くないようだし、久世さんなんて一日中本を読んでいるだけだ。こんな店で、姉が抜けた後はどうするんだろうと思った。
店長は、店にはほとんど顔を出さないことが多い。おそらくずっと二階にいるのだろう。二階は店長の住居なので立入禁止と聞いていた。上根さんは僕なんかより店長を引っ張り出してこればいいのに。部屋の黴胞子になるんじゃなかったのか?
依然として今日も垂れ流されているバラエティーを見ながら時間を潰していると、店の奥から店長が出て来た。隣の上根さんが勢いよく立ち上がる。
「店長!おはようございます!」
「ああうん、おはよう」
上根さんに投げやりな挨拶を返して、店長は狭い店内を見回した。それからカウンターで読書をしている久世さんに尋ねる。
「空はまだ帰って来てないの?」
「そうみたいね」
久世さんの気怠い返事を聞くと、店長はその場で少し考え込んでからこちらに歩いてきた。そして空いているソファーに座る。
「店長、今日の仕事はもういいんですかっ?」
「今日やることは終わった」
「店長お疲れですか!俺肩揉みましょうか!」
「いいから黙って座ってて」
店長がそう言うと、上根さんは本当に口を閉じて大人しくしだした。しかし、本来騒がしい性格の為、それも一分と持たない。
「店長俺お茶淹れて来ましょうか!」
「じゃあお願い」
上根さんは「よっしゃぁぁああ」と言いながら台所へ消えて行った。本当にうるさい人だ。
「…………」
「…………」
上根さんがいなくなった店に沈黙が流れる。僕はもともと無口な方だし、店長もぼーっとテレビを見ている。カウンターの久世さんが話題を振ってくることももちろんない。こういう時だけ上根さんの存在が有り難く感じるな、と思った。
第一僕は店長とはまだ会話をしたことが無いに等しい。店長の性格も知らないし、そもそも僕はこの人のことが好きではない。正直、気まずい。
上根さん早く戻ってきてくれないかなと思いながらテレビを眺める作業をしていると、おもむろに店長が話しかけてきた。
「そういえばリッ君ってさ、いつも家帰ったら何してんの?」
「…………」
「あれ?無視?リッ君ー。リッ君ー?」
「…………」
「何で返事しないの」
「……すみません、まさか自分が呼ばれているとは思いませんでした」
言葉に刺を含ませて答えると、店長は「どう考えても自分しかいないじゃん」と唇を尖らせた。そこへお茶を乗せたお盆を危なっかしく運ぶ上根さんが戻ってくる。
「どうですか!美味いですか!」
「普通」
上根さんはわざわざお茶の味を尋ね、答えが返ってくると意味もなく僕にVサインをした。本当にうざったい人だなと思いながら僕は彼を見ていた。
「よ、華織」
「おかえり。海ちゃんも」
「ただいまですっ」
引き戸が開いて姉の声が聞こえたかと思うと、久世さんと弟の返事が続いた。仕事から帰ってきたらしい。
「お、お前こんなところで何団欒してるんだよ」
「団欒してるように見える?」
姉が珍しく店に出ている店長に声をかけた。姉の後ろから出てきた弟が上根さんの隣に座る。
「海、ちゃんと手洗いしてこなきゃダメだろ?鞄も部屋に置いてこないと」
「はーい」
姉が注意すると弟は素直に返事をして店の奥へ小走りに駆けて行った。うちは母があの調子なので、弟にとっては姉が母親のようなものなのだろうと思う。普段から弟の面倒は姉が見ているし、この様子なら二人で家を出ても何も心配ないだろう。
「仕事終わった?」
「いいや、もうちょっとだな」
弟に続いて店の裏へ行こうとした姉を店長が引き止めた。
「あのさ空、黄龍行きだけど、明日じゃ無理?」
「明日ぁ!?何でだよ」
どうやら姉が配属される店舗は「黄龍」というらしい。この店の名前が「朱雀」なので、四神か何かと掛けているんだろう。
突然の指示に驚く姉だが、僕は姉がいつこの店を出て行くのか正確に知らない。今月末とは聞いていたが、姉から言わない限り僕が知る機会はないのだ。
「一人交通事故に遭ったらしくてすぐに人が欲しいんだって。もう荷物向こうに運んであるしいけるよね?」
「まぁ行けって言うなら行くけどさ……」
姉は気が進まないという顔をした。店の奥から聞こえてきた「お姉ちゃんジュースいるー?」という弟の声に「頼むー」と返事をする。
「それなら海にも言わなきゃならいし……。ていうか、やりかけの仕事はどうするんだよ」
「仕方ないから僕がやる」
「なら心配ないけどさ」
姉は浮かない顔のまま奥へと消えて行った。おそらく弟の様子を見に行くのだろう。弟は一人じゃ満足にジュースも入れられないから。
「えー、瀬川明日出て行くんですか?」
上根さんが名残惜しそうに言った。性格的に考えて、上根さんと一番よく喋ってくれたのは姉だったに違いない。姉のいなくなったしわ寄せが僕の所に来なければいいが。
上根さんの言葉に「仕方ないね」と答えた店長は、少し寂しそうに見えたがきっと気のせいだろう。ほとんど店に顔を出さないような上司が、バイトが一人いなくなるくらいで寂しくなどなるものか。
そうこうしているうちに姉と弟がやってきた。明日他店舗に行くことを聞いたのか、弟は悲しそうな顔で店長の袖を引っ張った。店長はそんな弟の頭をぽんぽんと撫でる。弟はもう小学三年生なんだけどな……と僕はその様子を眺めていた。
「定秋昨日の報告書出来たのか?テレビばっか見てんなよ」
「ちゃんと終わったっつーの。馬鹿にすんな」
姉は上根さんの隣にドサッと腰をおろした。急に人口密度が高くなったので、僕は居心地が悪くなる。
「しっかし、瀬川がいなくなるなんて寂しくなるなぁ」
「やかましいのお前だけになるもんな」
「やかましくねぇよ、ちょっと元気があるだけだよ」
「お前のちょっとって一体いくつだよ。富士山レベルか?」
「エベレストだよ」
「エベレストの方が高いよドアホ。馬鹿丸出し」
「俺は高卒なんだ仕方ないだろ」
「いや、小学生でもわかるだろ」
上根さんとくだらない会話をしていた姉が、ふとこちらに視線を向けた。
「どうした陸、元気ないじゃんか」
「……僕はいつもこんな感じだけど」
「じゃあ定秋の有り余ってる元気分けてもらえよ」
姉の言葉に上根さんが勢いよく抱き着いてくる。
「うおおおおおおおっ!元気注入ぅぅうう!」
そう叫びながら僕の両肩をガクガク揺する。しばらく叫んでピタッと動きを止め、ニカッと笑って言った。
「元気出たか?」
「……おかげさまで」
上根さんは「そうかそうか」と笑いながら僕の背中をバシバシ叩く。この人には嫌味が通じないのか?僕は顔にかかった前髪を無言で払った。
この日も特に何の仕事もせず、時間になると家へ帰った。明日から家にも職場にもこの街にも姉はいないのだと考えて少し嬉しくなっている自分が嫌になった。
「まぁ、会おうと思えば会えるしね」
黄龍店の場所は知らないが、学校は同じ敷地にあるのだから用があるなら姉の教室まで行けばいい。おそらく会いたくなるような用など出来ないと思うが。
その日の夜も特別いつもと違う会話はなかった。別れの言葉もなかったし、励ましの言葉もなかった。翌日店に行くと、姉の部屋はもうからっぽになっていた。久世さんが無言でこちらを見ていることに気が付いて、僕は何事もないような顔で自分の部屋に入った。
その後、結局姉は高校を中退してカゴから飛び出していってしまう。その名の通り、広い空を悠々と飛び回っている。そもそもあんなカゴじゃ、姉には狭すぎたのだ。
勝手に高校を辞めた姉に両親はもちろん反対したが、無限に広がる空を飛び回る鳥を捕まえることは不可能だった。高校を辞めた姉は県外派遣員という立場になり、もうこの県にすらいないのだ。本当に手の届かないところへ行ってしまった。それでも姉はまだ眩しかった。
姉を見ていると自分が惨めに思えてきて苦しかったのだ。
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