どうして私なんだろう




「この世にはさ、希望とか、愛好とか、慈愛とかいう言葉があるよね。中学生くらいになれば、だいたい全部の意味くらいは分かる。そしてこの世には、希望とか愛好とか慈愛とかがあるのと同時に、絶望とか、嫌悪とか、憎悪とかいう言葉もある。希望とか愛好とか慈愛とかが存在しているから、絶望とか嫌悪とか憎悪とかも存在していられる。逆に言うと絶望とか嫌悪とか憎悪とかが存在しないと希望とか愛好とか慈愛とかも存在できないって訳だ。君達は、希望とか愛好とか慈愛なんて言葉が好きだよね。ボクも好きだ。だって、素晴らしい言葉じゃないか。清々しくて、爽やかで、光に向かっていく感じ。君達だけじゃなく、みんながみんな好きな言葉だ。でもね、残念ながら、今ボクの周囲を取り巻いている言葉は絶望とか嫌悪とか憎悪とかって、そういう言葉なんだ。だって仕方ないだろう?これはボクが決めれるような事じゃない。ボクの周りに勝手に集まってきちゃったものなんだ。ボクだって昔は希望や愛好や慈愛なんて言葉の中で過ごしていたさ。でも、どうしてだろうね。理由はわかっているさ。アイツらのせいだ。アイツらがボクの人生を変えたんだ。ボクの生き方を変えたんだ。ボクから大切なものを奪ったんだ!……ほら、目の前を歩いているあの女の子を見てごらんよ。まさに希望とか愛好とか慈愛とかって言葉がピッタリだ。あの女の子は清々しくて、爽やかで、光に向かって生きてる感じ。わかってくれてるかな、この感じ。ピンクのセーラー服を着ていて、きっと高校生だね。聖華高校かな。ボクと同い年くらいだ。何やら急いでいるみたい。さっきからケータイで何度も時刻を確認している。あ、狭い路地に入ったよ。近道するのかな。あんなに暗い路地に入ったら危ないよ。女の子は金髪で気の強そうな目をしているけど、あんな暗い路地でどんな危ない人がいるかわからないのに。もちろんボクは女の子に着いて行くよ。だって危ないじゃないか。もしボクが殺る前に、あの女の子が誰かに襲われてしまったら……」








「で、これよ」

そう言って鳥山さんは、袖を捲りあげた左腕を私に突き出した。そこにはピッタリと白い包帯が巻かれている

「大丈夫なの?それ」

「まぁ、ちょっと切れただけだから。縫うほどでもないし」

そう答えながら鳥山さんは腕を引っ込めて袖を直した。鳥山さんの事だから、多分病院にも行っていないのだろう。

私は今、鳥山さんと二人でアクドナルドに来ている。二階の一番奥の席。ちょうど学校が終わる時間なので、店内は学生で賑わっている。

高校生や中学生より一足早く春休みに突入した大学生の私は、来もしないお客さんを相変わらずカウンターに座って待っていた所を、メッセージで鳥山さんに呼び出された。鳥山さんはわざわざ電車で朱雀店の近くのアクドナルドまで来てくれたし、瀬川君も出勤した所だったし、私は鳥山さんの待つアクドナルドへ向かったというわけだ。

「でもそういうのってまずお兄さんとかに言うべきじゃないの?親は……ちょっと言いづらいけど」

鳥山さんは私が着くなり、昨日自分の身に起こったことを話した。鳥山さんは昨日、放課後学校に残って提出物を仕上げた後、急いでバイトに向かっていたらしい。駅から少し歩いた所の路地が白虎店への近道なので、迷わず暗い路地へ入ると、後ろを歩いていたジーパンにパーカー姿の人物も着いて来たそうだ。少し気になったが構わずに奥へ進むと、突然そのパーカーの人物がポケットから取り出したナイフで切り付けてきたという。

「見たことある奴だったのよ、そいつ」

「えっ?でもフードとマスクで顔見えなかったんでしょ?」

さっきの説明で、確かに鳥山さんはそう言ったはずだった。私の問いに、鳥山さんは顔をちょっと近づけて言った。

「首に傷があったのよ。抵抗して服引っ張った時に」

「傷?」

「そう、こんな感じでバサーッて」

鳥山さんは自分の首と左肩に手をあて、手前に引いて傷の位置を表現した。

「それで、その傷がどうして私に話す理由に?」

見たことある人だからって、お兄さんに一言も相談せず私に話す理由になるだろうか。鳥山さんは顔を離してイスに座り直した。コーラに手を伸ばしてジュルジュルと飲む。

「仕事関係で見たのよ。しかも直接本人を見たわけじゃなくて、何かの資料の写真とかで。何年前の依頼の資料かもわかんないし、資料なんて腐るほどあるし、そもそも手掛かりが首の傷しかないし。でも、」

鳥山さんはコーラの入った紙コップをテーブルにトンッと置いた。コップの中で氷がジャラジャラと鳴る。

「仕事関係って事は確実でしょ?だったら最低でも私より後に入った奴は無関係だし、白虎店以外の店だったら更に安心。そう考えたらあんたくらいしかいなかったのよ」

そう言って鳥山さんは今度はハンバーガーを食べ始めた。私もずっと手に持ったままのコーヒーの存在を思い出して一口飲んだが、すでに生温くなっていた。鳥山さんのハンバーガーも冷めているんだろうなぁと思いながら顔を上げる。

「それ、鳥山さんをピンポイントで狙ったのかな。無差別とかじゃなくて」

「わかんないわ……。見た限りじゃ、職場に怪我してる人は見当たらないけど……。でも私も、今日も普通に学校行ってるくらいだし、この程度の怪我じゃ言わなきゃわかんないわね」

「一体何の事件の関係者なんだろう……。瀬川君に聞いたらわかるかな」

でも瀬川君は鳥山さんより先にこの仕事始めてるか。でもまさか瀬川君が関係してるとも思えないから、協力してもらった方がいいような気がする。

「調べたらわかるかもしれないし、ちょっと聞いてみ……鳥山さん?」

見ると、鳥山さんはハンバーガーを握ったまま一点を見つめてぼーっとしていた。私の声に慌てて顔を上げる。

「で、でも、もしかしたらそのせいで瀬川君も狙われるかもしれないし、できるならあんまり人に話さない方がいいと思うんだけど……っ」

ちょっと待て。それって私が狙われる心配はしてなかったの?

「まぁ鳥山さんがそう言うなら……。でも私ができる事なんてほとんど無いよ?」

というか何も無いよね。私に頼むくらいなら鳥山さんは自分でできるだろうし。しかし鳥山さんは、さっきの慌てた様子からいつもの勝ち気な笑顔になってこう言った。

「何言ってんの。一つあるじゃない。私にできなくてあんたにできる事」

私はもう一度自分にできそうな事を考えたが、やっぱり見当たらなかった。おとなしく鳥山さんの次の言葉を待つ。

「あんたの所の店長に調べてほしいのよ。あ、私の名前は出さないでよね」

「……それって店長は狙われても構わないって事?」

「というかむしろ刺されて死ねばいいのよあんな奴」

なんでそんなに店長の事が嫌いなのかなぁ鳥山さんは。ハンバーガーを平らげた鳥山さんは残っていたコーラを一気に飲み干した。

「それで、何て聞けばいいの?首に傷のある人知りませんかって?」

「そうね……友達が人探ししててって事にすれば?」

かなり無理矢理じゃないかな。私の友達が、首に傷のある殺人未遂者を探してるって?

「まぁ、そういう事にして聞いてみる。人相とかはわかる?」

鳥山さんは顎に手をあてて考えた。

「そうね……顔はわからないけど……身長は百六十五くらいで、声も中性的で……正直性別はわからないわ。女の子みたいな男の子っているし。あとは……運動能力はあんまり高くないみたい。足はちょっと速かったけど、縦に逃げれば簡単に巻けたし」

私は鳥山さんの言った特徴を手帳にメモした。これだけの情報で特定できるかどうかはわからないけど、一度逃げられたのならまた鳥山さんが狙われる可能性もあるしね。私はパタンと手帳を閉じた。

「わかった、今日帰ったら店長に聞いてみる」

「うん、お願いね」

鳥山さんは私の分のゴミもサッと集めて立ち上がった。私も鞄を持って立ち上がる。そのままアクドナルドを出た。

「じゃあ、私こっちだから」

鳥山さんは朱雀店から反対の方向を指差した。それからちょっと小声になって言った。

「わ、悪いわね。こんな事に巻き込んで」

「いいよ、これくらい」

私はちょっと笑って答えた。何だ、鳥山さんでも少しは気を使ってるんだ。なんて失礼か。そんな事を考えながら鳥山さんに視線を戻すと、俯いていた顔をバッと上げた所だった。少し顔を赤くして私にビシッと人差し指を突き付ける。

「い、言っとくけど!あんた一人くらいなら私が守ってあげるからッ!」

その言葉に私がほうけているうちに、鳥山さんはさっさと駅の方へ歩いて行ってしまう。私はそんな彼女の後ろ姿を見送って、自分も店へ帰ることにした。




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