まことしやかに不倶戴天3
「ドリア」
「今日は料理番組やってなかったのに、ちゃんと自分で考えられたんですね」
「いや、この前リッ君が食べたいって言ってたから」
店長によると、数日前に料理番組で作られていたドリアを瀬川君が食べたそうに見ていたらしい。まさか万年無表情の瀬川君が?私は店長の勝手な思い込みじゃないかと疑いながらドリアを食べた。ちなみにドリアは普通に美味しかった。
相変わらずカウンターで暇そうにしていると、目の前の引き戸がガラガラと開いた。顔を上げると、満面の笑みの神原さんと目が合った。時計を確認する。神原さんが店を出てから四時間くらいが経過した、午後四時四十五分だった。
「神原さん!!……おかえりなさい」
「ただいま。店長はんは?」
私は壁から顔を出して、来客用のソファーの方を覗き込んだ。ついさっきまでそこには店長が座っていたはずだが、今は無人だ。つけっぱなしのテレビがニュースを流している。
「さっきまで居たんですけどね」
私は神原さんに向き直りながら言った。神原さんは「どこ行かはったんやろ」と呟きながら、カウンターの上に持っていたビニール袋を置いた。
「何ですか?これ」
袋の上から触れてみたら、それはほんのり温かかった。
「たこ焼きや。たこ焼きはあんまし好きやないんやけど、途中でオバチャンに貰てしまてん」
「へぇ……あ、神原さん、コロッケ弁当買えました?」
恐る恐るそう聞くと、神原さんは笑いながら手をブンブンと横に振った。
「買うてへん買うてへん!なんや地元の人に聞いたらそんなもん無い言われたもん」
「そ、そうですか……。あの、すみません、実はそのお弁当……」
私は神原さんに店長のついた嘘を話した。そんなお弁当は存在しないと言われら、もっと怒るかなぁと思っていたのに、意外にもヘラヘラと笑っていたから、なんだか逆に可哀相になってつい喋ってしまったのだ。でも、もしこれで神原さんが怒っても、それは店長のせいだから……。と、ヘラヘラと笑っていた神原さんが口を開いた。
「ほんなら、雅美ちゃん初めから知ってはったん?そのお弁当が売ってないこと」
「いえ……昼ご飯の時に店長に聞いて」
だって仕方がない。私だって、あれが店長の嘘だとわかってたら、もちろん本当のこと教えていた。
「ほんなら何でその時教えてくれへんたん?ボク、この寒い中めっちゃ走り回ったんやけど」
そう言って神原さんは両手に息を吹きかけた。なんだか、途端に罪悪感でいっぱいになる。私は一瞬返事に詰まったが、さっきよりも小さな声でこう返した。
「でも……私、神原さんの連絡先なんて知らないですし……」
すると神原さんはすぐにこう返してくる。
「そんなん黄龍に電話かけたら一発でわかるやん。ほんまは気づいてたやろ?でもそれをしいひんかったのは、所詮ボクの事なんてどーでもええからや」
「いや、そんな訳では……」
手の中のたこ焼きが、急に熱くなったような気がした。神原さんの黒い目が私をジィッと見つめていて、何だか怖い。私は何も言い返す言葉が思い浮かばなくて、それでも髪から覗く左目から逃れる為に、口を開いた。
「えと……すみま……」
「だったらさぁ、」
私の口は勝手に謝罪の言葉を選んでいた。私の口から漏れた「すみません」は、しかし現れた店長に遮られてしまった。振り返ったが、店長は壁に隠れて見えなかった。神原さんがひそかに眉を寄せたのを、私は見逃さなかった。
「何で車庫にタバコの吸い殻が山盛りになってるわけ?汚いから後で片付けといてよ」
店長はそう言いながらこちらに歩いて来て、私の横で立ち止まった。
「何言うてはるんですか。そんなん、どっかの悪餓鬼がこっそり吸うたもんに決まってるやないですか」
「そう?めちゃくちゃ閻魔の癖出てたんだけどなぁ。捨てるとき吸い口潰すやつ」
そう言って店長は右手を持ち上げた。そこには、人差し指と親指でつままれたタバコの吸い殻があった。それを見た神原さんは、狐のように細い目をさらに細めて「ふぅん……」と呟いた。そしてこう言う。
「……別に、何かボクお邪魔みたいでしたから、外で時間潰してただけですけど」
そして神原さんはニコリと笑った。確かに、神原さんを露骨に追い出したのは店長だ。私は不安になって、こっそり横の店長の顔を見上げた。そして私は拍子抜けた。店長はニッコリ笑って左手を突き出していた。
「気使ってくれてどうも。じゃ、近江牛コロッケ弁当ちょうだい。僕それ大好物なんだよねぇ」
その言葉には、さすがの神原さんも驚いたようだ。ほんの一瞬だけ眉をひそめる。
「何言うてはるんです?さっき雅美ちゃんに言われましたよ。そんな弁当存在しいひんて」
そうだ、お昼の時、店長確かにそう言ったじゃないですか。それに神原さんだって、地元の人に無いって言われたって言ってたし。神原さんは全神経を集中させて、店長の次の言葉を待っていた。
「残念でした」
店長はそう言って、神原さんにケータイの画面を突き付けた。私はそれが気になって、身を乗り出してその画面を見る。
「赤穂市国定二丁目九番一号高松精肉店。近江牛コロッケ弁当は五百二十円ね」
店長が突き出したスマホに映っていたのは、とあるお肉屋さんの店先の写真だった。多分その高松精肉店という肉屋だろう。レジスターの横に『近江牛コロッケ弁当 一ヶ五二〇円』と手書きの張り紙があった。
「……さっき無いって言うたやないですか」
「閻魔には言ってないよ?雅美ちゃんには無いって嘘ついたけど。僕が言ったからどうせ嘘だって思っちゃった?」
何も言い返せないのか、神原さんは黙り込んだ。店長は「ああそれと」とニッコリ笑ってこう言った。
「あそこって僕の知り合い多いから、もしかしたらそんな弁当存在しないって冗談言ったかもね」
わざわざ近くに住んでる知り合いに嘘をついてもらったのか。さすがの神原さんもそこまでされるとは思うまい。店長はスマホをポケットにしまうと、「何も言い返さないの?」とわざと勝ち誇った顔を作って言った。
「……なるほど、さすがは店長はんや。ほんまに怖い人やなぁ」
観念したような神原さん。引き戸の取っ手に手をかけて、顔だけ振り向いてこう言った。
「ボク、今日はもう上がらせてもらいますわ。明日はちゃんとコロッケ弁当買うてきます」
「無理に買わなくていいよ」
「いいえ、大好物らしいんで、ちゃんと買うてきます。ほなまた明日」
着物の裾をヒラリと揺らして、神原さんは出て行った。たこ焼きを持ったまま呆ける私と、その隣に立つ店長だけが残る。手の中のたこ焼きにはさっき感じた熱はなく、もうだいぶ冷えていた。
チラリと店長の顔を見上げてみる。すると店長もこちらを見ていて、呆れたようにため息をついた。店長は私の手からたこ焼きを奪うと、袋に入ったままカウンターの横のごみ箱に捨てた。
「あっ、もったいない」
「あのね雅美ちゃん」
店長は呆れたような困ったような、微妙に表現が難しい声色でそう切り出した。
「とりあえず、なるべく閻魔には謝っちゃダメ」
「だってしょうがなじゃないですか」
「しょうがなくない。あいつはね、思い通りに人を動かして遊ぶのが好きなの。そういうタイプ」
「そんなの最初に言ってくれないとわからないじゃないですか」
「言ったって雅美ちゃん信じなかったでしょ」
それは……確かに……。正直、神原さんって割といい人だな、と思いかけていた。最初に言われても信じなかったとは思う。
「それにしても、神原さんってよく分からない人ですね」
私は正直な気持ちを呟いた。最初は飄々としていて掴み所のない人だと思った。少し話してみて、割とノリのいい話しやすい人だと思った。さっき見た神原さんは、何がしたいのかよく分からなくて怖かった。
「雅美ちゃん、よく分からない物の対処の仕方って知ってる?」
「そんなのあるんですか?」
「うん、ある」
そして店長は当たり前で当たり前な当たり前の事を言った。
「初めから関わらなければいいんだよ」
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