こうでなくちゃ締まらない
「蓮太郎さァァアアん!お誕生日おめでとうございますですわ!」
三人で団欒しながら年末のバラエティ番組を眺めていたところに、雷かという程の音と共に引き戸が開け放たれた。雷と錯覚したのは引き戸を開くドンガラガッシャンという音である。こんな事を叫びながら戸を全開にするのは、この世でたった一人しかいない。
私達が視線を向けると、そこにはやはり花音ちゃんが立っていた。相変わらずヒラヒラと女の子らしいスカートを履いて、首にはチェックのマフラーを巻いている。そして手にはなにやら箱が入った大きな袋を提げていた。
「……陸男に言っといたはずなんだけどなぁ」
隣で店長がボソッと呟いた。おそらく陸男さんを振り切って来たのだろう。彼のお身体が心配である。
「蓮太郎さん!私の愛と愛と愛のこもったプレゼントを是非!必ず!絶対受け取ってくださいませ!」
そう言いながら花音ちゃんは我々の方に突進してくる。その迫力に私は思わず中途半端に腰を浮かせた。店の中をズンズン進み、花音ちゃんはあっという間に目の前へやって来た。
彼女は走ってきた勢いのままに、手に持っていたケーキと思しき箱を思い切り店長に押し付ける。店長はそれを超迷惑そうな表情でやんわりと押し返した。
「どうせ今年も犬の餌が入ってるんでしょ」
「いいえ!今年こそちゃんとしたケーキですわ!」
そう言いながら、結局自分で開封し始めた。是が非でも受け取らない意思が多少なりとも伝わったのだろうか。それとも、自分で開けた方が早いことを悟ったのだろうか。
箱の側面をパカッと開き、中のトレイにに指をかける。何が嬉しいのか、花音はいつも以上にニコニコしていた。店長の表情との対比が面白い。
「いいよどうせゴキブリの煮物とかエイリアンの死骸とか入ってるに決まってるんだから」
「いいえ大丈夫ですわ!今年は恥を偲んでお兄様に手伝っていただいたのですから!」
花音ちゃんが箱からトレイを引きずり出したのと同時に、店長は顔ごと目を逸らした。私は気になって身を乗り出す。
「今年はチョコレートケーキですわ」
「石炭の間違いじゃないかな」
白いトレイの上には、真っ黒い石炭に真っ黒い液体がかかっている……おそらくチョコレートケーキのつもりらしい物体が鎮座していた。
「今年も酷いね……」
遠巻きに見ていた瀬川君がボソリと一言零す。瀬川君でさえ口にせずにはいられなかった酷さだ。私は何も言えずに黙ってテカテカ光る黒い物体を眺めていた。
「さぁ、召し上がれ!」
語尾にハートをつけて、花音ちゃんは笑顔で石炭を差し出した。差し出された店長は手の甲でそれを押し退ける。
「あのさぁ、僕去年もう来なくていいって言ったはずなんだけど」
「そんな酷いですわ!愛しの彼女が仕事を放り出してまで来ているというのに……」
「誰の何の何が仕事放り出してまで来てるって?」
ゲンナリした顔でそうツッコミを入れると、店長は「陸男に一言文句言ってやらないと」と言いながらテーブルの上のスマホに手を伸ばした。
なんて可哀相な陸男さん。花音ちゃんのケーキ作りを手伝わされ、さらに店長に頼まれたからと引き止めたら強行突破され、そして止められなかったら店長からはお小言……。同情してもし尽くせない。
花音ちゃんは無理矢理店長の隣にお尻をねじ込むと、ケーキであろう物体を意気揚々と切り分け始めた。さすがの店長も腕力では花音ちゃんに敵わない。彼は何も言わずに、なるべく花音ちゃんの気を引かないように大人しくしていた。
「そういえば、花音ちゃん去年も来たの?会わなかったけど……」
なんだか雰囲気が一段落したようなので、気になっていたことを聞いてみる。先程の口振りだと毎年来てると取れるような言い方だったけれど、私は去年出勤していたが花音ちゃんには会わなかった。
「もちろん来ましたわよ。当たり前じゃありませんの。愛する蓮太郎さんの誕生日だというのに、私が居なくてどうします?」
「別にどうもしないけど」
「ただ、ケーキを作っていたら夜になってしまって……だから雅美さんとは会わなかったのですわね」
花音ちゃんは持ってきた袋から紙皿を取り出して石炭を乗せ、私と瀬川君の前に置いた。ご丁寧にプラスチックのフォークまでついている。が、これをどう食べろというのだろう。
顔を上げると、向かい側に座る瀬川君と目が合った。思わず目で訴えると、アイコンタクトでの会話が始まる。
……どうすればいいの、これ。
……花音さんが帰るまで放っておくしかない。
……でも花音ちゃん目茶苦茶こっち見てるよ。私達がこれ食べるの目茶苦茶待ってる。
……話に夢中になってこれに手を付けるのを忘れていたことにするんだ。
……わかった、私もこんな所で人生終わりたくないし、そうする。
一瞬のうちに意見交換を済ませる。花音ちゃんに目を向けると、すぐ隣にある店長の顔をうっとりと見つめているところだった。今度はテーブルの紙皿に視線を落とす。私は今この瞬間から花音ちゃんのお手製石炭のことは忘れることにする。一体何をどうしたらこんな姿になるのだろうか。お菓子の材料を石炭に変えるなんて、まさか花音ちゃん、錬金術でも使えるのだろうか?
「そっか〜、私は去年は夕方頃に帰ったから会わなかったんだね」
私は目の前の石炭を視界に入れないようにして、若干引き攣った笑顔で花音ちゃんに答えた。なるべく石炭から話題を逸らさなければ。次に石炭の話題が出たときは、これを食べなければならない時だ。それはすなわち、死。
花音ちゃんの隣で店長が笑いを堪えていることに気がついた。私はジトッとした視線をぶつけて立腹を表す。店長は「食べたくない」って正直に言えるのかもしれないが、私と瀬川君はそんなに神経図太くもないし勇気もないのだ。
花音ちゃんは店長から視線を外し、私に顔を向けた。その表情からうっとりは消え代わりにニコニコが浮かんでいる。
「今日はお兄様に手伝っていただいたおかげで早く来れたんですの。雅美さん達にもケーキを食べていただきたかったですし……」
ぐはぁっ!まさかこんなに早く石炭の話題に戻ってくるなんて!墓穴を掘ったのか!?もっと違う話題にしておくべきだったか。脳内の自分が血反吐を吐いて苦しんでいる。早く何か言い訳を考えなければ。
「ああ、うん、ケーキ……ね、うん……。あ、私さっきアックと蕎麦屋行って来たんだったぁ~……。どうりで食欲わかないわけだよ」
いったい彼女の瞳には何枚のフィルターがかかっているのだろうか。どう見てもケーキなどではなく石炭である。逆に彼女はこれをケーキとして美味しくいただけるのだろうか。
ちなみに満腹というのは事実ではある。例え一週間飲まず食わずで今にも倒れそうだったとしても、これには手を付けないとは思うが。
「あら……そうなんですの……。残念ですわ。では瀬川さん、去年も結局お食べにならなかった事ですし、どうぞお食べになって」
「…………」
ニコリと微笑んで石炭を勧める花音ちゃん。瀬川君は黙ったまま動けずにいる。心なしか冷や汗もかいているような……。一体何の拷問なのだろうかこれは。
そもそも、なぜ彼女はそんなにこれを勧めるのだろうか。そんなに自信作なのだろうか。
「あの……僕、甘い物は苦手で……」
「甘い物が食べられないなんて、可哀相な人ですわね!」
瀬川君は苦し紛れな言い訳で石炭を回避する。店長が肩を震わせながら笑いをこらえている。そりゃあそうだ、これには私も吹き出してしまいそうだった。瀬川君の口から「甘い物は苦手」だなんて。花音ちゃんが彼の甘党を知らなくてよかった。
というかそもそも、これ絶対甘くないよ。むしろ苦いよ多分。
と、ここで、今まで黙って私と瀬川君の必死の攻防を聞いていた店長がようやく口を開いた。
「二人とも優しいね。正直に言った方が早いよ。こんな石炭食べられな」
「ああああぁぁ!!!!」
「どうしたんですの、雅美さん」
突然叫び出した私を、花音ちゃんが不思議そうな顔で見る。どうやらすぐ隣の店長が口に出した真実は聞こえなかったらしい。私は「ちょっと思い出しただけ」とお座なりに答えると、店長を睨みつけた。
「店長!世の中には言っていい事と悪い事があると思います!」
瀬川君もハラハラしながらチラチラとこちらを観察している。花音ちゃんってキレても落ち込んでもどうなるかわからない。それにしても、私の声量が相当なものだったとはいえ、自分に都合の悪いことは聞こえないなんて便利な耳である。
「はっきり言わないと伝わらないこともあるよ。まぁ雅美ちゃんが異常に必死だからもう言わないけど」
店長は右隣の瀬川君を見るて続ける。
「リッ君も珍しく慌ててるし」
瀬川君は相変わらず口を開かず静かにしているが、おそらくこれは図星だからこその沈黙な気がする。一人だけ話が理解できていない花音ちゃんはキョトンとして小首を傾げた。
「皆さん何のお話をしていますの?とりあえず、ケーキは冷蔵庫にしまって来ますわね」
彼女紙袋から食品包装用のラップを取り出して、ケーキの上にふわりとかけた。紙皿といいフォークといいラップといい、良すぎる準備である。
もしかするとラップは陸男さんが持たせたのかもしれない。その可能性は高い気がする。陸男さんなら、誰も手を付けないというこの状態になることは簡単に予想がついただろうから。いやまあ、陸男さんじゃなくてもあのケーキを見たら簡単に予想がつくだろうけど。
何はともあれ、目の前から片付けてくれて良かった。見て見ぬふりをし続けるのは心苦しかった。花音ちゃんが善意百パーセントなので特に。向かいの瀬川君もこっそり胸を撫で下ろしている。
「さて、皆さん。これから何をいたします?」
台所の冷蔵へ石炭をしまった花音ちゃんは、戻ってくるなり朗らかな笑顔でそう言った。
「花音はもう帰ったら?」
もちろん店長はこう答えるし、
「私も今日はそろそろ……」
お母さんに「夕方には帰る」と言って出て来た私はこうである。
「…………」
瀬川君は相変わらず黙っているけれど、多分彼女に帰って欲しいとは思っているはず。
花音ちゃんは夏休み頃に瀬川君のことを「話しにくい」と評していたけれど、瀬川君からしても花音ちゃんは取っ付きにくい相手なんじゃないだろうか。そう言われると瀬川君が話しやすい相手ってどんな人?とはなるんだけども。
「ええっ!?雅美さん帰ってしまいますの!?」
「うん、さすがに年末くらいはって、親が」
花音ちゃんのプランでは瀬川君の相手を私にさせて、自分は店長と居ようというような感じだったのかもしれない。
協力してあげたいのは山々だが、こんな日くらい早く帰らなければまた親のこの店への印象が悪くなる。それに、母が大晦日だからとわざわざ蕎麦を用意してくれている。年の瀬くらい家族団欒という親孝行をしたい。
ついでに正直に言うと、瀬川君と何を話したらいいのかもわからないし。店長を含めての三人なら、うまく会話が回るのに。そう考えるともしかしたら瀬川君の話しやすい人は店長なのかもしれない。去年の大晦日も二人で過ごしたみたいだし。
「ほら、雅美ちゃんも帰るみたいだし花音も帰って。というか途中まで送って行ってあげてよ。暇でしょ?」
「嫌ですわ――!まだ来たばかりですし、私暇でもありませんわッ!だって蓮太郎さんとランデブッ――」
そう言いながら近づけてきた花音ちゃんの顔を押し退ける店長。首の筋肉もゴリラなのだろうか、店長は腕が辛そうだ。花音ちゃんは口を塞がれてモゴモゴ言っている。
「うるさいなぁ、そろそろ本気で嫌いになりそうなんだけど」
「そ、それは困りますわ」
なんだかんだ言って店長も花音ちゃんのこと本気で嫌いではないのだ。客観的に見ると花音ちゃんの態度はなかなかのもので、もし私が店長の立場だったら彼女のアプローチはちょっとウザ過ぎると感じるような気も。そう考えると、店長ってよく我慢してる……のかもしれない?
「仕方がないので今日の所は退散いたしますわ」
ベタな悪役が言いそうなセリフを口にしながら、花音ちゃんは立ち上がって、癖のようにスカートのシワを払った。
「明日もまた来ますからねっ!振袖着て来ますからねっ!絶対可愛いって言ってもらいますわよっ!」
「はいはい、かわいいかわいい。言ったから明日は来なくていいよ」
面倒臭さそうに手を振る店長だったが、そんなものは花音ちゃんの視界に入ってはいなかった。何なら途中から聞いてもいなかった。
「みみみみみ、雅美さん!可愛いって言ってもらいましたわっ!今私、可愛いって言ってもらいましたわ!」
「ああ、うん……よかったね……」
全然心がこもっていないように感じたが、それでいいのだろうか。店長も思わず若干戸惑ったような顔でこちらに助けを求めている。
私はソファーの足元に置いておいた荷物を手に取ると、テーブルに置きっぱなしだったスマホを仕舞って立ち上がった。花音ちゃんがヒートアップしないうちに、店長から引き離してあげよう。店長の機嫌が悪くなったら、残される瀬川君も大変だろうしね。
「じゃあ、私そろそろ帰りますね」
「うん、お疲れ様」
「蓮太郎さん、また明日お会いしましょう!」
「花音は永遠にサヨウナラ」
今年最後の挨拶にしては淡白なものだった。一年お世話になった気持ちはあるが、わざわざ口に出すような雰囲気でもない。ピンクのリュックを肩にかけて引き戸へ向かう私に、花音ちゃんも着いてくる。あと一歩で引き戸に手が届くという所で、その戸が勢い良く開け放たれた。
「「!?」」
私と花音ちゃんは驚いて思わず動きを止める。店に飛び込んできた若い男性は、目の前にいる私達に気づいて急ブレーキをかけた。
「い、いらっしゃいませ……」
半分反射のようにそう呟いて、壁際に身を寄せて道を開ける。
「どうも……」
男性は小さく頭を下げて、キョロキョロと店内を見回した。
「あの、依頼があるんですけど……今すぐに」
こんな日に仕事かぁ、と内心で文句を言う。この男性も、今年最後の日くらいゆっくり過ごせばいいのに。
私と花音ちゃんが店長を見たからか、男性は店長に視線を向ける。そしておずおずとそちらに近付いていった。
「どうぞー。雅美ちゃん、お茶淹れてあげて」
「はぁい」
私は肩に掛けていたリュックをカウンターの下に置き、男性を来客用のソファーに案内してから店の奥の台所へ向かった。
瀬川君も邪魔だと判断したのか、さっさと自分の部屋へ引っ込んで行った。花音ちゃんはどうしようか一瞬迷ったようだったが、結局カウンターに座る。カウンターは来客用のソファーからは見えないのも理由だろう。待っていてくれるということは、私と帰り道を共にする気があるらしい。
お茶を手に店へ戻り、お盆を片付けてから花音ちゃんのいるカウンターに向かった。カウンターの下から折りたたみ式の椅子を取り出して座る。さすがにこのまますぐに帰ってしまうのはどうかと思ったので、少し様子を見ることにする。少しでも長く店長と同じ空間にいたいからか、はたまた仕事中の店長を見たいからか、花音ちゃんも居座る気満々のようだ。
「あの殿方、どこかで見たことありますわね……」
壁から顔を覗かせてしばらくソファーの様子を伺っていた花音ちゃんが、隣でポツリと呟いた。
「あっ、私も。なんかあの後ろ姿見覚えある。勘違いかもしれないけど」
それは私もさっきから感じていたことだった。顔には全く見覚えないが、後ろ姿に見覚えがあるというのも不思議だ。
ソファーに腰掛けた男性は、今も忙しなくキョロキョロと首を動かしている。この店に初めて入るお客さんはたいてい緊張しているが、それにしたって挙動不審すぎな気もする。
「なんだか少々怪しい方ですわね」
全くの同感である。
「えーと、とりあえずお名前は?」
「た……田中勇気です」
店長の質問に男性は一拍置いてから答えた。年齢は店長と変わらなさそうだ。おどおどした態度とは逆に、服装や髪型はヤンチャそうである。
「田中勇気さん?なるほど」
「な、なんスか」
名前を言われてなるほど、とはどういう意味だろうか。田中さんは真っ直ぐ見てくる店長には視線を合わせず、膝の上で組んだ指に視線を落としている。
「それより、依頼聞いてもらっていいスか。急いでるんです」
田中さんは落ち着き無く組んだり解いたりする指を見つめながら、焦ったような声色でそう言った。切羽詰まっているようだ。
「実は今、怪しいやつに後をつけられてて……少しの間匿ってほしいんス」
「だったら交番に駆け込めばいいじゃん」
正論ではある。でもお客さんに言うことではないのでは。
「いや、警察は……。警察に行くよりここの方が早いと思って」
「でも警察ならタダだよ?」
「そ、それは……お金とかより自分の身の安全が優先かなと……」
「だったら近くの民家に駆け込もうよ。小学校の時先生も言ってたよ。危ない人に追いかけられたら近くのお家に助けを求めましょう、って」
「ぷっ」
田中さんがバッとこちらを振り返る。思わず吹き出してしまった私は、慌てて顔をひっこめた。つられて壁に隠れた花音ちゃんも肩震わせて笑いをこらえている。
田中さんは「えーと……それは……」と言葉になっていない声で何かゴニョゴニョと言っていた。店長は呆れたようなため息をつく。
「ていうか、田中勇気って名前ありきたり過ぎでしょ。市役所の記入例みたい。もうちょっとマシな偽名思い付かなかったの?」
「えっ?え?え!?」
そう言われて田中さんは慌て出した。名乗ったものは偽名だったのか。私はもちろん驚いたが、彼の挙動不審ぶりを思い出すと、案外あっさりと納得できた。
店長がこちらを振り返って声を飛ばす。
「花音、高橋友則の担当って誰だっけ?」
「えっ?」
突然話しかけられて思わず背筋を伸ばす花音ちゃんだったが、すぐに言われたことを理解したようだ。
「た、確か、白虎の……鳥山……」
花音ちゃんはそう答えながら引き戸の方に支線をスライドさせる。
「あー、そうそう、麗雷ちゃんだった」
そう返して、店長も引き戸の方に目を向けた。彼の位置からは壁に遮られて見えないだろうが。私も二人に倣って引き戸を振り返る。すると、カラカラと小さな音を立てながらゆっくりと戸が開いた。
「な、何よ。出にくいじゃないのよ」
今朝見かけたばかりの金髪ツインテールがひょっこりと顔す。
「鳥山さん!あっ」
そこで私は思い出した。田中さんの後ろ姿をどこで見たのか。鳥山さんと会ったときに、彼女の備考対象が彼だったのだ。今朝見たばかりだったから、些細なことだが記憶に残っていたようだ。
私の隣では花音ちゃんが思い切り険悪な顔を作っている。鳥山さんも鳥山さんで、花音ちゃんを出来うる限り睨みつけながら店の奥へと進んで行った。
田中さん……いや、高橋さんはバネのように立ち上がる。ズンズン近付く鳥山さんに顔を青くした。
「く、来るなぁっ」
彼は間の抜けた声を出しながら上着のポケットを漁り、震える手でナイフを取り出した。
「ありゃりゃ」
店長はそう呟きながら、もう温くなってしまったお茶を一口飲んだ。逃げた方が良いのでは、と心配する私の横で、花音ちゃんが今にも飛び出しそうな体勢で店長を見つめている。
「お、お前あいつらの仲間だな!データは絶対渡さねぇ!」
へっぴり腰でナイフを突き付ける高橋さんに、鳥山さんはハァと小馬鹿にしたような息を吐いた。
「どこのどいつと勘違いしてんのか知らないけど、こんな面倒臭い事にしてくれちゃって……本当は尾行だけで良かったんだからっ!」
どこからともなく取り出した鞭を一振り。鳥山さんの鞭は高橋さんの手首に命中して、ナイフがポロリと落ちた。
「ヒィッ」
鳥山さんは完全に怯えてしまった高橋さんの首根っこを掴んで、それを引きずりながらこちらへズカズカ足を踏み出す。花音ちゃんは「あんなものを振り回して、蓮太郎さんに当たったりしたらどうしてくれるんですの?」とブツブツ呟いている。
「邪魔したわね」
私達の目の前まで来ると、鳥山さんは一言そう言った。そして思い出した様子を取り繕って付け足す。
「情報提供どうも!」
彼女は入って来た時と真逆で、ガラガラと大きな音を立てて戸を開くと店を出て行った。戸がピシャンと鳴って、引きづられた高橋さんの後頭部が視界から消える。花音ちゃんは「二度と私の視界に入らないで欲しいですわ」と唾を吐く寸前であった。
もしかしたら鳥山さんはここに入るのが嫌でしばらく躊躇ったのかもしれない。花音ちゃんは大嫌い、店長は気に食わない、私と言う程仲が良いわけではない。
「えーと、とりあえず、この依頼はなかったこと……で良いんですかね?」
私は立ち上がると座っていた折りたたみ椅子を小さくした。鳥山さんが乱暴に閉めたためほんの数センチだけ隙間の空いた戸を閉めるためにカウンターから出る。
「それで良いのではないでしょうか。依頼人は凶悪なインベーダーに連れ去られてしまったようですし」
花音ちゃんはそう言って、嫌なものを見たとばかりにツンとして己の巻き髪に指を通した。
「それにしてもまさかうちに来るなんてね」
「店長、最初から気づいてたんですか?」
「気付いてたよ。依頼内容は全店舗で共有されてるから顔写真回ってるし。リッ君もわかってたはずだよ」
気付いていておちょくってたということか?と一瞬呆れたが、すぐに考え直す。担当である白虎店に連絡したから、引き取りに来る誰かしらが来るまで時間稼ぎをしていたのだろう。たまたま近くに鳥山さんがいたから、担当である彼女がやって来たのだ。
「顔写真とか私知らないんですけど」
「雅美ちゃんのパソコンにも届いてるよ。全然見てないでしょ」
そう言われると何も言えなくなった。確かに、与えられたノートパソコンはほとんど報告書を書く時しか起動しない。
「本当ですわよ。半年以上働いていたら、アルバイトでも部屋とパソコンが貰えますでしょう?全店舗の依頼内容とその詳細が、会社の専用システムに届くようになっておりますの。いくつか登録をすればスマホでも見れるようになりますわよ」
隣で花音ちゃんが丁寧に説明をしてくれる。全く知らなかった。全く知らなかったが、それは教えてくれない上司のせいなのではないだろうか。つまり、店長の責任である。
「また明日見てみます……」
「まぁ気が向いたら見てみて。別に見なくても今までみたいに仕事はできるし」
その言葉に私は内心で落ち込んだ。私の能力的に言われた事をやっているだけで事足りるから、そんなに深入りしなくてもいいと、やんわりと拒絶されたようだった。ネガティブに考えすぎだろうか。部下として能力的な信用が低いと感じてしまうのは、瀬川君と比べてしまうからな気もする。
私達は今度こそ帰ることにした。名残惜しそうにする花音ちゃんを「明日会えるじゃん」と宥めて店から引きずり出す。
高橋さんの乱入で、瀬川君への今年最後の挨拶がなあなあになってしまった。しかしすぐに、明日に新年の挨拶をすればいいかと考え直す。
「ねぇ雅美さん、雅美さんも振袖着ません?」
帰り道、花音ちゃんがそう問いかけた。どうやら本当に送り届けてくれるらしい。
「でも私振袖なんて持ってないよ?」
「あら、うちは何でも屋ですわよ?そんなものどうにでもなりますわ。ねぇ、そうしましょう!二人で振袖着て初詣に行きましょう!」
振袖は着たことがないので、私も興味があった。来年には成人式があるので、その前に一度着ておくのも良いかもしれない。
「それじゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな」
「嬉しいですわ。では、明日の朝迎えに上がりますわ。雅美さんの家、外山高校の近くでしたわよね?」
何故私の家の場所を知っているのだろうか。教えたことはないはずだが。何でも屋だからだろうか。
「そんな事までしてもらっていいの?」
「構いませんことよ!お兄様に久しぶりに車出してもらいますわ」
陸男さんは普段バイクばかり乗っている印象だが、車も運転できるようだ。家まで迎えに来てくれるなんてありがたいお話である。
隣を歩く花音ちゃんはウキウキしていたが、ハッと気が付くと、私の顔を覗き込んでこう言った。
「でも私より可愛くなったらダメですわよ?蓮太郎さんが雅美さんの事を好きになったら困りますもの」
大丈夫ですよ花音さん。私は心の中で呟く。恋する乙女のキラキラには敵わないから。
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