正解は出せないけれど4
五時間後。午後七時。
「いらっしゃいませ、七時から御予約の笹原様でございますね。お席へご案内いたします」
「ああ、頼む」
笹原さんはふんぞり返りながらそう答え、それから周りの部下に「ここは行きつけの店でね」などと自慢を始めた。私達はその様子を配膳用の入り口からこそこそと観察していた。
「笹原さん来ましたね」
春日さんの予想外にスパルタな接客指導で満身創痍の私は、げっそりとした顔で呟いた。私の言葉で笹原さんの来店がわかったらしく、背後でしゃがみ込んでいた深夜さんが立ち上がった。
「アタシそろそろ行くな」
よそ行きのキレイめな服に着替えた深夜さんは、私達にひらひらと手を振ると裏口の方へ向かった。
「じゃあ僕も」
壁にもたれていた瀬川君も深夜さんについていった。今回彼は深夜さんの弟という設定だ。もし不足の事態があった場合のサポート係だ。本当は深夜さんと何の関係もない一般人を装いたかったのだが、深夜さんにしろ瀬川君にしろ一人で食事をするのもおかしいし、第一高校生が一人で来るような店ではない。
しばらく店内の様子を窺っていると、入り口から深夜さんと瀬川君が入ってきて、まるであらかじめ予約していたような態度で店員さんに案内される。二人が座った席は笹原さんの隣のテーブルだ。これもお店の人と事前に決めていて、店員さんはこの席に案内することになっていた。
それにしても、何故この店はこんなに協力的なのだろう。やはりお金を貰っているのだろうか。殺人の片棒を担がされてるのだからそうとしか思えない。いったいいくらで協力してくれてるのだろう。
そんな事をぐるぐると考えているうちに、私の出番がやって来た。ホール担当の若い女性が近付いてきて私に出番を告げた。
「荒木さん、ワインの時間よ」
「はいっ」
緊張気味に返事をする私の背中を女性が軽く押す。私は背筋を伸ばして店の中へ出た。大丈夫、練習通りやれば出来るはず……!
澄ました顔で笹原さんのテーブルまで歩いて行き、教えられた通りにワインを入れる。視界の端で深夜さんが立ち上がったことに気がついた。あの手の中には毒薬が握られているはずだ。
私はワインボトルを引っ込める時に、わざと笹原さんの水の入ったグラスを倒した。派手な音が鳴り、笹原さんを含むこのテーブルに座っている全員が落ちたグラスに注目する。
「ああっ、何てことをしてくれるんだ!」
「申し訳ございません!」
ここで笹原さんが怒ることは予測済み。私は用意していた謝罪の言葉を口にした。笹原さんは濡れた服を自分のハンカチで拭いている。
「さっさとタオルを持ってこい!」
「かしこまりました!」
店の裏に戻る時に深夜さんを見てみると、パチンとウインクをされた。どうやら成功したようだ。いつワインに毒を入れたのか、私にもわからなかった。
私が店の裏へ逃げ帰ると、スタンバイしていた店員さんがタオルを持って笹原さんの方へ向かった。大きな声で怒鳴り散らす笹原さんに、店員さんが必死に謝っている。
「お疲れ雅美ちゃん」
「なんとか上手くいったみたいですね」
生クリームの入った搾り袋を持った店長が私の隣にやって来た。おそらく仕事をしていたわけではなく遊んでいたのだろう。私のサポート係で来ているのに……と思ったが、厨房の中からでは見守ることしかできないのか。
「いやいや、笹原さんがあれを十分以内に飲まないと成功とは言えないよ。そしたらまた雅美ちゃんに水ぶっかけに行ってもらうからね」
さすがに二回目は怪しまれるのではないだろうか。そもそも、水をぶちまけるという失態をした店員を笹原さんは近づけてくれないだろう。だが実際問題、十分以内に笹原さんがあのワインを飲まないと失敗ということになる。そうなったら別の手を考えなければならない。
「うっ、」
私が眉間に深いシワを作って最悪の場合を考え込んでいると、店の方から笹原さんのうめき声が聞こえた。パッと顔を上げ、慌てて店内を覗き込む。店長も私の上からこっそりと顔を覗かせた。
「キャ━━!」
ちょうど部下の一人が口を押さえて立ち上がった所だった。耳が痛くなるような甲高い悲鳴を上げて口元を抑える若い女性部下。勢いよく立った拍子に彼女のワイングラスが倒れた。
「社長!」
「救急車!早く!」
一瞬おくれて他の部下も笹原さんの異変に気付き騒ぎ出した。そして人が倒れたという情報がお客さん中に知れ渡っていく。
「どうした?」「何があったんだ?」「人が倒れたんですって」「どこ?」「窓際の……」「わっ、ほんとに倒れてる」「死んでんじゃねーか?」
皆口元を抑え不安そうな顔をするが、首を伸ばして笹原さんを一目見ようとしている。その様子を私は何だか不思議な気分で見ていた。
お客さんが騒ぎだすと、打ち合わせ通り春日さんが店内に出て行った。
「お客様、どうなさいました!?」
春日さんは笹原さんのテーブルに近づき、素知らぬ顔で周りの部下に尋ねる。部下達はパニックながら説明を始めた。
「うまくいきましたね……いいのか悪いのかわかりませんが」
「いいに決まってるじゃん。ぶっちゃけ笹原さんは裏金とか脅迫とかいろいろやってたし、これくらいがちょうどいいよ」
「…………」
深夜さんと瀬川君がそっと野次馬から抜け出して、店を出て行くのが見えた。他の人達は誰一人として抜け出した二人に気が付かなかった。
確かに笹原さんはあまり良い人には見えなかった。だが、死ななくても良かったんじゃないか?もし彼に罪があったなら、生きて償わせた方がよかったのではないか?
私達は絶対に良いことをしたわけではない。だからこんなに気が晴れない。後ろめたさを感じる。この方法を選んだ自分が嫌になる。
野次馬の隙間に、依頼人の見波さんの姿を見つけた。その口元には、満足気な笑みが浮かんでいた。
「……これで良かったんでしょうか」
「良くないと思う?」
「わかりません」
店長は何も言わずに顔を引っ込めた。私もそっと下がり、視線を店の裏に移した。店員さん達が店の方へ首を伸ばしながらこそこそと何か話していた。
「とりあえず帰ろっか」
「そうですね……」
ちょうどそう答えたところで、深夜さんと瀬川君がこちらへ近付いてきた。深夜さんは一仕事終わったというふうに大きな伸びをする。瀬川君はいつも通り何の表情も浮かべずその後についていた。
「いやー、つっかれたーあ!」
「グラスに薬入れただけじゃん」
「神経使うんだって!慣れねーことはするもんじゃねぇな。アタシには刀でグサリの方が合ってるわ」
「そりゃー深夜の凶暴性を考えると……」
「誰が凶暴だって!?」
眉を吊り上げて店長に飛び掛かる深夜さん。
「こういうところが凶暴なんだよ!」
その深夜さんから逃げる店長。私は止めた方がいいのか迷っていたが、そっと近づいてきた瀬川君が少し疲れたような顔でこう言ったので、二人をこのまま放っておくことにした。
「いつものことだから。先に駐車場に行ってよう」
「あ、うん」
私達はお店の人達にお礼を言って店を出た。瀬川君はあっさりとしたものだったが、私は申し訳なくなって何度も頭を下げた。殺人の片棒を担いだということを、彼らはどのように思っているのだろう。
店長と深夜さんを放って、一足先に店の外に出る。暗くなりかけた空にうっすら星が光っていた。瀬川君がさっさと車の方へ歩くので、私はそれについて行った。
店の方からグラスの割れる音がしたが、聞こえなかったふりをした。
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