心の奥が気持ち悪い




翌日、八月十六日。時刻は午前十一時。私はいつものようにバイトへやって来て、いつものようにカウンターでファイル整理をしていた。

店には相変わらず自分一人しかおらず、私は静かな店内で忙しく手を動かしていた。店の裏には瀬川君がいるだろうが、店長は私が出勤した時にはすでに出かけた後だった。この店ではわりと良くあることだ。

私の集中力もだんだん高まってきていて、いい調子でシャーペンを走らせる。と、その時、突然目の前の引き戸が開け放たれた。

「うお~い、闇鴉様のお参りだぞ~~!」

私はびっくりしてシャーペンを取り落とした。こんな台詞と共に大声で知らない女の人が入ってきたら、そりゃあシャーペンも床に落ちるだろう。

いや、お客さんが入ってくる扉なんだから、知らない人が入ってくるのは普通なのだ。そうではなくて、我が物顔で知らない人が入ってきたことに私は驚いているわけで。

現状が理解できずに固まっていると、女の人はカウンターに座る私に目を向けこちらに寄ってきた。

「お、なんだ新入りか?なぁ、レンいる?」

「ははははは、はい」

なぜか声が裏返った。こんな怪しい店の引き戸をすごい勢いで開け放ち、店員にずけずけとものを尋ねた人がかつて居ただろうか。

それにしても、その女性は行動とは裏腹にキレイな人だった。背はスラリと高いし、手足や腰は細いし、何より顔の造形が整っている。間違いなく美人と言っていいだろう。

しかしなぜか大きな着物を羽織っている。白っぽい、そこそこ上等そうな着物を肩にひっかけているのだ。着物の下は普通にTシャツと短パンを着用しているのに。

女性はポニーテールにした長い黒髪を揺らしながら言った。

「呼んでもらえね?」

「しょ、少々お待ちを……」

私は慌てて立ち上がって店の裏に向かった。と、そこで立ち止まる。

……レンって店長のことでいいのかな?そしてもうひとつ気づいた。……店長ってたぶん今店にいないよね?出勤した時から気配を感じなかったので、どこかに出掛けているのだと思っていたが。

私は裏口へ行って店長の靴があるか確認してみた。予想通り靴は置いていなかった。完全に外出中だ。

さらに瀬川君の部屋に行き、店長がどこへ行ったか知らないか尋ねてみる。案の定「店長?さぁ……。僕が来たときにはもういなかったけど」という答えが返ってきた。

仕方がないので、店長に連絡して、あの女性にはしばらく店で待っていてもらおう。私が店に戻ると、女の人はソファーに踏ん反り返ってテレビを見ていた。私は思わず無言でその姿を眺めてしまう。

「…………」

店長より態度でかいんじゃないかな。あれ?この人この店の人じゃないよね?っていうかこの店の人間でもこんなにくつろいでテレビ見ないよ。

女性の態度はともかく、私は現状を報告することにした。

「あの、すみません、今店長いないみたいで……」

私はソファーの方へ近付いて怖ず怖ずとそう言ってみた。女性は私の方を振り返る。ノーメイクだが目鼻立ちがくっきりしていて美人だ。もしかしたらモデルか何かかもしれない。

「まぁいつもの事だしな。ここでしばらく待ってるわ」

「すみません」

にもかかわらずこの口調。この態度。もったいないとしか言いようがない。いや、鼻にかけているよりは遥かにいいか。

とにもかくにも、私は店長にメールを送ることにする。店長に来客があるという内容のメールを送信し、エプロンのポケットにケータイをしまった。

店長への報告が済むと、女性にお茶を用意した。テーブルにコップを置くとテレビを見ていた女性はお礼を言った。ケータイを確認すると店長からメールが返っていた。すぐに戻るとのことだ。

私は最初そうしていたようにカウンターに座ってシャーペンを握った。ファイル整理を再開する。この場所からはソファーは見えないが、ソファーからもこの場所は見えない。そのおかげで同じ空間に知らない人間がいることがそんなに気にならなかった。

新しい紙に次々と文字を書き込んでいく。集中力が高まってきて、だんだんペンがノッてきた。と、ここで女性が声をかけてきた。

「なぁなぁ、陸はいねーの?」

私が振り返って壁から顔を出すと、女性は相変わらずソファーでくつろいでこちらを見ていた。どうやら一人でテレビを見ているのがつまらなくなったらしい。

「瀬川君は奥で仕事をしています」

簡潔にそう答えると、女性は「相変わらず引きこもりなのか」と笑いながら言った。なんだ、瀬川君が引きこも……店に来ないの知ってたんじゃん。それにしても瀬川君の知り合いなんて珍しいな。いや、瀬川君にだって知り合いくらいいるか。

「お前年いくつ?」

女性はあっさりと瀬川君の話題を放り投げ、私について尋ねてきた。隠すことでもないので正直に答える。

「十九です、大学一年生」

「十九かー、若いねー」

「うらやましいなちくしょー」と言って女性は笑った。そういうこの人はいくつなんだろう。外見的には二十歳くらいに見える。十代ということはないだろう。向こうは聞いてきたので私も聞いてもいいだろうか。それとも聞くのは失礼か?

私が年齢を聞こうか聞くまいか迷っているうちに、女性はさっさと次の質問へ移ってしまった。

「仕事と学校どっちが好き?」

「ええと、まぁ、どっちも……好きですけど……」

「つかこの仕事好きなの!?お前変わってんなー」

えええ!?そりゃ確かに変わった仕事だけど!面と向かってそんなこと言われたの初めてだよ。

「陸も好きって言ってたしな。アタシらの仕事も相当だけど、変わり者だらけだなお前らの所は」

「まぁ、変わってるのは自覚してますけど……」

その後も次々と質問を重ねてくる女性。私はその質問に答えるばかりで、こちらからは全く質問できないでいた。私は彼女の名前も聞いてないんだけどな……。

そんな質疑応答がしばらく続き、私も若干疲れを感じてきた時、店の裏から瀬川君がひょっこり顔を出した。それに気付いた女性が笑顔で手を振る。瀬川君は小さく頭を下げてすぐに引き返してしまった。何をしに来たのだろうか……。

そのあと台所でカチャカチャという音がして、コーヒー入れに来たんだなと気がついた。私は紅茶派だけれど、瀬川君はいつもコーヒーを飲んでいるのだ。

先程のやり取りを見ているた、瀬川君とこの女性はとても仲かま良いわけではないらしい。まぁ、瀬川君はいつもあんな感じか。きっとこの店の外で私と偶然出くわしてもだいたい先程と同じ態度を取るだろう。

「つかレン遅くね?」

「そうですね……」

壁にかけられた時計を見ると、私がメールしてから三十分が経過していた。すぐに帰ると言われたのでそんなに遠くにはいないと思ったいたのだが、まだ帰ってこないのだろうか。

「めんどくせー。電話しよ」

女性はそうぼやきながらケータイを取り出した。連絡先を知っているなら店長が店にいるか確認してから来ればいいのに。

女性は手慣れた様子で一つの番号を選び、ケータイを耳に当てた。どうやら店員は二、三コールで電話に出たらしく、女性はすぐにしゃべり始めた。

「あーもしもし?お前いつになったら来んだよ……三十分も待ってるっつーの……この闇鴉様を待たすなんて、帰ったら手裏剣の練習台にしてやる……いや、うそうそ、冗談だっつーの……、もーレンちゃんったらぁ……あ?キモい?知ってるっつーの…… おー……おー……もう何でもいいから早く来てくれ……待ちくたびれた……おー、じゃーな」

女性は通話を切って、ソファーの背もたれにのし掛かるようにして私の方に向いた。

「なるべくすぐ来るってよ」

それってすぐ来ないパターンですよね。とは思ったが口には出さない。

「そうですか……」

「これってすぐ来ないパターンだよな」

分かってたんなら言えばよかった!もー、何て言うかこの人話しにくい!

「まーこの調子だと一時間はかかるだろうし、何かして遊ぶか?トランプとかねーの?」

女性はそう言うと、私の答えを待たずに店の中を物色し始める。私はその様子をひやひやしながら見ていた。

ちょ、ちょっと、その引き出しには重要書類が……つか、店長がそんな所にお客さんの個人情報を放り込むから悪いんだけど!

止めるか止めまいか悩んでいると、女性の顔がぱっと明るくなった。

「あ、トランプ見っけ」

しかもトランプと一緒にしまってたよ重要書類!どんな杜撰な管理の仕方だよ!お客さんが知ったら目眩でぶっ倒れちゃうよ!

「そうだ、陸も呼ぼーぜ。ちょっと待ってろよ!」

女性は私にそう叫ぶと、トランプをにぎりしめたまま店の裏へ走って行ってしまった。店の裏は関係者以外立入禁止なんだけどなぁ。

何と言うか、自由奔放というか。正直に言うと、常識の無い人って私嫌いなんだけど……。

数分後、疲れた顔をした瀬川君を引っ張りながら女性が帰ってきた。おそらく瀬川君は彼なりに闘ったのだと思うが、その努力むなしく負けてしまったのだろう。彼がいかに奮闘したかがその顔の疲れに表れている。

瀬川君の冷静さも女性の傍若無人の前には無力だったか。

女性は瀬川君を来客用のソファーに座らせ、カウンターで様子を窺っていた私に手招きする。瀬川君から熱い視線が送られていたので、しかたなく私もソファーへ向かった。

女性が一番大きな普段店長が使っているソファーに座ったので、私は空いていた一人掛けのソファーに腰を下ろした。女性はさっそくトランプを箱から取り出した。

女性がトランプをきっている間に、私はそっとリモコンに手を伸ばしてつけっぱなしだったテレビを消した。女性は私がテレビを消したことには気付いているが、どうでもいいと思っているのか特に何も言わなかった。見てないのにテレビがついてるの、ずっと気になってたんだよね。

瀬川君に目を向けると、彼は何かを色々と諦めたような顔をしていた。今にも口からため息が溢れだしそうだ。おそらく私も同じ表情をしているのだろうが。

「まずはやっぱババヌキだよな」

女性は素早くカードを三ヶ所に配った。しかたないので私は目の前に積まれたカードを手に取る。扇状に開き、数字が揃ってるカードをほとんど機械的に抜いていく。

残ったカードがかなりあるなと思って数えたら、十枚もあった。他の二人は私の半分以下だし、これ私の負け確定なんじゃないかな。

「じゃあまずアタシからな!」

ジャンケンで平等に決めましょうよ、という言葉をなんとか飲み込む。瀬川君も若干苦々しげな顔をしていた。こういうテンションが高く勝手気ままな人は、瀬川君は特に苦手なタイプなのではと思う。

などと考えてるうちに、女性は私の手からカードを一枚抜き取った。どうやらこのゲームは、カードを引く順番も女性のさじ加減で決まるらしい。

「あー、三かー、無いわー」

女性は残念そうにそう言いながら手の中のカードをシャッフルした。っていうか三って言っちゃってるし。私は自分の手持ちの札にダイヤの三があることを確認した。

次は私がカードを引く番だ。私は無言のまま、無言で手札を差し出す瀬川君の手からカードを一枚抜き取った。あ、八だ。やった、一枚揃ったー……って、私十枚も持ってるんだからそりゃあ揃うだろうよ。

いつの間にか瀬川君の番が終わっていて、女性が私のカードに手を伸ばした。彼女はもう二枚しかカードを持っていない。これでそろったらもう上がりじゃん……。女性は私の手からスペードの十を引いた。

「アタシもうラストだ!ん?お前カード多いな。半分貰ってやろうか?」

女性はスペードの十とハートの十をテーブルの上に捨てると、私の手札をごっそりともらっていった。私のカードはいきなり残り四枚になる。

「いいんですか、こんなルール」

今まで黙ってバハヌキに付き合っていた瀬川君が呆れ顔で言う。

「いーのいーの、人間助け合って生きてかねーとな!」

女性はそう答えると豪快に笑った。私と瀬川君はほぼ同時にため息をついたが、果たして彼女に聞こえていただろうか。

私は手元の四枚のカードに視線を落とした。これ、いつまで続くんだろう……。正直に言って、ちょっと疲れてきていた。



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