形骸之内2
結局私はその場に荷物を置くとお茶を淹れ始めた。店長の言うことを聞くのは癪だが、お客さんを待たすのはいけない。
淹れたお茶をお客さんと店長の前に置くと、店長に「ありがと」と言われた。お客さんはさっきのように小さく頭を下げただけだった。
お客さんは見た感じは優しそうな雰囲気でいい人そうだ。しかし私は、高嶋さんの事件以来見た目で人を判断しないようにしている。
あのお客さんはどんな依頼をしに来たのだろう。猫探しとかだったらいいなぁ。そんな依頼があのお客さんにはピッタリだ。
私は一度部屋に戻って荷物を置いてから、エプロンを巻いて店に戻った。店長とお客さんはまだ話をしている。
私はカウンターに座りながら「応接室でやればいいのに」と考えていた。あんなに立派な応接室があるんだから。そういえば、私がこの店で働き出してから応接室を使っている様子をほとんど見ていない。何でだろう。面倒臭いからかな?
私はファイル整理をしながら店長達の会話に耳を傾けてみた。お客さんはぼそぼそと喋っていて、何を言っているのか全然わからない。店長は「ふーん」とか「なるほど」なんて軽い返事をしている。いや、客に向かって「ふーん」はないと思うのだが。
しばらく話して、お客さんは帰って行った。なんだか薄幸そうな人だったな。たぶんまだ二十代なのだろうが、三十歳くらいに見える。
お客さんが出ていってすぐに、私はカウンターから出て店長の方へ寄っていった。
「どんな依頼だったんですか?」
コップを持って立ち上がった店長に尋ねると、店長は普段と何ら変わらない調子で答えた。
「ある人を殺してほしいんだって」
「殺っ!?それ受けたんですか!?」
「うん。うち何でも屋だし。理論的に不可能じゃないことだったら断らないよ」
店長はそれだけ言うと、私を置いて店の奥に消えて行った。台所の辺りでしばらくガチャガチャ聞こえたかと思ったら、「リッくーん」と呼ぶ声が聞こえる。私はそれらをどこか遠い世界で聞いていた。
ああ……ついに殺人……。私の仕事ではないことを祈ろう。いや、さすがに店長でもアルバイトの私や瀬川君にはやらせないだろう。そうなったら店長が自ら……?
嫌、それは嫌だな。今後の店長を見る目が変わっちゃうよ?いいの?私は止めるべきなんじゃない?いくら何でも屋といっても、やっていいこととならないことの線引きははっきりとしておかなければならない。
そんなことを悶々と考えていると、店の奥から店長と瀬川君が出てきた。その場に立ち尽くしたままの私に店長が声をかける。
「今回の仕事は大変そうだからみんなでやろっか」
店長はいつも座っている真ん中のソファーに座り、私にも座るように言った。
ガラス製のテーブルの周りには、時計回りにテレビ、一人掛けのソファー、二人掛けのソファー、一人掛けのソファーが置いてある。すで
に店長が二人掛けのソファーの真ん中に座っており、瀬川君が店の奥側の一人掛けのソファーに座っていたので、私は余っていたカウンタ
ーから一番近い一人掛けのソファーに座った。これは誰が決めたわけでもないのに日々の習慣のうちに取り決められた、私達の席だ。
「とりあえず今回の依頼について説明するね」
店長は何枚かの資料や写真をテーブルに並べた。さすがにこの短時間では資料を用意出来ないだろうから、これは依頼人のあのお客さんが持って来たものだろう。ワープロで打たれたものから、新聞の切り抜きまで様々だ。
「依頼人の名前は見波拓也さん」
店長はそう言ってから瀬川君の顔を見た。
「リッ君、後でもうちょっと詳しく調べといてくれないかな。あとこの笹原晋太って人も」
瀬川君は無表情のまま「はい」と答えた。店長は続きを話し始める。
「えーっと、依頼内容はこの笹原晋太って人を殺してほしいってものなんだけど……」
そこで店長はパッと顔を上げると私の方を見た。
「雅美ちゃん、聞いてる?」
「は、はい、聞いてます」
とは答えたものの、正直ぼーっとしていた。だって殺人なんて……。いくら何でも屋だっていっても限度がある。
「いーや、絶対聞いてなかったね。雅美ちゃんはたまにぼーっとしてるから」
店長はソファーにどさっともたれた。瀬川君は勝手にテーブルに手を延ばして取った資料を熱心に読んでいる。
「……実は聞いてなかったですごめんなさい」
「素直でよろしい」
店長は満足気に微笑んで、説明に戻った。
「この笹原さんって人は小さい会社の社長をやってるんだって。ササブネって知ってる?知らないよね、僕も知らない。で、依頼人の見波さんは笹原さんが死ぬところを自分の目で確認したいんだって。そんでもってさらに、自分が疑われないように人が大勢いるところで殺してほしいと。だから公共の場所で毒殺とかになると思うんだけど……雅美ちゃん聞いてる?」
再びぼーっとしていた私の顔を店長が覗き込んだ。その声でハッと我に返る。
どうやら店長の声は私の右の耳から入って左の耳からそのまま出ていってしまっていたらしい。聞いていたはずなのに全く頭に残っていない。
しかし私の頭は今「殺人」という二文字が支配していて、他のことを考えている余裕がないのだ。いや、こんな依頼が来たら私じゃなくても普段通りではいられな
いだろう。店長と瀬川君が何故こんなに平静でいられるのかが不思議でしょうがない。
私の顔を覗き込む店長は先程の十倍心配している。なんて言おうか。また素直に謝れば大丈夫かな……。
私が何か言葉を紡ごうと口を開いたとき、今まで黙っていた瀬川君が顔を上げた。
「大丈夫だよ荒木さん」
瀬川君は相変わらずの鉄仮面でこう言った。
「別に僕らが殺すわけじゃないんだから」
「へっ?」
今の私は多分、すごく間抜けな顔をしているだろう。なにせ、ずっと「私達がやらなきゃいけないのか……」と考えてたのだから。
店長は瀬川君の言葉を聞いて、「なんだそんなこと悩んでたのか」と笑った。瀬川君は「自分達がやらないのは当たり前じゃないか」と言いたげな顔で私を見ている。
「もー、バカだなぁ雅美ちゃんは。僕らがやるわけないじゃんそんなこと」
「だ、だって、店長が仕事受けたとか言うから……っ」
私は真っ赤になって言い訳した。私一人が勘違いしていたみたいでなんだか恥ずかしい。いや、別に私は何も間違ってはいないのだけど。第一、こんなに大事なことを私に言わなかったこの二人が悪いんだし。
「あのね、こういう仕事はいつも専門の人に頼むの。まぁこんな依頼は年に一回も来ないんだけどね」
「専門の人、ですか……」
それはつまり、殺し屋ってこと?そんなのフィクションの世界の存在だと思っていた。
「そう、僕の友達なんだけど」
「……店長はだいたいの人が友達じゃないですか」
瀬川君がボソリと呟く。
「リッ君は何回か会ったことあるよね。雅美ちゃんにもちゃんと紹介するから仲間外れにされたの落ち込んだりしないでね」
「落ち込みません!」
殺し屋の人か……。一体どんな人なんだろう。何せ殺しを職業にしている人だ。きっと普通の人ではないだろう。
私の頭の中に、銃火器を持ったゴツイ男の人が浮かんだ。うん、あまり仲良くならないでおこう。
「えーっと、リッ君はわかってると思うんだけど、その専門の人が殺しやすいように舞台を僕らでセッティングしなくちゃいけないんだよね。今回のはお客さんがかなり条件つけてきてるから。見波さんと笹原さんを人目のある場所に連れて来るまでが僕らの仕事。雅美ちゃん、理解した?」
「大丈夫です」
でもこれって、結局人殺しの片棒担いじゃってるんだよね。いくら直接手を下すわけじゃないといっても、やはり気が引ける。仕事の一言で割り切れるレベルではないと思うし…。
この辺のことは瀬川君はどう思ってるんだろう。同じアルバイトという立場として、彼の意見が聞きたいのだが。今までの会話からすると、もう何回かこういう仕事をやっているみたいだ。どういう気持ちでやっているのかな……。ただの「仕事」だと思ってやってるのだろうか。
私はどうしようもなく不安なのに、瀬川君も店長もいつも通りでなんだかおかしくなりそうだ。
「じゃあリッ君、笹原さんのスケジュールからいい感じの場所選んどいてくれる?見波さんはこっちに合わせてくれるって言ってくれたし」
瀬川君は先程の返事と変わらない調子で「はい」と頷いた。
「じゃあ雅美ちゃん」
次に店長はくるりと振り向いて私の方を見た。
「は、はいっ」
つい背筋を伸ばして返事をする。私はいったい何を任されるのだろう。緊張して少し声が裏返る。
店長はにこっと笑ってこう言った。
「僕らはやることないから、いつも通りのんびりしていようか」
「は、はぁ……」
思わず気の抜けた声が出てしまった私だった。
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