人の望みの成れの果て
猫側縁
第1話
戻らない日常を前に、ただ淡々と生きていた僕の前に彼女は現れた。まるで自信が人の形をしているかのようなその人は、目の前にある異常を無視し、というか眼中にすらない様子で、初対面の僕に気楽に声をかけた。
「やあ、君がソウマくんかな?」
真っ赤に染まった屋上に躊躇いもせず足を踏み入れ、そこら中に散らばる髑髏に目もくれず、屋上の縁ギリギリに立つ頭から赤色を被った僕に並んで立って、笑顔を見せた。それは最早狂気に思えた。漠然とした恐怖をどこかで感じながら、僕は彼女と向き合った。
「もう一度聞こうか、君がソウマくんかな?」
空も、足元も、自分も赤色で染まりながら、僕はただ頷いた。
「ずいぶん派手に喰い散らかしたものだねぇ」
彼女が言っているのは、この状況のことだろう。少しだけ安心した。彼女にはこのセカイが視えているらしい。この残酷な裏側が。そして彼女はこのセカイに慣れ親しんでいるらしい。でなければ、こんな虐殺跡に気軽に入ってこられるはずがない。
「男子生徒を片っ端から食べていくよりもあの女の子1人を自殺される前に食べちゃった方が満腹になっちゃったんじゃない?」
気分もろとも、さ。
頭が真っ白だった。こんなにも自分は真っ赤なのに。気付けば赤色の海に、僕は彼女の首を掴んで叩きつけていた。しかし彼女は予想に反してそこには居ない。フェンスの上から僕を見下ろしていた。今にも地平線と一体となろうとしている空の眼差しを背に、余裕と愉悦を滲ませた表情で、僕を見つめている。
「まだまだ食い足りないから、無駄口たたくあんたの事を消してやろうか。って感じの目だね。
でも…いいの?
私は彼女から大事な伝言を預かっているんだよ?」
「…何で、あの人を知ってる…?」
「さて、あの人って誰だろうね?」
僅か5分にも満たないこのやり取りに終止符を打ったのは彼女だった。
「何かあればここにおいで。私は君を救えないし救わない。けれど、君という存在を肯定してあげよう」
じゃあね、と身を翻し、血の海を歩いて去っていく彼女の後ろ姿には淀みもない。僕はいつの間にか受け取っていたそのメモに目を通す。まるで息を吸うように。
「…旧校舎三階東棟」
風紀委員、壱岐美伽杜
次の日の放課後、気が付けば僕は旧校舎東棟の入り口にきていた。
手にはあのメモがある。昨日、彼女…社美伽杜に渡されたメモが。
風紀委員会の領地である旧校舎東棟に好んで近付く人間は稀だ。呼び出しがなければまず間違いなくここを避けて通る。というのも、命が惜しいなら旧校舎の東棟には近づくなという学園に古くからある暗黙の了解のせいだ。
まあそもそも好き好んでこんな学園の奥の奥まで入り込む奴なんて、サボりたい生徒か、変わり者、もしくは風紀委員のどれかしかないのだが。
脅し文句のような忠告の内容はいつでも同じ。
風紀委員は化け物だ。風紀委員、とくに委員長には逆らうな。旧校舎の東棟は生きている。東棟に許可なく足を踏み入れたら、まず無事には帰れない。
だから不用意に近づくな。
新入生たちは入学してまず何よりも始めにそれを習う。もちろん、普通の学校ならばくだらない御伽噺だと笑う者が1人や2人いるだろう。しかし、それはこの学校では無いのである。正確には、無くなった。
何故か?2年前、あらゆる忠告を無視して、旧校舎東棟に足を踏み入れた生徒がいた。その生徒は、帰ってこなかった。もちろん警察の調査も入った。しかし、何も出てこなかった。生徒も、生徒の所持品も。まるではじめからその生徒はそこにはいなかったかのように。しかし教室の私物などが存在を証明していたために失踪の話は翌日掲示板に張り出され、目撃情報を生徒会が集めるものの、やはり旧校舎に入っていったところで目撃証言はおわる。
僕もその張り出されたポスターを見た。野次馬が何人もそこに集まっていたので、誰が呟いたか分からない。分からないのだが、
「あーあ、丸呑みにされちゃった」
妙に楽しそうな、鈴を鳴らすような声が耳に残っていた。
そんな事を思い出すせいか、風紀委員会と旧校舎東棟には若干の恐怖心がある。昨日の事もあるし、別に彼女の言葉に強制力があった訳ではない。けれど、僕は今日、何となくここに来てしまっていた。
物騒な話しかないこの東棟は、三階にしか出入り口がない。そして、その唯一の出入り口と旧校舎本体を繋いでいる渡り廊下の旧校舎本体側に僕は今居て、行こうかどうか迷っていた。まだ引き返せる。と思える場所にいた。恐らく臆病な僕は、東棟の扉を潜らなければいつだって逃げられると内心では思っていたけれど。
「行かないの?」
唐突に聞こえた声に、急に感じた人の気配に、僕は反射的に振り返ろうとする体を抑え込み、一瞬の動揺すらも悟られないよう、細心の注意を払って、ゆっくりと声の主を…声の主たちを見た。
小さく小柄な女子生徒が2人。背丈も髪型も髪色も顔の造形もすべて瓜二つ。唯一違うリボンの色が彼女たちが双子である事を教えてくれた。まるで合わせ鏡のような彼女たちは、僕の反応が意外だったのか、お互いに顔を見合わせるとクスクスと笑い声をあげた。
「驚かなかった」赤いリボンをつけた少女が呟く。
「驚かなかったね」青いリボンをつけた少女がそれに応える。
「残念」赤いリボンの少女が溜息をつく
「残念だね」青いリボンの少女も溜息をつく
「ところできみは誰?」赤の少女
「何を持ってるの?」青の少女
「1年生かな?」赤
「3年生ではないね?」青
「どうしたの?」赤
「どこからきたの?」青
「ここは危ないよ?」赤
「ううん、ここは楽しいよ?」青
まだまだ続く問の山。やがて
「誰かに呼ばれた?」
「誰が呼んだ?」
「誰を知ってる?」
「誰が知ってる?」
「「誰が喰べるの?」」
「こら、やめなさい」
赤青赤青、入れ替わり止まらない、答える暇のない質問に僕が辟易し始めた頃、その人が現れた。
双子は急に借りてきた猫のように大人しく口を閉ざすと2人身体を寄せ合って、身構える。
本校舎の方から来たその人には見覚えがあった。3年生の姉咲涼子先輩だ。艶のある長いストレートの黒髪をもつ、和装の似合う大人びた美少女である。風紀委員会書記という肩書きを持つこの人は、風紀委員の中でも恐ろしいとは思われず、後輩からも慕われている。人の話をよく聞いてくれる人だと評判もいい。
僕は握り締めていたメモを姉咲先輩に差し出し言った。
「…ここにおいでと言われました」
本当は、何かあればここにおいで。と言われたし、何かがあったわけじゃない。しかしそんな事は噯気にも出さず告げれば、姉咲先輩は内容を見て…ただ委員会名と氏名が書かれただけの紙を見て、驚いたのが分かった。
傍目から見れば、瞼が少しだけ、ほんの僅かに揺れた位だ。だが僕にとって…僕らのようなものにとっては、感情を読み取るならばそれだけで十分なのだ。驚きを見せたのは時間にしてコンマ1秒も無かっただろう。姉咲先輩はいつものように余裕の笑みを浮かべた。
「…存在を肯定する、と言われました」
「珍しい…。いいわ、行きましょう?」
するり、と僕の腕に自分のそれを絡めて彼女は廊下を進み始める。僕がメモをしまおうとすると、「それは大切に、出来れば肌身離さず持っていた方がいいわ。とても貴重なものだから」
と忠告した。
こんなただのメモが?
…顔に出ていたのだろうか、彼女は苦笑してみせた。双子は互いに顔を見合わせてから僕と姉咲さんの後をついてくる。
「キミ、1年生?」
「はい」
「そう…。メモを貰ったのは昨日の放課後?」
「はい」
「どうしてここまできたの?」
「…何となく」
「あら…じゃあ貴方は何となくで厄介な集団に引き込まれてしまったのね」
廊下を渡りきってしまった。目の前には開けることを恐れた、最後の一線…東棟の扉がある。
それを前にして聞かずにはいられなかった。どういうことですか、と。
しかし東棟の扉は、その問いを遮るかのように音を立ててゆっくりと開いた。
「ようこそ風紀委員会の東棟へ」
先輩に促されるまま足を踏み入れた。双子も中に入って扉が後ろでしまった。
奇妙な噂や災厄や言われている東棟は、しかし、そんな事を感じさせないほど明るく開放感がある。1階から五回まで吹き抜けになっていて、螺旋を描くように階段が上下に続いている。壁は本の山で埋め尽くされ、学校というよりは図書館というに相応しい。天井は何かを模したステンドグラスがあり、どこか神聖さすらも感じさせる。心地いいのだ。そう、まるで…
「まるで故郷にでも帰ってきたみたい?
そうね…何も知らなければそういう事もあったかもしれないわ。けれど、そうね、説明しなくてもここが何故災厄なのか、何となくわかるでしょう?どうしてこんなに、安心するのか」
「…そうですね、何となく」
つまりここは、”ぼくのような”化け物の巣窟なのだろう。
「私の事は知っているの?」
「姉咲涼子先輩、3年生で風紀委員書記ってことなら」
「あら、もっとあるんじゃなくて?」
穏やかに優しく笑う目に射抜かれ、視線をそらすことが何故か出来ない。僕は何かに誘われるように口を開こうとしかけて、すぐに爪を手の甲に立てて傷つけ、痛みで正気を呼び起こして口に一文字を浮かべた。本能がいうのだ。黙っていろ、と。こんなに優しい人でも、僕と同類なのだぞ。と。
答えない僕に、先輩は少し残念そうに溜息をついた。
「やっぱり同類ね…。そうじゃないなら今頃私が喰べているはずだもの…」
妙な威圧感が完全に消え去ったのを感じてから僕は双子についての説明を求めた。
すると彼女達は先程と同じように、しかし先程とはまったく違った様子で
「さっきは喰べ損ねて残念だった」
「けど涼の目にも引っかからなかったからしかたない」
「私たちじゃ喰べられない」
「不満だけどナカマなら許してあげる」
といって、楽しそうに僕らを追い越して階段を下っていった。
「…自己紹介をしてくれるわけじゃないんですね」
「君が何を喰べるのか分からないから。君が私の質問に答えなかったことや、あの子達の質問に動じなかった事と同じよ。
いつ喰べられてしまうか分からない恐怖はあなたもよくしっているでしょう?」
「…そうですね」
そうだ。知ってる。
いつ襲われるか分からない恐怖心や危機感も食べられてしまった後の凄惨さも。
「生きていたいなら、常に警戒し続けなければならない。なぜなら常に己を狙う影が付きまとっているから」
「…それは誰かの格言か何かですか?」
姉咲先輩は質問には答えず、ただお馴染みの笑みを浮かべて満足そうに階段を降り始めた。
「ここの本は好きな様に見て大丈夫。けれど喰べちゃだめ。外に持ち出すのも原則禁止よ。1冊くらい、なんて甘い考えで持ち出したりしたら厳罰があるわ。気をつけて」
「…こんなに沢山の本を管理している人がいるんですか?」
「管理…というか、監視ね。気配で分かるのよ。何の本が何処に無いか」
「そんな事が「できるわけない?」っ…」
先に歩いていた先輩がゆっくり振り返って僕を少し見上げる形になる。
「対象が人か物か。それだけの違いでしか無いでしょう?」
「……そうですね」
知識を喰べるやつならば、本からそれを得る事は出来なくない。むしろそちらを好むのでは無いだろうか。加減を忘れても誰も傷つけることは無いし、気にやむ必要もない。
「じゃあその…司書さん…みたいな人が全部集めたんですか?」
「あら、びっくり。その呼び方正解よ。ここの本の管理をしている子は司書さんって呼ばれてるわ。けれど、これを全部集めたのは……」
姉咲先輩はそこまで言って、言葉を閉ざした。黙ったというよりは、何て言えば良いのか分からないようだ。
「あの…?」
「委員長よ」
「じゃあその人は”知識”を必要とするんですか」
「…そうね、ある意味知識を必要としているわ。膨大な知識を。
ただ、知識として。
…そんなことより、いい加減貴方の糧となる物を教えてくれる?
丁度今、揃ったみたいだから」
2階のテラスから見下ろす一階には先程の双子の他に6名ほどが、アンティーク調の華奢な椅子やソファーに腰掛けてそれぞれに時間を潰しているようだった。
「さあ、覚悟はいい?」
姉咲先輩は微笑んだ。
「ようこそ、風紀委員会へ」
床は大理石、天井からは豪華なシャンデリア、大きな窓は全て上質なカーテンを纏っている。
フロアの中心部に一直線に並べられた四つの椅子には4人の生徒が緊張の面持ちで姿勢を正して、相対するように置かれたソファーで寛いでいる4人と向き合っていた。
椅子の4人は1人残らず気を張って、たった今このフロアに足を踏み入れた姉咲先輩と僕にも注意を向けたのに対し、ソファーに座るメンバーはまるで気にした様子も無く、ゲーム画面だったり小説だったりを読んでいる。
一応姉咲先輩にそれぞれ片手を上げて合図したり、軽い例をしているので無視したり熱中したりしているわけでは無いらしい。
「ちゃんと揃ってくれて良かったわ。始めましょう。今日の事については篠遠くんが話を進めてくれるのかしら?」
座って?と言われた時には僕の後ろに椅子があった。…誰がいつどうやっておいたんですか。
姉咲先輩はこれまたいつの間にか置いてあった1人掛け用のソファーに腰掛ける。僕もそれを確認してから腰を下ろした。
篠遠という先輩は知っている。3人掛けのソファーに2年生の女子の先輩と一緒に座っている、3年生の男子生徒で、柔道部と空手部の主将を兼任している。文字通り力持ち。ガタイがよく試合の時の力強さとは裏腹に、日常生活では静かで大らかな人柄と言われ、姉咲先輩に並んで人気の高い先輩だ。確か風紀副委員長だった気がする。
「俺も今日の事は報せを受けただけで詳細は知らされていない。…集められたメンバーであたりをつけはしたが…」
ちらり、と彼の鋭い目が僕を見るので、少しだけ僕の身体が強張った。あの視線は、僕が来たことでよくわからなくなった、という意味だろう。
「そうね。かれは昨日ここにおいでと言われて、今日ここに来たのだものね」
何かあればここにおいで、と言われたと素直に話しておけばよかっただろうか。恐らく僕はイレギュラーで、この場で行われる予定だった話には掠るほども関係していませんよ、とは発言できる様子では無い。気軽に口を挟んだら潰すぞとでも言いたげな目を篠遠先輩はしている。
「なら、呼び出した本人が来るのを待つしか無いわね。
先に紹介しておくわ。彼は1年生の《ソウマくんだよ》」
姉咲先輩の言葉に被せるように発言したのは……。……に、人形…?双子が先程から間に置いて撫で回していた奇妙なウサギ型の人形から声が出ている。ご丁寧に双子が首や手を動かして話しているように見せている。
「《いやいやごめんよ。本当は直接お話しする予定だったんだけど》」
「…いや、別に良いが詳細くらい伝えていてくれないか」
「《詳細伝えて逃げられちゃ困るじゃないか!…まあ、冗談だからそんな怖い顔しないでよ。…3割本気だけど。
早速本件に入ろう。1年4人、いい加減代表をだせ》」
こらこらこら。分かりやすく目をそらすなと人形は言う。…一体どこから見てるんだ?人形の目か?目なのか?明らかただの釦つけて目に見せている目か?
「《…まあ、もう2ヶ月もしてるのに出さないってことはやる気も無いって事だろう?困ったなぁ、困ったねぇ?
だから、連れてきちゃった》」
4人が急に目の色を変えて人形を見た。焦りが見える。恐怖も。
「《そこにいるソウマくんに、君ら1年の代表をしてもらおう。これは決定で命令だ》」
「…だが」
「《篠遠。私は入学式当日に彼らを集めて、彼らに二か月も期間を与えた。名乗り出なかったのは誰だ?この状況を作らざるをえなくしたのは誰だ?》」
青ざめた後輩たちを不憫に思ったのか先輩が諌めようとしたが、うさぎの言う通りと思ったのか黙ってしまった。
「《学年ごとの代表を立て、その学年のことは各代表に責任を負わせる。そうする事がどれだけの意味を持つのか分かるだろう?》」
「…それもそうね。けれど、せめて昨日のうちにでも1年生たちにその旨伝えるべきだったと思うわ」
「《1週間前、早く決めてくれないなら私が適当に見繕って連れてくるとは言ってある筈だ。その警告を警告ととらなかったのは彼らの落ち度。
さて、文句は無いはずだね。話を続けるよ。後は代表だけ聞いててくれればいい》」
一年生と呼ばれた4人は次々と出て行ってしまった。姉咲先輩や篠遠先輩は溜息をついたり、肩を竦めてからウサギのよく見える位置に座り直した。
「《さて…ひとまず。ようこそ我が風紀委員会へ。ソウマくんはくると思っていたよ?君は私の予想を裏切らないねぇ。晴れて代表になった訳だからお祝いにケーキでもご馳走しようか?》」
「え…いえ…結構です」
「《あらら。振られちゃった。まあとりあえずみんなみたいにお茶でも飲みながら話をしようか》」
「あの。代表にとか、責任とか、一体何の話ですか!?」
隣りの篠遠先輩の威圧感が凄くて、思わず最後の方が上ずったが、ちゃんと伝わったと思う。僕は何も聞いていない。強いて言えばおいでと言われたから、来ただけだ。
「《学年代表のことさ。我が風紀委員会は現在14名の委員を抱えている。失礼、君を含めて15名だ。これが普通の15~18の少年少女と言うだけなら委員長、副委員長だけでいいんだ。けれど、お分かりの通り、私たちは共喰いも辞さないだろう?そう…先頃涼や錺と篝がキミにやったようにね。だから、各学年から代表を選んでその人に同学年の同類たちを監視、管理させる。傷つき、傷つかなくて済むように。そして、有事の際には私に連絡を回す》」
「代表が暴走した場合は?」
「《責任を持って私が止めるよ。だから私は委員長なのさ》」
「…僕がここに入ることは、決定事項なんですか」
「《そうだよ。だってキミ、私の庭で喰べ過ぎちゃったでしょ?あの処理したの誰だと思ってるの?遡って1つ残らずなかった事にするのは大変だったんだよ。
だから、それの対価は労働で支払ってもらおうと思って。それに、君はノーと言えないよね。ううん。言わないよ。だって君はソウマくんだもの》」
まるで僕を知っているかのように話す声に苛立つ。
「だからと言って…トウマに代表をさせる意図はなんだ。本人からの了承も得ていないようだし」
「《そんなの、彼が相応しいからに決まってるじゃ無いか》」
ふう、と溜息をついてからうさぎはまた喋り出す。
「《1年生たちはみんな目覚めて3ヶ月も経っていない。普通は1人ぐらい早く目覚めるはずなんだよ。なのにそれがない》」
「《そして人数も少ない。おかしいなぁと思ったよ。でもソウマくんに会って分かったよ。
彼は目覚めるのが早過ぎた。まあお陰で代表に相応しい人物だと私が思うわけだけど。
この私が最近やっと見つけた私達の同類だよ?かくれんぼの鬼ならとっくに降参しているよ》」
「つまり?」
篠遠先輩が厳しい目をうさぎに向けた。うさぎは肩を竦め…というか、あの気味悪いウサギ動いてないだろうか。双子が動かしているとかいうレベルじゃない。
「《かれは恐らく篠遠たちが目覚めたのと同じくらいに目を覚まし、つい最近まで私に感知されていなかった。この間衝動的に喰い散らかすまでね。
安定性に堪え性。群を抜いている。危険を察知する感覚もある。これ以上に向いているものもいないだろう?》」
納得がいった。1年生の彼らがあそこまでびくびくしていた理由に。確かに目覚めて浅い、自分とほぼ変わり無い人間に頼り、止めてもらおうとするのはさぞ恐ろしい事だろう。相手が暴れた時、自分も喰われてしまうかもしれない。だからこの喰欲を制御できる人間が彼らを制御するのだろう。
僕は小学校の高学年には目覚めて、上手く過ごしてこれた。使い方も宥め方もわかってる。喰欲を飼い慣らしているといっても過言では無い。それで言えば適任だろう。だがそれだけだ。
「後始末をしてくれた事は感謝します。ありがとうございます。
今までの事も全て処理してくれたなら僕も貴女の駒にでもなって、してもらった分は返します。
ですが、風紀委員になるのも、1年生の代表になるのも御断りします」
「《…おや、どうして?》」
人形がご丁寧に首を傾げて聴く様子を見せた。
「…僕も彼らも初対面です。いくら喰欲の扱いに慣れているからといって、初対面の見知らぬ人間に…しかも喰べる対象が何かもわからないのに管理される事は誰も望みません。その為に彼らに与えた2ヶ月、だったんですよね?」
「《さすが!よくわかってるね。
どうだい涼、篠遠。これ以上の適材がいるかね?》」
話が通じないのだろうか。僕は断っているはずなのだが。先輩たちも特に反対する理由が無いのか黙っている。
「《さて、トウマくん。君は代表の話を断ると言ったが、それは無理だ。先頃私はこれは決定で命令だと言ったね。あれが全てさ。委員長の言葉は絶対。あの時点で覆ることは無いのさ。
そして君は今私の駒にでもなってしてもらった分を返すと言ったね。だから風紀委員になってもらう。そして代表をしてもらい、彼らを管理してもらう。
それが私が君に求める働きだ》」
「…拒否権は無いんですか」
「《うん。
でも別に構わないだろう?だって君は淡々と生きていた。その理由も私が無くしてしまったんだから》」
この人はどこまで、なにを、知っているのだろう。自分の過去を覗き込まれている気分だ。気持ちわるいと感じることは無いが何となく腹の底で何か蠢めく感じがする。
「…失礼します」
「《代表になって初仕事だよ。あの4人の資料は司書に用意させておくから、1週間以内に仲良くなって、来週の頭に行う顔合わせに参加してね》」
僕は振り返らずに階段を上がる。司書さん、であろう深紅のローブを羽織って顔を隠した怪しい人が出入り口の前で既に資料が入ったケースを僕に差し出したけど、それを無視して、僕は扉の外に出た。
渡り廊下を早足で移動して、見慣れた普通の校舎に戻るだけで、普段に戻った開放感と安堵感があるのに、同時に感じるのは言い知れない何か。東棟に入って出ただけで以前よりもずっと強く感じる違和感。
ああ僕はやっぱり世界に嫌われている。
僕が淡々と生きている理由。それが事実では、世界からは無くなってしまったんだとしても、僕自身が覚えている。
僕だから覚えている。僕だけが忘れる事なく僕の中を占めている。
無くなることもなく僕を支配している。
それを風紀委員長とやらは知っているのだろうか。いや、知らなければあんなことを言いはしないだろう。
誰も知らないはずの僕を知っている。
ああ、それはなんて…なんて、気味が悪いのだろうか。と、きっと彼は言っただろう。他者から奪ったマスクで感情もないくせに誰よりも感情豊かにそう言ったのだろう。記憶の中で彼の笑みとうさぎの笑い顔が重なった。
それを喰べたら、きっと不味くて仕方がないんだろうな。
いつの間にか茜色に染まり始めた空に僕は何の感情もなく溜息をついた。
つい先程までいた東棟、その中で会った面々、更には押し付けられた厄介ごとの記憶を溜息と共に吐き出したかったのかもしれない。しかし何度吐き出しても、きっと忘れる事は出来ないと思う。
先程無視した司書を通り過ぎる時に聞こえたうさぎの言葉が耳に残って離れないのだから。
《キミは必ずここへ来るよ》
そんなはずない。とあの時僕は、思えただろうか。
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