ヒーロー

来瀬 三次

第1話 かつてのヒーロー

 朝。目覚ましを鳴らすこともせず、自然と目が覚めた。


 いつものように体をほぐし、立ち上がる。テレビをつける。カーテンを開ける。日は差してこない。


 下手をすれば何千回と繰り返してきた動作は体に染みついており、目を瞑っていてもできてしまう気がする。


 あくびをしながら聞き流している朝のニュースでは俺と同年代の、もしくは年下の人たちが取り上げられていた。最近の若い世代は才能あふれる子たちが多いらしく、黄金世代とも呼ばれてもいるらしい。


 すごいなぁ。純粋に、そう思う。


 彼ら彼女らの日々は俺のような白色ではなく、バラ色とまではいかずともそれなりに輝いているのだろう。


 まぁそれ相応の努力をし、苦難を乗り越えてきたからこそ今の輝く日々があるのだろう。


 自ら楽なほうへ流れて生きてきた俺とは大違いだ。


 ――もし俺が今日から人の数倍の努力をすれば、人生は変わるのだろうか。


 どうしても、そんなことを考えてしまう。どうせ実行には移せないのに。


 はぁ、とため息とともに己の性格を呪う。


 本当の気持ちを隠し、中の下をふらふらと漂う。努力したくないから、この結果で満足していると自分を騙す。


 救いようのないクソ野郎だ。


 どんどん悪化する思考を止めるために、その原因たるテレビの電源を落とす。


 そして湯を沸かしていたケトルの電源を切り、その代わりコップ一杯の水道水を飲み干した。


 雑にスーツを羽織り、仕事用鞄と昨晩用意した鞄を手に取る。


 逃げるように部屋を後にした。


 


 こんな性格の俺だが、昔は人並みに一番になりたいと思っていたのだ。


 テストの点数も悪くなかったし、運動もできないほうではなかった。この調子でいけば成功するだろう。子供ながらに、そう考えていたのだ。


 俺がそんな考えを持っていた原因の一つとして、近所に住む幼馴染がいた。彼女は二つ年上で、お嬢様のような風貌とは正反対の性格をしていた。


 「私がヒーローになるんだ」


 今では声すらあやふやだが、それが彼女の口癖だったことは覚えている。


 不明瞭なヒーローを目指す彼女は、なぜかなんでも一番になりたがる人だった。テスト、運動、果ては教室に入る時間まで。不必要な早起きに付き合わされた俺の身にもなってほしい。


 だが、当時の俺の目に彼女は輝いて映っていた。彼女は己に厳しい努力家であり、そしてその努力も十分に報われていたからだ。


 そんな彼女を尊敬するのは、いくら俺が子供だったとしてもおかしくはないだろう。


 彼女につられるように、俺も勉強くらいは頑張ってみようと思った。


 テストで一位をとることにしたのだ。


 それからは確かな努力をし、着々と順位を上げていった。


 しかし、限界は思ったよりも早く訪れた。


 どれだけ努力しても、彼女のように一番は取れなかったのだ。


 いつも、同じクラスメイトに阻まれていた。


 天才と呼ばれていた彼には届かなかったのだ。


 そのことに絶望していたと同時期だった。


 ――彼女が、病を患った。


 名前は無駄に長いものだったので忘れてしまったが、それは当時幼い子どもの間で流行した病であった。彼女は、うちの小学校では最初の感染者だった。


 それによって、彼女は小学生としての最後の三か月を奪われる形となった。


 「まぁできることはやってきたし、後悔はしてないかな」


 病室のベッドの上で。数日しかたっていないのにやせ細ったように見える彼女はそうつぶやいた。


 見たことのない、諦めたような笑顔だった。


 そのころからだ。俺が上を目指さなくなったのは。


 まぁ才能の前に敗北し、目標を失ったのだ。当然といえば当然だろう。


 俺はすぐに落ちぶれ、すべてにおいて平均より少し下の人間になった。


 しかし、彼女はそうではなった。


 当時の俺は知らなかったが、彼女は入院以降もいろいろなことに手を出していたらしい。


 特に同じ境遇の子どもたちを元気づけることに関しては、かなり頑張っていたらしい。


 当時は子ども中心に病が流行っていたこともあり、病院には多くの子どもたちが入院していた。


 親と突然別れることになり、全く知らない環境に放り込まれた子どもたち。どれだけ心細かったかは容易に想像できる。


 そんな中で、彼女は多くの子どもたちの支えになったらしい。


 彼女たちの病が人から人へは移らないものであったこともあり、患者が増えるにつれ彼女の病室には多くの子どもたちが集まったという。


 当時の写真も何枚か残っていた。彼女はそのすべてで真ん中に映り、柔らかく微笑んでいた。


 彼女の存在も役に立ったのか。その病院では重症化率が低く、回復が早い子たちが多かったという。


 次々と退院していく子供たちを、彼女はどう見送っていたのだろうか。今となっては、知りようもないことではあるが。


 病床に伏してなお、彼女は大きなこと成し遂げたのだ。


 そして病が収束に向かったころ。彼女の闘病生活も終わりを告げた。


 一年と少しぶりの。落ちぶれた俺を見せたくなくて、何度も先延ばしにしていたお見舞いに行った日だった。


 思ったより元気そうにしていた彼女は、ゆっくりと棚に置いてある花を指さした。


 「あの花、綺麗でしょ。名前知ってる?」


 「もちろん。ユリでしょ?あれ」


 そこに飾っていたのは、黄色いユリの花だった。


 当時の俺は非常に臆病であり、おおっくのことを知っていた。ユリの花がお見舞いには向いていないことも、当然知っていた。


 「そう。お母さんに無理言って持ってきてもらったんだ、あの花。私、ユリの花が一番好きなの。その中でも、黄色がね。綺麗でしょ?」


 彼女がどこまで知って、隠して、話しているのか。俺にはわからなかった。


 「うん、綺麗だね」


 そう相槌を打つのが精一杯だった。


 それから数十分他愛もない話をした後、彼女が思い出したように口を開いた。


 「ねえ翔くん」


 「なに?」


 「またお見舞いに来てくれる?」


 「もちろん」


 「じゃあさ、その時に新しい花を持ってきてくれない?あの花、もう少しで枯れちゃいそうなの」


 「いいよ。なんの花がいい?」


 「翔くんが決めてくれたのならなんでもいいよ」


 「本当?」


 「うん。本当」


 そんなやり取りをして、俺は病室を後にした。


 「それじゃあ明後日にでも来るよ」


 「わかった。待ってるね」


 小さく手を振り、静かに扉を閉める。


 大きく雰囲気が変わってしまった彼女のことを考えつつ、俺は帰路についた。


 俺が帰った数時間後。


 彼女は眠るように、一人で静かに息を引き取った。


 ユリの花は、ゴミ箱に捨てられていたという。




 まだ薄暗い中。線香を備え、静かに手を合わせる。


 多くの人を救った彼女のお墓にはかなりの人が訪れているようで、いつ来ても新しい花が供えてある。


 そんな中。俺は少しばかりのラッパスイセンを、他の花の影になるように備えた。


 なんだか締まらないし、かっこ悪い。でも、これが俺の決めた花だ。


 手早く片づけを済ませ、彼女に背を向ける。


 またつまらない日々が始まるのかと、早くも憂鬱になる。


 それでも、不思議ともうちょっと頑張ってみようと思えるのだ。

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