夜叉鬼

佐藤 田楽

夜叉鬼

生命の本質は認識の上で成り立つ。

人の伝承、記憶に残ったものが命を生命へとたらしめ、そこに芽生える感情が形状を与える。

質は問わない。ほんの少しでも他の生命に認識されてしまえば、その時点で生命を授かるのだ。

故に、未確認の動物や品種にいくら憶測を抱いても結局は無いモノとされることには変わりなく、それが何者かの目に映らぬ限りは、風景の一部でしかないのだ。

だが、感情や憶測もあまりに度が過ぎれば強い思念となる。それはいずれ形となる。形状がわを先に、空っぽを満たして生命の定義線上に乗っかってしまう。

それが怪異。俗に言う妖怪。総称は化け物。

摂理に逆らって生まれたそれは、均衡に保った質量を歪ませる。

そういったものは、収束されるまでに誰かを狂わせる。

我侭で身勝手に造られた連中が正式な手順を踏んで生まれた生命を害するというのは、よくない。非常によくない。

だから排除する。それが、俺らの仕事である。

・・・なんて長ったらしい建前せつめいを誰かに聞かされた気がする。

よくわかんねぇけど、結局、生き物いきもん化け物ばけもんの違いってのはなんなんだろうな。

どっちもち抜いちまえば、死んじまう事にゃあ変わりないのによ。



*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


枝葉が身体にぶつかり、わりかし大きな音を立てる。

そんなこともお構い無しに、様子を伺うように僕は後を追った。

「もう少しで日を跨ぐね、柊君。いつもなら布団の中なわけだけど、大丈夫?辛くないかい?」

辛いのはどちらかというと眠気じゃなくて肉体的疲労の方だ。

「古断さん。ちょっと速いです。ただでさえ山登りなんて慣れない上に暗くて見通し悪いんですから、あんまり飛ばされると見失っちゃいますよ。あとなんか臭いです」

「う~ん、それは我慢するしかないかなぁ。この山全体を探すってんだから、このペースで行かないと夜が明けちまうよ。陽が出ちまったら俺らには獲物が見えなくなる。人目にも付くしね。臭いってのもしょうがないよ。俺の道具は使い込んでるからね。色んな臭いが染み付いてるんだ」

なんて言いながら古断さんは足を止めない。マイペースな人だ。

時刻は23時30分。僕はひいらぎさとし、16歳。この二つの情報から分かるのは、明らかに不適合と言う事だ。非合法にも近しい。

だが僕は深夜というものに魅力を感じる非行少年というわけでもなければ、破滅願望を持つ世捨て人でもない。

僕は依頼人で、前を行くこの人、古断ふるたち亮耶りょうやは依頼の請負人だ。

彼は自身を『執行人』なんて恰好かっこつけてたけど、俗に言う叉鬼またぎと呼ばれる職を生業としている人間だ。

年は22歳と若いが、腕は相当立つらしい。

齢16にして叉鬼なんてけったいな人種と関係を持ったのは昨日の話だ。

僕は、柊聡はある怪異にひとつ、睨まれてしまったのだ。



「えーとつまり、君はここ数週間、自分の知らぬところで柊聡なる人物が目撃されているという話に悩まされている。ってことでいいのかしら」

「そうなんです。他人の空見だとも思ったんですけど、どうやら向こうは僕の顔で僕の名前を名乗っているそうで...」

「うん。ドッペルゲンガーかなにか...なんにせよ立派な怪異ね。化け狸の仕業かしら。わかりました。依頼を受けしょう」

外観は錆びでボロボロにも見えた小さな事務所だったが、中は思ったより、というかかなり綺麗だった。

『矢田寺祓魔事務所』。それがこの会社の名前らしい。

ネットでなんとなく調べたらヒットした、割と近所にあった祓魔専門の会社だ。

最初は胡散臭さで鼻を摘まみたくもなったのだが、他に縋るものもないと赴いてみるとどうやら案外ちゃんとした所らしい。

このあとに高額な札でも売りつけられたら話は別だが。

「古断君~!寝っ転がってないで来て頂戴。この依頼、あなたに任せるから!」

「ほいほい聞こえてますよ~っと」

受け答えをしてくれた小嵐さんが大声で誰かを呼ぶと、奥のほうにあったソファ。僕が今座っている革張りの高級そうな応接用のソファではなく、明らかに安っぽいソファから男が一人、ゆっくりと身体を起こした。

「はじめまして。今回のご依頼を担当させていただきます、古断亮耶と申します。」

そう名乗った男はゆっくりした動作で、僕の対面、小嵐さんの隣に座った。

茶髪に染めた髪は片側面が刈り上げられており、さらに二本の剃りこみまで入っている。

パッと見やんちゃな大学生。ピアスの穴まで空いてるし。

「古断君。今回の依頼内容なんだけど―――」

「聞いてたよちゃんと。でもさぁ、別に悪事を働いてるわけじゃないんでしょ?逆に世のため人のためになるような善行ばっかりしてるって話じゃないか。じゃあ別にほっといてもいいんじゃないかなぁ。もう一人の良い自分が頑張ってるんだって考えれば」

とんでもない事を言う奴だ。こいつ。

「馬鹿な事言わないの。自分の評価が自分の知らない活躍で勝手に変わっていくのなんて嫌でしょ。例えそれが好評嘖々だとしても気味が悪いし、向こうに合わせようと自分自身のハードルが上がって苦しくなる。仮にもう一人の古断君がいつの間にか総理大臣になんかなってたら、気軽に外も出歩けないじゃない?」

おっしゃる通りです。というかそこまで考えていなかった。

「そんときゃ交代するだけだ。俺が偽者で、偽者むこうほんものになればいい。だがまぁ、気持ち悪いのも確かだな。風俗ぐらい好きに行かせてほしい」

そう簡単に割り切れるならこんなところに来ていない。例え割り切れたとてきっと選択は変わらない。

古断さんは眠たそうな目でこちらに眼を向けた。

その目とは裏腹にギラっとした視線が刺さる。品定めでもするような、探りを入れる視撃だ。

「柊君。俺も出来る事は尽くすが、ただ化け物を片付けるだけが仕事じゃないんだ。もっと根幹の、根を枯らさないとこの手の怪異は解決しない。色々、聞かせてくれるかな?」

口調は穏やか、ツラツラと自然に語りかける。これは人間が本性を隠しているときの喋り方だ。楽観的に生きてきた人間には気付けない、明らさまなサイン。

分からない者には分からない、分かる者には露骨な挑発。僕はと受け取って、慎重に言葉を選び挑発に乗る。粗は元より眼中に無い、さざれの探りあい。

「と言われましても、僕としては思い当たる節が見当たらないんですよ。ホント、急に出てきた噂で、火の無いところに煙は立たないなんて云いますけど、火を熾したのは偽者むこうの仕業ですよ。きっと」

ってもなぁ。火を熾すにも理由が無きゃ熾す気も起きないわけで、怪異やつらが付け入る理由もないんだよ。高校生ならライターの一つでも持ってんだろ?そういうちょっとした火種が原因だったりするんだよ」

「古断君。そういう疚しい隠し事持ってる高校生なんて今日日少ないのよ。貴方の周りはみんな煙に身に巻いてたのかもしれないけど」

愛想笑いもできない。僕がそんなもの持っているわけが無いし、たとえ喫煙者だとしても言うはずがない。ライターのくだりも比喩でもなんでもないド直球じゃないか。

「う~ん。心当たりが無いとなると、無意識の行動が原因かもしれないね。ちょっと言える範囲でいいから、君の生い立ちや半生を教えてもらおうかな。大丈夫、個人情報の取り扱いはしっかりするから。そもそも、他に流すほどの人脈なんてこの会社にはないしね」

「わ...かりました。細かくは思い出せないかもしれませんが、できるだけ詳細にお伝えしますね」

なんて、どもって言ってみたが自己過去紹介は僕の得意分野だ。これまでの人生何度語ってきたことか、信用を得るにはこの手に限る。



「―――と言った感じですかね」

大方語りつくしたかな。もちろん不都合なところは伏せて。

「まぁ、これといって目立った点はないわね...。なんなら品行方正、健康優良優等生って感じかしら。あなたいい大学狙えるわよ」

「は~ん、な~るほどねぇ。なんとなく見えてきたぜ、小嵐さん。なるほど、こいつぁ俺の出番だ」

古断さんはねちっこい薄ら笑いを浮かべてそう言った。

「本当!?じゃあ新しい調書を持ってくるから計画を―――」

「いや、こいつは俺がパパッと片してくるわ。大丈夫、俺の腕を信じてくれれば一晩で綺麗に収めてやるよ。報告書でまとめてくれや」

さすが、曲がりなりにもプロか。と言いたいところだがこの人に限っては当てずっぽうの皮算用なんじゃないかと訝しんでしまう。切れ者なのかもしれないけど、それ以上に見た目のせいでガサツそうな印象が先立つ。

「・・・そう言うなら任せましょう。私が下手に関わるより手綱を放した時の方がいい働きをするものね、貴方」

小嵐さんが簡単に引き下がったということは相当な信頼と実績があるんだろう。とんだ狂犬の問題児かと思ったが、小嵐さんの言い回し曰くどうやら狼だったようだ。

これは...少し警戒レベルを高める必要がありそうだな。

「さて...柊君、ジュースでも奢ってあげるからちょっと外に出ようか。…ちょっと、男の子同士のお話をしようぜ」

バレてるかもな。こりゃ手遅れやもしれない。


*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


―――その後、炎天轟く野外に出て古断さんに言われたのは『明日の午後9時、鏡界山きょうかいざんの麓で集合にしよう。俺は今日明日でちょっと調べものをすませてくるよ』と、それだけだった。

わざわざ二人きりにしてまでそんな拍子抜けた話をするのかと思うだろうが、なにか見透かされたのではないかと不安になった僕としては余計にその不安を促進させる。そんな軽言だった。

いうなれば悪戯が先生にバレたとき、『放課後、会議室な』と呼び出された時のようなドキドキ感。そんな経験無いけど。

そこからは、まぁ淡々と、「獲物の予想が着いた」「動きやすい服装で来い」「親にはバレるな」と言った旨の言伝だけを受け取って現在に至る。

…にしても、それほど大きくない小山だからっていくらなんでも一晩で解決するってのは無理があるんじゃないだろうか。

人は遠い昔に獣ではなくなった。文明を育てていくにつれ野生の部分は衰えていっている。健在を保っているのは性欲だけだろうか。なんと不埒な。

確かに、古断さんの行動は一つ一つ野生児臭いところはあるが、それとこれとは別の話だろう。きっとこの人は不埒だ。

「柊君、見てみろ」

古断さんは急に立ち止まって真っ暗な足元に指を差した。

これでは見るにも見えぬと懐中電灯を点け照らす。

「足跡が見えるだろう。これは怪異やつのだ」

落ち葉などが散乱していて見にくいが、確かに、小ぶりな足跡らしきものがある。

デブ猫よりも大きい、大型犬よりは小さい、それぐらいのサイズ感。

「確かに小動物の足跡らしいですが…どうして獲物のものだってわかるんですか?この山には他にも動物くらい居るでしょうに」

怪異あいつらはね、爪が二股に割れているんだ。ほら、付け根は4つなのに爪跡は8つ。これが見分け方」

言われてみれば分かる些細な違い。なるほど、タメになった。使いどころは一生無いと思うけど。

「ていうか、古絶さんどうやってこれ見つけたんですか。灯りも無しに」

「ん?ここだよここ。叉鬼やってんだから、これぐらいはできないと」

彼は鼻を指差してそう言った。前言撤回。こいつは野生児じゃなくて野生の生き物なのかもしれない。

「ふぅん。まだ新しいな、これ。半径1km範囲内。後方90度は切り捨てていいかな」

えものにも聞かせまいというぐらい小さく呟く。

この人なりの予想はズバリ、大方の範囲まで読めているらしい。

「ん?どうだ、叉鬼らしくなってきただろ」

古絶さんは得意気な表情かおを向ける。

どうやら僕は自然と開いてしまった口を閉じ忘れて阿呆面を下げていたようだ。だが感心してしまったものはしょうがない。

表に出た阿呆は道化になればいい。

「ええ、とっても。ようやく信用できそうです」

見せ場ショウタイムはここからさ。真相ショウダウンはまだだけどな。叉鬼と言ったら、やっぱ獲物の脳天かドテッ腹撃ち抜くのが見せ場だろ?ほら、どんどん行くぜ」

彼はクサイ台詞を吐くとまた走り出した。先よりも速度が速いのは、やはり自身も興奮を隠しきれないのだろう。

やれやれ、着いて行くのは骨が折れるというのに、なぜだろう、僕も楽しくなってきた。



あれから15分、進展はというと目に見えて著しい。

僕等二人は真っ暗闇の森を脇目も振らずに駆けていた。

軽い傾斜、普段ならとっくに息が上がっているはずだが、今はそんなことが気にならないほどにアドレナリンが身体中の隅まで蝕んでいる。このあとがバッドだろうがハイだろうが、ぶっトぼうが関係ない。もはやそれどころではない。

理由は明白。第三の影を追っかけているのだ。

古絶さんの見立てどおり、600m進んだ辺りで奴は現れた。いや、直接この目で確認したわけでは無いのだが、この叉鬼ふるたちさんが目の色を変えて追っかけるんだから間違いない。獣の異臭もほのかに感じ取れる。

いつのまにかこの怪しい人間を信用している僕だが、この事件が解決するのならそんなことは関係ない。日常が手に入るのなら、心情の変化なんて足枷にもならない。

結果の平穏になのか、それとも非日常感このげんじょうになのか、ニヤニヤが止まらない―――。

刹那、青い焔が瞬いた。

「―――耳塞ぎな」

凍て刺すような一言。

僕がその言葉を脳に伝達させ理解させるより数瞬先に、古絶さんはどこから取り出したのか、猟銃ライフル撃っ放ぶっぱなす。

弾ける破裂音。雷鳴の如き轟音は音速の基準値を超える速度で耳を塞ごうとする僕の両手の平をすり抜け、直接蝸牛を刺激する。

一連の現象はもはや稲妻。不可避の電光石火。

(耳ちぎれるわバカヤロウ!!)

流れるようなボルトアクション。秒の間も空けず照準を合わせる叉鬼は、膝から崩れ落ちた僕に気付いて笑顔で振り向いた。

「……。…」

ふむ、この人はどうしてヘラヘラと口をパクパクさせているのだろう。ナメているのか。

そういえば環境音はどうした。今の一発で周りの鳴き虫はショック死でもしてしまったのだろうか。なんて妄想が湧いてきたところで、自分の聴覚が機能していないことに気付いた。音響外傷だ。

そんなことにも気が付かずベラベラと喋っている古絶さんは、あまりに無反応な僕の様子を見てようやく異変に気を留めたようだ。

僕は自分の耳を二、三度指差してから、顔の前で×バッテンをつくる。精一杯の意思疎通。これなら手話の一つでも勉強しておくんだった。いや、相手が分からなきゃ意味無いか。

古絶さんはOKサインで返事をする。拙いボディーランゲージだったが伝わってくれてなにより。

そして母音が分かりやすいようハッキリとした開口で、僕に読唇術を要求してきた。

「ミミ、キーンッテスル?」

うん。キーンってする。

「ジャアダイジョウブ。モウチョぃシタらナれテクルから」

ああ、慣れてきた慣れてきた。

「鼓膜は破れてないと思うよ。変な感じはするだろうけど」

「あ、治りました」

一時は病院直行の一大事かと思ったが、元に戻ってみればあっけらかんだ。

「いやーよかったよかった。いきなりバカヤロウなんて叫ぶから嫌われちゃったのかと思ったよ」

あ、聞こえてました?それ。

「そんなことより、見ろよ柊君。ナイスショットだ」

古絶さんが親指で差した方向には、広く開けた、僕が観えやすいよう誂えたような広場。

おおよそその真ん中に、暗がりでも分かる、明らかに不調和な影が一つ。小さな影だ。震えている。

照らしても?というアイコンタクトに、古絶さんはニタリと視線を送り答える。

電源を点けた懐中電灯を向けると、照らされたのは後ろ足に手負いを受けた狐だった。

流れ出る鮮血をそのままに、逃げられぬと悟って怯えた瞳をこちらに向けている。

「きつね、ですか」

「ああ、小嵐コアラの奴、化け狸なんて言いやがったが大本の質が違うじゃないか。綺麗な毛並みだなぁ。叉鬼冥利に尽きるってモンだ」

「えーと...」

古絶さんは満足げに射抜いた獲物を評定しているが、僕にはあれが野良狐にしか見えなかった。

これといった特徴の無い、ただのキタキツネと差異が無いのだ。

ていうかこの人、小嵐さんのこと裏でコアラなんて呼んでいるのか。ちょっとかわいいな。

「ん?あー。大丈夫だよ柊君。あれは正真正銘バケモノだ。俺は人は殺さない」

古絶さんは次の言葉に詰まる僕を見て解説を始める。

さっきからなにも言っていないのに僕の求める返答ばかりだ。恐ろしく鋭い勘が背中を撫でているかのよくだった。

「怪異ってのはその場に適して馴染んでいるように見えて、やっぱり異質だから違和感が生じるんだよ。あいつはうまく化けたつもりなんだろうけどキタキツネは本州には居ない。人間がイメージするキツネって言えば黄色か白だから、それを流用したんでしょ」

非常識を追っかけすぎて常識が薄れていた。

キタキツネはその名の通り北の大地にしか生息していない。

「それに目が真っ赤っか。あれはあいつらにとって逃れられないカルマ、因果だ。生命に祝福されずして無理に生み落ちた結果、忌子としての烙印を、もっとも注目を浴びる眼に焼き付けられたのさ」

「いきなり難しい話ををしますね。概念の話ですか?」

概念という言葉の使い方が合っているのかは分からないが、自分の知識の器から引っ張り出せる限界ではこう表現するのが限界だった。

「うーん。概念なんて大層なもんよりかは、在り方の話になるかな。怪異あいつらは存在そのものがあやふやだから。まぁ概念も靄みたいなもんなんだけどね。っと、柊君、そろそろダレてきたって顔だね」

そのとおり。ただでさえ身体は疲れているのに、脳みそを酷使させないで欲しい。そういうのは机に向かいながら聞くものだ。

古絶さんはどこか愉快そうに、動けない獲物の元へと歩み寄っていった。

僕もそのあとを追っていく。広場は凛と静まり返っていたが、空気は何かを包むかのように暖かかった。

「いやぁ、ちょっと時間が掛かりすぎちゃったかな。もっと早く終わると思ってたんだけど」

軽い足取りの古絶さんが右手をスッとあげると、青い焔と共に先程のライフルが現れた。

なるほど。理屈は通らないが、そうやってその猟銃えものを仕込んでいたのか。

「もう逃す事は無いでしょ。これで柊君はが手に入るってわけだ。

そう。そうである。化け狐こいつに最期、鉛玉をぶち込んでやれば僕は晴れて柊聡の生活に戻れるんだ。

今か今かと待ち遠しい。

「さて、その前に柊君」

怪異バケギツネの前まで来たところで、古絶さんは後ろを追う僕のほうへ振り向いた。

ええいジレッたい。

「何でしょう古絶さん。もう確認することも無いでしょう。言いたい事なら後で聞きますから早くこいつを―――」

「ごめんね焦らしちゃって。でもさぁ。随分とかかってるんじゃないか?」

昂ぶった威勢を掴まれる。さっきの奇術を見たとおり、彼は正真正銘怪異専門の叉鬼だ。マズイ。ここまできて隙を見せたのは迂闊だったか。

「す、すいません。ちょっと興奮しちゃってて。用意とか手順があるなら邪魔はしませんよ」

「そういうのは特に無いんだけどね。そうだなぁ、強いて言うなら―――」

瞬間、叉鬼の眼つきが変わる。

酸いも甘いも舐め分けてきた青年の柔い眼ではない。

甘い汁が大好きな、自己中心で不良な悪童の眼光だ。

まどろっこしい化けの皮を剥がしたのだ。

先程とは違う、もっと強力な、背骨の神経を直接掻き毟られているような畏怖と不安の混濁感情。

「―――そのカラコン、外そうか。もう意味無いから」

凍て刺す口調。尖った視線。身体を突ら抜く呆れの様相。

古絶亮耶は、当に人間を相手にはしていなかった。

「なに言ってるんですか古絶さん。カラコンなんてしてないですよ...」

「自分でやんのが嫌なら俺が取ってやるよ。ほらツラ貸しな。目ン玉ごと抉っちまっても文句言うなよ?」

一歩近づく叉鬼を、右手を突き出し制止する。

もう、観念するしかあるまい。

「いつから気付いてました?」

「柊聡が嘘を吐いているのは昨日から。柊聡が柊聡ホンモノじゃないってのは今日、会った時に」

つまり最初からじゃないか。とことん勘が鋭い、というか頭が良くキレるのだろう。よく考えてみれば僕の言動にはボロが多かった。

僕は観念して両目からコンタクトを剥がす。

真紅の眼が、しっかりと彼を見つめた。

「今から君がどんなに逃げ回ったってのがさない。じゃあ少し、種明かしといこう。君も後腐れの後悔があってはうまく死ねないだろう」

叉鬼フルタチはライフルではなく、腰元に下げていたダガーナイフを真っ直ぐにこちらに向ける。

けものの特徴は何だと思う?」

「……赤い瞳」

「そうだね。それは今、君が自分で晒してくれた。他」

「……二股の爪」

「それも俺が教えたやつだ。君は熱心に人を観察して巧く化けたから隠せているみたいだな。他、獣の部分」

僕はなぜ生真面目に問答を続けているのだろうか。とも思ったが、これをすっきりさせないうちには死ねやしない。

せっかく掴んだチャンスを潰したんだ。来世つぎは無いけど、知っておきたい。

「……聴覚...と嗅覚?」

「そう。聴覚は思い当たるんじゃないかな。そう、あの時だ。この猟銃はかなり音を抑えるように弄ってある。誰より近いところで銃声を聴いた俺がピンピンしてんのに、そっぽを向いてたお前の耳がイカれるなんておかしいだろう?いくら俺が慣れていても、人体構造の限界は超えられねぇよ」

あの時、とはもちろんフルタチが狐に向かって発砲したときだ。

「あと嗅覚。これは君のミスであり、君はまだ気付いていない。お前は俺が臭いって言ったが、あれは怪異おまえにしか気付けない異臭だ。俺は怪異専門の叉鬼。つまり得物にこびりついた匂いってのは魑魅魍魎を捌いてきた匂いだ。一般人には怪異の存在は分からない。もちろん匂いにも気付けない。犬喰いが犬に嫌われるのと一緒だな」

犬を食べた事がある人間は犬によく吼えられる。同属の死臭が身体から発せられるからだ。

「あとはまぁ化けの部分か。これは俺が説明すると、勘だな。というか、やけに飲み込みが早かった。訳わからんことを訳わからんやつが説明してるってのにお前は素直に受け入れた。いくら化かされた当事者と言えど人ならざるバケモノの話なんて普通の奴は気味悪がって聞きたがらない。しつこく怪異について解説してたのは確認作業だよ」

「……ちゃんとした根拠手札が揃い切ってるじゃないですか。なぁんだ完敗か」

フルハウスというべきか、いや、ストレートフラッシュか。

ここまでやられたんじゃあ笑うしかない。

生命の輪廻に侵入できるチャンスなんて滅多にない。

思念に生まれて、がわのままフヨフヨと漂い続ける。それが怪異に成る前の、名称を持たない命のあり方だ。

億数多居る浮遊体の中から粒子レベルの隙間しかない生命の定義線上に入り込める可能性なんて、天文学的確率にすら唾をかけるような馬鹿げた数字。寿命を持つ生きた人間なら諦めるような話である。

そんなチャンスを粘って粘って、わずか124年目にして掴み取った好機。

化け狐故の狡猾さで周りの浮遊体なりそこない共を出し抜き、都合の良さそうな青年を見つけて取り憑いた。綿密な計画を練って、練って、練って満を持した怪異としての発現。着々と存在を際立たせながら、を残していく。青年が己に気が付き、然るべき方法で始末を依頼する。そこで自分が入れ替わり、本物に成り代わる。向こうホンモノ化け狐ニセモノに、もう一人ニセモノ柊 聡ホンモノになればいい。完璧なはずだった。

「じゃあこれで終わりかな」

ダガーナイフが月光を吸い込む。

「待ってくださいよ。古絶さん」

「なんだい?」

だから、想定外だって超えなければならない。

「古絶さん言いましたよね。”人は殺さない”って」

「ああ、言ったね。俺の得物は怪異バケモノにしか向けないよ」

たかだか逃れられないというだけで、諦めるような覚悟じゃない。

「ならば僕の事は討てないはずだ。僕は今、人の姿なりをしている。確かに僕は柊聡じゃない。だが、この身体が柊聡ではないという確証はないんだ!僕のこと撃ったならば、向こうで動けない狐はホンモノで、あなたは柊聡を撃ったことになる!それは貴方の信念に反するはずだ!ニセモノを撃ったならば人を撃ったことになり、ホンモノを撃ったならばこれも人を撃ったことになる!」

これまでもそうだったように、これからも、僕は嘘を吐いて生き残る。

そうして僕は、輪廻の内側に合流する―――

「あ?なーに言ってんだ、お前」

「――!?」

叉鬼は心底呆れたように呟いた。

「お前はどう考えたって人じゃねぇだろ。中身が怪異なんだから。んで、向こうはどう見たって化け狐だ」

いままでの知的な行動は、あくまで獲物を追う場合にのみ。

「どっちも化け物じゃねぇか。ち抜いちまえば、どっちも変わんねぇよ」

叉鬼はヘラと笑った。

形は何であれ生命を強奪する者。それが叉鬼。

その本性は当然、粗暴で荒々しいのだ。

ダガーナイフが構えられる。

「もう時間稼ぎはいいだろう?」

最後の手の内すらバレていた。

内で貯め続けていた力が、満ち足りたのを察する。

「Show downだ」

合図はそれだけ。

叉鬼は一歩で胸元まで入り込んでくる。

僕は、人の姿である執着を捨てた。

圧倒的な力、それが体現されたような本性の姿。4mはある巨体に膨らむ。

黒い、暗闇よりも昏い影の姿。

我、化狐也われ、ばけぎつねなり

人の力では物足りぬ、圧巻を見せてやろう。

勝負は一撃と察した。

全身全霊の一撃、二股に割れた、計八本の獣のやいばで叉鬼を狙う。

ザァァン!!

だが、遅かった。圧倒的に遅かった。

叉鬼の振るった刃は大狐の腹を掻っ捌いた。

どす黒い肉の双璧、その真ん中に真っ赤な球体。たましいである。

狐はまだ諦めていない。痛みなんてものに意識を向ける暇はない。たましいが殺られないかぎり、肉体は元に戻せる。一縷の希望にすべてを賭けるしかない。

しかし、立て直し叉鬼を睨んだとき、勝負は決していた。

叉鬼の眼にはすでに興味の灯が消えていたのだ。まるで「手応えがない。つまらない」というかのように。

あの時、キツネホンモノを撃ったときに見せた高速のボルトアクション。

叉鬼はまたもや、僕が防ぐ前に引き金を引いたのだった。


*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


柊聡はキツネから人間の姿に戻っていた。足には出血の痕があるが、芯は外しているので放っておいても大事には至らないだろう。

安らかな顔でよく眠っていた。

「化け狐ってのは嘘や騙すのが巧いやつに取り憑きやすい。君は周りの目や評価を気にして、自分を隠していい子ちゃんの仮面を被ってたんだろうが、それでも嘘は嘘だ。代わりは無い」

柊に意識はなく、どうせ聞いていないんだろうが、それでも語り掛ける。

「ま、自分に嘘吐いて、人を騙して生きるってのはあとで罰が当たるってことだよ、青年。反省はもう充分だな?もうちょい肩の力抜いて、ワガママに生きてみようぜ」

古絶亮耶は棒付きのキャンディを咥えて大きく溜息、帰り道を行きながら味を楽しむ事にした。

青年に背を向けその場を去るその顔は、弟の成長を静に喜ぶ、歳の離れた兄のような表情であった。



ボロッちいドアを開けるとガンガンに働くエアコンで部屋がキンキンに冷えていた。

「ひえ~涼しい。完全に別世界だなここは」

『矢田寺祓魔事務所』にはいつも通り客なんて居ない。こんな独り言も吐き放題だ。

「あっ、古絶君!やっと帰ってきた。もうタイミング悪いんだから」

同僚が居るのを忘れていた。まぁ聞かれても問題ないか。

「どしたんですか小嵐さん。もしかして、もう出前取っちゃいました?」

「違うわよ。さっきまでここに柊君が来てたの!支払いの件と、あとお礼にって菓子折り持って来てくれたのよ」

なんだそんな小さなことか。その程度の事で声を荒げるのはやめて欲しいものだ。だからいつまでたっても独身なんだろう。

「別に、会わなくても大丈夫でしょ。彼、どうでした?」

古絶のヘラヘラした態度に小嵐は肩を透かされ、行き場の無い小さな怒りをフンッと鼻息で発散させた。

「朝、目が覚めたらキツネの姿になってて、引き寄せられるように鏡界山へ向かったら最後、そこから出られなくなったらしいわ。後は古絶君の言った通りよ。消費した弾は二発、一晩で片付けちゃうなんて、さすが夜を跨ぐ鬼、夜叉鬼やしゃぎの古絶ね。」

「小嵐さん、狸じゃなくてキツネでしたね。あんなに透かした顔で「化け狸の仕業かしら」なんて言ってたのに。ププププ」

「うるさーい!!その程度の間違いなら可愛いもんじゃないの!それより、私は「男の話」とか言ってこそこそやってたほうが気になるんだけれど!」

「そこは男の話なんで、そう簡単には喋れないですよ。あっ、小嵐さん。さっきの話、社長には黙っとくんで、出前でタヌキそばおごってくださいよ。俺飲みモン買ってくるんで」

そういってまた外の自販機に向かう。後ろではタヌキじゃなくてキツネでしょー、なんて聞こえる。タヌキそばも無いことはないんだけどね。

「そうだ、古絶君」

「?」

小嵐さんコアラの呼びかけに振り向く。

「柊君、「嘘吐いてすみませんでした」って伝えてくれっていってたけど、彼、何を嘘吐いたの?」

「ああ」

俺は小さく鼻で笑った。

「ほんの小さい嘘ですよ。隠れてヤニ食うよりかは断然」

外は、別世界のように暑かった。

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夜叉鬼 佐藤 田楽 @dekisokonai

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