やびこのため息

なゆた黎

やまびこですから

 朝晩がすっかり肌寒くなり、山々の紅葉が色づきはじめた秋の頃。

 さほど標高の高くない整備された山道を、軽快な足取りで山頂へと向かうのは、遠足の子どもたちだった。

 頭上に広がる木々の葉は、緑陰を落としていた盛夏の面影を微かに残しつつも、乾いた葉を時折ひらりと枝から落としては、茶色の地面に小さなアップリケを飾りつけていった。


「やっほー!」

 頂上に到着した子どもたちは、周囲にそびえる山並に向かって、しきりに呼び掛けている。

「やっほー!」

「やーっほーっ!」

『やっほー!』

『やーっほーっ!』

 一呼吸ほどの間を空けて、反対の山からこだまが返ってくる。

 子どもたちは、ひとしきり周囲の山に向かって「おーい」だの「やっほー」といった、いってみれば月並みな呼び掛けを、向かいの山々に向かって発していた。


 そのうち、ひとりの子どもが、童謡『やまびこごっこ』の歌詞を山に向かって言い出した。

「やまびこさーん」

『やまびこさーん』

 子どもはきちんと返ってくることに満足した様子で、楽しそうに続きを歌っていく。

「おーほほほほほー!」

『おーほほほほほー!』

 ここまではよかったのだ。

「まねするなー!」

 子どもが最後のフレーズを言い終えて一呼吸置いた後、返ってきた言葉は……

『あ……ゴメン』

 だった。



 ーcafeSeisuiのカウンターにてー

「……なんてことがあったんだよぉ、マスター」

 ぐじぐじといじけるようにうつむいたやまびこは、グラスの中身をぐいっとあおる。カランと氷の滑る音がすると同時に唇からグラスを離すと、少々乱暴にテーブルの上にグラスを置いた。ウイスキーか焼酎のロックか水割りを干しているようだが、グラスの中は水だ。ついでに、管を巻いているように見えるやまびこは、車両運転がバッチリできるくらいバリバリの素面しらふである。

「なあ、マスター聞いてるかぁ? オレの話をよぉ」

「はいはい、聞いていますよ。子どもたちに謝って、それでどうしたんですか?」

 やまびこは、カウンターの向こう側で、慣れた手つきでコーヒーを落とす店長をギロリとにらみつける。

 店長は時計にちらりと目を遣りながら、素面で管を巻くやまびこに尋ねた。静かな笑みを浮かべて、やだぐれた様子のやまびこにうなずいてみせる。

「まねするなって言うからよぉ、オレは悪いことしちまったと思って謝ったらよぉ、そしたらよぉ」

「はいはい。謝ったらどうしたんですか?」

「そしたら、子どもたちのヤロウ、蜘蛛の子散らすように逃げていきやがったんだよぉ。なんでぇ、こっちは悪かったって思ったから謝ったってぇのに、ギャッとばかりに逃げ出しやがって。最近の子どもはよぉ。人をなんだと思ってやがんだ、ちくしょうめ」

「そうでしたか。それは大変でしたね。うちの弟妹きょうだいには、そんなことをしないように、明日の朝にはきちんと注意しておきますね」

「ったくよぅ。化け物見たみたいに逃げられちゃ、こっちも傷つくっつーの」

 人ではないやまびこは、聞き上手な店長相手に、アイスコーヒーとお冷やで午後11時の閉店時間まで、カウンターに居座り続けたのだった。

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