おじいさんからのバトンパス

三山 響子

おじいさんからのバトンパス

 転校したのは小4の春だった。

 新しい学校では久しぶりの転入生という事もあって、初めは注目の的だった。

 休み時間になればいつもクラスメイトに囲まれるし、隣のクラスからわざわざ私を見に来る野次馬もいた。

 でも、そんな輪の中心にいる環境も初めのうちだけで、次第にクラスメイトの興味は私から離れていった。

 それどころか、内気で大人しい性格の私は既に出来上がっている女の子達の輪にうまく入れず、何となくクラスで浮いた存在になってしまった。

 学校なんてつまんない。

 前の学校では1番の楽しみだった休み時間や放課後の帰り道が、まさか1番の苦痛の時間になってしまうなんて。





 ある日の休み時間、自分の席で絵を描いて時間を潰していると、斜め後ろの席あたりで数人の女の子達が楽しそうにお喋りしている声が聞こえてきた。


「あと1週間でお誕生日会だね!」


「めぐちゃんママのお料理楽しみだなぁ」


 どうやらクラスのボス的存在のめぐちゃんのお誕生日会が開かれるらしい。


「何人くらい来る予定なの?」


「6人。でも、美香ちゃんが来れなくなっちゃうかもしれないって」


「じゃあ他に誰か呼んだら?あっ、亜矢ちゃん、来週の日曜日空いてる?めぐちゃんのお誕生日会、亜矢ちゃんも一緒に行かない?」


 突然名前を呼ばれて鉛筆を持っていた手に力が入り、鉛がポキッと折れた。


「え?」


「めぐちゃんのお誕生日会。行く?」


「あ、うん、行く!」


 頭の中で日曜日の予定を確認するよりも早く、無意識にイエスの返事をしていた。

 まさか自分に声が掛かるなんて思ってもいなかったから嬉しくて、思わず声が上ずってしまった。変に思われなかったかな。


「めぐちゃん、亜矢ちゃんが来れるって」


 私に声を掛けた女の子がめぐちゃんに向き直ってそう言った時のめぐちゃんの反応と、その後の彼女達のやり取りを、私は一生忘れない。

 めぐちゃんはギョッとしたような表情をすると、私に声を掛けた女の子に何やらこそっと耳打ちした。彼女は「しまった」という顔をして口元に手を当てた。

 めぐちゃんは私に向かって威張ったように言葉を発した。


「え〜、亜矢ちゃん来れる?うち、犬いるよ?」


 私に声を掛けた女の子の方を見ると、彼女はついさっき私を誘った事をなかった事にしたかのように、他の女の子達と意味深にクスクス笑っていた。





 学校からの帰り道、通学路の途中にある小さな川沿いを歩くのが日課となっている。

 川沿いのベンチに腰掛けると、数十メートル下流でカモの群れが泳いでいるのが見えた。

 4羽のカモがスイスイと泳いでいる中で最後尾の1羽だけが遅れをとっていて、前の集団からどんどん引き離されている。

 その姿が女子グループから置いてけぼりにされている自分の姿と重なって、喉の奥につかえていたものが我慢できずに崩壊し、目からポロリと滴が零れ落ちた。


 結局、金曜日になってもめぐちゃんからお誕生日会の詳細の連絡は来なかった。

 私は参加者リストからそろりと消されてしまったのだろう。いや、あの時の皆の反応からすると、元々リストにすら載せてもらえていなかったのかもしれないけど。

 めぐちゃん、私は犬が嫌いなんて一言も言った事ないよ。むしろ犬は大好きだよ。

 私の事を誘いたくなかったなら、もっと上手な嘘をついてよ。

 他の子達も、あからさまに私を傷つけるような態度を取らないでよ。

 皆が思ってる以上に私は人一倍敏感なんだよ。


 目から次々と零れ落ちる滴は、新品の薄桃色のスカートに点々と濃い水玉模様を描いていく。

 新しい学校に行くんだから洋服も新しくしなきゃねと、お母さんと楽しくショッピングしながら選んだお気に入りのスカート。

 せっかく私のために新しい洋服を買ってくれたのに、こんなに孤独な学校生活を送っているなんて、とてもじゃないけどお母さんには話せない。


「何か辛い事でもあったのかい?」


 ふいに優しい声がして振り向くと、白髪のおじいさんが少し離れた所からこっちを見ていた。

 この人は見覚えがある。よくこの川沿いを犬を連れて散歩しているおじいさんだ。

 月に数回は見かけるけど、話した事は一度もなかった。

 泣き顔を見せてしまった事が恥ずかしくて、私は慌ててゴシゴシと目をこすった。


「何でもありません」


「何でもなさそうな人だったら、私も気安く話しかけたりせんよ」


 先手を取られた感じだった。おじいさんは私が座っているベンチの隣にゆっくりと腰掛けた。


「人生は山あり谷ありじゃからのう」


 おじいさんはサラサラと流れる川を見つめながら優しく呟いた。

 深くは追求して来ないおじいさんに、かえって私の警戒心は次第に解けていった。


「強い人はどうして弱い人をいじめるんですか」


 深い皴が刻まれたおじいさんの顔が、ゆっくりと私の方を向いた。


「強い人とはどんな人の事を言っておるのかい?」


「クラスのボスの女の子や、その子と仲の良い女の子達です」


「ふむ。弱い人とは?」


「私みたいな人です」


「あなたは学校で1人なのかい?」


「はい」


 おじいさんは優しい、だけど力強い眼差しで私を見つめて口を開いた。


「そもそもあなたの質問が間違っておるのう」


「え?」


「あなたの言う“強い人”は全く強くない。皆1人では何もできない人達じゃろう。1人では何もできないくせに、仲間と一緒になると強気になって何も悪くない人を傷付ける。そんなちっぽけな奴らの事を本当に強いと思うかの?」


「それは…」


「本当に強いのは、辛い思いをしても1人でぐっと耐えているあなたの方じゃよ。でも、悩みは1人で抱え込む必要はない。辛かったら両親でも兄弟でも、もちろん私でも、気の許せる人に勇気を出して打ち明けなさい。あなたの味方は必ずいるから、その人達の力を借りて山を乗り越えて、“本当に”強くて優しい大人になるのじゃ。あなたなら必ずなれると信じておるよ」


 そう言うと、おじいさんは私の肩をポンと叩いて微笑んだ。

 おじいさんの言葉がじわじわと優しく胸に染み渡り、心がスーッと軽くなった気がした。


「ありがとうございます」


 カモの集団はだいぶ下流の方に移動していてもうほとんど姿が見えなくなっていた。

 最後尾のカモはまだ集団に追いついていないけど、その後ろ姿はさっきよりも幾分たくましく見えた。





 週明けに登校した私は、思いがけない光景に目を疑った。

 いつもはたくさんの友達と群れているめぐちゃんが、1人で黙って着席している。

 後から聞こえてきた他の女の子達の会話によると、お誕生日会で誰かがあげたプレゼントをめぐちゃんが気に入らず文句を言ったようで、参加者全員から反感を買ったらしい。


「せっかく買ったのにひどいよね。私、めぐちゃんとはもう口きかない」


「私もー」


 つい先週までめぐちゃんを慕い、仲良く喋っていた女の子達が、今やめぐちゃんを排除し、聞こえよがしに悪口を言っている。

 女の友情ってなんて脆いんだろう。

 こんな結末が待っていたなら、参加しなくて本当に良かった。


「あ、亜矢ちゃん」


 先週私をお誕生日会に誘った女の子がまた声を掛けてきた。


「私達、めぐちゃんからひどい事されたから、もうめぐちゃんと口きかない事にしたの。亜矢ちゃんも口きかない方がいいよ。よかったら私達のグループにおいでよ」


 なんて都合の良い事を言う人なんだろうか。私はめぐちゃんを許した訳ではないけど、今となっては1人ぼっちにされためぐちゃんの方に同情心が傾いている。

 おじいさんの言葉は本当だった。この人達もめぐちゃんも、集団じゃないと何もできない、1人の人間としては本当にちっぽけな人ばかりだ。


「グループは自分で選ぶから大丈夫。ご親切にどうも」


 女の子の表情が強張ったけど、私は何事もなかったかのように次の授業の準備を始めた。

 今度は私が悪口のターゲットにされてしまうかもしれない。

 でも大丈夫。私には信頼できる家族も、そしてあの優しいおじいさんもいる。

 今は誰にも負ける気がしない。




 *




 自然豊かな住宅地のはずれに建っている、木造のどこか温かみのこもった小部屋には、今日も多くの来客が訪れる。


「亜矢先生、やっぱり学校に行きたくないです。どうして強い人は弱い者いじめをするんですか」


 どこかで聞いた事のある台詞だと思ったら、20年前に私があのおじいさんに質問した言葉だった。


「あなたは弱くない。本当に強いのは、どんなに辛くても決して人を傷つけず、精一杯生きているあなたです。でも、悩みは1人で抱え込んだらいけません。辛かったら勇気を出して周りの人に打ち明けてください。必ずあなたの味方になってくれます。もちろん私もあなたの味方です。何かあったらいつでも話しに来てください。私はいつでもここで待っていますよ」


 女の子の小さな手を両手で握りしめると、彼女は瞳を潤わせながらもちょっぴり笑顔になった。


 中学受験をして私立の女子中学校に進学した私は、その後めぐちゃんとは一度も会っていない。

 噂によると、中学生になってから年上の不良グループとつるむようになり、学校にもほとんど来なくなってしまったらしい。

 あの時はめぐちゃんの言葉にとても傷付いたけど、あの出来事のお陰でおじいさんと出会え、おじいさんの言葉に救われ、自分も人を救う仕事に就きたいと思うようになって夢を実現する事ができ、今となってはめぐちゃんに感謝している。


 おじいさんと会ったのもあの一度きりだけど、私はおじいさんに出会えたお陰でモヤモヤした世界から抜け出す事ができた。

 今度は私が、世の中の悩みを抱えている人達を1人でも多く助けたい。

 おじいさんから教えてもらった大切な言葉をたくさんの人に伝えていきたい。

 その強い想いを抱きながら、今日もドアがノックされるのを待っている。


 コンコンコン…


「どうぞ、お入りください」





 fin.


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