「しあわせ、でしたか?」

やえなずな

しあわせ、でしたか?

「やっほ、元気してる?」

 こくん、そう縦に振られた頭は自分の胸元の高さまでしかない。

「なんとかやってる、会うの久々だね」

 ふにゃんと顔をほころばせた彼女を思わず撫でたのはいつものこと。

「そりゃあ、今日は約束の日、だから」

 そう言った私はうまく笑えていただろうか。

 どちらかがある日言い出したのだ。この狭い箱庭で、ふたりぼっちの秘密基地の中で。地獄のような日常から逃げ出したい、だなんて。避けることのできないナイフが心を突き刺して離さないから。檻の中で首を吊ってしまうくらいなら。自らの手で壊してしまうんだ。

 そんな夢物語。叶うはずのない、叶えてはいけない、ちいさな設計図。

 でも、そんな夢物語を叶えるために私は今日、ここにいる。

「うんそうだね、そうだったね」

 彼女の声はまるで、自分に言い聞かせているような気もした。

「さぁ、いこっか」

 手を伸ばしたのは、私の方。でもその手をつかんだのは紛れもなく彼女。だから私たちは〝同罪〟なのだ。





「ついた」

「ついたね」

「教科書で見た時よりすごくきれい」

 横の彼女は私の手を強く握ったままそう笑った。

「……教科書とか、やなこと思い出すんじゃないの?」

「…………そんなこというから思い出しちゃった、ばか」

 一面に広がる海。この夢物語をデザインし始めた時から、ここには絶対来ると決めていた。世界と世界を繋ぐ、広い広い大きな水たまり。

「……ここは最後にしよっか」

「ん、その予定」

 ぼろぼろになった一冊のノート、ずっと計画してた夢物語の設計図。それで予定していた通り、海に一度背を向ける。目指す最初の目的地は海辺にあるごく普通の小さな水族館だ。

「さすがに知り合いはいない……よね?」

 くっ、とつま先立ちしてあたりを見渡す彼女。こんな遠くまで逃げてきたのにまだ忘れきれないなんて。そんなとこも彼女らしいけど。

「いるわけないでしょ、こんなド平日の真昼間、田舎町に」

 くしゃりともう一度頭を撫でてやる。

「まぁそうだと信じたいけどさぁ」

 納得いかないといった様子の彼女。そんなとこがかわいくてほっとけないなって思う。

その時ふと視界に入った一組の家族。お父さんとお母さんと、小学生くらいの娘さんの三人家族。にこにこ笑って目の前を通り過ぎていく。

「……家族ってあんな感じだったのかな」

 ほぼ無意識でしかなかった一言。口の端からぽつんとこぼれ落ちた。

「なに、自虐?」

 斜め下からじっとりとした視線を感じる。

「ううん、ただの憧れってやつだよ」

 檻の中から、逃げきれないのは私も一緒か。

「さ、女子高校生らしく楽しもう?」

「……ん、たしかに」

 ふにゃんともう一度彼女に笑顔が戻ったのをみて、私も顔の力を抜いた。






「楽しかった」

「ん、わたしも」

 お日様が沈みかけたオレンジ色の夕方。くん、と軽く伸びをして今日一日を振り返る。ずっと二人で温めてデザインし続けた夢物語の設計図片手に、一日遊びつくした。それこそ、昨日のことも、明日のこともぜんぶ、ぜんぶ忘れちゃうくらいに。

「プリクラ、初めてだった」

「私も水族館なんて初めて行ったよ」

 それぞれの初めましてに、顔を見合わせてくすくす笑う。

「水族館、小さいころいったなぁ」

「ちょっと前に学校帰りにプリクラ撮ったわ」

 お互いの普通の物差しの違いにまた一通り笑って、設計図の最後のページを見た。

「これで、最後」

 心なしか彼女の声は震えている。

「ん、こわいの?」

 目の前に広がるのは一面の青。季節外れなこともあって視界に人は全くいない。

「………怖くないって言ったらうそになるけど」

 ぎゅっと手を強く握られた。

「いつもの普通に戻る方が何倍も怖いから、いいの」

 最後にみた彼女の顔は見慣れた満面の笑みだった。

「確かに、そうだね」

 全部、この時のために決めていたのだ。往復切符のほうがお得なのに、片道切符を買ったことも、ド平日でほんとは学校があるのにここにいることも、砂浜から海に伸びる足跡が一方通行なのも、ぜんぶぜんぶ。





 だけどこれもきっと、青春の一ページなのだと思うから後悔はないよ。

 願わくば、来世はこんな一日が普通で、また彼女と笑いあえたらな、なんて。


 つないだ手を固く握りなおして、青の中へ足を踏み入れていった。

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「しあわせ、でしたか?」 やえなずな @poriporiparin

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