5 彼女との外出

 あれから毎日一回ずつ、オリビアと通信しようとリングで呼びかけた。応答は全くなく、毎日ため息をつきながら過ごした。一回に留めているのは彼女にしつこいと思われたくないからで、本当なら何度も呼びかけたいのだが。

 出発から一週間、ドニが家に帰ってきた。彼の後ろをスーツケースがいくつも自動追跡してつき従う。赤、青、黒。大小のスーツケースが彼についてくる様はカルガモの雛のようだった。三階からその様子を見下ろしていると、ドニは裏口から家に入り、ドアが閉まった。しばらくして、彼はきちんとした服に着替えてからおれの部屋にやってきた。両親にはその前に挨拶を済ませたのだという。

「あの二人は立ち直れそうですよ。聡一郎様のお陰です」

「本当に? でも、ドニのほうが活躍したよ。おれは家にいただけだ」

 おれの言葉にドニは微笑み、それから手に持っていた小さな紙箱を差し出した。

「この間、おっしゃっていましたよね」

 開くと、中身は銃弾の小箱がいくつか入っていた。おれは申し訳ない気持ちになりながら、「悪いな」と言った。新大陸では銃弾を手に入れるのに許可証がいるのだ。当然ながら十五歳のおれはそれを持っていない。ドニも、成人しているとはいえ旧大陸人だから新大陸で銃弾を手に入れることはできない。だから、彼は旧大陸で買い、こっそりと新大陸に持ち込むのだ。

「聡一郎様が銃を撃つのは、どうしてでしょうか」

 ドニは訊いた。彼の表情には厳しいものなどどこにもなかった。彼がおれに厳しくすることなど一度もなかったのに、おれは彼の顔を窺って、彼が微笑んでいるのを確認してからやっと安心して答えた。

「怒り、かな」

「怒り、ですか」

 ドニは真顔でうなずいた。おかしなことを言っているとは思われていないことに安堵し、おれは続けた。

「何なのかわからない。おれは怒りがずっと消えないんだ。ずっとずっと、色んなものに怒りを抱いてる。どうすれば消えるのか、わからない」

 今も怒りはうずいていた。不思議と、オリビアと話しているときは消えていた。怒りを忘れるくらい夢中で話していたのもあるが、彼女は何か特別な感じがした。

「聡一郎様の怒り、わかる気がしますよ」

 ドニが言った。彼は相変わらず微笑んでいるのに、一瞬、何か暗い気配がした。

「理不尽に晒されると、人は怒りに取り憑かれるものです」

 ドニは、そんな気配などなかったように、にっこり笑う。おれは何か手品を見せられて何もわからなかったような気分になる。

 そのとき、リングが鳴った。おれははっとして手首を目の前にかざし、そこからオリビアがミニチュアの上半身を見せているのを確認した。体中の血液が一気に駆けめぐったような、興奮があった。

「こんにちは」

 オリビアは独特の低い声で声をかけた。おれはうなずき、こんにちは、と返す。

「どこか連れて行ってくれない? 口実がないと家を出られなくて」

 オリビアはため息混じりにそう言った。おれは出かける口実にしか過ぎないようだが、それでも充分嬉しくて、一も二もなくうなずいた。

「すぐ行くよ。家はどこ?」

「地図を送るわ」

 そう言っている間に、おれのリングが小さく鳴った。地図の情報が入ったらしい。彼女の家を教えてもらったのが嬉しくて、口元が笑ってしまう。

「オートバイクで行くよ。君は持ってる? オートバイク」

「そんなもの、持たないわ。後ろに乗せてよ」

「わかった。じゃあ、待ってて」

 通信は切れた。おれは嬉しくて仕方がなくて、口元が緩むのをどうにもできない。

「新しいお友達ですか?」

 声がして、おれはようやくドニが部屋にいたことを思い出した。ドニは微笑んでいた。

「そう、そうなんだ。オリビアといって、すごくきれいな子で」

「恋人ですか?」

「違うよ! まだ一回しか会ってない」

 うろたえるおれに、ドニは笑った。

「関係はどうあれ、恋をしているとしか思えませんよ、聡一郎様。よかったですね」

「ありがとう」

 ふと、ドニのかつての恋人はどんな人だったのだろうと考えた。ドニなら、寄ってくる相手の中から選ぶくらいだっただろう。でも、今の彼は母の愛人で、そんなことを質問するのは残酷だろうと思った。

 ふと、「恋」と彼はつぶやいた。それから「美しい響きですね」と微笑んだ。


     *


 オートバイクをリングで呼ぶと、庭の隅にある車庫のシャッターが開き、ダークグレーの大きな二輪車がとろとろと家の車寄せまでやってきた。おれはそれに乗り、アクセルを踏んだ。フアンを連れた母が、おれを見ていた。視線を振り切るように、森のようになった庭を走り抜け、木陰を通り過ぎた。

 車道に出て、オートバイクを走らせる。夏の生ぬるい風が汗ばんだ体を冷やし、強い日差しが肌をじりじりと焼く。おれはリングの案内に従いながら、オリビアの家に向かった。オリビアの家は、森の中にあるようだった。庭に手入れされた森のようなものを作ることはあっても、広大な本当の森の中に住むというのは珍しい。メインストリートを外れ、細い道に入り、街から離れた森の中にどんどん入っていく。夏の森は爽やかで、涼しい。それにとても静かだ。人間がいない場所というのはこんなにも心穏やかになれる。木の種類は様々で、道路に落ちている葉も色々な形だ。飛び出した草も不思議な色合いをし、醜く枯れていてもそのままだった。街の中なら刈り取られてしまうものも、本当の森では手出しされていなかった。何だか好ましく、おれは楽しかった。

 森の道は長かった。このままどこにも行けないような気がして、一瞬、オリビアが嘘をついたのではないかと疑った。おれをからかっているのかもしれない、と思うと、とても悲しかった。ヘルメットの中の汗ばんだ頭が気持ち悪く、自信がなくなってくる。このまま道に迷うのかもしれない。

 そう思ったときだった。リングが光り、「この先を右です」と言葉を発した。バイクを停めて見れば、手入れがされた道が右に伸びていて、ほっとしてそこに入った。しばらく行くと、ツタが巻きついた低い鉄の門があり、おれはその前にバイクを停めた。庭の中はハーブ園で、色も形も様々な植物が好き勝手に伸びている。小道がその奥に続き、その先にはこぢんまりしたカントリー調の家が建っている。

 オリビアの母は新大陸人だと、あのあと聞いた。父親は旧大陸人だとも。ここは恐らく新大陸人の母の家だが、それらしい感じがしなかった。新大陸人は、もう少しこぎれいで大きな家に住みたがる。

「オリビア?」

 通信で呼びかけると、彼女がすぐに応答した。

「遠かったでしょ? 悪かったわね。今すぐ行くわ」

 リングから飛び出した彼女の顔は、晴れ晴れと楽しそうだ。その数十秒後に彼女はドアから飛び出した。おれを見て、とても嬉しそうに走り寄ろうとする。

「待ちなさい!」

 突然、どこからか鋭い声がした。オリビアが固まり、後ろを振り向く。誰かと話している。言い合いをしているようだ。

「友達と遊びに行くの。いいじゃない、それくらい」

「新大陸人の男の子と? ろくなことにならないわよ」

 オリビアがじりじりと出てくるのにつれ、もう一人が姿を見せた。彼女の母親だろう。金髪を一つに結った地味な女性だ。驚いたことに、年相応の外見をしていた。つまり、おれの母のように血を入れ替えていないのだろう。オリビアに似て美しいが、化粧っ気のない顔は異質な気もした。多分それは新大陸的な感覚なのだろうが。

「パーティーに行くように言ったのはそっちでしょ? そこで知り合ったのよ」

「それはサイードが大人しい子で、呼ばれるのも環境工学に興味のある子ばかりだと聞いたから。男の子と友達になるなんて思ってなかったのよ」

「何よそれ。わたしは友達を自分で選ぶわ。それくらい自由よ!」

 オリビアが走り出した。待ちなさい、と彼女の母親が追ってくる。オリビアは門の扉をリングの認証システムで開くと、おれの元にやってきた。

「早く行きましょ。急いで!」

 オリビアはおれの手を引いてバイクに向かう。

「でも、お母さんの許可を得たほうがいいよ」

「許可を求めて許してくれる相手ならね。そうじゃないから急いでるの」

 母親は息を荒くしながら追いついてしまった。オリビアは抵抗をやめ、ひざに手を置いて息をつく自分の母親に向き直る。

「いいでしょ? 行っても」

 母親は息を整え、彼女の言葉を無視しておれを見た。

「あなた、見覚えがあるわね」

「……宮岸聡一郎といいます」

「ああ」彼女は自分のリングを見た。「この不便なリングの開発会社の御曹司ね」

 不便、という言葉に意外な感じがした。でも、それはわかる気がする。このリングをつけることは強制で、自分のバイオリズムから通信記録、ウェブ上の検索記録まで全ての情報を世界政府に送りつける羽目になるからだ。

「問題のある友達がいるようね。シルヴァーノ・ザニーニ?」

 よく知っている。おれはうなずいた。

「あの子が継ぐという親の会社も悪趣味な事業をやっているわよね。『ザ・フリーク・ショー』。わたし、あのサイト、大嫌いなの」

「シルとおれは別の人間です」

 おれの言葉に、母親は腕を組んで唇を結ぶ。

「おれは、……シルのやり方は駄目だってわかってるし」

「なら、わたしの娘をいきなりレイプしたりしないわけね」

 おれはうなずいた。それは、シルヴァーノが旧大陸人にしてきたことだった。彼は旧大陸人の女を、自由にするのが好きだった。

「ねえ、いい加減にして。わたし、出かけるわ」

 苛立ったオリビアが口を挟んだ。彼女の母親はじっと彼女を見つめ、「いいわよ。行ってらっしゃい」と言った。おれとオリビアは、驚いた顔を突き合わせ、バイクに向かった。おれとオリビアがバイクに乗るのを見届けると、彼女の母親は門の中に入っていった。

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