それがぼくらのアドレセンス
酒田青
steel gray
1 幼年期
殺風景な石ころの内部で燦然と輝く鉱物。思い出とはぼくにとってそういうものだ。光を当てて覗き込んだ瞬間しか見えないが、それは確かにそこにある。
*
ルイは粘土を叩きつけるようにこねた。何年も人の手によって触られ、手垢の色に完全に染まった粘土は、湿った音を立てながらコンクリートの床の上で乱暴に形を変えられる。ルイの口からはあはあと荒い息が漏れ、ぼくとケネスは嫌な予感がして顔を見合わせた。
粘土は茶色く、泥のようだった。異臭までして、ぼくは触りたくもなかったが、ルイは違った。懸命に何かを作っていた。ルイの創造物は、完全な立方体に見えるキューブや、三角柱、三角錐、そして球体だった。彼はそういった幾何学的な形しか作らなかった。もしかしたら、彼は動物や植物を見たことがなかったのかもしれない。
今だってぼくは動物や植物を見たことがない。映像や画像をデータベースから呼び出して、鑑賞するくらいのものだ。ぼくはそれらを見て、渇望した。ほしくてほしくて、仕方がなかった。あのころ、ぼくにはルイにそれを教えてあげるという発想がなかった。ルイに見せたらどうなっただろう。今思うと、期待と恐れがないまぜになる。ルイは頭がよく、粘着質なまでの探求心があった。きっとぼくとは全く違う感想を抱いただろう。興奮しやすい性質もあり、彼に自然物を見せたりなどしたら、息を切らして医務室送りになってしまうのではないだろうか、とも思う。
ぼくとケネスが顔を見合わせたまま、数秒が経っていた。ルイが「できた」とつぶやき、ぼくらを挑戦的な目で見た。ぼくはこの目が好きだった。ルイの灰色の瞳は、濃すぎるくらいの黒い睫毛に囲まれ、「王様はぼくだ」と常に主張していた。ぼくはまだフランス王国というものを知らず、のちに何人ものルイという王様が一つの国を統治していたことなどを読んで冗談だろうと思ったくらいなものだったから、ルイがいつだってぼくらの王様なのは、この激しい炎のような目のためだとただ思っていた。
「ケネス、答えろ。これは何だ?」
ルイは強い口調でぼくの隣の赤毛の少年に訊いた。彼は真っ白な肌をしていた。もっとも、デイケアセンターに預けられている子供たちは、皆揃って青白かったけれど。ケネスは青ざめていて、ルイの気分を損ねたくないあまりに考えすぎて混乱していた。
ルイの手元にあるのは球体だった。彼はそれをいつだって何も言わずに作っていたはずだ。これが何か? ぼくはケネスの横でひたすら考える。
「……ボール」
「ばっかだなあ!」
ケネスの自信なさげな小さな声を聞くと、ルイは大声で罵倒した。ケネスは呆然としてルイを見つめ、ついにはじわじわと目を潤ませる。わざとらしいほどの大きなため息をつき、ルイはぼくに目を移した。にんまり笑っている。ぼくは体を強張らせる。
「トウジ。これは何だ? お前なら、わかるよな」
ぼくは口元に丸めた人差し指を当て、考えた。ルイは笑ったままだ。ケネスは上目遣いにぼくを見つめる。期待している。ぼくが失敗するのを。
「地球」
「やっぱりね!」
ぼくの答えに、ルイが手を叩いて大喜びした。ぼくは正解したことが嬉しくて、喜びが体の中で爆発しているのを感じる。でも、それを出さないのはケネスのためで、ぼくは仲間の心をできるだけ傷つけたくないから、唇を結んでそれを抑えた。
「これは地球だ。地球が丸いってことは知ってるよな、ケネス?」
「も、もちろん……」
ケネスが遅れを取り戻そうと、必死にうなずく。
「実際は少しだけ洋梨型なんだ。だからこれも、少しだけ下膨れだ」
ケネスは何度もうなずいた。彼の細工した部分が全てわかるとでも言うかのように。ルイは微笑んだ。それから立ち上がり、よいしょとばかりに大作の「地球」を持ち上げた。体に力を入れ、小さな足を踏ん張り――地面に叩きつけた。どん、どん、どん、と何度も地面に落とし、「地球」はもう球体どころか多面体の何かでしかなく、それすら崩れてわけのわからない形になっていく。ぼくとケネスはぽかんとそれを見つめている。ケネスなどはあまりにも意味不明だからか怯えてさえいる。
「こうやるんだ」ルイは悪魔的に笑った。「こうやって、世界を再構築する」
子供たちの集団の中から、教師が走り寄ってきた。ちびのリリーがそのあとをついてくる。教師を見ると、ルイは顔をしかめ、リリーを見た。すでに呼吸は危険な域に達したと思われるほど、荒くなっている。
「やめなさい! ルイ、あなた自分の心臓を壊したいの?」
教師はヒステリックにわめいた。黒々とした隈を眼球に被せるようにして目を閉じ、ルイは教師に体を預け、しゃがみ込んだままうなずいた。
「そうだよ。こんな体、もういらない」
「何を言ってるの」
「新しい心臓がほしいんだ」
教師は言葉に詰まったように持っているルイの薬を探し始める。リリーはじっとそれを見つめていた。それに気づいたケネスが「見るな」と彼女を突き飛ばす。彼女は尻餅をつく。教師が咎めるが、ルイにかかずりあっているせいで、じわじわと泣き始めたリリーを助け起こす気配はない。
「トウジ、リリーを起こしてやれ」
ルイは興味深そうにリリーを見つめながら、ぼくに命じた。ぼくはリリーのべたべたと湿った手を握って立たせてやる。彼女はぼくのことなど見ない。ルイだけを見ている。
「ぼくの心臓のことを気遣っているのか」
ルイの問いに、リリーはたじろぎつつもうなずいた。教師はルイの口元に錠剤を押しつける。ルイはうるさそうにしながら口を開き、荒い呼吸をしながら飲み込んだ。
「あとでぼくのところに来い。お前に言いたいことがある」
医務室に運ばれる彼を、リリーはじっと目で追い続けた。指先で三つ編みの先をくるくると回しながら。
*
いつまで経っても来ないリリーにしびれを切らしたルイに言われ、ぼくとケネスは一人ぼっちで絵を描いている彼女の元に行った。ひびの入ったタブレットに描かれた絵は、真っ青だった。デイケアセンターの薄暗い部屋は子供たちでひしめいていたが、リリーの周りには誰もいない。
「へたくそ」
ケネスが早速彼女を罵倒した。リリーの浅黒い顔にはさっと赤みが差し、彼女は唇をぎゅっと閉じてぼくらと口を利くまいとしていた。
「リリー、ルイのところに行こう。呼んでるから」
ぼくが乗り気ではないことをアピールしながら言うと、彼女はぼくをじっと見た。
「どういう用事?」
「わからない。ただルイが……」
「行かない」
「どうして? だってルイが……」
リリーはぼくに向き直った。怒りのこもった目だった。
「ルイの話ばっかり! あんたたちには自分の意志というものがないの?」
ぼくはたじたじになって後ずさりをした。そこにケネスがぐいっと体を乗り出し、リリーの手を思い切り掴んだ。リリーが悲鳴を上げる。
「やめてよ。先生! ケネスがわたしに乱暴する!」
部屋にいる子供たちは、無関心にリリーを見ていた。ぞっとするほど、興味がなさそうだった。そもそも教師は数が足りず、いつだってぼくらは放置されていた。
「先生はルイのところじゃないのか。リリー、来いよ。チクりに」
ケネスが言うと、リリーは暴れた。
「わたしいつもチクってないもん! 放して!」
ぼくはまたもや悩んだが、仕方ない、と諦め、リリーのもう片方の手を掴んだ。そのままケネスと二人で部屋から引きずり出す。リリーの金切り声が耳元で響くのは気持ちのいいものではない。ぼくはうんざりと「任務」を遂行した。
ルイは薄汚れた医務室の非衛生的なベッドの上で目を閉じていた。連れて来たよ、と言うと、こっちへ、と手を差し向ける。リリーは嫌がりながらルイに叫んだ。
「あんたなんて人間じゃない! いつだって王様みたいに偉そうにしてて。わたしはあんたのことなんてどうでもいいんだから!」
「ふうん。そう来るか」
ルイが目を開いた。灰色の、虹彩がはっきり見える目。
「果たして人間って何なんだろうね。ぼくはわからないよ。それを簡単に定義できる連中は脳が腐ってるとしか思えないね」
彼はリリーの手を絡め取った。リリーは突然動かなくなった。体の弱い彼に負担をかけまいという優しさから来る動作なのは明らかだった。彼はリリーの背中に手を回し、浅黒い手の甲に、口づけた。リリーが突然彼から体を離した。顔を赤らめている。
「お前をぼくの王妃にしよう、リリー」
ルイは愛おしむように微笑んだ。
「お前はぼくを一番心配してくれる。お前はぼくの行動をよく見ている。お前が一人ぼっちでも、本当のお前はいつもぼくと共にある」
どういうことだ? ぼくはケネスを見た。彼はぽかんとして二人を見つめていた。ぼくも似たような気分だと思う。五歳のぼくらにとって、目の前の光景は意味不明だった。ルイがぼくたちを見る。呆れたように。
「リリーはぼくの王妃だと言っているだろう。つまりお前たちはリリーを大切にしなければならない。リリーを痛めつけていいのはぼくだけ、リリーと共に生きるのもぼくだけだ」
ケネスがびくっと体を揺らした。ルイは明らかにケネスに言っていた。
「わかったかい? リリー」
ルイが彼女を見つめると、リリーは恥じらうように顔を隠し、身を翻してぱたぱたと逃げて行った。仔兎みたいに。
ケネスは納得がいかないかのように上半身を強張らせていた。ぼくはというと、王妃リリーという大きな謎が一旦駆け去ったのでほっと一息ついていた。
ルイは満足げに目を閉じ、口元だけは微笑んでいた。
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