第3話

「いやいや狂ってないって、まだまだ正常」

 ビルから離れ郊外へ移動した後フウカが言った。

 瓦礫と塵の中間といった物体が積もる丘が、なだらかな曲線を作っていた。映獣ヴィジョンビーストが餌場を求めるように集っている。こちらには気が付いていない。曇天に紛れてる黒い塊があった。<くらやみ>が津波のように遠くで移動しているのだ。

映獣ヴィジョンビーストが多い……ここからじゃ危険かも……」

 私しは瓦礫の影に隠れて、フウカに話しかけた。

「ヴィジョンビーストってあのAR映像のこと? ただのゲームのデータが残っているだけだろ?」

「ただの映像でも私たちにとって危険なの」

 私たちはARゲームのやられ役だった。様々な規格に対応するように映像だろうと見た通りのダメージを受ける。存在しないものに大きく反応する。故にパントマイムドール。全然黙劇じゃないけど。

「そんなら、その部分だけ設定を変えれば」いきなり私の首の後ろの蓋を開き、コードを刺してきた。「いやだめだな。存在理由に関わっているから、変えると自我を失う可能性がある」

「こわっ、なにそれ本当にやめて」

「だからやめただろ。しかしじゃあそのまま走っていくしかないわけか……」

 フウカはこの方向へまっすぐ走っていくアルを見たそうだ。本来なら<くらやみ>の中へ入ったらどうにもならない。本来なら。

 先ほど彼女が説明してくれた<くらやみ>の原理を思い出す。

『昔々、まだ世界が終わってなかったころ。人々は空中に絵を描いた。人工知能に書かせたりもした。皆が皆、絵を描き始める。それでも生活ができないほど、絵で溢れかえったりはしない。皆、絵をレイヤーで分けて描いていたからだ。同じ場所にも何度も描けた。しかしそんなある日、レイヤーの管理AIに障害が生まれる。ミスで出来たという人もいるし、サイバーテロだって言う人もいる。そこで何兆ものレイヤーが非表示にされなくなり、世界は絵で溢れかえった。そんな天文学的な数の絵が重なり合ったそれは絵とは呼べない。ただの黒い塊だった。それを皆は<くらやみ>と呼んだ』

 そんな子供に説明するように言わなくても『AR映像の障害』って説明してくれればいいのに。

「それで<くらやみ>を管理しているAIをハッキングすれば、晴らすことはできないが、一時的に混乱させることができる。視界がゼロにはならない」

「その隙に私がアルを見つけて連れ戻す」

「そう。しかしいいのか?」フウカが顔を覗き込んできた。

「何が?」

「彼女は走っていったんだ。もしかしたら連れ戻されるのは望んでいないのかもしれない。ある種の自殺かもね」

「……それは……連れ戻した後決める……話を聞いて、場合によったらアルの願いをかなえる」

「そうかい。じゃあ合図をしたら向かってくれ」

「わかった」


 私は丘の上に立つ。映獣ヴィジョンビーストたちがこちらに気が付き向かってきた。

 遠くを見ると<くらやみ>は悠々と存在している。こんな状態でも足がすくみそうになる。しかし、恐れているばかりでは何もできない。アルがいなくなるほうが怖い。大きく息を吸った。


「さあ、走れ」


 はやる気持ちにより原子が精神より先に前に出た感触がある。遅れて私自身が――私の魂が前に出た。風を切り走り出す。

 後ろで叫ぶ声がした。

「全レイヤーを加算表示へ――光あれえええええええええ!」

 <くらやみ>が<ひかり>に変わった。


 <くらやみ>はすべてのレイヤーが乗算表示になっているので、それを一時的に加算表示にし黒を白にする。すると管理AIが順番に元に戻そうとするので、その隙に侵入するという作戦だった。映獣ヴィジョンビースト達も光に目がくらんで、こちらを見ようとしなかった。私は視覚の彩度をフウカに調整してもらっていたので大丈夫だった。素早く通り抜ける。

 白。白。白。#FFFFFF

 閃光にも見えるが、実際は白の塊だ。やがてAIが異常に気が付いたのか、ノイズが空中に走り始めた。長方形の白色がまっすぐにこちらに向かっくる。私は光に包まれた。

 暗闇に包まれるよりは恐怖はない。何もないがそこにある。

 『光あれ』の次は昼と夜が出来て、その後水ができる。

 洪水が迫りくる。私はベネツィアの地面に降り立ち、建物の中に入って、水をしのいだ。ふう、と安心していると、建物の中は雪国だった。列車がそばを通っている。私はそこに並走した。しばらく走ると、民家が見える。そこでは山のような大きな怪獣が暴れまわっていた。

『いいか。<くらやみ>ってのは何万もの映像が重なり合ってできている。だから中に入った状態で解体しようとすると、様々な立体映像が流れてくる。それらに惑わされるな。だが君は黙劇人形パントマイムドールだ。映像に襲われると傷を負う。注意しろ!』

 二足歩行で歩く象のようなものがこちらに向かって手を伸ばしてきた。

『危ない! カラーレイヤーを不可視化する!』

 フウカの声と共に、怪獣はワイヤーフレームで作られた線画状態となった。私はその隙間を縫う。しかし、地面に色が消えたことにより、奈落へ落ちることとなる。

「うわああああああ! うっ!」

 思ったよりは高くなかったものの下レイヤーの地面に激突した。視界が#0000FFブルースクリーンに染まっている。そろそろ展開についていけなくなる。それでも何とか立ち上がり、何もない空間を走り出す。すぐに次のレイヤーにたどり着いた。

 そこでは同じ種類のレイヤーが平たく重なっていた。紀元前のローマ帝国を模した、スチームパンクな世界。20世紀の中国でシンギュラリティが起こったらというIFの歴史の世界。宇宙をまたにかける出版社のスペースオペラの世界。

 ストロボのように風景が変わり、季節も移り変わっていく。花と銃声が入り乱れ、昼と夜が点滅した。地獄と現世の境界がなくなり、地上に死者があふれかえる。ゾンビたちは群がって、増え続け木星軌道上にまで増えた。

 偶にレイヤーが欠損していて通れない道があった。

 そんな時は私の脳内に保存していた、以前描いた絵を割り込ませて橋とした。

 ふと目の前に瓦礫の上で立っているアルを見つけた。実物ではなく、記憶の中のアルだった。そばで私が泣いていて、アルはそれを慰めていた。表情はわからない。当然だ。うずくまって私は泣いていたのだから表情が見えるはずはない。

 本当に?

 見ようとしていなかっただけじゃないのか?

 いつも自分のことばかりで、アルの気持ちは考えていない。彼女は一度も泣いたことがなかった。

 くらやみが怖い怖いと何百年も同じことを繰り返していただけじゃないのか?

 アルはそれに嫌気がさして死のうとしたんじゃないのか?

 私は目を伏せて彼女たちの前を通り過ぎた。

 いくつもの死を通り過ぎ、いくつもの誕生を視界の端でとらえた。走りながらもふと思う。こうやって毎秒生まれては死んでいく彼らと私たちの違いは何なのだろうか。彼らは物語であり、私もゲームという名の物語だ。皆が人以外のものであり、人に似ているのなら、命の価値は同価値なのではないのか?

 フウカが言っていたことを思い出す。

「あたしはね、終わった物語たちに幸せを配って回ってるんだ。物語ってのは人のために作られたものだ。人が求めたなら、悲しい話も、残酷な話もあるだろう。それは仕方がないどころか、素晴らしいことでもある。でももう人はいない。じゃあいいじゃないか。すべての物語がハッピーエンドでも。そうじゃないことを求めている人間はもういない」

 もしや彼女はこの何万ものレイヤーに住む人々も、幸せにするつもりなのだろうか。なんと独善的な考えだろうか。正気の沙汰ではない。

 それでも。

 それも私たちは幸せになりたかった。

 ただやられるだけのロボットに生まれても。

 役割や存在理由が必要なくなったのだとしても。

 だから謝ろうと思う、アルに謝ろう。殴りたいのなら殴られよう。

 感情的になりすぎるのも、改めよう。数百歳にもなって子供っぽくふるまうのは控えよう。だから。

 願わくば親友に幸があらんことを。


 また視界が暗闇に閉ざされる。少女の泣き声が聞こえてきた。

 聞いたことがない泣き声。しかし、聞きなれた声ではあった。

 私はゆっくりと少女の背後に立ち、肩に手をのせた。

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乗算世界 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa

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