もうすこし、君を知りたかった

築谷 周

もうすこし、君を知りたかった

風が冷たくなってきた十月の終わり、教室の片隅でいつものメンバーとお喋りをする午後の休み時間。セーラー服と首の間に勢いよく何かがとんできた。

「痛ったぁ」

「おいお前下手すぎだろ!謝れよー」

振り返ると男子たちは輪ゴムとばしをやっていた。小学生みたいなことを未だにやるのが男子という生きものだ。そんなことでゲラゲラ笑えるなんて人生楽しそうだな、なんて皮肉を心の中でつぶやく。あたしは輪ゴムを拾って桐谷に渡した。

「ごめん!あいつに当てようと思ったらさ」

桐谷が2つ前の席を指しながらそう言った。

「わざとでしょ」

少し怒ったようにあたしは言う。

「違うって」

首を振りながら桐谷がそう言った。

「気をつけてね?」

「ごめんごめん」

桐谷の「ごめん」は軽すぎる。桐谷はしょっちゅうあたしにちょっかいをかけてくる。あたしが怒るといつも笑いながら「ごめん」と言う。本当は思ってないくせに。そう言っても、桐谷は「ごめんって」と笑う。なにがしたいのかわからない。

「男子って幼稚だよねー」

一連のやり取りを見ていたユイカがそう言った。

「ねー」


キーンコーンカーンコーン……


六時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。全員席に着いて、月に一度の席替えが始まった。この席替えで二週間後にある一泊二日の校外学習の活動班も決まる。男女三人ずつの六人班らしい。

席はくじ引きで決める。あたしは仲良しの子と同じ班になれますようにと願いながらくじを引いた。二番だ。

「スー、何番?」

あたしは友達から、苗字の菅野のスを取ってスーと呼ばれている。

「二番だよ。ユイカは?」

「十五番だー、離れちゃったね」

他の仲良しメンバーもみんな別々の班だった。荷物を持って席を移動し始める。

「スガー、二番なんだろ?俺も二番!やったな、校外学習の班同じだぜ」

桐谷がいつもの笑顔で話しかけてくる。よりによってこいつの隣の席とか……。

「そうだね」

「なんだよ、嬉しくなさそうじゃーん」

「嬉しいって」

ここでいらない事を言うとだる絡みが始まる。だから口先だけでも嬉しいと言っておく。

「イエーイ」

桐谷が片手をあげてハイタッチを求めてくる。あたしは何も持っていない方の手で桐谷の手を叩いた。バシッと音がなる。

「痛ってー!」

桐谷が大袈裟に痛がる。

「さっきのお返し」

にやりとしながらあたしはそう言った。

「ごめんって」

やっぱり桐谷のごめんは軽い。



あれから二週間が経ち、校外学習の日になった。バスで現地まで行き、班別で植物園を回り、夜はバーベキューをした。

桐谷は相変わらずだった。桐谷は友達がいない訳じゃないし、寧ろみんなと仲がいいイメージがある。そんな桐谷がなんであたしにばかり構うんだろう。やっぱりそれは分からなかった。

もう活動は全部終わって、布団を敷いて寝る準備をしている。消灯時間は過ぎているので電気は消えている。しかし、まだ十時を回ったばかりで誰も寝る気配はない。お泊まりでは定番の恋バナが始まる。誰が好きとか、彼氏の話とかをする。

「そういやスーちゃんってさ、桐谷と仲いいじゃん。ぶっちゃけ、好きなの?」

同じ班のユズがそう言った。

「そんなんじゃないよ。去年から同じクラスで、あいつが勝手にあたしに絡んでくるだけだし」

「そうは見えないけどなー?仲良しじゃーん」

ヒカリも便乗してくる。完全にあたしが話の中心になってしまった。

「付き合っちゃえば?笑」

「絶対やだ」

「スーちゃんってわかりやすいよねー」

「それな?否定しすぎだし笑」

そんなことを言われても、本当にうざい存在なんだから仕方ない。

「でもさー、桐谷って今年で転校するんでしょー?」

ヒカリがそう言った。

「そうなの?」

「なんかそんな話もあったね。桐谷、転勤族らしいし」

その話は初めて聞いた。桐谷の家が転勤族で、小五のときにこっちに引っ越してきたってのも今知った。

「まー、噂だけどねー。本当だったらスーちゃん、寂しくなるねー」

ヒカリは天然だから、本気で言っているのかからかっているのかわからない。

「ならないってば」

「遠距離恋愛もありじゃね?」

ユズが悪ノリする。

「ほんとに違うってー!ていうか、それって誰から聞い……」

「やばい、先生回ってきたよ」

ユズが小声でそう言った。あたしとヒカリも寝たフリをする。布団を被って目を閉じる。

「通り過ぎたね、って、ヒカリ?スーちゃん、ヒカリまじで寝てるんだけど笑」

「え、寝るの早すぎない?」

「それな?まぁいっか、明日も早いしユズ達も寝よっか」

「そうだね。おやすみー」

結局誰からその噂を聞きつけたのかは分からなかった。



時は流れ、学年末テストが終わり、春休みの予定をたて始める三月の初め。帰りのホームルームで、桐谷が今年いっぱいで引っ越しすると言った。突然だった。あの噂のことなんてすっかり忘れていた。

鬱陶しい存在がいなくなるんじゃん。嬉しいはずなのに、なんだか寂しいような気がした。

「ねぇ、どうして教えてくれなかったの」

みんなが部活に行ったあと、あたしは桐谷にそう質問した。あたしから話しかけたのは初めてだったかもしれない。

「言えなかった。ごめん」

桐谷はいつもの笑顔ではなく、苦笑いをしていた。桐谷の長い睫毛が下向きになる。なんと続ければいいのかわからず、沈黙が続く。

「だって、転校するって言っちゃったら、よそよそしくなるだろ」

言い訳をするように桐谷が口を開いた。こいつに似合わない小さな声だった。

「転校しても元気でね」

「まだ転校しねーよ!?」

いつものうるささが一瞬で戻った。

「ごめんごめん笑」

「そういうのは最後の日に言えよー」

「そうだね」

「じゃあまた明日な」

「うん」

放課後の橙色の教室が、いつもと違って見えた。桐谷はいつも帰るときにまた明日と声をかけてくる。それがルーティンだった。



あれからすぐに終業式の日になった。今日は桐谷は話しかけてこなかった。

「じゃあな」

「またね」

今日の最初で最後の会話だった。多分もう会うことはないんだろうな。でも、全く実感がなかった。明日も桐谷はつまらないことを隣で言っているような気がした。



学年が上がった。クラス替えがあった。当たり前だけど、どのクラスの名簿にも桐谷の名前はなかった。いなくなったのを実感した。

そういえば、引越し先も、連絡先も、誕生日も、好きな食べ物も何も知らない。

桐谷の新しい学校も今日が始業式かな。あいつはまた元気にやってるのかな。窓から桜が散るのを眺めながら、そんなことを考えていた。

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