雨子と話す前に、葵。琴梨をどうにかしろ。


 傘を片手にやってきた友人は疲れた様子で、日向を追い払った。日向はしばらく雨子と友人を交互に見やり、唇を噛み締める。


「誠実であれよ。葵」


「ああ」


 友人に頷き、日向は背を向けた。遠ざかるのが寂しいと、手を伸ばしかけて、はっとする。先ほどまで離れてほしいと願ったくせに。


 残された雨子を、友人がそっと傘の中へ入れる。足下を見れば、上履きのままだったなと今更気が付いた。


「逃げたくないのだろう」


 問いかけに、雨子は肩を揺らした。抑揚のない声は、冷静さを取り戻させるのに十分だった。深呼吸をして、手の甲で頬を拭う。


「逃げてはいけないよ」


 言い訳ばかりだった。


 自分が告白すれば上手くいく、いかない関係なく、琴梨は悲しむだろう。彼も迷惑するだろう。


 そう、言い聞かせて。逃げた。

「怖いから。彼の口から聞くのが。今に戻れなくなるから。都合の良い理由をつけて、勝手に諦める。それはあまりにも自分を甘やかしすぎではないか」


「本当に、昔から、容赦ないね」


 いっそ清々しいほど。友人ではなければ心を折れていた。彼女だから雨子もすんなり受け入れられた。雨子のことを思っての発言だから。


「今は自分を甘やかしている場合じゃないだろう。琴梨も、葵も。本気で愛するのなら、君自身が変わらなければ」


 私は、君の優柔不断なところ好きだがね。


 付け加えられた、茶目っ気たっぷりの言葉。


「平和でありたい。自分を押し殺して、意見をなくすのは止めて。逃げてはいけないよ」


「……うん。そう、だね」


 その通りだ。


「あと、早く収拾をつけてくれないと、琴梨お嬢様が鬱陶しい」


「彼女は」


「葵日向がきみを追いかけてしまったからね。錯乱状態だよ。いつだって自分を選ばれていた。初めてのことに頭が理解を拒否したようだ」


「わたしの」


「せいではないね。余計な責任を背負うのは止めなさい。背負うべきものは他にあるだろう」


 たった今逃げ出した自分が急に変われるはずもない。だが、それでも。立ち止まっているわけにもいかない。


 友人が差し出した。水色のハンカチを受け取り、もう一度足を見る。思い出すのは、貰った靴。


 ガラスの靴ではない。見つけてもらうのを夢見て、待ち続けるための靴ではない。前へ進むための、特別。


「履き替えなきゃ」


 つぶやきに、友人が笑った。

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