第2話
――八月十日。
それはまだ蝉たちが長き年月をかけ、広大で蒼き空を初めてその眼に入れたばかりのそんなころ。
人々はようやく到来した夏真っ盛りの灼熱に辟易としながらも、人によっては水を得た魚のようにはっちゃけて、狂ったように遊びに出かけていた、そんな時期。
その時の私は、すでに過ぎ去ってしまった二十日程度の夏休み前半の、四八〇時間くらいを無意味で満たしていた事実に一抹の危機感と焦燥を抱いていた。頭のてっぺんから足のつま先にまで、全身を駈け巡る怠惰で堕落的な快楽によって何もかもがどうでもよいと思っていたことに恐懼していた。それでも私はその堕落の快楽から逃れることをいまだ達成することが出来ていなかったのです。
インターネットとはとても邪悪なもので、たとい夏の辺獄のような灼熱に当てられずとも、本来ならば有り余っているわけもない高校二年の夏休みの時間を、不健全な悦楽・快楽を得ることの出来る娯楽に変換して生み出してくれるのです。それを娯楽を生み出す神の機関と呼ぶのか、それとも生物としての形を持たない悪魔と呼ぶのか、それは人によることでしょう。
ただ、インターネット・SNS、様々なゲームによって、半ば脳みそをぐじゅぐじゅに蕩けさせられた学生の私は、学生の本望たる勉学を放棄しインターネット上に無数に存在する快楽をただただ貪り享受していたのです。
ビバ、SNS。ビバ、インターネット。何かのドラマで『地球を冒険するのは遅すぎ、宇宙を旅するには早すぎた』という言葉がありましたが、煩悩、欲望、快楽の塊である低俗な私のような人間にとって、そのような高尚な懊悩なんぞを感じるほど視野が広大でないのです。それこそ、無数のインターネットという電子世界を冒険すればよかろうに、と強く思えるほど、私は電子世界を賛美したいのです。
とはいえ、二十日間程度をインターネット巡りに費やしていると、当然インターネットに存在している娯楽も尽きてくるのだ。
そんな馬鹿な事がある筈がない?
もちろん、電子世界には数多の情報やらなにやらが、数えきれないほど存在しているのは確かでしょう。しかし残念、私はインターネットネイティブの令和時代の高校生である。確かに電子世界には様々な興味深い情報で満ちているかもしれないが、私の趣味、嗜好、性質、その他諸々を満たしてくれるそれでなければ満足のいかない美食家であり凝り性であり、取捨選択をする人間なのである。
私がスマートフォンと言うものに触れたのが小学五年生の頃。覚えている限りでは中学一年の頃から、毎年、夏休みには私の食指が動くものを選らび、飽き性であるからこそすさまじい勢いでそれらを消費してきた。
それなのに、私が求む娯楽が潤沢に有り余っていると、一体どうしていえるのだろうか。
つまるところ、娯楽が不足し始めたのだ。
しかし私にはまだ友人がいる。そう思いラインで友人をゲームに誘おうとするが、この時期「よし、じゃあ遊ぼう!」などと宣う奴が令和の時代に幾ら居ると思うのか。お盆が近付き、大半の日本人が忙しくなるこんな時期に。
確かに平成序盤の、頭の悪そうな高校生たちの姿を見れば「伝統なんててくそくらえ!」と、まるで紅衛兵が如き言葉を宣いながら、暴れ、バイクにまたがり、焼酎でも引っ掛けるのだろうが、そんな遠く彼方の古の若者たちとは異なって、我々世代の高校生は、しっかり“超えてはならない一線”と言うものを引いているのである。
……とはいえ、かく言う私もお盆という行事には人生で一度も、参加した覚えなど一切ないのだが。
ああ、誤解なきように理由を述べると、地理的な距離、母の病身、父の風習、習慣への伝統的社会主義者のような関心のなさ、または私の怠惰な性質も加わっているのかもしれない。けれど確かに言えることは、今の所私にはお盆に行くか行かないかの選択の余地さえ与えられないのである。
もちろん、その現状に文句を言ったところで何があるわけでもないのだが。
この時期は、本当に大きな疎外感と空虚を覚えるのだ。
お盆に行ってきたヤツの話では、お盆と言うものはとても面倒であるらしい。親の実家が遠ければ遠い程、縁の薄い親戚縁者とのコミュニケーションも面倒だと語っていた。けれど、お盆の雰囲気さえ良く分からない私にとっては、なんなら彼らが当然のように述べる近しい年代の“親戚”なんていう存在が、私の人生の中には一度しか登場して来ないのだ。
名前なんぞ知る由もないし、その一度さえもう八年は前のことで、顔もろくに覚えてはいない。そもそも出会ったのが葬式だ、感慨なぞ覚えるべきでもない
だからこそ、親でも兄弟でも他人でも隣人でもない、特殊なその立ち位置の親戚という存在に、ほんの少しのあこがれがあるのだ。
先祖の代わりに蝉の一生でも祈ってやろうか。と少し自棄気味に、彼らの二、三週間ちょっとの短命を想像しながらベッドの上になだれ込む。
ああ、短命が過ぎるとあんなにも気味の悪い生命体にさえ、ある程度の同情心が湧いてくるものなのかと苦笑いが浮かぶ。どうせなら、東京でも大阪でも、どこでもいいからドラゴンでも降ってくれればいいのに。
そうすれば私の彩度の薄い青春も、ある程度は色気づくというのに。
嗚呼、退屈である。
けれども私は、極少量の宿題にいまだに手を付ける気力は起きなかったのである。
どこかから聞こえてきた、耳障りな振動音に目を覚ます。
目覚めて感じた頭痛と、記憶に残っている素面とは思えないテンションに気分を堕としながら大きな欠伸をした。頭痛が、いまだけたたましく鳴り響くスマートフォンの振動音のお陰でさらにひどく感じる。頭痛と寝起きで本当に不快な音だった。
スマートフォンの電源を入れると大きく「11:48」と表示される。夏休み中、時間の概念が希薄になっていたからこそ、いつ眠ってしまったのかも分からない。けれど昼前まで寝ていたという事実には驚愕し、けれどもそれ以上にすさまじい勢いで流れている通知に目を向けた。
そこでようやく、この振動音がアラームでないことに気付いた。
『どうしようもない連中』。この半年は見ることのなかった碌でもないグループ名と、その癖なぜかとんでもない勢いで通知が飛ばされる状況に、目を擦りながらも首を傾げた。
一体何があったのか。
中学校を卒業してからは数カ月に一度、遊びへの誘いが送られてくるだけだったそのグループだからこそ、余計に訝しく思ってしまう。スマホのパスワードを入力する鬱屈さ以上に、あまりの異様さに思わず何も考えずにグループを開いた。なんだか酷い口論が起こっている様だった。
それから画面をスクロールし、論争の中心に存在するメッセージを発見した。
「は?」
そうして私はものの見事に硬直し、きっと知人の誰かがそばに居れば腹を抱えて笑われるほど、間の抜けた呆け顔をしていたことだろう。
『コウタが死んだ』
ほんの数分前に、突如として清水という友人によって投下されたメッセージを見たおかげで、そんなことを気にする余裕など失せていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます