18歳に生き返る

宇間遊

〜RIVIVE TO EIGHTEEN〜

『我々フールス家の祖先は代々農家の家系であるが、1人だけ探検家の職に就いた人物がいた。彼は様々な分野の数多くの謎を解き明かし、世界の発展に大きく貢献した。しかし、彼は死ぬまでに何度もこう言った。「私は、とある数字の謎を解いたその瞬間にある悪魔に出会った。その悪魔は私に呪いをかけると言った。しかし、私は世間にその数字に関する事柄を公表しなければならなかったから、フールス家の末代がその呪いの対象になるように仕向けた。」なんとも腹立たしい先祖であるが、私たちが子を持ち続ける限り末代は存在せず、この呪いは発動しない。故に、我々フールス家は必ず結婚し、子孫を残さなければならない。』

 この文章は、豊作の地ハーヴェストで暮らすフールス家に数世紀前から伝わる書物に書かれている内容である。

 フールス家の人間は、文書の状態が悪くなると別の紙を用意し、その時代時代の言葉で書き表し受け継ぎ、呪いを逃れるために子孫を残し続けてきた。

 そして、現在17歳でハーヴェストに暮らす、カリン・フールスもこの文書の内容を幼い頃から両親に聞かされてきた。

 しかし、彼には呪いを受ける心配は全くなかった。それは、同じ地に暮らす女の子、シオン・インハートと交際中であり、カリンが18歳となる翌日に結婚予定であるからであった。

 カリンの誕生日前夜、フールス家にはカリンとその父ロイズ、母シモ、そしてシオンが夕食を共にしていた。

「カリンもいよいよ明日で結婚か!これで子を産めば呪いも逃れられるってもんだ!」

 ロイズが酒が回り大きくなった声で状況を語る。

 その横で、シモは涙をハンカチで拭っている。

「ええ、ええ。それに、こんなにかわいいお嫁さんを迎えられてお母さん涙が止まらないわ。」

「か、かわいいだなんて、カリンと結婚できる私の方がありがたいですよ。」

 シモの背中をさすりながら、彼女に語りかけたのはシオンであった。

「シオン、いいよ。父さんと母さんがうるさいだけなんだから。それより、もうそろそろ帰らないとおじさん、おばさんが心配するぞ。送ってくから帰ろう。」

「そうだね。じゃあ、お父さん、お母さんご馳走様でした。また明日、教会で。」

 シオンは挨拶を済ませると、先に外に出たカリンを追った。

 周りには畑ばかりで民家は少なく、夜になると僅かなガス灯の真下以外は真っ暗であった。

 彼女を待つようにゆっくりと歩くカリンに追いつく。

「なあ、本当に結婚する相手が俺でいいのか?」

 ふと、真っ直ぐと前を見つめたままのカリンが聞く。

「また、そーゆーこと言う。『で』いいんじゃなくて、『が』いいの!」

「そ、そうか。あ、明日は久々にリアト達にも会うな。何を話したらいいだろうか。」

 カリンが人差し指で頬を掻き、夜空に浮かぶ月を見上げながら聞いた。

 しかし、返事がなかなか来ない。シノンの方へ不思議そうな視線を送るカリンに彼女が気づく。

「あ、ごめんね。ちょっと考え事しちゃって……もし、カリンがどこか遠くに行っちゃったらどうしようと思って…」

 彼女は、歩く1歩先を見つめて言う。

「なんだよそれ。俺はどこにも行かないよ。これまでも今もこれからもずっと君の隣にいる。」

 カリンが彼女の心配を拭えるようにきちんと言葉にして伝えた。

 そして、その言葉の真意を確かめるように、月夜が照らす道の上で甘いキスを交わした。

 大人びた彼女の洋服が、その風に揺れる。

「あ、もう家の前だね。今日はありがとうね。明日、人生でいちばんの日にしようね。帰り道、この頃盗賊に襲われる事件があるみたいだから気をつけてね。お、おやすみ!」

 シオンが早口で喋り、別れの挨拶をした。

彼女の勢いに困惑したカリンは、中途半端に手を上げ返事をする。

「あ、ああ。お、おやすみ…」

 それを聞いたシオンは早足で家の中へと入って行ってしまった。暗い中でもわかるほど彼女の顔は赤面していた。


 元来た道を戻り、カリンは自分の家に帰った。家では、ロイズがテーブルに突っ伏し寝ており、シモは夕食の片付けをしていた。

「ただいま。明日も準備やらで早いからもう寝るよ。」

「おかえり、明日は晴れ舞台だものね。新郎が冴えない顔してたら情けないわ。そうしなさい。」

 カリンは短い会話を済ませ、2階の寝室へと向かった。

 彼は部屋に入るなりベッドの上で仰向けとなり、大きな人生の節目を前に、自身の半生を思い出しながら就寝した。


 しかし、日を超える直前。彼は同室で自分以外の存在の気配を感じ、目が覚めた。

 その気配の正体は、彼の部屋の真ん中にあった。

 カリンはぼやけた視界でそれを捉え、知識外のその存在に驚愕して固まってしまった。そこには、人とも獣とも形容しがたい何かがいる。

 周りには黒い煙のようなものが取り巻き、その中で少し背の高い何かのシルエットが見える。

 そして、その認識しづらい存在のおかげで、確かに見ることのできる黒い炎の並びがそれの真上にあった。

 その物体の羅列の中心と思しき場所では、3つの数字の6の字を形取っている。そして、その左右にいくつもの0の形状の黒煙が立ち並ぶ。

 静かな彼の部屋には響くはずの壁の時計の針音が、今は聞こえない。その時計に目をやると秒針も長針も全く動かずに止まっている。

 カリンは良識外のこの状況を夢だとも思ったが、目の前の謎な存在の気味悪さや発光体の眩しさがそうではないと根拠付けていた。

「よぉ、フールス家の末代よ。我は呪いをかけに来た。」

 唐突にその存在が喋り出した。不確かな存在とは裏腹にその声ははっきりとしている。

「は…呪い?それに末代?俺はこれから結婚して子を授かるんだ。俺が末代に当たるはずないじゃないか。」

 カリンは、相手の声の明解さから、少し落ち着きを取り戻した。そして、相手方の言葉の異変を指摘した。

「否、我は正しきことしか言わぬ。そこの窓から玄関の方を見てみよ。」

 真っ直ぐとカリンを見つめながら謎の存在が言った。

 カリンは恐る恐るベッドから降り、目の前の存在と距離を取りながら開いている窓から顔を出し、玄関の方を見た。

 そこでらローブを被り、錆びれた剣や農具などを持った汚らしい男達が十数人。その全員が家の方を向いて静止している。

 彼は人目見てその集団が盗賊であると確信した。そして、この状況に愕然とした。

 盗賊の1人が、高々と手を上げて指で4を示している。それに気がづいたカリンが壁の時計を見ると、時針はほぼ0時の真下に、分針は59分を差し、秒針が秒のインデックスにして「12」の4つ前を示して止まっている。つまり、時刻は23時59分56秒。

 盗賊は0時ちょうどにアンラック家を襲う計画を立てているようだった。

「嘘…だろ…あの人数相手に逃れるなんて無理じゃねぇか。」

「言ったであろう。お前はここで死ぬ未来しかない。故に末代であり、我がお前に呪いをかけるのだ。」

 絶望し、膝をつくカリンに、ただ無情に事実のみを突きつける。

 ハッと何かに気がついたカリンは、先程まで避けていた存在に這い寄る。

「お前、俺の先祖が関わったっていう悪魔なんだろ!悪魔ならこの状況をどうにかしてくれよ!」

 彼の中で、フールス家の言い伝えの文書に書かれた事項の『悪魔』と目の前の存在が、今になってやっと結びついた。

 体験したことのない境遇に余裕など全くない彼は、悪魔と思しき存在へ懇願することしかできなくなっていた。

「笑止千万!何故、悪魔の我がお前を助けねばならぬのだ!我はお前を呪いに来たのみよ!」

 悪魔は、今にもガハハと笑い立てそうなほど高揚した口調で言葉を浴びせる。

 それを聞いたカリンはまたも肩を落とし、呟く。

「そ、そんな…何もできないのか。」

 しばらくの沈黙。

 完全に諦めたかのように見えたが、彼はおもむろに立ち上がり部屋のドアの方へ駆け出した。しかし、ドアノブに手を掛け開けようとするが、固く動かない。

 次に、振り返り空いている窓の方に駆け出し飛び出ようとするが、何か見えない壁のようなものにぶつかる。

「無駄であるぞ。この部屋は、誰も出ることを許さぬ。我がこの部屋に存在する限りな。」

 このように告げられたカリンは、視認できない壁をずるずると伝って崩れ落ちる。幾度にも告げられる絶望に耐えかね、抗う意思を微塵も持たなくなった。

 そしてまた、しばらくの沈黙。

「生に執着するのも飽きたようであるな。我も暇ではない身の上故、そろそろお前を呪い殺すこととしよう。」

 静寂を断ち切る悪魔の語りが響くが、憔悴し切ったカリンの心には留まらない。

 悪魔が腕のような部位を真上に上げると、その先に悪魔自身と大差ないほどの大きさの大釜が現れた。

 物理法則を完全無視しているこの現象が、より目の前の存在が常識の範囲を逸脱しているものであることを証明している。

「我、×××は呪いの対象に代わり、その末代カリン・フールスへ呪いを振りかけん。では、カリンよまた会おう。いざ!執行!」

 呪いを使う上での常套句の後に、大声で発動の合図を放った。すると、数字を形どった発光体が1つに収束し、また別の数字をいくつか形取った。

『31536000』

 カリンはその数字を見たか否や、悪魔が振りかぶった大釜で彼の首が跳ね飛ばされた。

 彼が首を跳ねられた瞬間然り、沈黙の間に考えていたことは、他ならぬシオンただ1人のことだった。

(ごめんな、シオン。俺は君の手の届かない場所に行ってしまうみたいだ。必死に抵抗したが、抗えなかった俺を許してくれ。いつまでも、愛してる。)

 そして、部屋の床に彼の首が落ちて転がる。その瞬間、壁の時計も動き始める。秒針が4回音を立てた時、フールス家の扉が破壊され盗賊が入り込んで来た。

 その直後、部屋にいる悪魔の上の数字が変わった。

『31535999』

 それを確認した悪魔は、より濃い煙を出し、それが消えた頃には姿も消えていた。

 一方、シオンの家では自室でシオンが寝ている。そして、彼女の目から一粒の涙が流れた。しかし、その流れた涙の意味はおろか流れた事さえも本人を含め誰も知ることはないのだった。


 カリンが奇妙な死を経験したのとほぼ同時刻、同じ国の別の地に住む家に1人の男の子が生まれた。その名もまたカリンという。

 彼の生まれた家庭は裕福で、ラストネームにライアルを持つ家だった。

 彼は幼少期を屋敷で過ごし、両親は身の回りの世話を召使いに任せていたため、彼と両親の関係は他の家庭に比べて薄いものだった。

彼は英才教育を受けて育ち、街一番の規模や学力を持つ学園に入学した。

そこでは、初めての多勢な同世代との対面に四苦八苦しながら初等部を過ごし、難なく中等部へと進学した。

その時既に彼には大学へと飛び級できるほどの学績を手にしていた。しかし、幼少期の孤独が友好関係を勉学よりも優先的に考えていた。その点に関しては、両親にも許諾され、自由な学園生活を送っていた。

高等学部に入り、様々研究を大成させ、様々な分野での大賞を手にしていた。

順風満帆な半世紀を送っている彼は、18歳の誕生日の前夜を迎えていた。

「カリン様、旦那様と奥様は明日の午後には屋敷に戻られるそうです。我々、使用人一同、誠心誠意持ってお祝い致します。」

 夕食を終え、自室で読書をして寛ぐカリンにそう言ったのは、彼と同い年の召使いであるフクシア・コンシールであった。

 カリンは、パタンと栞を挟んだ本を閉じて、フクシアの方へと視線を向ける。

「フクシア、2人の時は昔のように呼び捨てでいいし、敬語もいらないと言っているだろう。」

 優しい笑顔で彼が言った。しかし、彼女はより表情を引き締めた。彼女の顔は整っていて、凛とした顔は並の男なら落とされていそうなものである。

「いえ、子どもの頃は無礼を働いておりました。立場を理解している今、敬語を使わないわけにもいきません。」

「…そうか、君がそれでいいなら構わないけど。」

 返答を聞いたカリンは少し残念そうな顔で俯く。手元の恋愛小説を見つめ、その本をそっと撫でる。その様子を見たフクシアは、もどかしい様な思いを感じた。

「しかし…」

 彼女が口を開いた事を意外に思ったカリンが、言葉を耳にするや否や目線を上げる。

「しかし…あ、明日の夜方には少し甘えさせていただけないでしょうか?」

 着ている服の裾を掴み、目線を合わせない様にしながら彼女が言う。その顔は耳まで赤く染まっている。

 普段は見せることのない彼女の赤面に、カリンは思わず見入ってしまい頬を染める。自分に厳しい彼女から普段は見られない態度に、彼は言葉を失った。

「できないでしょうか…?」

 彼からの返答が来ず、今度は上目遣いで彼を見つめる。

「え、ああ、うん。いいよ、夕食の後にでも。」

 彼は、困惑を残しつつも、平生を取り戻そうとする努力が見える中で言った。

「あ、ありがとうございます!では、明日。よろしくお願いいたします。おやすみなさい。」

 今夜のカリンへの身の回りの世話を終えていた彼女は、上機嫌で部屋を出て行った。

 カリンは彼女の出て行ったドアをしばらく見つめていた。

学園や行く先々で女性に言い寄られて来た彼だが、身近な相手に意味ありげな態度をされてしまうと、意識せずにもいられなくなった。

ハッとして手元の小説を思い出す。

(この本のせいで変な意識しちまった…俺らしくもない。)

 その小説には、ある家の跡取り息子とその家の使用人の甘くて繊細な恋が描かれている。カリンたちの住む世界では、作者不詳であり有名作でもあった。作者がまるで側で見ていたかの様な描写が大きく反響を呼んだ小説だった。

(…明日のことは、明日の俺に任せよう。)

 彼は、フクシアの思いにうっすらと数年前から気がついていた。しかし、彼は彼女の思いに答えることができないと考えていた。

 物心ついた頃から、彼とはどこか遠い場所から彼の事を思う女性らしき存在を感じていた。もちろん彼は超能力などは持っていないが、ずっとその様な気がしていた。

そして、彼もその気のせいかもしれない存在をずっと気にかけている。

 その正体を確かめる前に、中途半端な気持ちで女性と付き合う事など、相手に申し訳が立たないと考えていた。

 彼は明日から立ち上がると、ベッドに倒れ込む様に横になった。

 しかし、彼とてフクシアに甘えてもらえる事は嬉しくてたまらなかった。

小さな頃は、忙しい中でもよく一緒に遊び、多くの時間を共にして来た。だが、歳を重ねるにつれ、距離も態度も1日のうちに顔を合わせる時間も減っていった。

だからこそ、2人で過ごす時間が確約された今、それを楽しみにせずにはいられなかった。

その日、彼はここしばらくの中でいちばん幸せな気分で眠りについた。

彼が眠りについた頃、未だ彼の部屋の前にはフクシアがいた。彼女はしゃがみ込んで両手で顔を押さえている。

(やっちゃった〜!あんな態度してたら「好き」って言ってる様なもんじゃん!)

 もう一度言おう。カリンは、フクシアの思いにうっすらと数年前から気がついていた。

(でも、これだけじゃ私の思いは伝わってない。明日、きちんと伝えて、あ、甘…甘え…う…恥ずかしい〜〜〜)

 彼女はこの様な思考の後に立ち上がり、両手で顔を覆いながら自室へ早足で戻って行った。

 屋敷内のほとんどの人間が寝静まり、門番の交代時刻の深夜12時丁度。カリンは急に目を覚ました。そして、自分の思考に他人の記憶らしきものが流れ込むような奇妙な感覚に襲われた。

 その記憶は、同国に暮らしていた1人の青年の18年分の記憶であり、その青年の名をカリン・フールスといった。

 その記憶によれば、この地より南にあるハーヴェストという土地で農家の家に暮らし、幼馴染みの女性と婚約予定であったという。

 そして、記憶が流れ込むに連れてわかったことがあった。それは、その記憶が入って来ているのではなく、思い出しているという事だった。

 カリン・フールスの記憶を全て思い出した時、カリン・ライアルの満18歳の脳には18年の記憶2人分を即座に処理するのは難しく、間もなくして気絶してしまった。

「カリン様、起きてください。お誕生日でもお寝坊は関心できませんよ。」

 朝、8時30分。普段は8時に食事の席に現れるカリンが来ないので、フクシアが起こしに来た。声をかけられたカリンは、目を覚ました。

(う…頭が痛い。あの後気絶してそのまま寝ていたのか?…俺はカリン・ライアルのか?カリン・フールスなのか?いや、どっちの記憶もある。あの悪魔と会ったこともついさっきの様に覚えて…)

 ここまで思考を巡らせたところで、彼は1人の大切な人の存在を思い出した。それは、シオン・インハートのことであった。

 彼女のことを思い出すといてもたってもいられなくなった。とにかく彼女に会いたくなった。慌ただしくクローゼットから洋服を取り出し着替えた。

「どうかなさいましたか、カリン様。」

 先程まで気絶した様に眠っていたカリンが急に活発に動き出したのを見て、フクシアが疑問に思った。

「あ、いや…ちょっと行かなければならないところができてしまった。」

 そう言いながら彼は、8時34分を示す時計を見つめ、何かを計算している風であった。

 フクシアから見れば、その彼の面持ちから誰かを思っての行動であるのは一目瞭然だった。

その瞬間に、彼女は失恋を悟った。彼を思い続け、自分しか付き添える女性はいないと思っていた中での出来事に悲しみが涙となり溢れ出しそうであったが、それを意地で阻止する。

「わかりました、カリン様。でも、お出掛けになる前に朝ご飯は食べて行ってくださいね。」

「ああ、そうさせてもらうよ。」

 即座に対応した上で気遣いも欠かさないでしてくれる彼女に、彼は感謝の気持ちでいっぱいになった。同時に、完全に彼女の気持ちに答えられなくなり、すまなくも思った。

 朝食を終えたカリンは、軽く身支度を済ませると屋敷の玄関へ向かった。

 見送りには、フクシアと少数の使用人だけだった。それは、フクシアが彼を気遣い、事の伝達を最小人数に抑えてくれていたからだった。

「駅までお見送り致しましょうか?」

「いや、大丈夫。…それじゃあ行ってくる。ちゃんと帰ってくるから。」

「ええ、帰って来ていただけなければ困りますよ。」

 そう言ってフクシアがにこりと微笑む。本心を悟られないようにしている様にも見える。

 そして、屋敷から出て行くカリンの背中を見送った。

 カリンは交通手段として列車を選んだ。

 駅に向かう間、駅に着き電車を待つ間、電車に乗っている間、ずっと自分の身に何が起きているのかを整理していた。

(あの悪魔の呪いが、今の状況を作り出してるんだよな。だとしたら、何が呪いなんだ?盗賊に殺されそうになった俺を、別の人間になったものの生かしてくれたようなものじゃないか。)

 考えに考えても答えなど出るはずもなく、いつしか彼の思考はシオンの事へと移っていた。と同時に、自分を思い続けてくれていたフリシアも念頭に置き、思考を巡らせていた。

 2人の女性について考え続けていると、時間は過ぎ行き、いくつかの乗り換えをした後に目的の駅へと到着した。

 思い出した記憶の中では昨日のハーヴェストの町が、実際は18年経過しているため、少し風変わりしていた。その変化がカリンにとっては奇妙で仕方なかったが、理屈で考えるよりも自身の18年の体験に委ねた方が、理解はしやすかった。

 駅から難なく自分の家があった場所に着いた。しかし、そこには木を主体としたアンラック家の家ではなく、煉瓦で頑丈に作られた家しかなかった。表札も全く知らない文字を見せつけてくる。

 しかし、18年前とは変わらない景色が彼の目に入った。それは彼の家があった場所を正面に取った時に、右手側の数百メートル先に小さく見える家だった。

 彼はそれを見ると駆け出した。昨日会った記憶があるものの会いたくてたまらなかった。

そして、目的の家にはその相手がいると確信していた。

 その家の前に着くと、胸に手を当てて息を整えた。軽く拳を作ってドアをノックした。

「はーい。」

 中から大人の女性の声がした。大人びたその声に惹かれそうになる。

ガチャ…

 ドアが開いた。中からすらっとしたスタイルのいい女性が出て来た。彼女は18年の時を経て成長したシオンだった。

「シオン…」

 記憶の中では、昨日会ったばかりの18年前のシオンの面影を、カリンは見逃すはずもなかった。

「……あ、あの、どちら様でしょうか?」

 この疑問は当然のものだった。カリン・ライアルの見た目は、カリン・フールスのそれとは全く異なっている。

「お、俺だよ!カリン・フールスだ!」

 彼は前世と取れる存在の名を語ったが、彼女は昔の恋人を名乗る相手に不審に思うことしかできなかった。

そして、彼女の目から涙が溢れ始める。

「変な冗談は、やめて下さい!彼は…カリン・フールスは、18年前に亡くなったんです!」

 カリン・フールスの記憶の中でも、なかなか聞く事のなかった彼女の叫び声に、少し驚いてしまう。

 彼とてここまでの拒絶は想定していた。しかし、実際に目の当たりにすると言葉が詰まる。

 カリン・フールスも、カリン・ライアルも女性の涙には弱かった。

 泣く彼女にカリンは何も言えず、ここでようやく自分の行動を客観視して考えてみた。

(そりゃ、突然目の前に現れても無理…)

「…のに。」

 彼の思考を遮って、微かにシオンの声が聞こえた。

 次に彼女は、顔を上げてカリンの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「違うのに、さっきから止まらないこの涙は何なの…?」

 見つめる瞳はとても切なく、カリンの心が締め付けられるように傷んだ。

「本当に…あなたはカリンなの?」

「ああ、カリン・フールスだ。あの時言ったように、今も君のそばにいるはずだった…君の恋人だ。」

その言葉を聞いたシオンの目から、さらに多くの涙が流れ出る。そして、目の前の彼の胸に飛び込んで泣きじゃくった。

「なんで、勝手にいなくなっちゃったりしたの!?ずっと一緒にいてくれるって約束したじゃん!」

「ごめん…ごめんな。」

 18年前の自分の死は、どうにかできるものでもなかったが、彼は彼女の頭を撫でながら謝ることしかしなかった。

 シオンの号泣がひとまず治ると、互いに瞳を見つめ合い、互いの愛が無変であることを確かめるように、前よりもずっと甘いキスをした。

 2人は家の中に入り、シオンの部屋のベッドの上に座り、互いの手を固く握り合った。

 彼女の話を聞くと、カリンの消息後、彼の両親は盗賊に家ごと焼き殺されたらしかった。深夜の出来事で、家も引火した畑も焼け切った後だったという。

 その後、フールス家と関わりのあった王族が軍を用いて盗賊の弾圧に徹したため、盗賊からの被害はアンラック家で最後だったとの話だった。

 シオンは高齢となって来た両親を心配し、妹は王族に嫁いだものの、未だ家業の手伝いをしていた。

 対してカリンは、18年前の晩に何が起こったのか、カリン・ライアルとしてどのような半生を辿ったかを全て話した。

 シオンにとって信じられないような事であるが、カリン・フールスの記憶を持つ彼をもう疑う事もなくなっていた。

「私ね、ずっとあなたが生きていたらなって考えていたのよ。今日までずっと…いい年した女が恥ずかしいけどさ。」

 その言葉を聞いたカリンは、初めて自分を遠くから思う存在の正体に気づくことができた。

「ああ、もっと早く君を思い出せていればよかった。」

 自分を責め、険しい顔になるカリンの肩に、シオンが寄りかかる。

「いいよ。今はこうして、また会うことができたんだから。」

「そうだな。今はそれでいいか。」

 カリンは優しいシオンの声に甘えた。

 しばらく2人は黙ってその瞬間の幸せを噛みしめた。

 何分か過ぎた後にカリンが口を開く。

「シオン、今日さ俺の誕生日で、夜までに屋敷に戻らないといけないんだ。」

「あら、誕生日も一緒なのね。私、何もあげられる物がないわ。」

 部屋をきょろきょろと見回すシオン。カリンが彼女の動きを止める。

「いらないよ。今日は最高の日にできたんだから。」

「でも…」

 シオンがどこか悲しそうな視線を向ける。

「じゃあ、明日からしばらくここに泊めてもらえないかな。もっと…君と多くの時間を共有していたい。」

 元々頼もうとしていた事を、プレゼントの代わりとして提案する。

「そのくらいは全然問題ないし、寧ろ私が嬉しいくらい…」

 彼女は、下ろしていた足をベッドの上に乗せ、片手で膝を抱え、顔を少し埋めて少し喜んだ。

 カリンが見ている大人が少女のように振る舞う素振りは、より彼の心を締め付けた。

 夕方に差し掛かった頃、シオンは帰るカリンの背中を見送った。遠くその姿が見えなくなるまで。

 

 7時頃、カリンはフールスの屋敷へと帰って来た。出迎えには、屋敷中の使用人が出迎えた。そして、口々に「おえりなさい。」や「お誕生日おめでとうございます。」などと言っている。

 カリンは18歳にして初めて、誕生日に出かけるとこのようになる事を知った。同時に、もの凄く恥ずかしく思った。

「カリン様、お帰りなさいませ。旦那様方がお待ちです。お二人は、また今夜中にお出かけになられなければなりませんので、ご支度をお早めにお済ませください。」

 カリンが着替え等を済ませ食堂に向かうと、彼の両親がそれぞれの席に座っていた。

 食卓には、普段より遥かにグレードアップした料理が並んでいる。

「カリン、早く座りなさい。お料理が覚めてしまうわ。」

 食堂の入口に現れた彼に気がついた母が、読んでいた本を閉じて言った。それを聞いた父も、読んでいた書類を秘書に片付けさせた。

 食事中の会話を厳禁にされていたわけではないが、希薄な関係の親子であるために口数は少なかった。

 冷ややかな雰囲気の食事ではあったが、誕生日の夕食にわざわざ帰って来てくれる両親は、前の両親を失った事実を知った彼にとって心暖まる存在だった。

「ご馳走様でした。」

「…また見ないうちに顔つきが大人に近づいたな。」

 手を合わせた後に席を立ち上がるカリンに、父が語り掛けた。

「俺たちは何も言わないから、自由に好きなように生きろよ。」

 彼は父から毎年似たような言葉を聞く。しかし、今年は強く彼の心に響いた。

「うん、ありがとう。」

 それだけを言うと、彼は食堂を後にした。

 自室に行くと、さっきまで着ていた制服が部屋着に変わったフクシアを見つけた。

 前がいつなのか覚えていないほど久しぶりな彼女の気張らない姿に見惚れてしまう。

 立ち尽くしていると、彼女が近寄り袖を掴み、くいくいと弱い力で引っ張った。

「ちょっと外で話したいことがあって…」

 声を掛けられハッとしたカリンは、バルコニーへ通じる扉を開けて外に出た。

 外に出ると、少し冷たい秋の夜風が吹いていた。しかし、女の子に向けられた仕草で火照った体にはちょうどよかった。

 フクシアは街の灯りを見つめ、カリンは目を瞑って夜風を感じている。2人はしばらくそのまま黙っていた。

「…あのね、私ね、ずっと好きな人がいたの。」

 ついにフクシアが、沈黙を破った。

「知ってる。」

「でも、その人はね…え!?知ってる!?」

 悟られぬよう振る舞ってきた気でいた彼女は、驚いたような返事を予想していたが、落ち着いた口調で予想外の言葉を言われ逆に驚かされる。

「え、あ、そっか。じゃあ、相手も誰かわかってるのね。…私は、あなたの事が好き。今までも…今も…きっとこれからも…」

「ああ。」

 未だ目を閉じたままのカリンが、少しだけ開いた口から漏らすように声を出す。

「でも…でも、あなたにはいつの間にか大切な人ができてて、今もその人のことを考えてるのも知ってる。」

 彼にとってこの言葉は意外だったが、少しの間の後一言前と同じ返事を返す。

「だからね…これでちゃんと伝えておきたいの。目、閉じたままでいてね。」

 カリンが徐々に近づく彼女の声をを聞き終わった瞬間、唇に柔らかい感触を覚えた。

 彼はこの現象の状態を知っていた。目の前の、自分を恋い慕う女性を抱きしめたくなったが、それをすると二人の女性の覚悟と思いを裏切る事になる事を理解していた。

 だから、何もせず目を閉じたまま。フクシアの目から溢れる涙も知らずに。

 彼女はキスを終えると、何も言わずに立ち去った。

自室のドアが閉まる音が聞こえると、バルコニーの手すりに肘を掛け、満天の星が輝く夜空を見上げながら長い息を吐いた。

翌朝、カリンは早朝に屋敷を出てハーヴェストへ向かった。列車内で、妙に痩せこけた男性が車掌と揉めていたが、全く気にならないほどこれからの時間に気持ちを昂らせていた。

いつもと変わらぬ畑を通りシオンの家に着く。シオンと、昨日は仕事で家を離れていた彼女の両親が出迎える。それからカリンは、過ぎゆく1秒1秒を噛み締めるよう過ごした。

そして、アフルーエンの姓を持ってから二度目にこの地へ訪れた日から数えて5日目。

カリンはシオンの家の洗面所で歯を磨いていた。

(今日は、あの事をシオンに伝える。絶対に…)

 不意に、強い瞳を持つ自分の虚像が映っている鏡の下で、水道から流れ出る水が気になった。よく見ても見なくても、水の流れが止まっているように見える。

 それに気がついた瞬間、足元にどこからか黒い煙が立ち込めた。次に、自分の虚像の横に映る言い表しようのない存在に気がつく。

「久しぶりだな。お前の記憶では、1週間も経っていないように感じるだろうがな。」

その存在から声が聞こえた。カリンが振り返り視認したのは、忘れるはずもない悪魔だった。

「…」

朝が決して似合わないその存在の急な登場に、カリンからは言葉が出ない。

「我の呪いを受けて尚、女子とイチャつき、快適なスローライフを送りおって…」

「ふっ、ああ、あんたのお陰で俺は今もの凄く幸せだね。逆にその呪いに感謝でもしそうなくらいだよ。」

 悪魔から発せられた人間の様に憎しみを込められた言葉とカタカナに、カリンの中には余裕が現れていた。

「感謝だと!?笑止千万!お前はこれからまた死ぬのだぞ!?」

「は…?死…ぬ…?」

 悪魔が快活に放つ物騒な言葉に、一瞬でカリンの余裕が消される。

「ま、待ってくれ!俺は…カリン・ライアルは、まだ彼女に何もできていない!まだ殺さないでくれ!」

 悪魔に懇願するカリン。しかし、悪魔の可視部分の様子は何一つ変わらない。

「それは不可能だ。これは呪いぞ、被呪者の勝手な願望で変えられるわけがなかろう。」

「は…またシオンを置いて、俺は18年彼女を忘れるのか?」

 洗面所の壁にもたれ掛かり、ずるずると崩れ落ちていく。

「物分かりが良くて助かるぞ。」

 悪魔が言ったこの言葉の同時か直後か、気がつけば悪魔の頭の上に『31497955』の文字。

「それ…1年を秒で表した数からいくらか引いた数だろ。1年が何なんだよ…」

 虚でしかない目で数字を見たカリンが、か細い声で聞いた。

 彼は2度目の18年で優れた教育を受けて来たため、目の前に数字が浮かんだ時にその数字の意味を悟った。

「さすがに提示されてる意味まではわからぬか。ならば、己で考え解き明かしてみよ。さすれば、この呪いを撃ち破る事も叶うであろう。」

 この言葉を聞き入れたカリンが、光明が見えたと思ったのも束の間。悪魔が前回同様、大鎌を振りかぶり、カリンの首目掛けて振り下ろす。こうして、彼の頭は洗面所の床に転がった。

 そしてまた、水の動きが戻り、正常に流れ出る。

「カリン、どこ行ったのかしら…あら、水が出っ放し。」

 シオンが姿の見えないカリンを探して洗面所を訪れた時、彼女は彼の死体を確認することができなかった。

 水を止め、ふと顔を上げるシオン。

「え…?」

 そこには、たった一滴、鏡に映る自分の涙があった。

 同時刻、ライアルの屋敷で仕事をしていたフクシアも、自分の涙の存在に気がついた。


 ハーヴェストの町がある国の南に位置する隣国で、8時45分、1人の男の子が誕生した。その名をカリン・リチルダという。

 彼は、裕福でも貧乏でもない普通の家に生まれ、家族や友人とのだった一度の人生を謳歌するべく、勉学や遊びに勤しんだ。

 彼が12歳の時、彼の暮らす国と隣国の間で戦争が勃発した。カリン・リチルダの出生国は、国土面積、人口ともに隣国に有利だった。

 戦争は一方的なものとなり、1年も経たずとして隣国の大部分が焼け果て、栄えた都市や文化が失われた。そして、他国とも比べたとしても小さいと捉えられる隣国は、その地に自国民を1人として残すことはできなかった。

「号外だあ!俺たちの勝利だあ!今夜は呑めや歌えやあ!」

 街の新聞配達人が、特別号と称したビラを街中にばら撒いて回っていた。

 カリンは、そのビラを1枚手に取ると、なんの思い入れのないはずの隣国が燃え尽きた様子を鮮明に捉えた写真から目が離せなくなった。

 それから5年と少しの月日が流れ、カリンが18歳になる日の深夜0時。彼は、18年前のカリン・ライアルとそっくりそのままな境遇に陥っていた。

 誰か知らない人間のの記憶が流れ込む。思い出す。今度は2人分。

 全てがカリン・リチルダの脳内に集約された時、彼の意識が遠のき気絶でもしたかのように寝ていたベッドに突っ伏す。

 翌朝、9時頃。息子の誕生日にも共働きの両親は働きに出ていて、家に1人のカリンが目覚めた。目覚め、3人分の記憶を持つ彼は、すぐに最愛の存在を思い出した。しかし、同時に、カリン・フールスとカリン・ライアルが暮らしていた国が、5年前に1度完全に滅ぼされた事も思い出してしまった。もちろん、それ以前にその地に生きていた人間が誰1人今はいないことも。

最愛のシオン、自分を思い慕ってくれていたフクシア、そのどちらももう存在していない。

 虚無の次に絶望が来て、彼は泣き叫ぶ事しかできなかった。

3つの姓、その中のどれかを持っていた時には決して出すことのなかった、ただただ悲痛に満ちた叫びだった。

夕方、咆哮するための涙と声がもう出なくなった時、再び彼の体を虚無感が襲う。呼吸すらもしたくないと虚ろな目が語る。

 その目に、前回使ったままで出しっ放しにしていた鋏が留まった。気力など全く感じることのない足取りで、鋏の置いてある机へ歩み寄る。

 そして、鋏を手に取り刃先を自分の首元へ向ける。確実に事を為せるように、意思と力を強くして握る。

 2人分の絶望が、1人の18年分の意思を呑み込み、躊躇うこともなく突き刺した。と、思われた。

ガキンッ!

 首を斬る時のとは思えない音が室内に響き、カリンは目を丸くした。次に、首を触る。しかし、その手触りは体温を持った人の肌でしかなかった。

 硬いものに刃を当てたらしい右手が、少し痛む。その痛みがまた、生きてる実感を彼に与えてるようで、彼は憤りを覚えた。

 それをぶつけるように、また刃を首に向けて進める。しかし、結果は同じ。何度首に当てようと、それは傷の一つもつく事なくずっと繋がっている。

「はあ、はあ、なん、で!なんで!切れねぇんだ!」

 今すぐに死にたいと望むが、それが為し得ない彼は怒り、鋏を壁に投げつけた。鋏が当たった箇所に傷がつく。その様子が余計彼を苦しめる。

「カリン、いるの?入るわね。」

 夜になり、帰って来た母親がカリンの部屋を訪れ、部屋の扉を開ける。

 その部屋は、息子の性格とはかけ離れ、様々な物が床に散乱し、部屋で育てていた植物の鉢は割れ、見るに耐えない物だった。

「どう…したの?カリン?」

「……」

 母が、部屋の隅で体をうずくめるカリンに問うが、彼は何も答えない。

 息子の変容ぶりに驚きの感情しかないが、母は今はそっとしておく事を選ぶことにした。

「…ごめん。」

 部屋を出ようとドアに手をかけた時、カリンの口からこの言葉が発せられた。

 母は、それの中に息子の存在を感じた。

 カリン・リチルダの思いが、あとの二人のカリンの記憶に干渉した。

 それから三日が過ぎた頃には、カリンは今を生きる人々との時間を大切にしたいと、より周りとの関係を深めることに専念した。

 それからまた三日後、カリンが朝に来ると思っていた時間は来ず、その夜になってから来た。

 それは三度目の悪魔との対面だった。

「よお。いつもお勤めご苦労さん。」

「なんだ?気味が悪い。さては、呪いの仕組みにでも気がついたか?」

 黒い煙で覆われて表情は見えないが、どこか引いているように見える。

「いや、わかるわけないだろ。早く教えろよ。」

 開き直ったように答える。

「ハッハッハ!やはりお前は面白い!」

 しばらくの静寂の後に、爆発的な高笑いを発する悪魔。

「だが、教えるわけにもいかぬ。早く解法を見つけ、解呪して見せるがいい。」

 愉快げに、声を弾ませて続けた。そして、その返答に、かなり大きめの舌打ちで返すカリン。

「では、また時間だな。18年後に会おう。」

 そう言うと、大鎌を振りかぶり、カリンの首を速やかに切り落とす。何とも言えない、手慣れ感である。

 次に、生まれたるはカリン・ルイエル、そのまた次はカリン・クリスル。そして、堂本華鈴。毎回名前にそぐわず、性別は男であった。

 何度も何度も、生まれる殺されるを繰り返し、いつでもカリンの名とそれぞれ異なる姓を受け取った。

この呪いが始まって180年が過ぎた頃には、呪いの仕組みにうっすら気がつき始め、数回の実験でそれは確信へと変わった。

16回目の再会の時、彼は悪魔に正誤を確かめることとした。

「なあ、悪魔。呪法と俺の考えとの正誤は教えてくれるか?」

 悪魔が現れても、当たり前であるかのようにして、彼は悪魔に尋ねた。

「いいだろう。お前なら、そろそろ答えに辿り着いてもいい頃だと思っていたわ。」

「じゃあ、言わせてもらう。これは、人と言葉を交わす…正しくは声で意思疎通を行う事が発動条件で合ってるか?」

 近くの椅子に腰をかけたまま、机の上で両肘をついて、両手指を組んでいる。

「さすがだな。確かにその答えで合っておる。だが、まだ続きがあるんだろう?」

「ああ、次に解法だ。その数字、それは一年を秒で表した数字から、俺が話すまでの時間を秒にして引いた数だろ?で、それが『0』になる…つまり、一年間俺が誰とも話さなければ、解呪となるんじゃないか?」

 悪魔の頭上で発光体が表す数字を指差しで示しながら、カリンは悪魔に問う。

「見事だ、まさにその解釈が正解であるぞ。」

 悪魔がカリンの予想の正しさを認めた。

「しかし、それを実行できるかは、また別の難しさがある。精々、苦しんで見せるんだな。」

 その言葉は、カリンにとって痛いほどわかる物だった。

 彼は、呪いの仕組みに気がつくと、筆談という方法を用いて他との会話を絶った。

 始めは、周りも面白がって付き合ってくれたが、時間の経過と共に彼をおかしく思うようになり、話すことを強要するようになった。

 つまり、周りからの理解が得られず、声による意思疎通を避けることは、最大でも二週間が限界であった。

「では、またな。」

 どうしたものかと考えているカリンの首を、容赦なく悪魔が切り裂いた。

 そしてまた、いつもと同様に、別の地で生を受ける。いつもと同様に、18年間一人の人間として生きる。いつもと同様に、18歳の誕生日に記憶を全て取り戻す。

 全てがいつも通りの中で、この時、ひとつだけ大きく違う事があった。

 18回目にして初めて、姓だけでなく名も変わっている事だった。

 その名をパキラ・ルクシィールと言った。

 前17人分の記憶を取り戻すために起こった気絶は、今までで一番長いものだった。

 目覚めたのは、昼を少し過ぎた時間だった。

 彼は、その後すぐに家を出て、誰とも会話をすることなく、近くの小川の傾斜状の河岸に行き、そこで仰向けになった。

 片膝を立て、片手を頭の下に敷いて、青空を眺めながら考え事をする。

(さて、どうしたものか。また筆談をしても、疎ましく思われて声出しを強要されるだけだ。もうこのまま誰もいない場所にでも…)

「あの、少しよろしいですか?」

 彼の思考を遮るように、頭の上の方から女性の声がした。

 寝たまま、目線をその女性の方へ送ると、年の近そうな彼女はにこりと微笑んだ。

「良かった、寝ているのではないか思っていましたので。」

 パキラは起き上がると、ズボンのポケットに突っ込んで来たメモ帳とペンを取り出し、スラスラと文字を書き始めた。

『何か、御用ですか?』

「筆談…あ、いえ、いつもは夜にあなたを見かけていたもので、お昼に会えたのが嬉しくて声を掛けてしまいました。」

 眉をハの字にして、えへへと笑う彼女。その様子に少し見惚れてしまうパキラ。

「あ!すみません。まだ名乗っていませんでしたね。私、アネモネと申します。毎晩、ここで星を眺めるあなたを、あの窓から眺めていましたの。」

 そう言って、彼女は小川の上流の方向にある城の一つの窓を指差した。

 その城は、この地を治める領主のもので、パキラは目の前の女性が領主の御令嬢であることを悟り、少しの間動きが固まった。

 そして、数秒後にまたペンを動かし始めた。

『私は、パキラ・ルクシィールと申すものです。理由がありまして、筆談で失礼させていただいてます。』

 この文字が書かれた紙面をアネモネの方へ見せる。

「理由…気になりますね。もし、差し支えなければ教えては下さいませんか?」

 この言葉を聞いたパキラは、少し悩んだ。だが、どこか懐かしい感情が彼の決断を後押しする。

『もの凄くおかしな話で、虚言のようにも見えると思いますが、お笑いにならないなら。』

「大丈夫です!絶対に笑うようなことはしません。」

 彼女はこくこくと頷き、パキラの横に腰を下ろした。

 そして、彼は今まで自分の身に降りかかって来た境遇の全てを手元のメモ帳に書き記した。

 先祖のせいで悪魔の呪いにかかっていること。大切な人を二人もなくしたこと。今までで17人もの人格を経験して来たこと。出来るだけ簡略に、それでいて全貌を、先ほど初めて会ったばかりの女性に明かした。

 伝え終えた頃には、日が傾き、辺りが暗くなり始めていた。

「ふふ、小説のようなお話ですね。」

 笑った。パキラはそう思ったが、水を差す事はしたくなく、言葉にはしなかった。

「では、あなたは一年間誰とも話さない場所を必要としているのですね?」

 まさに先程考えていたことを言われ、反射的にこくこくと頷いて見せた。

「じゃあ…私の家に来ませんか?私の家にうってつけの場所があるのです。」

 パキラは、いきなりのお誘いに驚きが隠せなくなる。そして、ハッとしてまた文字を書き始める。

『その場所をお聞きしても?』

「旧牢獄です。」

 食い気味で答えるアネモネ。なぜか目が輝いているのがまた恐怖心を煽られる。

『しかし、私の両親や領主様にはどのように説明したら良いのでしょうか。』

 示された案において最初に浮かぶ懸念をアネモネに伝える。

「あなたの両親には、私の立場を利用すればおそらく。父上は私のお願いはいつも聞いてくれます。」

 問題はないと彼女は言うが、倫理的な問題は彼女の視界にはないようだった。

 とは言え、現状いちばんの解決策であろうそれをパキラには否定する事ができず、彼はアネモネに身を委ねることとした。

 そしてそのまま、二人は城へと向かった。

 旧牢獄に着くと、そこはパキラの想像より遥かに綺麗で、居心地も良さそうなくらいであった。

 アネモネの話を聞くに、使った記録も残っておらず、毎週のように使用人が掃除をしているらしかった。

 しばらくして、使用人が来て、パキラの両親の承諾を得られたとの報を受けた。

「私、ずっと前からあなたの事を知っていましたわ。毎晩、星を眺める姿を城内から見かけていたので。」

 ひと段落がついた頃に、アネモネが話し始める。

「本当は、見かけたらすぐに会って話をしてみたかったのですが、父は夜間の外出だけは許していただなかったのです。」

 パキラには、娘に夜間の外出を許さず、人の監禁を許す領主の考えが全く理解できなかった。

「だから、昼間あなたを見つけて本当に嬉しかったのですよ。」

 彼女は、そう言って明るい笑顔をパキラへと向ける。

 彼には、その笑顔がとても眩しかった。


「ねえ、私たち同い年なのに、あなたはずっと敬語のままなの?」

 半年が過ぎた頃、アネモネがパキラへと尋ねる。

 唇に手を当て、しばらく考えるようにしてから、彼はペンを持った。

『そりゃ、領主様の御令嬢にタメ口なんて利けませんよ。』

「別に、私は気になんてしないのに…じゃあ、声が出せるようになってからは絶対タメ口ね。」

 それを聞いたパキラは、両手を上げて参ったと言う風に首を振った。

「約束だからね!破らないでよ!」

 念押しされて、パキラは大きく頷く。

 ほとんどがアネモネからの一方的なものであったが、毎晩こうして二人で言葉を交わすのがとても楽しかった。

 そして、日々を重ねるうちに、二人は互いの存在が自分の中で大きくなっていくのを感じていた。

 また、それから三ヶ月が過ぎた頃、外から度々轟音が聞こえるようになった。

 アネモネからの知らせによれば、自国といくつかの隣国とで戦争が始まったらしい。

 しかし、城は独自の自衛法を有しているため、戦争に巻き込まれる可能性はないという。

 それでも、大切な人を二人も一気に消し去った戦争は、パキラにとって忌々しいものでしかなかった。

(もう誰も失いたくない…絶対に。)

 アネモネは彼が思い詰める顔を見る度に、彼を抱き寄せ不安を和らげられるよう努めた。

 早い終戦を願うパキラの願いも虚しく、遂に彼の誕生日の前一ヶ月辺りから局面を迎えていた。

 毎日、轟音の回数も大きさも増して行く。そして、誕生日前日。明らかに城への攻撃と思われる耳を劈くような音が響く。

 外の様子がわからないパキラにとっては、それが永遠のようにも思える。

 その音が止んだのは、外が真っ暗になってから。

 いつもは食事を持って来てくれる使用人が今日は来ない。

 パキラは最悪の事態を想定せずにはいられなかった。

 夜、彼が牢獄の隅で踞っていると、城内へつながる階段から一人の女性が降りて来た、

 アネモネだった。彼女は、片足を引きずり、体の所々や頭から血を流しながら歩いてくる。

 それに気がつくと、すぐにパキラは近づき肩を貸して、自分のベッドの上に寝かせた。

「一人にしちゃってごめんね。お城に避難して来た人たちを、地下通路から逃がしてて、戻ってくる途中で、落石に遭っちゃって…」

 荒々しい息遣いで、とても微弱な笑顔を浮かべながら話し、えへへといつか見せたような笑顔をパキラへと向ける。

『俺は大丈夫だから。今は喋らないで。』

 メモ帳に文字を書き殴り、読むのも難解な字を彼女に見せる。

 またパキラの顔は、とてつもない不安を抱えているような表情をしていた。

「そんな顔しないで、私はいなくならないよ。ずっと一緒にいる。今も、これからも、ずっと…」

 アネモネは話す事を止めようとしない。

 パキラは自分の持っている煩雑な字が書かれた紙を破く。

「……っ」

 遂に、パキラが声を出そうとしたその時、アネモネが起き上がり、自分の唇をパキラの唇に押し当てるようにしてそれを防いだ。

 約300年ぶりの、唇で感じる柔らかさと温かさでパキラの目からは涙が溢れ出す。

「ダメだよ、喋ったら。あと、少しなのに。」

 唇を離し、頬を赤らめた彼女が優しく囁く。

 パキラは、涙を拭いながら何回も頷いた。

「私、眠いや。ここで朝まで寝かせてもらうね。朝になったら、あなたの…パキラの声で起こしてね。」

 最後の方は、静かなこの場所でないと聞き取れないほど小さな声だった。

 そして、彼女は眠りについた。

 いつか、アネモネが持って来てくれた時計の秒針、長針、短針が12の真下で重なる。

 それを見届けたパキラは、ベッドにもたれかかり、彼も眠った。


 彼は、誰かに呼ばれる声で目を覚ました。上からは、太陽が照りつける。地下牢にいたはずの彼には、眩しいくも温かい日差しだった。

 体を起こすと、そこは一面の花畑である事がわかった。赤、白、紫、薄紫、桃の色の花々が混在し、その真ん中に二本の木が生えている。

 そして、その前に彼と同じくらいの歳の女性が三人見える。一人は、大人びたような洋服。一人は、召使いの制服。もう一人は、令嬢チックな上品な服装。

「カリン。」

「カリン様。」

「パキラ。」

 三人が次々に彼の名前を呼んだ。彼の目から涙が溢れる。

(ああ、やっと終わったんだ。)

 そう思って、彼は三人の女性がいる方向へ駆け出した。

 そして、三人の元へ辿り着くと、様々な話をした。324年の人生で経験した事、思ってた事、出会った人の事。自分の声で。

 

 そんな四人の姿を後方から見守る影が一つ。尖った耳と爪、尻尾、頭には二本の角を持っている。誰が見ても悪魔であると言うだろう見た目をした女性であった。

 その女性の背後には黒い炎で形取られた『666』とそれを挟むように十数個の『0』。そして、その両端に『1』。

 頭上には、発光体が『0』を示す。

「あーあー、あのおっさん染みた声、疲れるのよね。」

 そう言うと、女性が空中に人差し指で文字を書くような動きをする。そして、それに合わせて発光体が動く。

そこに現れたのは、『fin.』の文字だった。

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18歳に生き返る 宇間遊 @uma_yuu60

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