第215話 フラニス国とマラリア
急いで兵舎へ行ったラングラン少将は、多くの兵が寝込んでいるのを目撃した。
「どうして、急に?」
マラブル軍医は首を傾げた。
「原因が分からないのです。数日前から身体の異常を訴える者が増えていたのですが、今日になって寝込んだまま起き上がれなくなったのです」
その時、一匹の蚊が飛んできて少将の後ろ首に止まった。血を吸い始めた蚊に気付いた少将が、首を叩いた。その手に蚊の死骸と血が付いていた。
「チッ、ここは蚊が多いな」
「近くに沼があるからでしょう。そんな事より、このままでは大変な事になります」
「しかし、アマト国から薬を持ち帰るまで、何もできないのだろう」
「そうですが、嫌な事を聞いたのです」
「嫌な事? 何だ?」
「この兵舎は、チュリ国のハン王の一族が建てたものを修理して使っています」
「そんな事は知っている」
「では、この兵舎が『死の館』と呼ばれていた事をご存知でしたか?」
「『死の館』……なぜ、そんな名前が……まさか」
「ハン王の一族もバイヤル島を制圧して、支配下に置こうと思っていたようです。そして、この兵舎を建て、我々と同じように島の調査を始めました。しかし、次々にチュリ人が倒れチュリ国に逃げ戻ったそうです」
「その時、どれほどが死んだのだ?」
「五十人以上が死んだそうです。チュリ国に逃げ戻らなければ、もっと死んでいたでしょう」
「軍医殿は、我々も島から逃げるべきだと言われるのか?」
「アマト国で薬を手に入れられたなら、その必要はないでしょう。ですが、薬を手に入れなかった場合、撤退も考えるべきです」
少将が顔をしかめた。
「そんな事になれば、ドランブル総督が怒り狂うだろうな」
「自分たちの命より、総督の機嫌が大事ですか?」
「まさか」
それから十日ほど経った頃、少将が倒れた。
「軍医殿、私は死ぬのかね?」
同じ病気になった兵が、すでに何人も死んでいた。マラブル軍医は否定も肯定もしなかった。
「もうすぐ、アマト国へ行った船が戻るはずです」
「そうだな」
その後、アマト国へ行った船が戻り、キニーネを持ち帰った。だが、その分量は少なかった。
「どうして、十数人分の薬しか手に入らなかった?」
軍医が目を吊り上げて、マリユス艦長に尋ねた。
「その薬の原料は、アマト国でも小さな島にしか生えていない植物だと聞きました。大量には生産できないそうです」
キニーネはキナの木の樹皮から作られる。キナの木は侵略的外来種と呼ばれる植物で、在来種の低木や草本などの生育を妨害するらしい。それでアマト国では小さな島に限定して栽培を始めていた。
栽培を始めたばかりなので、本当にキニーネの量は少なかったのだ。但し、十数人分という点は嘘である。バイヤル島の調査を計画していたアマト国は、キニーネの備蓄を始めたところだったからだ。
軍医はまずラングラン少将と重症化している数人の患者を治療した。キニーネの効果は確かであり、少将たちは回復する。
だが、患者の数に比べるとキニーネの量は少なく、軍医は助ける命を決めるという難しい選択を行わねばならなかった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ホクト城で夜霧のサイゾウから報告を受けた。
「御屋形様、キニーネを持ち帰ったフラニーたちは、ラングラン少将を治療して回復させたそうです。よろしかったのでございますか?」
「この国にキニーネが有る事は知られていた。そんな薬などないと拒絶すれば、アマト国がフラニス国に敵意を持っていると取られかねない」
「フラニス国はバイヤル島を諦めるでしょうか?」
「何の準備もせずに、掌握できるような島ではない。必ず失敗するだろう」
俺の予想は的中した。ラングラン少将は回復したが、次にマラブル軍医が倒れたのである。しかも、次々に将兵が倒れ動けなくなったという。
少将は将兵たちを船に戻し兵舎から離れたが、その時には大勢の者たちがハマダラカに刺されてマラリアに感染していたのである。
次々に倒れる将兵を前にした少将は、撤退する事にした。
「クソッ、何で原住民どもは病気にならないんだ?」
少将がそう言ったのを夜霧の忍びたちが聞いたそうだ。
前回報告を受けてから八日後、再び報告を受けた俺は、サイゾウから質問を受けた。
「私も不思議に思ったのですが、どうしてカルサ族はマラリアになる数が少ないのでしょう?」
サイゾウが不思議そうな顔をしている。
「カルサ族は蚊が飛んでいるような場所には、なるべく近付かないような生活習慣が定着しているのだろう。蚊に刺されなければ、マラリアには罹らない」
「ですが、全く蚊の居ない場所などありません」
「カルサ族はハーブを身体に吹き掛ける習慣が有るそうだ。ハーブの中には虫除けになるものも有る」
「なるほど、夜は蚊取り線香を使っていますから、マラリアに罹るカルサ族は少ないという事ですな」
報告を聞き終えた俺は、バイヤル島をどうするか迷った。このまま放置しておけば、またちょっかいを出す者が出てくるかもしれない
「カルサ族と交渉して、カイドウ家の支配下に入れよう」
「御屋形様、簡単に承諾するでしょうか?」
「カルサ族にも利益になるように交渉すれば、承知するだろう。それにカルサ族が領地としている土地は、バイヤル島のほんの一部なのだ」
「でしたら、領地としていない場所に町を造ってはどうでしょう?」
「そういう場所は、蚊が多いものだ」
サイゾウが残念そうな顔をする。
アマト国の外交方は粘り強く交渉して、アマト国にカルサ族を組み入れた。そして、バイヤル島がアマト国の領地となった事を宣言する。
それを聞いたドランブル総督が、ホクト城に現れた。大広間で対面した俺は、挨拶してから用件を尋ねる。
「されば、バイヤル島の件でございます。あの島はフラニス国が領土だと宣言した島です。勝手に領土宣言をしないで頂きたい」
「ドランブル総督、自分の国の領土だと宣言する事は誰にでもできます。現にチュリ国が昔領土宣言をしているようです」
ドランブル総督が嫌そうな顔をする。
「ふん、あんな国と一緒にしないでもらいたい」
「では、フラニス国の領土だという証拠が有るのですか?」
「我が艦隊が、クルンに駐留していた事実がある」
「その艦隊は撤退しています。そして、我が国の商船が停泊しているはずです」
「商船と軍艦は違う」
俺はニヤッと笑う。
「今頃、我らの軍艦がバイヤル島に到着している頃です。それなら文句はないでしょう。それとも我らの艦隊と戦いますか?」
ドランブル総督が悔しそうな顔をしたが、総督に戦争を始める権限はない。引き下がるしかなかった。
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