第214話 バイヤル島のマラリア

 夜霧の忍びであるタツヒコとトクジロウは、店で働きながら島の言葉とフラニス語を学んだ。島の言葉は桾国語とミケニ語が混ざったような言語になっており、桾国語が分かる二人は短期間で習得した。


 二人がバイヤル島に到着した時には、フラニー人による島の制圧が終わっており、バイヤル島はフラニス国の植民地となっていた。


 とは言え、島の住民たちが納得している訳ではないので、一方的にフラニス国が宣言したという状況だ。


「この店は繁盛しているようですな」

 タツヒコが影舞の忍びであるカンタに言った。

「ええ、中でも蚊取り線香が売れています」


 蚊に刺されると病気になるという情報が広まり、住民の間に蚊取り線香を焚いて蚊を寄せ付けないようにする習慣が定着したらしい。


「フラニー人はどうしているのです?」

「蚊取り線香の事は、病気除けのまじないのようなものだと思っているようですな」


 タツヒコとトクジロウが笑った。

「そうすると、蚊はどうしているのです?」

「ホクトから網戸を輸入して、窓に取り付けているようです。ただ将校が住んでいる兵舎だけで、一般兵の兵舎は網戸も蚊取り線香もなしです」


「網戸か……あれは隙間があると蚊が入ってくるからな」

 島の住民も網戸や蚊帳を使いたいのだが、それらは高価なものなので使えない。住民の収入源は、島の産物である果物の輸出や茶の栽培から得られる。だが、そこから得られる収入は多くない。


 住民同士は物々交換する事が多いようだが、アマト国の貨幣である淡寛銭や姫佳銀が使われ始めているので、もう少しすれば島の貨幣として定着するだろう。


 引き継ぎが終わった影舞のカンタが島を去った後、クルンにあるフラニー人の基地で大量のマラリア患者が発生した。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 島の北側にある沼に調査へ行ったフラニー人たちが帰って来てから発病したのである。その中には貴族議員の息子も居た。バイヤル島駐留軍の指揮官であるラングラン少将は、駐留軍本部として使っている屋敷に軍医のマラブルを呼んだ。


「軍医殿、これは何という病気なのだね?」

「現地人が『死の熱』と呼ばれている風土病でしょう」

「治療方法は有るのか?」


 マラブル軍医が残念そうに首を振る。

「本国には存在しない病気なのです。治療法はありません。発病した何人かは死ぬでしょう」

 ラングラン少将が顔色を変えた。


「医者だろう。何とかできないのか?」

「無理です。原因を調査して、その治療法を探し当てるまでに、どれだけの時間が掛かる事か。少将も想像できるはずです」


 そう言われた少将も黙り込んだ。それを見たマラブル軍医が、

「ただ現地人が、何か知っている可能性はあります」

 そう言われた少将は、調査させる事にした。結果、カルサ族の族長ジンロンの娘が『死の熱』に罹ったが、薬で治ったという噂を知る。


「ジンロンを呼び出せ」

 ラングラン少将が命じた。駐留軍本部に連行されたジンロンは、鋭い目付きで少将を見た。

「私が何をしたというのです」

 ジンロンは桾国語で言った。


「お前に罪はない。ただ娘が『死の熱』から回復したと聞いた。その時の様子を知りたい」

 ラングラン少将は通訳を介して、その時の様子を喋るように命じた。


 仕方ないという様子で、ジンロンが話し始める。

「何だと……チュリ国のハン王と一緒に来たアマト国の人間から薬をもらったと言うのか?」


 ジンロンは頷いた。

「その薬を、まだ持っているのか?」

 厳しい顔で質問する少将を見て、ジンロンは黙った。


 少将は脅す事にした。ジンロンの娘がどうなっても良いのか、と脅したのだ。

「話すから娘には手を出さないでくれ。薬は五人分だけアマト国から買って、家に置いてある」


 ジンロンの屋敷が家探しされ、キニーネが駐留軍本部に持ち込まれた。

「これだけしかないのか?」

 厳しい尋問を受けたジンロンは、正直に答えた。


「これだけだ。キニーネは高い薬なんだ。そんなに買えない」

 少将は顔をしかめ、マラブル軍医に薬を使って治療するように命じた。もちろん貴族議員の息子が一番である。


「しかし、信用できるのでしょうか?」

 軍医は未開の現地人が持ち込んだ薬を治療に使うのを躊躇した。

「アマト国から購入したものだとすると、信用できるだろう。あの国に滞在している商人たちの情報から判断すると、アマト国は文明国だ」


「極東の島国が文明国なのですか?」

「ふん、そうらしい。だが、どこまで信用できる情報かは分からない」


 マラブル軍医はキニーネを使って治療した。その効果はすぐに表れ、患者が回復し始めた。

「これは凄い効き目だ。どんな成分が含まれているのだ?」


 軍医はキニーネの成分を知りたかったが、ジンロンが知っているはずもなかった。

「少将、アマト国の者を呼んで聞くしかありませんぞ」

「分かっている。だが、アマト国は列強国と同じように交渉しなければならない相手だ。気を付けてくれ」


 呼び出されたのは、タツヒコとトクジロウだった。

 二人は駐留軍本部に案内されて、ラングラン少将とマラブル軍医が待つ執務室に連れて来られた。


「呼び出して済まないね」

 少将の言葉を学者のような男がミケニ語に通訳した。

「ご用件は何でしょうか?」


「君たちは『死の熱』について知っているか?」

 タツヒコが頷いた。

「我が国では、マラリアと呼ばれています」


「マラリア……そうか。それがどんな病気か知っているかね?」

「私たちはただの商人なので、詳しい事は知りません」


 その答えを聞いて、マラブル軍医がガッカリした顔をする。だが、相手は医者ではなく商人だと思い出したようで、別の質問をした。


「そのマラリアの薬は、キニーネと言うそうだが、アマト国で作られているのかね?」

「どこで作られているかも知りません」

「だが、アマト国へ行けば購入できると聞いた」


「アマト国はたくさんの国々と交易しているので、別の国で作られたものを輸入したのかもしれません」

「マラリアという名前が付いているという事は、アマト国でもマラリアの患者が居るのではないか?」


 タツヒコとトクジロウは否定する。二人から聞き出せた情報は少なかった。それでもアマト国に薬があるという事は分かった。


 少将と軍医は、アマト人の二人を帰した後も話し合う。

「こうなれば、アマト国へ行って薬を手に入れるしかないな」

「ですが、往復するのに時間が掛かります。その間に亡くなる者も出るでしょう」

「仕方ないだろう」


 少将は一隻の軍艦をアマト国へ送り出した。湊から帰ってきた少将をマラブル軍医が青い顔をして待っていた。

「大変です。あの沼に調査に行かなかった者が病気で倒れました」

「何だと……人から人に感染うつったと言うのか」


 それが間違いだと分からない少将は、決断を迫られていると感じた。


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