第174話 チュリ国の腐敗
ヨリチカがナンアンで始めたランプ屋は、次第に繁盛するようになった。アマト国製ランプは、桾国製の照明より明るいという点とランプに使用される燃料の灯油が桾国で作られる油より安いという点が、売れている理由のようだ。
サコンは店を手伝いながら、桾国語を学び。曲がりなりにも桾国人と話せるようになる。
「ヨリチカ殿、桾国人と話していて気付いた事が有るのです」
「何かな?」
「桾国人は、耀紀帝の話を避けているようですが、なぜです?」
「ああ、それは密告制度のせいだ」
「密告制度というのは?」
「耀紀帝や国に対して、批判した者を役人に報告すると、報奨金がもらえるという制度だ」
それを聞いたサコンは顔をしかめた。そして、それを悪用する者は居ないのだろうかと心配になった。それを尋ねる。
「最初の頃は、悪用した者も居たらしい。例えば、商売敵を密告して、その店を潰そうとした者だ。だが、商売敵の家族が、今度は密告者を密告するという事が増えたのだ」
やられたらやり返す、という事らしい。そういう事があって、人々は耀紀帝の事を話さなくなったようだ。
サコンは嫌な国だなと思った。アマト国の中にもカイドウ家の悪口を言う者は居る。だが、それを罰する法はない。
「月城守様は、自分への悪口など歯牙にも掛けない度量の大きさが有る。それに比べると……」
ヨリチカが周りを見回した。桾国語で話している訳ではないので、聞かれても問題ないのだが、用心は怠らない方が良い。
「ところで、ハン王殿下は、どうしているでしょう?」
「さあな、あまり期待しないようにしている。穀物相場は
ハヤテはハン王たちと一緒に首都ハイシャンに行っている。そのハヤテが戻って来た。
「ハヤテ殿、ハン王殿下はどうなりました?」
ハヤテが苦笑いして溜息を漏らした。忍びが溜息を漏らすなど珍しい事だ。
それから一日が経過した。店の裏口を叩く音がした。サコンが裏に回って、誰かと尋ねる。
「余である」
明らかにハン王の声だ。サコンは裏木戸を開けた。そこからボロボロの服を着た
ヨリチカは裏に回って、薄汚れた乞食集団を目にした。眉をひそめたヨリチカは、追い出そうと怒鳴りそうになって、寸前で気付いた。
「殿下、どうなさったのです?」
ハイシャンに向かう時には絹の服を着ていたハン王が、今はボロボロの麻布の服を着て顔も薄汚れていた。穀物相場で失敗して一文無しとなったのは、ハヤテから聞いていたが、こんな姿になっていたとは知らなかった。
ハン王が同じようにボロボロの服を着ている側近ナムギルを睨み、怒りを
「この馬鹿者が、相場で失敗しおったのだ。全てを失い、服さえも剥ぎ取られたのだぞ」
サコンは笑いそうになって、ヨリチカから睨まれ必死に堪えた。
「それは大変でございましたな。サコン、今すぐ古着屋に行って、服を買ってきてくれ。下着もだ」
「余に古着を着ろというのか」
ハン王がヨリチカを睨んだ。
「殿下、その服よりはマシだと思いますぞ」
ハン王が不服そうな顔をしたが、反論はしなかった。
サコンが服を買って戻ってくると、ハン王たちは行水をしていた。かなり薄汚れていたので、その汚れを洗い落とそうと言うのだろう。但し、季節は秋なので水は冷たいはずだ。
風呂を沸かす時間などないのだから仕方ない。一刻も早く汚れを落として、さっぱりしたかったようだ。
行水を終えたハン王が寒いと言いながら古着に着替えて店の後ろにある母屋に入って来た。
「殿下、食事を用意いたしました」
目を輝かせたハン王が貪るように、鶏肉と卵を使ったお粥を食べた。余程お腹が空いていたようだ。それを見ていたヨリチカは、このハン王に付き合うのもそろそろかな、と考え始める。
「ヨリチカ、商売は上手くいっているのか?」
「最初に考えていたより、資金が少なくなりましたので、利益も少なくなりました。ですが、商売は上々でしょう」
「どれほど儲かった?」
ハン王の血走った目を見たヨリチカは、利益を少なめに告げる。
「元手の二割ほどでしょうか」
本当は元手は倍になっていたが、どうもハン王の様子がおかしい。
数日後、ハン王たちが店の金を持ち出して消えた。
「ヨリチカ殿、どういう事でしょう?」
サコンが尋ねた。ヨリチカは苦い顔となる。
「穀物相場という博打の罠に
ハン王が持っていった金は、元々がハン王の資金だったので泥棒という訳ではない。だが、やり方が泥棒そのものだ。一国の王だった者が情けない。
サコンは溜息を漏らした。
「これから、どうするのですか?」
「そろそろ縁の切り時だと思っていたから、ハン王との付き合いも、これまでだ」
「この店はどうするのです?」
「商売は上手くいっているので続けるつもりだ。但し、母屋はハヤテ殿の配下に拠点として使ってもらおう。商売は桾国人を雇って、続けさせればいい」
ハン王から預かっていた資金は持っていかれたが、ヨリチカ自身の資金は別にしてあったので、店を続けるのは問題ない。
「ハン王たちが、ここに戻ってきたら、どうします?」
「叩き出すように、指示しておこう。少し痛い目に遭って、世間の厳しさを味わえばいいのだ」
「ならば、次はチュリ国へ行きましょう」
サコンが提案した。ヨリチカは渋い顔をする。チュリ国で商売になるのは、イングー人が居るエナムとオサなのだが、アマト人は歓迎されない。
「どこに行くのだ。エナムとオサは無理だぞ」
「チュリ国のスリョンに行こうと思います」
スリョンはエナムの西にある漁師町である。この小さな漁村の近くには、石炭の鉱山がある。この鉱山を手に入れられないか、と主君から言われているのだ。
但し、イングド国が占領している間は、手に入れられないだろうから、情報だけでも集めて欲しいという事だった。
「炭鉱か、面白い。スリョンに行こう」
ヨリチカは炭鉱に興味を持ったようだ。店を任せる者を雇い、ハヤテの配下が引っ越してくるのを待ってから、チュリ国へ向かった。
スリョンの砂浜に上陸したサコンたちは、村人に聞いて村長の家まで行った。村長は役人をしていたが、引退して、スリョンの村長になった人物らしい。
「村長、私たちはハジリ島から来た商人なんですが、少し村に滞在してもよろしいですか?」
ヨリチカが尋ねると、村長のソンジェが首を傾げた。
「この村には、商売になるようなものは、何もないんじゃが」
「ええ、知っています。昔は炭鉱があったと聞きましたが?」
「もう十数年前に地震で埋まってしもうたよ」
だから、寂れた漁村になっているのか、話を聞いていたサコンは納得した。
「ここらの海では、何が獲れるのでございますか?」
サコンが丁寧に尋ねた。
「そうじゃのう。今の季節だとカツオとサンマ、アオリイカも穫れるな」
海産物は豊富に有るらしい。但し、大量に獲れても保存方法がないので、腐らせるだけのようだ。チュリ国にはカツオを鰹節に加工する技術がない。塩漬けするという方法もあるが、大量の塩を必要とするので、貧しい漁村では塩漬けもできないようだ。
塩くらいなら村で作ればいいのにとサコンは思ったが、国によっては塩の製造販売に税を掛けているところもあるので、勝手に塩を作るのもダメだという。
この村に限らないが、チュリ国辺境部の町や村は何もないところらしい。
「チュリ国の代官たちは、町や村を発展させるために、何かしないのですか?」
そう尋ねたサコンを、ヨリチカが笑った。
「何のために発展させる。代官の評価を上げるためか?」
「それも有ると思いますが、発展すれば暮らしも豊かになり、美味しいものや綺麗な服も着れるようになるではありませんか」
「そうだが、贅沢するためには、苦労して町や村を発展させるより、もっと手っ取り早い方法がある」
「その方法とは?」
「税の着服や、産物の横流しなどだな」
「そんな事をしたら、目付に見付かり、罰せられてしまいますよ。このチュリ国では違うのですか?」
ヨリチカが頷いた。目付も買収されているので、報告されないという。腐っているとサコンは思った。イングー人は、この腐敗した国をどうするのだろう。
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