第151話 キナバル島の香辛料

 ホシカゲが極東地域を描いた地図を広げ、一点を指差した。

「先ほど報告したバナオ島が、ここでございます。その北にオルソ島、西にキナバル島がございます」


 クガヌマが地図を見ながら尋ねた。

「バナオ島とオルソ島は、列強諸国の植民地となったようだが、残るキナバル島はどうなのでござる?」


「キナバル島は、フラニス国が植民地にしようと動いていたのですが、マレス族という住民が頑強に抵抗し、フラニー人は東のバナオ島に目標を移したようです」


「フラニス国は、キナバル島を諦めたのでござろうか?」

「あの島には、有望な金鉱山があり、簡単に諦めるとは思えません」

「金鉱山でござるか、なるほど」


「キナバル島は、金鉱山だけでなく、様々な香辛料が採れます」

 香辛料は胡椒・クミン・ターメリック・コリアンダー・シナモン・ローリエなどの豊富な種類が手に入るようだ。金よりも貴重かもしれないと思った。


「その島と交易を行い、香辛料を手に入れたいものだ」

 俺が言うと、クガヌマが目を輝かせた。

「その香辛料を使うと、どのような料理ができるのでございます?」


「様々な料理に使えるが、特にカレーという料理に必須の香辛料が揃っているようだ」

「カレー? それは旨いのでございましょうね」

「古代では、人気が高かった料理だ。それらの香辛料が採れる島なら、同じような料理が有るのではないか?」


 ホシカゲが首を傾げた。どのような料理か想像もつかなかったからだ。

「御屋形様は、そのカレーという料理が作れるのでございますか?」

 そう言ったクガヌマを、トウゴウが睨んだ。


「お主、まさか御屋形様に料理させようと言っているのではないだろうな?」

 クガヌマが慌てて否定した。

「そんな訳がなかろう。作り方を料理人に伝えてもらい、作らせようと思っただけだ」


 イサカ城代が頷いた。

「それならばいいが、如何でしょう?」

「ん、料理人に作らせろというのか?」

「はい。それが美味しければ、御屋形様が香辛料を重視される意味が、理解できるかと思います」


 イサカ城代がもっともらしい事を言っているが、本当は食べてみたいだけだと長年の付き合いで分かった。

「いいだろう。ロクロウを呼べ」


 カイドウ家の料理人頭は、ロクロウである。厨房からロクロウが呼ばれ、緊張した顔で評議の間に入って来たロクロウは、俺からカレーの作り方を聞き試してみますと言って出ていった。必要な香辛料は、厨房に揃っているはずだ。俺は珍しい香辛料を見付けると購入していたからだ。


 報告の最後に、イサカ城代がタキガワ家から来た使者について説明を始めた。

「タキガワ家が、恭順すると申し出てきました。事実上の降伏でございます」


「今まで通り、領地の半分ほどを割譲させ、残りの領地を安堵しようと思うが、どうだ?」

 俺が確認すると、皆が頷いた。異論はないようだ。これはイサカ城代に任せればいいだろう。


 割譲させる郷を選ぶのに時間が掛かったが、何とか話が纏まった。もちろん、正式に決定するにはタキガワ家の者と交渉する必要が有る。だが、この場での決定は、タキガワ家も承知するだろうという線で決まった事だ。


「問題は、いつタキガワ家との約定を公表するかでございます」

 トウゴウが言い出した。俺もその事は考えていた。すぐに公表すれば、危機感を覚えたメラ家とイマガワ家が戦をやめ同盟強化に乗り出すかもしれない。それは面白くなかった。


「メラ家とイマガワ家の戦が終わった後に、公表する。それで良いな」

「良き御考えかと存じます」

 トウゴウも賛成した。


 報告が終わり昼の時間となった。ロクロウが部屋に入ってきて告げる。

「御屋形様、豚肉を使ったカレーが完成しました。味見をお願いいたします」

「いいだろう」


 黄色い液状のものが入った小皿が差し出された。その横には銀のさじが置かれている。俺は匙を取って、黄色の液体を掬い口に入れる。


 様々な香辛料の香りを感じた。そして、豚肉と野菜から流れ出た旨味を感じ、最後に辛味を覚えた。

「旨い、癖になる旨さだ。味はこれで良い。完成したものを食べさせてくれ。皆の分も頼むぞ」


 ロクロウと腰元がどんぶりに白米とポークカレーを乗せた料理を運んで来た。カレー皿など存在しないので、仕方なくどんぶりである。


 ポークカレーを一口食べたクガヌマは、目を見開いて驚いたような顔をする。

「こ、これは神の食べ物ですか」

 大袈裟である。イサカ城代の方を見ると、目を閉じて味を全力で感じ取ろうとしている。


「御屋形様、このカレーという料理は、古代でも特別なものだったのでございますか?」

 イサカ城代が確認したかったのは、特別な日に食べる貴重な料理だったのかという事だ。

「いや、カレー自体は、庶民的な料理だった」


「なんと、貴重な香辛料を大量に使った料理を庶民が……豊かな世界だったのでございますね」

「そうだな。古代では予め香辛料を組み合わせたカレー粉というものを売っていたそうだ。それを買ってカレーを作っていたらしい」


 この時、俺は『カレー粉』と『カレールー』を同じものだと思っていた。

「なるほど、それぞれの香辛料を購入して、作るより安上がりだったのでしょうな」

 イサカ城代の考えは、香辛料が高いものだという事が前提だった。


「御屋形様、ホクトでもカレー粉を売り出す事はできませんか?」

 フナバシが提案した。この提案により、小さな缶に入ったカレー粉が売り出され、大流行した。カレー粉はカレーだけに限らず、様々な料理に調味料として使われたからだ。


 御蔭でホクトとキナバル島の間に定期便が就航する事になったほどだ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 交易区の商館で、アムス王国の商館長ファルハーレンとフラニス国の商館長コリンズが情報交換をしていた。

「バナオ島のスナル湊を整備しているようですが、もしかして、イングー人のように艦隊を呼ぶのでは?」


 コリンズが鼻を鳴らした。

「ふん、本国にそんな余力がない事は、御存知でしょう」

「でしたら、どうして?」


「バナオ島の総督に、ドランブル商会のナタナエル・ドランブルが就任したのです」

 ドランブル商会というのは、フラニス国でも三本の指に入る交易商人ナタナエルの商会である。ナタナエル自身はフラニス国元老院の議長をしていたが、選挙で負けて議長の座を譲り、バナオ島の総督という名誉職に就任したらしい。


「なるほど、スナル湊の整備はドランブル殿を迎えるための準備ですか?」

「そうです。元老院の議長だった方ですからな。失礼のないように、という事です」


「ドランブル殿は何歳でしたかな?」

「確か、今年で六十三歳になったはずです。歳を取って政治力が衰え、選挙に負けたのでしょう。新しい議長は、ガストン・フォルチエという切れ者です」


 フラニス国は立憲君主制を取っている国である。国王の権力は法により制限が課せられ、実際の権力は元老院の貴族議員が握っているという。


「ガストンというと、ガストン興行の?」

「ええ、カジノ業界を仕切っているガストン興行です」

「良い噂を聞かない男が、元老院の議長ですか。不穏な感じですな。家族を連れて、ミケニ島へ来たのは、正解だったかもしれませんな」


 最初は戦ばかりしている極東の島に家族を連れてきた事を後悔した。だが、カイドウ家が主導権を握り始めた頃から不安がなくなった。


 相変わらず戦は多いのだが、カイドウ家が負けるという心配をしなくなった。カイドウ家の戦力を知ったファルハーレンは、カイドウ家が負けるとは思えなくなったのだ。

 それが例え列強国であっても、陸戦で負けるとは思えなくなった。


「このホクトでは、カレー粉というのが流行っているそうですな」

 コリンズがファルハーレンに尋ねた。

「よくご存知ですな。私も大量に仕入れて、本国に送りました。必ずヒットすると思っています」


「フラニー人商人の間でも評判になっておりますぞ。仕入れたいが、アムス人が邪魔をしていると耳にしました」

 ファルハーレンは、コリンズが訪れた理由が分かった。自分たちにもカレー粉を渡せと交渉に来たのだ。


「ちょっと待ってください。カレー粉は事業を始めたばかりで、カイドウ家で生産している数自体が少ないのです」


「いやいや、先ほど大量に仕入れて、本国に送ったと言っていたではないですか?」

「そ、それは流行る前に大量に仕入れる事ができたのです。私の才覚ですよ」

 本当はあらゆるコネを使って仕入れたものだったが、真実を喋ってしまうほど、ファルハーレンは正直者ではない。


「クジョウ家が滅んで、フラニー人もカイドウ家と通商条約を結び、交易を始める事になったのは、最近の事だ。だが、交易の権利は平等だと思うのだが、どうだろう」


「ええ、交易の権利は平等です。但し、それは機会の平等で、結果の平等ではないのですぞ」

「ほう、競争だというのだな。いいだろう、アムス人には負けんぞ」


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