第95話 東アダタラ州の草魔

 東アダタラ州の忍び『草魔』の頭領ヨネツ・ハンゾウは無念の思いを抱きながら日々を過ごしていた。陽炎の忍びを防ぎきれずに主人を暗殺された草魔は、タカツナの重臣たちから非難され、シオガマ郡のキサキ城から追放されたのだ。


 ハンゾウと部下たちは、故郷であるアラサワ郡のチネン郷に戻り、畑を耕しながら静かに暮らしていた。だが、カラサワ軍がアラサワ郡へ攻め入った事で草魔一族は逃げ出さねばならなくなった。手早く荷物を纏めた一族はチネン郷を出発する。


 一族八十人ほどが、荷車を引いて街道を進んでいた。その街道は水田の真ん中を東へと伸びていた。周りはのどかな風景だが、歩いている人々は悲壮な顔をしている。中には子供も居て、親に手を引かれながら疲れた顔で歩いていた。


「頭領、逃げるよりネズ殿を頼った方が、良かったのではござらぬか?」

 草魔一族の長老の一人であるヨシサトが尋ねた。


「陽炎の事を忘れたのか? 我らは陽炎を裏切り、タカツナ様に寝返ったのだぞ。必ず我らを追い駆けるはずだ」

 ヨシサトが苦い顔になる。

「あれは、陽炎の差別が酷かったからでござる」


「そう言って、陽炎のサンダユウが許してくれると思うか?」

 ヨシサトが溜息を吐いた。

「ダメでござろうな。男はもちろん、女子供も殺される事になるかも」


「そういう事だ」

「ならば、バイナン郡に行って、大名となったニッタ・杏寿督あんじゅのかみ・デンナイ様に仕官を頼むつもりでござるか?」

 東に向かうと聞いていたヨシサトは、ニッタ家に仕官すると勘違いしたようだ。


 ハンゾウが首を振った。

「このままでは、バイナン郡もカラサワ家かカイドウ家の軍門に降るだろう。今更バイナン郡で仕官しても仕方ない。我らはアマト州へ行く」


「まさか、カイドウ家に仕官するのでござるか?」

「そうだ。どうせなら、将来性のある家に仕官する方がいいだろう」


 ヨシサトが納得できないという顔をする。

「カイドウ家が、将来性のある家でござろうか?」

「今勢いのある家は、クジョウ家かカイドウ家だ。クジョウ家は歴史のある家で、大勢の家臣を持っている。それに反して、カイドウ家は最近になって急に大きくなった家。仕官するなら、人手が足りぬカイドウ家であろう」


「なるほど、ヨネツの家を大きくするには、カイドウ家がいいという事でござるな」

「ああ、それにカイドウ家の月城守様は気前がいい人物らしい。それに反して、クジョウ家の大海守様はしぶちんのようだ。どうせ仕えるのなら、気前の良い方が……そう思うだろう」


「確かに」

 ヨシサトは頷いた。

 草魔一族はバイナン郡を横断して、セブミ郡に入った。通り過ぎる町の様子が少し変わったのに、ハンゾウは気付いた。様々な食物を売っている店が多くなったのだ。


「母上、あれは何?」

 ハンゾウの八歳になる娘が質問した。娘が指差した方を見ると、いくつかの茶屋が並んでおり、その中に団子と一緒に丸い菓子が売っている店があった。


「ここで一休みするか」

 ハンゾウは一族に一休みすると告げ、家族分の団子とお茶、それに二つだけ丸い菓子を注文した。

「この菓子は、何というものだ?」


 ハンゾウが店の主人に尋ねる。店の主人は胸を張って答えた。

「これは『どら焼き』というものです。月城守様が、お好きな菓子なんですよ」


「ほう、月城守様が……」

 ハンゾウは娘のヤエにどら焼きを一つ渡し、もう一つは半分に割って妻のミヤビと分け合った。


 どら焼きを口に入れたハンゾウは、外側のふんわりした生地の歯応えと中に挟まっている小豆餡の甘さに目を見開いた。

「旨い、こんなに甘い菓子があったのだな」


 娘の方を見ると一度に食べるのが惜しいようで、少しずつ味わって食べている。隣を見るとミヤビも同じような食べ方をしていた。


「うちのどら焼きは、砂糖と水飴を使っているので、格別なのです」

 カイドウ郷で砂糖の製造を始めたらしく、少しずつだが一般でも使えるようになっていた。


「カイドウ家の領地は、豊かなのですね」

 ミヤビがしみじみと言う。アダタラ州にも豊かな場所はあった。しかし、豊かだと感じられるのはハシマなどの大きな町だけで、他の小さな町などは豊かさを感じられないところが多い。


「そうだな」

「父上、また食べたいです」

「ホクトに行ったら、いつでも食べられるようになる」

 そのためには、カイドウ家に仕官しなければ―――そう強く思った。


 草魔一族はホクトに到着し、ハンゾウは仕官を申し出た。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ホクト城の仕事部屋で仕官希望者の一覧を見ていた俺は、気になる名前を見付け、ホシカゲを呼んだ。

「この名前に見覚えがあるのだが、記憶にあるか?」


 ホシカゲが一覧を読んで驚いた顔をする。

「これは……草魔一族の頭領ではございませんか」

「やはりそうか、会ってみよう。呼んでくれ」


「ですが、火走りの例もあります」

「鎖帷子を着込んで会う事にする。同席してくれ」

「畏まりました」


 俺とホシカゲは、ハンゾウを『応対之間』に案内して面談した。応対之間は板の間に座布団だけが置かれた部屋である。


 ハンゾウはホシカゲをチラリと見てから、こちらに顔を向けた。

「お初に御目に掛かります。草魔一族の頭領ヨネツ・ハンゾウでございます」

「カイドウ・月城守・ミナヅキである。なぜカイドウ家に来た?」


「タカツナ様の命を守れなかった我らは、追放されたのでございます」

 それはおかしいと感じた。忍びは貴重なのだ。タカツナの重臣たちの中に、追放すべきではないと考えた者は居なかったのだろうか?


「草魔だけが、タカツナ殿を護衛していた訳ではあるまい。なぜ草魔だけが追放になった。それとも別の護衛責任者も追放になったのか?」


「重臣たちは、タカツナ様が死んだ責任を我らに押し付けたのでございます」

「ネズは、止めなかったのか?」

「残念ながら、ネズ殿は、ミカト湊に行かれていたのです」

「ネズ殿が居たら引き止めただろうに……不運だったな」


 俺は草魔について尋ね、その詳細を聞いた。草魔一族は八十名ほどで、忍び働きができる者は三十四名だという。意外に少ない。


「草魔を召し抱えよう。ホシカゲ、ナヨロ地方を任せようと思うが、良いか?」

「畏まりました」


「御屋形様、ありがとうございます」

 ハンゾウは深々と頭を下げた。

「これから先、草魔に命じる役目は多くなるだろう。忍びを育て、人を使う事を覚えよ」


「どういう事でございましょう?」

「訓練された忍びでなくとも、できる事がある。それらは金で雇った者たちに任せるのだ。そのための資金は、十分なだけ出す」


 俺は草魔を召し抱える条件として、高い賃金と屋敷を約束した。

「できますれば、訓練する場所を、貸していただきたいのですが」

「そうだな。ホクト城の東に、カイドウ家専用の狩場に指定した土地がある。そこを使う事を許そう」


 ホシカゲが俺に視線を向けた。

「狩場の管理を草魔に任せてはどうでしょう?」

「いい考えだ。それで良いか?」

「謹んで、お受けいたします」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ホクト城から戻ったハンゾウは、一族が待つ長屋に戻った。この長屋は、カイドウ家がホクトで働く労働者に貸しているもので、ハンゾウは二棟を借りたのだ。


 ハンゾウの姿を見付けた一族の者が寄ってきた。

「首尾は、どうでございました?」

「喜べ、カイドウ家に召し抱えられる事に決まった」


 久しぶりに一族全員が笑顔になった。一族の主だった者が長屋の一室に集まり、ハンゾウの話を聞く。

「初の任務は、ナヨロ地方の情報を集める事だ」


 ヨシサトが眉間にシワを寄せた。

「ナヨロ地方と言いますと、カムロカ州の南にある地方ですな。確か、最近スザク家が頭角を現し始めた場所でござる」


「そうだ。スザク家の動きを知らせよ、と命じられた」

「スザク家には忍びが付いている、との噂があります。楽な仕事ではありませんぞ」

「忍びの任務に、楽なものなどない。そうではないか?」

 ヨシサトは頷いた。


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