第73話 マツクラ家の最後

 カイドウ郷から二千の兵を率いたトウゴウ・ツナヨシがバサン郡のマツクラ郷へ向かった。トウゴウの副官であるナガイは、トウゴウが騎乗する馬の隣に自分の馬を寄せた。


「トウゴウ様。殿はなぜ、急にマツクラ郷を手に入れろ、と言い出されたのでございますか?」

 先月までは支配地の安定を優先し、内政に重点を置くと聞いていたからだ。


 トウゴウが渋い顔になる。

「イングド国が、アシタカ府のモウリ家と取引を始めたのだ」

「それは影舞が調べてきたのでございますか?」


「そうだ。アシタカ府は、ワキサカ郷の東隣にある地域を、二十年間だけ居留地として貸し出す代わりに、イングド国から火縄銃と硝石を手に入れる取引をしたらしい」


「イングド国は何を狙っているのでございますか?」

「殿は、ワキサカ郷にあるチガラ湾と湊が、欲しいのだと仰られていた」


 イングド国は、ミケニ島を侵略する中継基地にしようと考えていたサド島をクジョウ家に奪われた。その代わりに、ワキサカ郷のチガラ湾沿岸を橋頭堡にしようと狙っている事を、影舞が突き止めている。


「お待ちください。イングド国はアシタカ府から居留地を手に入れたのでございます。ならば、もう橋頭堡は必要ないのでは?」


「居留地として租借した土地は、多数の船が停泊できるような土地ではない。だから、イングド国はワキサカ郷を狙っているのだ。それを手助けしているのが、モウリ家だ」


「モウリ家は、何を考えているのでござろう。イングド国が信用できぬ国だという事は、評判になっておるのに」


「大地震のせいだ。一揆が頻発するような土地になり、内部から崩壊する恐れもある。それを防ぐために力が欲しかったのだろう」


「イングド国が力でございますか?」

「火縄銃や硝石が力だ。カイドウ家も、その力で領地を広げた。……少し話が逸れたか。なぜマツクラ郷を攻めるかだったな。それはワキサカ郷を攻める場合、居留地を含む東からと南のマツクラ郷からの二つの侵攻経路が考えられるからだ」


「なるほど、事前に南のマツクラ郷を手に入れ、侵攻経路の一つを潰そうというのでございますな」

 トウゴウが頷いた。

「ウラカミ郷での戦で、カイドウ家はモウリ家から恨みを買った」


 モウリ家にしてみれば、ウラカミ郷での戦いは騙し討ちにあったと思っているはずだ。カイドウ家とウラカミ家が恨まれるのは理解できる。


「モウリ家は、カイドウ家に仕返しするために、イングド国に協力するというのでございますね」

「そうだ。ただモウリ家はイングド国を甘く見ている。一度手に入れた土地は、簡単に手放さない国だという噂を聞いた。それこそ戦って奪い取らねばならないほど、土地に執着する民族らしい」


 居留地として借りたモウリ家の土地を、イングド国は手放さないのではないかとトウゴウは予想しているらしい。


 ウラカミ郷のシラホ城に到着したカイドウ軍は、マツクラ郷の状況をイ組のイゾウから聞いた。アシタカ府から、兵五百が増援されたと報告を受けた。


「イゾウ殿、マツクラ家内部は、どのような状況なのでござろう?」

「マツクラ家は、カイドウ家との戦に乗り気ではないようです。ただモウリ家のモリデラという武将が、マツクラ家を監視しており、仕方なくカイドウ家と戦う準備を始めております」


 トウゴウがイゾウに尋ねた。

「モウリ家が、カイドウ軍との戦いに割ける兵はどれほどなのだ?」

 イゾウが考えるような素振りを見せてから答えた。

「多くても三千というところでございます」


 それを聞いたトウゴウが顔をしかめた。

「トウゴウ様、殿に増援を願いましょう?」

「いや、殿には別に頼んだものがある。それが到着すれば、この兵力で戦えるだろう」


「それは?」

「野戦砲だ。力強い味方になるはず」

 トウゴウは自信有り気に言った。


 カイドウ軍は野戦砲が到着するのを待って、ウラカミ郷からマツクラ郷へと兵を進め、マツクラ郷のアラオ城に近い平野でモウリ軍とマツクラ軍の混成軍と対峙した。


 モウリ軍の兵力は、マツクラ軍も合わせて二千八百、それに対してカイドウ軍は二千だった。その二千の中で鉄砲兵は五百、モウリ軍の鉄砲兵は二百ほどだ。


「トウゴウ様、勝てるでしょうか?」

「敵の鉄砲兵は、訓練が不足している。まず間違いなく勝てる」

「ですが、敵の兵力は我軍より、上でございますぞ」


「その差は、野戦砲が埋めてくれる」

 トウゴウの自信は、戦いが始まると証明された。


 火縄銃と弓矢による攻撃で始まった戦いは、鉄砲の数で勝るカイドウ家が優勢となった。これではダメだと考えた敵の大将モリデラが、槍兵の部隊に突撃するように命じた。


 モウリ軍は、まだ火縄銃の威力を甘く考えていたようだ。

 突撃して来る槍部隊に対して、火縄銃の一斉射撃が火を吹いた。バタバタと倒れる敵槍兵。味方の死傷者を無視して、モリデラは突撃を続けさせる。


 その中にはマツクラ軍も居り、家臣たちが次々に倒れるのを見て、トヨヒロはモリデラに憎しみの目を向けた。そして、多大な犠牲を払ってカイドウ軍に肉薄した混成軍は、もう少しでカイドウ軍の兵の中に飛び込めるという瞬間、凄まじい爆音が響いた。


 カイドウ軍が初めて戦場に持ち込んだ三門の野戦砲が、盛大に火を吹いたのだ。その砲撃は同時に大勢の敵兵を吹き飛ばした。


 この瞬間、戦に勝敗が決まった。モウリ軍は潰走し、マツクラ軍は背後のアラオ城へと引き返し始めた。戦場には敵兵の遺体だけが残った。


 敵の火縄銃による攻撃で、カイドウ軍の兵も死傷者が出たが、少なかった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 マツクラ家当主トヨヒロは、野戦砲の散弾が命中して腹に深い傷を負った。家臣に担がれてアラオ城に戻った時は、半死半生の状態となっていた。


「はあはあ……アタベ、モリデラはどうした?」

 モウリ軍の大将であるモリデラを気にしたトヨヒロは、マツクラ家の武将であるアタベに尋ねた。


「モリデラ殿は、アシタカ府へ逃げ戻ってしまわれました」

「そうか、やはり負けたのだな」

「はい、残念ながら完敗でございます」


 アラオ城に担ぎ込まれたトヨヒロは、広間に運ばれ布団を敷いて横たえられていた。城の医者が傷口を見て、首を振った。助からないという合図だ。


「殿ぉお!」

 甲高い悲鳴のような叫びが上がり、サクラコが子供を抱いた腰元を連れて、トヨヒロの枕元に駆け寄った。


「サクラコ……」

 トヨヒロが小さな声で呼ぶ。涙を溜めた目でトヨヒロの顔を見詰めたサクラコは、その手を握った。


「殿、しっかりしてください。これくらいの事で死んではなりませんぞ」

「わ、分かっておる。そなたとマドカを守ると誓ったのだ。ここで死ぬ訳にはいかん」


 トヨヒロが起き上がろうと身体に力を込めたせいで、傷口から血が滲み出た。

「動いてはなりません」

 医者が沈痛な声を上げた。


「マドカの顔が見たい」

 トヨヒロの願いを聞いたサクラコは、娘のマドカを抱き顔を見せる。幼児であるマドカは、どんな状況か分からないようで、紅葉のような小さな手でトヨヒロの顔を叩く。


「マドカ、いけません」

 サクラコがマドカを叱った。トヨヒロの目に涙が溢れ出す。

「叩かれて当然だ。不甲斐ない父を許してくれ」


 トヨヒロはアタベに目を向けた。

「大勢の家臣たちを死なせてしまった。すべての責任は儂に有る。儂がモウリ家を選んでしまったのが、間違いだった」


「殿、今後どうすればよろしいでしょうか?」

 アタベが尋ねた。

「カイドウ家に降伏しろ。責任を取って、儂が腹を切ったと言え。カイドウ家ならば、酷い扱いはするまい」


 サクラコと家臣たちが青い顔となる。

「そんな……殿」

「サクラコ、マツクラ家がこうなったのは、儂の責任である。カイドウ家を恨むな。カイドウ家は一度考え直す機会をくれたのだ。それに応じさせてくれなかったモウリ家は恨めしいが、力のなかった儂のせいである」


 この日、マツクラ・緑佳頭・トヨヒロが亡くなり、豪族マツクラ家が消滅した。マツクラ家のサクラコとマドカの母娘は、サクラコの親戚であるナベシマ家に引き取られた。

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