第60話 フラニス国の正腹丸

 東アダタラ州の中心部に位置するシオガマ郡のキサキ城。そこが守護大名カラサワ・タカツナの居城となっていた。一番栄えている町は、アラサワ郡のミカト湊なのだが、西アダタラ州に近すぎるので居城をキサキ城に移したのである。


 キサキ城の一室でタカツナは、草魔の頭領ハンゾウから報告を受けていた。

「ふむ、ナベシマ家のコイワがカイドウ家に……どんな交渉が行われたか、分かるか?」

「さすがに、ミモリ城の内部にまでは、潜り込めませんでした」


「草魔でも無理なのか?」

「ミモリ城は、カイドウ家の忍び『影舞』が警備しております。かなり優秀なようで、隙がありません」


 タカツナが残念そうな顔をする。

「どんな交渉が行われたと思う?」

「可能性が高いのは、同盟でしょうか。次がナベシマ家がカイドウ家の支配下に入る条件交渉というところだと思われます」


「私の降伏勧告を断っておいて、カイドウ家の下につくというのか、あり得ん。ミナヅキとかいう成り上がりと、カラサワ家一門である私を比べ、成り上がりを選ぶなど……」


「殿、よろしゅうございますか?」

「何だ」

「ナベシマ家は、西アダタラ州との戦が決着していない事を問題にしている、と思われます」


 タカツナは深呼吸して興奮した精神を落ち着かせた。

「なるほど、冷静に考えれば、おかしな話ではない、という事か。東アダタラ州が負けてアダタラ州が再統一された場合、私の下についたナベシマ家は潰されると考えたのだな」


 ハンゾウが『その通りでございます』と頭を下げたのを見たタカツナは考えた。

「このまま放置したのでは、面目が立たぬ。セブミ郡に攻め入り、東アダタラ州に取り込む事は可能か?」

「カイドウ軍は強敵でございますぞ」


 タカツナはネズ・フジナオを呼んだ。ナベシマ家とカイドウ家の間で交渉があった事を伝え、カイドウ軍に勝てるか問う。


「難しいでしょう。ですが、負けるとは思っておりません」

「それは勝負がつかぬ、という事か?」

「はい、兵力では、我軍が勝っております。ですが、カイドウ軍の鉄砲兵は精強でございます」


「カイドウ家はどうやって、大量の火縄銃を手に入れたのだ?」

 ハンゾウが頭を下げてから報告する。

「その件でございますが、カムロカ州のクマニ湊で調査しました。どうやら鉄砲鍛冶を一人、カイドウ郷に連れ戻ったようでございます」


「何だと……カイドウ家は自分の領地で火縄銃を作っておるのか?」

「どうやら、そのようでございます」

「その鉄砲鍛冶を、キサキ城に連れて来れぬか?」

「無理でございます。影舞の守りが堅いのです」


 カイドウ郷の鉄砲工房はミモリ城近くにあり、カイドウ家の兵と影舞が警備をしていた。その警備は厳重であり、草魔が付け入る隙がなかった。


「ならば、クマニ湊の鉄砲鍛冶はどうだ?」

「それならば、できるかもしれません。ですが、それをクジョウ家に知られた場合、クジョウ家からの援助が打ち切られる事になります」


 クジョウ家からは火縄銃だけでなく、硝石も送られている。その硝石を止められたら、タカツナ軍は困った事になる。


「硝石の問題か。大陸から直接手に入れられぬのか?」

「桾国経由で手に入れる方法を探しております。ですが、高くなるようです」

「硝石が手に入るなら構わん」

 タカツナは家臣に命じて、桾国政府が購入した硝石を購入できないか打診する事にした。


「さて、問題をカイドウ軍に戻す。勝てぬなら、放置するしかないのか?」

 タカツナがフジナオに問う。


「何もせぬのでは、タカツナ様の沽券に関わります。少なくとも一戦して、ナベシマ軍とカイドウ軍に打撃を与え、それを懲罰したと喧伝すべきだと、拙者は思います」


「いいだろう」

 タカツナは頷いた。勝てぬと分かっている戦いをするなど、馬鹿だと考える者も居るだろう。だが、単に放置するような事をすれば、西アダタラ州との戦いが劣勢となった時に、他の郡も裏切るかもしれない。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 カイドウ軍は、セブミ郡のカツヤマ郷・ミアサ郷・ムサシ郷に進駐して掌握した。ナベシマ家より、それらの郷には通達が出ていたので、問題も起きずに完了する。


 三郷の掌握が完了した頃、タカツナから俺に書簡が届いた。

「綺麗な字だな。羨ましい」

「殿も、字の練習をされれば良いのです」


 祖父のイサカ城代から、習字の時間を決められイサカ城代から厳しい指導を受けているサコンが言い出した。俺の字はミミズが敵味方に分かれて合戦しているような字だそうだ。どんな字だよ。


 タカツナから書簡が届いたという事を聞いたクガヌマが、俺の仕事部屋に駆け込んできていた。

「殿、内容はどのようなものなのでございますか?」


 俺は渋い顔になり答える。

「セブミ郡の三郷をタカツナ殿に引き渡し、カイドウ家はセブミ郡より出て行け、という内容だ」


 クガヌマも渋い顔になった。

「戦の理由を作っているだけですな。我々が断れば、けしからぬと言って、兵を移動させるでござろう」


「トウゴウからの連絡はあったか?」

 四千の兵を率いてセブミ郡へ行っているトウゴウは、戦の準備をしているはず。


「セブミ郡の住民は、初め協力的でなかったのでございますが、カイドウ家が無給で働かせる賦役ではなく、きちんと手当を払って働かせると分かると、協力的になったようでございます」


 もう少しで田植えの時期になる。その前に戦となると俺は考えていた。

 ホシカゲが俺の仕事部屋に現れ、タカツナ軍が動いたと報告する。

「その兵力はどれほどだ?」


「五千でございます」

「トウゴウの予想が当たったようだな。鉄砲兵の数は?」

「三百ほどだと報告がありました」

 セブミ郡の領民が不安に思っていないか確認すると、四千のカイドウ軍が配置された事で安心したようだ。


 戦には金が掛かる。俺はカイドウ家の財政をてこ入れするために、ミケニ島の北半分に特産品の販路を広げた。その事で膨大な利益がカイドウ家に流れ込むようになった。


 もちろん、販路を増やすには、フラネイ府で生産する商品の数を増やす必要がある。現在、特産品の生産はカイドウ郷などのミザフ郡を中心に行っており、特産品の増産を積極的に行っている。


 ササクラ郷では陶器の生産が始まり、ドウゲン郷の絹糸、キザエ郷の鉄製品の生産が増えている。更に正腹丸、ランプの生産も増やした。


 その御蔭でミザフ郡では働き手が足らなくなり、周辺のアビコ郡やバサン郡から出稼ぎに来る人々が増えた。他領の人々から見ると、フラネイ府は異常なほど活気に満ち溢れているらしい。


 もちろん、出稼ぎに来る人々相手に商売しようと集まる商人も多い。アガ郡とセブミ郡も関所を廃止したので、セブミ郡の商人がフラネイ府の街道を旅しながら行商する姿を見るようになった。


「殿、どうかなさいましたか?」

 ホシカゲが心配そうな声で尋ねた。

「何でもない。商売の事を考えておった。戦には金が掛かるからな」


 それを聞いたホシカゲが、納得したように頷いた。

「フナバシ殿に聞いたのですが、銭蔵を増やそうという話が出ているそうでございます」

「はあっ、この前は銭蔵が空になった、と大騒ぎしておったのに」


「正腹丸の売上が、アシタカ府とクマニ湊で急激に増えているそうでございます」

「アシタカ府は分かるが、クマニ湊はなぜだ?」

「フラニー人が買っておるそうです」


 俺は首を傾げた。フラニー人はミケニ島の人々を『島蛮とうばん』と呼んでさげすんでいる。文明の遅れた島に住む野蛮人という意味である。


 そんな野蛮人が作った薬を買うとは思っていなかった。詳しく聞いてみると、船旅では傷んだ食べ物を食べ、下痢となる事が多いらしい。そんな時に、下痢止め薬として正腹丸が効くと評判が上がっているようだ。


 俺は良い機会だと思い、正腹丸を入れた小さな陶器の壺にフラニス語で説明書きを書いた紙を貼り販売する事にした。間違いなく大当たりするだろう。


 もしかすると、フラニー人だけでなく、桾国人までも買うようになるかもしれない。


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