第57話 セブミ郡ナベシマ家

 カイドウ軍が支配下に置いたアガ郡の視察に来ている。アガ郡は八万石の土地で、近隣で最大の穀倉地帯だ。そして、この郡の特産物は米だった。


「殿、ここは良いところでございますね」

 一緒に来たソウリンが声を上げた。広々とした畑と水田が広がっており、そこに働く人々は戦いが終わった事を喜んでいるようだ。


 俺は水田と畑の割合を計算した。水田三割、畑七割というところだろうか。水田が少ないのは、水が足りないのだろう。この辺りは川が少なく、在っても小さな川だ。


「そうだな。ところで、畑では何を栽培している?」

「聞いてきます」

 サコンが走り出した。畑で働いている農民の所へ行って聞き出すようだ。


「分かりました。ここの畑では大豆を作っているそうでございます」

 大豆か、そう言えばアガ郡の特産品の中に、大豆油があった。その原料となるのだろう。


 水田の近くで子供たちがドジョウを捕まえていた。子供たちにとって、ドジョウは貴重な御馳走なのである。

「殿、今回の視察の目的は、何でございますか?」

 ソウリンが尋ねた。それを聞いて、俺は微笑んだ。


 昔は目的など気にせず、見物気分で付いて廻っていただけだったからだ。

「アガ郡を守るために、何が必要かだ」


「何か分かったのでございますか?」

「アガ郡の西側にあるカヌマ砦を、増強しなければならないと思っている」


 カヌマ砦はナセ郡との境にある砦で、元々は三百人ほどしか駐在できない小さな砦だったが、二千人が駐在可能な砦にするつもりだ。


「殿、二千で大丈夫なのでしょうか? タカツナ軍はその何倍もの兵を保有しています」

「心配するな。カヌマ砦の城壁を高くして、上から火縄銃で敵兵を狙いやすくする。そういう工夫を砦自体にも加えるつもりだ」


 『攻撃三倍の法則』という言葉がある。守備を固めている敵を攻撃する場合、三倍の兵力が必要であるというものだ。


 それをカヌマ砦に当て嵌めると、六千までの敵ならば守れるという事になる。但し、これは敵味方が同じような武器を持って戦うならば、という条件が付く。


 東アダタラ州のタカツナは、今のところ内政に集中してアガ郡に手を出そうとしない。今のうちに防備を固めようと、俺は考えていた。


「凄いですね。でも、大丈夫なのですか? フナバシ殿が頭を抱えるのではないですか」

「ふうっ、そうなのだ。さすがにソボヤマ砦を建設した後に、カヌマ砦の建設だ。湯水のように金を使う事になった。フナバシが渋い顔になっているのは知っている」


 俺も台所事情は考えている。なので、支配地の特産品を増産し、アガ郡の東にあるバサン郡やアシタカ府でも販売しようと計画していた。


 府というのは、郡と州の中間にある領地の呼び方である。全体が二〇万石以上あり三つ以上の郡を含んでいる事が条件である。


「アシタカ府にも商売に行くのですか。……そう言えば、府の名前を決めておられるのですか?」

 サコンが尋ねた。カイドウ家が支配する領地は二十二万石となったので、府としての名前を付けられるようになったのだ。


「フラネイ府にしようかと思っている」

 カムロカ・アダタラ・アシタカなどは、古い言い伝えに残っている神の名前である。フラネイも豊穣の神を指す言葉であり、俺が選んだ理由だった。


「……フラネイ府ですか。豊穣の神ですね」

「いいですね」

 ソウリンとサコンは賛成してくれるようだ。


 視察から戻った俺は、富岳ふたけ神社で命名の儀を行い、カイドウ家の支配地は正式に『フラネイ府』と呼ばれるようになった。同時に俺は正式に守護大名と呼ばれる存在になる。

 守護大名になったからと言って何か変わる訳ではないが、領民は喜びお祭り騒ぎとなった。


 アガ郡を支配下に置いた事でアガ郡の人材が仕官を希望して名乗り出るようになり、武将のトザワ・キヨナオ、内政家のトミタケ・トウクロウ、ナカネ・ゲンカクなどがカイドウ家の家臣となる。


 トザワとトミタケはアガ郡に残ってアガ郡の立て直しをやってもらう事にした。内政家のナカネはカイドウ軍に来てもらい、フナバシの手伝いをさせる事に決める。


 フナバシから人手が足りないと言われていたからだ。カイドウ家の財務管理は、俺が神明珠から受け継いだ知識を基に少し変えているので、慣れるまで時間が掛かるだろう。


 その大きな一つが、筆記用具の変更である。この地方で使われている筆記用具は墨と筆である。だが、筆は小さな文字を書くのに向いていない。


 そこで職人に金属製のペン先を作ってもらい、付けペンを使って書いている。墨に合うペン先を見付けるまでは苦労したが、慣れてしまえば筆と同じようにすらすらと書けるようになる。


 付けペンを開発してまで小さな文字に拘ったのは、一枚の紙に情報を纏める時に便利だからだ。これからは付けペンに最適なインクも開発しなければ、と思っている。


 勘定部屋の者たちが付けペンを使い始めて、紙の使用量が減った事も付けペンの利点だろう。一枚の紙に書ける文字数が増えたのだから当然だ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 東アダタラ州のタカツナはアガ郡に攻めては来なかったが、アガ郡の北にあるセブミ郡にちょっかいを出し始めた。セブミ郡のホンナイ湾という海には、良港な漁場がある。


 豊富な魚が獲れるので、タカツナが興味を持ったらしい。タカツナはセブミ郡のナベシマ・近海督おうみのかみ・ヨリムネに東アダタラ州の配下になれと勧告した。


 セブミ郡のホンナイ城では、ヨリムネが重臣たちを集めて協議していた。

「殿、どうされるつもりでございますか?」

「反逆者のタカツナなどに屈するものか。攻めてくるようなら、戦うまでだ」


 その言葉を聞いた側近のコイワ・アサナオが難しい顔をする。

「ですが、殿。守護大名であるタカツナ殿は、八千の兵を持っております。それと比べ、我軍は二千ほど。正面から戦えば、負けるでしょう」


「コイワよ。そちはどうせよと言うのだ?」

「やはり、タカツナ殿の下に付くのが、よろしいのではないでしょうか」


 武将のモモタ・コスケが目を怒らせて、反論する。

「馬鹿を言うな。カラサワ家とタカツナ殿の戦いは決着がついておらぬのだ。もし、カラサワ家が勝利するような事になれば、タカツナ殿の配下となったナベシマ家は潰される」


 西アダタラ州と東アダタラ州を比べると、人口・経済力ともに西アダタラ州が上である。時間が経過すれば、西アダタラ州のカラサワ家が戦力を増強し、東アダタラ州を攻め滅ぼすかもしれない。


 それはヨリムネも分かっていた。だが、現在は戦力が拮抗している。

「では、タカツナ軍が攻めてきた時、持ち堪えられるのか?」


 モモタが渋い顔になって黙ってしまった。それを見たコイワがヨリムネに顔を向けた。

「やはり、鉄砲隊を持つタカツナ軍には、敵わぬのではないでしょうか」


 モモタが悔しそうな顔をする。

「クッ。だが、考えろ。我らがタカツナ陣営に下ったら、アガ郡に居るカイドウ軍が北上してくるかもしれんのだぞ」


 モモタがそう言った直後、部屋の中でいくつもの溜息が聞こえた。タカツナ軍の軍門に降ったアガ郡が、カイドウ軍に攻め取られたのを思い出したのだ。

「カイドウ軍の兵力は、どれほどだ?」

 ヨリムネがモモタに尋ねた。


「総兵力は、およそ七千、鉄砲兵が五百ほど居ると聞いております」

 実際のカイドウ軍は総兵力七千五百、鉄砲兵は八百である。その八百の中に、通常の火縄銃と長筒の両方が使えるという鉄砲兵が二百ほど居る。


「タカツナ軍と大して変わらぬではないか。どちらにしろ、ワタナベ家は終わりだ」

 ヨリムネが頭を抱えた。


 コイワが主君の様子を見て、別の意見を出した。

「もう一つだけ、取れる選択肢がございます」

「それは何だ?」


 コイワは言い難そうな素振りを見せてから口を開く。

「カイドウ家に降伏するのでございます」

「それではタカツナ殿に降伏するのと変わらぬではないか」


「いいえ、タカツナ殿に降伏した場合は、最終的にカラサワ軍に滅ぼされる、という事がありますが、カイドウ家に降伏すれば、領地替えとなるでしょうが、シノノメ家と同じように豪族として生き残るでしょう」


 ヨリムネは青い顔をして、考え込んだ。

「条件次第だな。カイドウ家と交渉しよう。使いを出すぞ」


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