第56話 主君の資格

 敵将が負傷した事で混乱が大きくなった敵軍は、次の火縄銃による一斉射撃で浮足立ち逃げ出した。やはり、敵軍を支えていたのは敵将の秀でた指揮能力だったようだ。


「回り込んでくる敵が居るはずだ。すぐに撤退するぞ」

 カイドウ軍はハシマへ向かって撤退した。途中、敵軍に追い付かれて戦いになったが、火縄銃で撃退してミザフ河を渡る事ができた。


 待ち伏せ時には死傷者は出なかったが、途中の戦いで死傷者が出ている。俺は後ろを歩いている兵たちを振り返る。

「全員を連れて帰りたかったが……悔しいな」

「殿、戦なのですから」


 俺は頷いてもう一度振り返った。兵たちは疲れた顔をしていたが、生き残った事を喜んでいた。だが、死んだ兵と仲が良かった者は暗い顔をしている。


「ハシマは、どうなっておるだろう?」

「そろそろホソカワ殿たちがハシマに到着している頃でしょう」

 おれたちは敵の追撃を退けるために、少し遠回りしたので二日ほど遅れている。俺たちがハシマに到着する頃には決着が着いているかもしれない。


 ハシマの手前にある町に到着した。そこにはハシマから逃げてきたという人々が居た。その数は多く、大勢が不安な顔をしている。


 そういう者から話を聞いた。ハシマでの戦いは辛うじてカラサワ軍が勝利したようだ。ホソカワが率いる部隊が、ハシマ城を包囲しているタカツナ軍に戦いを挑み、撃退する事に成功したのだ。


 但し、ハシマ城に残った兵をヨシモトが率いて、タカツナ軍と一度戦っている。その戦いではヨシモト側が破れ、城に逃げ戻っていた。


 俺とマゴロクはハシマ城へ登城して、ホソカワに面会した。

「良かった。無事に帰ってこれたのですな」

「ええ。何とか追撃を振り切って戻りました」


 ハシマ城全体がざわついている感じがする。

「何かあったのでございますか?」

「御屋形様が熱を出して、お倒れになったのだ」

「それは大変でございますね」


「カイドウ軍は、ここで少し休んでから帰ってはどうだ?」

「いえ、すぐにミザフ郡に帰ろうと思います。帰って戦死した者たちをとむらわなければなりません」

 ホソカワは沈痛な表情を浮かべ頷いた。


「承知した。御屋形様への挨拶は無用だ。具合が良くなったら、某から伝えよう」

 俺たちは下城して兵たちの下に戻ると、カイドウ郷へ向かった。


 数日後、カイドウ郷に戻った俺に、嬉しい二つの知らせが待っていた。

 一つはフタバが妊娠したという知らせだ。そして、もう一つはトウゴウたちがアガ郡を占拠したというものだった。


「殿、おめでとうございます」

 イサカ城代から、子供ができた事への祝の言葉をもらった。まだ父親になるという実感は湧かなかったが、嬉しい。


 城中の皆から祝いの言葉をもらい奥御殿へ向かう。居間ではフタバとチカゲが話していた。

「聞いたぞ。子供が出来たそうだな。よくやった」

 フタバは幸せそうに微笑んだ。


「殿、まずは風呂に入り着替えられてはどうです。随分と埃を被っているようでございますよ」

 チカゲの指摘に頷いた。

「分かった。風呂に入ってくる」


 俺が帰ったと報せがあった時から、風呂の用意をしていたらしい。温かい湯に浸かって疲れを洗い流した俺は、着替えて居間に戻った。

 俺はフタバに体調はどうかと尋ね、何の問題もないという返答で安心した。


 その夜は遅くまで、アダタラ州での出来事をフタバに話して聞かせた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 アダタラ州は二つに分割された。ヨシモトが当主として支配する西アダタラ州とタカツナが当主として君臨する東アダタラ州である。


 二つに分割された事で、ヨシモトは太守としての条件から外れたのだが、未だに太守と名乗っている。一方、タカツナは太守とは名乗らず、守護大名として君臨していた。


 西と東で小競り合いは何度も起きたが、大きな戦いには発展せず安定状態に入ったようだ。そして、荒れた領地を元に戻すために、二つの州は内政に力を入れるようになった。


 辺境のユフ郷で代官をしているコウリキの下に、旧友であるホソカワが尋ねてきた。

「おやっ、珍しい者が訪ねてきたな」

「何を言っておる。最後に会ってから半年ほどしか経っておらぬではないか」


 ホソカワは土産として持ってきた酒をコウリキに渡した。

「傷は、もういいのだろう?」

「ああ、少し歩くのが不自由になったが、痛みはなくなった」


 二人は代官屋敷の奥に移動した。

「お主、こんなところに来ても、良いのか? 忙しいのだろう」

「構わん、某はやる事は済ませて来た。後は内政家の仕事だ」


 ハシマは戦場になった事により、大変な被害を受けた。逃げ遅れた人々が殺され、略奪され、建物を焼かれたのだ。その残骸を取り除き、また人が暮らせるように整備する手伝いをホソカワはしていたのだが、それも終わったという。


「ハシマでの戦いは、どちらが勝利したのだ? 聞いた話ではよく分からんのだが?」

「それは勝利の基準をどうするかによる。敵を撃退するという点を基準にすれば、我らが勝った事になる。だが、アダタラ州東部を取り戻すという点を基準にすれば、我らの敗北だ」


「お主はどう考えているのだ?」

「我らの敗北だ。タカツナ殿は東部地方を掌握し、防備を堅めてしまった。攻め取るには大規模な侵攻軍が必要となる」


「前回と同じような事はできまい。そんな事をすれば、タカツナ軍がハシマを目指して侵攻する」

 結局同じ結果になると分かっていて、兵力をハシマから離す事はできないだろう。


「カラサワ軍の死傷者は、どれほどになった?」

「思っていたより多かった。二千近くになる」

 これにはコウリキも驚いた。もっと少ないと思っていたからだ。


 コウリキは溜息を吐いた。

「火縄銃のせいか?」

「ああ、こちらに火縄銃がなかったので、敵の鉄砲兵を自由に撃たせる事になった」


「ふむ、思っていた以上に、タカツナ殿は優秀なようだな」

「タカツナ殿が優秀だというのは認めるが、ミカト湊に火縄銃を贈る事を決定したクジョウ家がずる賢いのだと思っている」


「そうかもしれんな。ところで、先程火縄銃がなかったと言うておったが、カイドウ家が参加しておったのではないのか?」


「某が間違ったのだ。ミカト湊から退却する時、カイドウ軍を殿軍として使ってしまった。月城督様からは、ハシマでの戦いでカイドウ軍が必要なのではないかと指摘されていたのだが……」


 ホソカワはハシマが危ないと聞いて、一刻も早くハシマに駆け付けねばならないと焦ったらしい。ホウショウ家のミツヒサから出たカイドウ軍を殿軍に、という提案を良いのではないかと思ってしまったようだ。


「ほう、瑠湖督様が……ところで、ホウショウ軍の将兵はどうであった。優秀な指揮官や兵が居たか?」

「ふん、可もなく不可もなし、というところか。最初は懸命に戦っていたが、戦死者が多くなると兵の士気が下がったようだ」


「カイドウ軍はどうであった?」

「カイドウ軍とミカト砦軍との戦いは、陽炎が見守っていた。それによると、圧倒的な戦力でミカト砦軍の追撃を退けたようだ」


「やはり、鉄砲兵の存在は大きいのだな」

「もちろん、そうだ。ただカイドウ軍は普通より長い火縄銃を持ち出し、ネズ・フジナオの尻に鉛玉を食らわせたらしい」


 コウリキが面白そうに笑う。

「久方ぶりに笑える話を聞いた」

 コウリキは湯呑を二つ取り出し、ホソカワからもらった酒を注いで出した。


「その話、詳しく聞かせてくれ」

 コウリキが酒を飲みながら頼んだ。ホソカワは待ち伏せの場面からハシマに戻ってくるまでを語った。

「なるほど、敵将を負傷させ、ミカト砦軍を引きずり回して、殿軍としての役目も果たしたという事か。見事なものだ」


「それだけではないぞ。タカツナ軍に降伏したアガ郡を攻め取ったのもカイドウ軍だ。その報せを聞いたタカツナ殿が、激怒したと聞いている」


「月城督様か。したたかな人物のようだな」

「そのようだ。だが、話すと理解力があり思いやりもある人物だと分かる。あのような人物が主君ならば、やり甲斐があるだろう」


 コウリキはホソカワの顔をチラリと見た。今の言葉は、主君ヨシモトを非難しているようにも聞こえたからだ。カイドウ家当主に仕える事はやり甲斐を感じるだろうが、それに反して自分は……そういう響きが言葉に含まれていた。


 コウリキは無理もないと思った。戦が終わってもいないのに、熱を出して寝込んだなどという醜態を聞かされると、やり甲斐もしぼんでしまう。


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