第54話 アダタラ州のカイドウ軍
俺は部隊の全員がナガハマに到着するまで、宿屋に滞在する事にした。兵はカラサワ家が用意した宿泊施設で過ごす事になる。
ナガハマで一番と言われる宿屋に向かった。その宿屋で部屋はどこかと尋ねる。先触れが予約を入れているはずだったからだ。だが、主人が申し訳なさそうに謝る。
「すみません。部屋が空いていないのでございます」
マゴロクが眉をひそめた。
「それはおかしい。予約しておいたはずだ」
主人が顔を曇らせ、宿屋の二階へ視線を向けた。
「それが……先に瑠湖督様が泊まられ、全ての部屋を貸し切ってしまわれたのでございます」
俺とマゴロクは顔を見合わせた。そして、溜息を吐いた。
「殿、瑠湖督様と交渉しますか?」
「やめておこう。それに一緒の宿に泊まれば、問題が起きそうだ」
別の宿屋を探すが、良い宿屋は満室だった。仕方ないので、カラサワ家が用意した宿泊施設に泊まる事にする。
「申し訳ありません」
「マゴロクのせいではない。それに兵と一緒でも俺は構わないぞ」
「やはり、カイドウ家は違うのでございますな」
いきなりマゴロクが変な事を言い出した。
「何の事だ?」
「これがカラサワ家であれば、宿屋の主人を刀で脅しているところでございます」
「宿屋の主人が悪い訳ではないだろう」
「大名の多くは、宿屋の主人を脅して部屋を用意させると思いますぞ」
元が宿屋の息子だった俺には、主人を脅すという発想はなかった。
カラサワ家が用意した兵士用の宿泊施設は、雨をしのげるだけの粗末なもので、プレハブ長屋が上等なものに思えるほどだ。
隙間風の入る粗末な建物で横になったが、中々眠れない。俺は寝袋を開発しなかった事を後悔した。兵たちがこんな環境で寝るとは思ってもみなかったのだ。
軍用テントも開発するべきだろう。隙間風が吹き込む建物より、マシだと思うからだ。兵が担いで移動する事を考えれば、軽くする工夫も必要になる。防水加工をどうするかも考えなければならない。
寝袋と軍用テントの事を考えていたら、いつの間にか眠ってしまった。
翌日の昼頃、全員が揃ったのでハシマへ向けて出発した。途中で通り過ぎた町が、以前より活気がなくなったように感じる。
「町に活気がないな」
「殿もそう思われますか。某も同じように感じました」
「内戦が始まったのだから、仕方がないのかもしれんな」
「いえ、これは内戦が始まる前から始まっていたように思います」
俺は鋭い目でマゴロクを見た。アダタラ州の衰退は内戦前から始まっていたという事になる。何が原因だろう?
「何が原因だと思う?」
「そうですな。淀んだ水は腐るという言葉を聞いた覚えがあります。カラサワ家は新しい事を何もしなかった。だから、内部から腐ってきたのではないでしょうか」
どういう組織にも興亡の波がある。初代で一気に大きくなったカラサワ家は、四代目で衰退期に入ったのだろう。
カラサワ家の勢いが止まったのはなぜか? 経済成長が止まったからではないか。周辺の敵を倒して領土を拡大し、石高を増やしていた時代は活気に満ち溢れていたのだろう。
だが、クジョウ家との戦いで勝てなかったカラサワ家は、全方位の敵と戦って領土を拡大するのではなく、周辺の豪族や大名を味方にする事で、クジョウ家との戦いに集中する事を選んだ。
領土の拡大で経済成長していた時期が終わり、別の方法で経済成長しなければならなかったのに、カラサワ家の二代目以降は、それを試みなかった。
カラサワ家は『淀んだ水』になったのである。
「殿、ハシマが見えてきましたぞ」
カイドウ軍はハシマに入り、俺とマゴロクは城に上がった。ヨシモトに挨拶するためだ。
ヨシモトに挨拶すると、ヨシモトが値踏みするような目で俺を見た。
「鉄砲兵二百五十を率いて来たのだな。その火縄銃で、タカツナの鉄砲兵を倒すのだ」
「承りました」
そう言って、俺は頭を下げた。ヨシモトは一言の感謝の言葉も言わなかった。助勢に来た事が当たり前だと思っているようだ。
ヨシモトは、マゴロクをチラリと見た。
「ふん、カイドウ家に拾われたか」
見下したような目線で言うヨシモトに、無性に腹が立つ。必要な事を言わずに、言わなくて良い事を言う。大家の当主としては最悪だ。
部屋から出ると、俺たちはカラサワ家から提供された部屋に向かった。
「大路守様は、いつもあのような感じなのか?」
「いえ、少し変わられたようです。以前は、もう少し余裕があるような感じであったのでございますが」
アダタラ州の東半分を取られて、その余裕がなくなったという事か。
廊下を歩いていると、前方からホウショウ家のミツヒサが姿を現した。ミツヒサは俺の顔を見ると、ニヤリと笑う。
「月城督殿、鉄砲隊を率いて来られたそうでござるな」
「ええ、大路守様のご要望がありましたので」
「変わった弓の次は、火縄銃か。弱兵しか居らぬ家は苦労いたしますな」
カイドウ家の兵を弱兵というミツヒサに、マゴロクはムッとしたらしい。怖い顔になってきつい視線を向けられたミツヒサが、青い顔になって視線を背けた。
「……か、家臣の教育もなっておらぬのか」
そう言われて、今度はマゴロクが顔を伏せた。それを見たミツヒサは足早に通り過ぎていった。
「殿、申し訳ありません」
「どうという事もない。だが、面白かったぞ。マゴロクのひと睨みで、瑠湖督殿の顔が青くなっていた」
俺が楽しそうに言うとマゴロクが苦笑した。
翌日、カラサワ軍の武将と助勢に駆け付けた大名が集まり軍議が開かれた。
広間に地図が広げられ、三虎将の一人ホソカワが作戦の説明を始めた。今回の目標は、アラサワ郡のミカト湊である。
一気に敵の本丸を落とし、片を付けるつもりのようだ。カラサワ軍が用意した兵は七千、ホウショウ軍が八百、カイドウ軍が四百五十である。
「我らはミザフ河のここを渡河して、河沿いの経路でミカト湊へ進む」
俺は渡河地点の地形を知らないので、具体的な指摘はできなかった。火縄銃で狙撃される危険のない場所であるかどうかを、マゴロクに小声で尋ねた。
「火縄銃なら、対岸の大岩がある場所から、狙撃できそうでございます」
それを聞いた俺は、その大岩に奇襲部隊を送り、事前に敵の伏兵が居るかもしれない地点を調査・掃討する事を提案した。
ミツヒサが鼻で笑い、異議を挟んだ。
「ふん、少しくらいの鉄砲兵が居たとしても、支障はないだろう。必要以上に火縄銃を恐れる必要はない」
ホソカワは考え、ヨシモトに提案した。
「瑠湖督殿の言われる事ももっともなれど、月城督殿が言われる事にも一理ある。ここは安全策をとって、掃討部隊を先に送っておくべきだと思われます」
ヨシモトは鷹揚に頷いて、ホソカワに任すと告げた。
「では、伏兵が居た場合に備えて、掃討部隊を送り込む事にします」
ミツヒサは自分の意見が退けられた事に不満そうな顔である。だが、ヨシモトの前なので不満を口にしなかった。俺はミツヒサの顔を見て、イサカ城代に言われた言葉を思い出した。面倒な事だ。気を付けなければならないな。
作戦が決まり、カイドウ軍は移動する事になった。カラサワ家から二頭だけ馬を借りたので、俺とマゴロクは馬で移動する。他の兵は徒歩で馬の後を付いて来る。
カイドウ軍は最後尾に近かったので、ミザフ河を渡河するのも最後になりそうだ。俺たちが渡河地点に到着した時には、最初に到着した部隊がミザフ河を渡り始めていた。
その兵たちに混じって、カラサワ軍の武将が河を半分ほど渡った時、火縄銃の音が響いた。火薬の爆発音がしたのは、マゴロクが懸念していた大岩の辺りだった。
渡河していた武将が鉛玉を受けて倒れた。一緒に河を渡っていた者たちが慌てて戻ってきた。大岩を見ると、鉄砲兵が火縄銃を構えているのが見える。
「殿、どういう事でしょう? 軍議では、敵の伏兵を排除すると言われていたのに」
「敵が一枚上だったのだろう。ホソカワ殿が予め送った部隊が、敵に討たれたのだ」
敵の火縄銃の数は、それほど多くないようだ。多くても二十ほどだろう。ホソカワが弓隊に命令を下した。大岩の狙撃兵を弓で狙わせたのだ。
だが、風向きが悪い。大岩の方角から吹き下ろすように風が吹いており、矢がお辞儀して河に落ちた。
ホソカワは二度、三度と兵を渡そうとしたが、敵の鉄砲隊により阻まれた。河を渡れる場所は狭いので、大人数で渡れないのが原因だ。
その様子を見ていたホソカワが、こちらに近付いて来る。
「月城督殿、貴殿の鉄砲兵にお願いできませんか?」
俺は距離を目測し、火縄銃の一斉射撃で敵の鉄砲兵を叩けると判断した。
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