第48話 冬の鉄火鉢
ミモリ城に戻った俺は、評議を開いてタチバナ軍との戦いについて詳細を伝えた。
「タチバナ軍は、火縄銃の存在を知らなかったようだ。無謀にも攻撃を恐れず突撃してきた」
トウゴウが眉間にシワを寄せた。
「攻撃を恐れず突撃できる兵は、優秀な兵のはずなのですが」
「その優秀な兵は、戦場において無駄に命を落とした。これは指揮官に問題があったのだ」
「どういう事でございますか?」
「火縄銃が戦場に登場した以上、部隊を指揮する者は、敵が火縄銃を持っているかもしれないという可能性を、頭に入れておく必要がある」
「もし、敵も火縄銃を持っていた場合は、どうすればいいのでございます?」
イサカ城代が真剣な顔で質問した。
「火縄銃の撃ち合いになる。鉄砲兵の練度や火縄銃の性能が勝敗を分けるだろう。それに指揮官の工夫も必要になる」
「その指揮官の工夫というのは?」
「今までのように隊列を整えた後に突撃するという戦術は、
「殿、火縄銃の性能というのは?」
俺の言葉で気になったらしいトウゴウが尋ねた。
「火縄銃は、最初に発明された銃だが、完成されたものではない。次は火縄の要らない銃が発明されるだろう」
「神の叡智の中に、その知識も有るのでございますか?」
「有る。だが、開発するのが難しい。新しい火薬が必要になるので、時間を掛けて研究する事になる」
「……火縄銃より凄い武器が有るという事でございますね」
「まあ、それは将来の話だ。今はアダタラ州が気になる。ホシカゲ、タカツナ殿の動きはどうだ?」
ホシカゲが報告を始めた。それによると、タカツナの陣営に入った郡監は三人に増えたようだ。後二人で下剋上が始まる。
「たぶん、騒ぎが始まるのは、来年の春になるでしょう」
「春か、静かな年越しを過ごせるようだな」
イサカ城代が頷いた。
「寒くなりましたな。そろそろ薪を用意しなければ」
俺は少し気になって、窓の障子を開けた。外は雨が降っている。よく見ると雪が混じっているので、
「この霙は、雪に変わりそうだな」
トウゴウも立ち上がって、外を見た。
「今頃、クガヌマは戦いを終えて戻る途中でしょうな」
鉄砲隊を率いるクガヌマが負けるとは、誰一人思っていなかった。俺は評議を終わらせ、奥御殿に戻る。
「殿、お帰りなさいませ」
チカゲが最初に俺を見付けて声を掛けた。
「皆は元気にしていたか?」
「はい、フタバ様も元気にしております。ただ、殿や堺津督様を心配しているようでございました」
フタバの姿が見えた。
「無事に戻ってきたぞ」
フタバの顔がパッと明るくなった。
小走りで走ってきたフタバは、俺の手を取った。
「ミナヅキ様……御無事でのお帰り、心より御慶び申し上げます。そして、オキタ家の危機を救っていただき、ありがとうございます」
「当然の事だ。堺津督殿は義父なのだからな」
嬉しそうにしているフタバは、防寒羽織を着ていた。寒かったのだろう。
「寒いのなら、鉄火鉢に火を入れれば良かったのに」
俺は薪と杉の葉を持ってこさせ、居間に備え付けられている鉄火鉢に乾燥した杉の葉と薪を入れて火を点けた。着火剤である杉の葉が最初に燃え、次に薪が燃え始める。
その様子をジッとチカゲとミズキが見ていた。自分たちで鉄火鉢の使い方を覚えたいのかもしれない。俺は使用人にだけ教えていたからだ。
鉄火鉢の熱気が伝わってくる。
「温かいものです。これだと、羽織は必要ないですね」
フタバは着ていた防寒羽織を脱いだ。
「鉄火鉢とは、こんなに暖かいものだったのでございますね」
チカゲは普通の火鉢と同じようなものだと考えていたようだ。他の者もそうだと考えているかもしれない。
次の日、城の庭に霜が降りていた。俺はミモリ城の部屋を確認して回った。その日は寒かったのだが、俺が詳しく説明したイサカ城代とトウゴウだけが鉄火鉢を使っており、他の部屋は使っていなかった。
勘定部屋に居たフナバシに、使っていない理由を確認する。
「なぜ使っていないかと言われましても……鉄火鉢の傍で手をかざしていては、仕事ができません」
勘定部屋で働いている家臣たちを見ると、寒さに耐えながら仕事をしている。
「寒いなら、鉄火鉢を使うように」
俺は使用人に命じて、鉄火鉢に火を入れさせた。その熱が勘定部屋に広がると、フナバシが鉄火鉢の傍に来た。
「これは火鉢とは違うのですな」
「そう、これは部屋全体を温める暖房器具なのだ」
俺はミモリ城で仕事をしている全員に鉄火鉢の効果と使い方について教えるように手配した。
そんな日があった数日後、クガヌマが鉄砲隊を連れて戻ってきた。俺は評議を開き、クガヌマからユウキ軍との戦いの様子を聞く事にした。
クガヌマは評議部屋に入ると、部屋が暖かいのに気付いた。先に来て待っていたトウゴウに尋ねる。
「この部屋は暖かい、どうしたのでござる?」
「殿が備え付けた鉄火鉢を忘れたのか? 火を入れておるのだ」
クガヌマは鉄火鉢に近付いて手をかざした。
「ほうほう、暖かい」
鉄火鉢の暖かさを確かめているクガヌマを見て、トウゴウが苦笑した。
評議部屋は板の間で、正方形の部屋である。掛け軸が掛かっている床の間の前が主君の席で、その左右に家臣たちが座るようになっている。
俺と評議衆が集まり座布団の上に座ると、クガヌマは鉄砲隊が大活躍した様子を話し始めた。
「よくやってくれた。堺津督殿は何か言っていたか?」
「助勢の礼として、ササクラ郷を割譲すると言っておられました」
「ふむ、オキタ家の台所事情は厳しいだろうに、堺津督殿は無理をしたな」
イサカ城代が難しい顔をしている。
「どうかしたか?」
「カイドウ家にとって、オキタ家が弱体化するのは、好ましくありません」
その通りである。オキタ家が弱体化すれば、タチバナ家が再び攻め込むという事もあり得る。
「オキタ家の財政面を支援する必要があるな」
イサカ城代が鋭い視線を俺に向けた。
「何か考えがあるのでございますか?」
「蚊取り線香だ。除虫菊とタブ粉を原料に作る線香で、蚊を殺す効果がある」
「そんな便利なものが有るのでございますか。それは売れると思います」
フタバも気にしていたが、夏場は蚊が多い。購入したいと思う者は多数居るはずだ。
蚊の対策として蚊帳がある。だが、この蚊帳は高価なのだ。金持ちしか買えない蚊帳の代わりに、蚊取り線香を売り出そうと計画していた。それをオキタ家に譲ろうと考えたのだ。
その利益は正腹丸ほど大きくないが、領地経営の助けになるはずだ。そんな事を考えている時、クガヌマから質問があった。
「除虫菊は知っておりますが、タブ粉というのは?」
「線香の原料となるもの、タブの木の樹皮の粉だ」
クガヌマは感心したように頷いた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
タチバナ家とユウキ家との戦いを終えたオキタ家は、やっと落ち着いた。
当主ヨシノブは側近であるトウマを呼んだ。
「殿、御用でしょうか?」
「ミモリ城へ行って、助勢の礼を伝えてくれ。それに、これを月城督殿とフタバに渡してくれ」
ヨシノブは自身とキキョウが書いた手紙を、トウマに渡した。
「ササクラ郷の件でございますか?」
「そうだ。この度の助勢は、郷一つ分の価値があった。そう思わぬか?」
トウマも同意した。カイドウ家の援軍が来なければ、併合したばかりのサガエ郷とササクラ郷を奪われ、キリュウ郡付近の領地も奪われていただろう。
だが、手に入れた土地を手放すという事に、武人としての本能が抵抗を覚えた。
「死力を尽くして奪った領地を手放して構わないのでございますか?」
ヨシノブも家臣たちが血を流して手に入れた土地を手放したくはなかった。だが、今回のカイドウ家の助勢に対して、礼として贈るものがササクラ郷しかなかったのだ。
「分かっておる。ササクラ郷はオキタ家に仕えた部下たちの命を代価として手に入れたものだ。簡単に手放したくはない。なれど、カイドウ家はそれ以上のものを今回の戦いで我々に与えてくれた。それに娘のフタバに恥をかかせとうはない」
トウマは静かに頭を下げ、主の言葉に従う事にした。
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