第24話 ヒルガ郡の代官
「瑠湖督様が死んだのか。次期当主には誰がなるのだ?」
小姓の格好で俺の傍に居るチカゲに聞いた。評議などの正式な場ではホシカゲが参加して報告するが、普段はチカゲが影舞との連絡係となっている。
「長男のミツヒサ様が当主となるようです。ですが、ミツヒサの評判は芳しくありません」
それなら、なぜという疑問が湧いた。豪族や大名の間では長男が家を継ぐべきだという考えもあるが、実際は実力主義である。それでないと家を保てないのだから当然だ。
「瑠湖督様が亡くなる時に、遺言を残されたそうでございます。ただ、その遺言を聞いたのはミツヒサ様一人だとの事です」
「今後、アビコ郡は荒れるのだろう。カイドウ家に対して軍を出すなど、当分はできないはず」
「この機に乗じて、アビコ郡を攻めてはどうでしょう?」
絶好の機会だというのは分かる。だが、敵地に乗り込んで制圧できるだろうかと疑問を持った。カイドウ家に、そこまでの力はないと判断する。人材が少ないのだ。
それに混乱するアビコ郡に敵が現れたら、一つに纏まる事も考えられる。それはまずいと思った。ホウショウ家には混乱したまま力を失くし衰退して欲しい。
「いや、今は力を蓄える時だ。火縄銃の数を増やし、兵の訓練に励み、内政に力を入れようと思う」
「慎重なのでございますね」
「戦いが嫌いなだけだ」
それを聞いたチカゲが笑った。
「世間では、殿を『戦の申し子』だと呼んでいるようですよ」
「迷惑だ。俺は攻められるから撃退しただけだ」
ドウゲン郷での戦いは少し事情が違ったが、基本防戦だった。キザエ郷やイスルギ郷もカイドウ家を攻めなければ、領地を奪われる事はなかったはず。
「それでは、ホウショウ家を放置するのでございますか?」
「いや、調査や監視を続けてもらう。ホウショウ家の重臣たちが、新当主をどう思っているか知りたい」
チカゲが俺に鋭い視線を向けた。
「ホウショウ家の内情が判明したら、どうなさるのです?」
「兄弟同士、重臣同士をいがみ合わせ争わせて、その力を削ぐ」
チカゲが頷いた。
「シノノメ家はどういたしますか?」
「あそこは監視するだけでいい。その代わりにヒルガ郡のササクラ家を調べてくれ。特にモロツカとトガシを管理している重臣の事が知りたい」
「承知いたしました」
チカゲが命令を伝えるために去ると、俺は銭蔵に向かった。
「殿、何か御用でございますか?」
銭蔵ではフナバシが仕事をしていた。銭の入った木箱がまた増えている。
「究宝銀を入れた木箱も、随分と増えたな。人は足りているか?」
「もちろん、増やして欲しいです。それに銭蔵をもう一つ建てる必要があります」
「まだ、半分ほどしか埋まっていないではないか」
「いえ、この調子では、来月には溢れます」
「まさか……」
「本当の事でございます。正腹丸の売上が急激に伸びているのです。それにほうじ茶・烏龍茶の販売も伸びています」
カイドウ家は正腹丸の販売範囲を急速に広げ、
ただ、ほうじ茶・烏龍茶はカイドウ家の名前を出して販売しているので、世間にカイドウ家の名前が知られるようになった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ヒルガ郡の東端にある町モロツカ。この町はミザフ郡との境界線に近いというだけで、特別なものはない。ただ、関所があるので関銭が取れた。
トガシから船でアダタラ州やカムロカ州へ商売に行く商人が通るので、それなりの収入源となっている。そんな町を管理しているのが、ササクラ家譜代の家臣であるセンゴク・クニノブだ。
前当主の時代、センゴクは普請奉行をしていた。トガシ城の建築を指揮したのはセンゴクであり、ササクラ家のために尽くしてきた。
「はあっ、真面目に働くのが嫌になった」
当主の座をヒロフサが継いだ時、センゴクはモロツカ代官に左遷された。ここの代官の仕事は、関所を通る者たちから関銭を徴収するだけの退屈なものだ。
その仕事も代官が手を出さなくとも、部下たちがやってくれる。結局、センゴクはモロツカの陣屋で日がな一日茶を飲みながら帳面を確認するだけだった。
「センゴク様、今日もカイドウ家から、ほうじ茶を仕入れた商人たちが、関所を通りましたぞ」
「良い事ではないか。関銭を払って行ったのであろう」
「ですが、あの商人たちは、カイドウ家を儲けさせておるのですぞ」
昨年、カイドウ家とササクラ家の間で戦があった。軍配はカイドウ家に上がり、ササクラ家は敗者となった。その事で配下のムロタは悔しい思いをしたのだろう。
「ムロタ、冷静になって考えてみろ。あの戦いは、我らがミザフ郡に侵攻し、撃退されたというだけの事。殿の目的であったカンスケ様とドウゲン郷の当主を捕らえ首を刎ねておる。決して負けた訳ではないのだぞ」
「それは、そうでございますが……」
ムロタは格下の豪族であるカイドウ家との戦いで撃退されたという事が気に食わないらしい。
あの戦いの目的は、カンスケ様を捕らえドウゲン家に罰を与える事にあった。ササクラ家は目的を果たしたのだ。
「では、茶の関銭についてだけ、値上げするのはどうでしょう」
センゴクは溜息を吐いた。
「そうしたら、商人たちはヒルガ郡ではなく、アビコ郡を通ってアダタラ州やカムロカ州へ行くだけだ。入るはずの関銭を失うだけで、意味がない」
「センゴク様は悔しくないのですか?」
「そういう気持ちはある。だが、闇雲に敵対視するのは危険だ」
「カイドウ家が怖いのですか? たかが五千石の豪族だった男ですぞ」
センゴクが笑った。
「ああ、怖いな。たったの一年足らずで、五千石から三万石まで、領地を増やしたのだ。並みの才覚ではできぬ。お主は同じ事ができるのか?」
そう訊かれたムロタが返事に困った。センゴクが言う事も事実だと感じたからだ。
その日の仕事が終わり、センゴクが陣屋を出て役宅に向かっていた時に、声を掛けられた。
「センゴク様でございますね」
相手は商人の
「何者だ?」
センゴクの家来が主人を守るように前に出て、
「はい。手前は商いをやっております者で、ある方からセンゴク様への手紙を預かっているのです」
「手紙だと、見せてみろ」
商人は手紙を家来に渡した。
家来から手紙を受け取ったセンゴクは、封筒の裏に書かれている差出人の名前を見て息を呑んだ。カイドウ家の当主の名前が書かれていたのだ。
気が付くと商人の姿がない。センゴクは懐に手紙を仕舞って役宅に急いだ。モロツカの代官が住む事になっている役宅は、それほど広い屋敷ではない。だが、自分と妻、それに一人息子しか居ないセンゴクにとって十分な広さが有った。
「お帰りなさいませ」
妻のアカリが迎えてくれる。屋敷に上がると着替えて屋敷の仕事部屋に入った。これは珍しい事なので、アカリが不審げな顔をする。
部屋に入ったセンゴクは、懐から手紙を取り出して読み始めた。そこにはヒルガ郡の現状が書かれていた。ヒロフサが当主になってから、何をしたかも詳細に書かれており、こんな当主ではヒルガ郡に先がないと書かれていた。
「だから、ササクラ家を裏切れと言うのか? そんな事をできる訳が……」
だが、このままで本当にいいのか? ヒルガ郡の周囲にはアビコ郡・ミザフ郡・ホタカ郡がある。その中で友好的な領地は一つとしてない。
センゴクの心の中に不安が渦巻いた。そして、そこに付け込むようにカイドウ家からの使者が接触し、センゴクの心を掴んだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その報告を受けたミモリ城の俺は、ニヤッと笑う。
「そうか、センゴクがササクラ家を見限ったか。良くやった」
チカゲが嬉しそうに微笑む。
「殿、こちらから侵攻しようと思われたのは、何故です?」
「ホタカ郡のオキタ・
「それは、私も聞いております」
「このままでは、オキタ家がヒルガ郡へ攻め入り、全てを手に入れてしまうだろう。だが、トガシとモロツカはカイドウ家が確保したい」
具体的には、トガシの港が欲しいのである。
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