第17話 盾と剣

 俺は正腹丸の生産を増やし、アダタラ州のハシマだけではなく、周辺の郡で一定以上大きな町なら取引するようにした。アダタラ州のハシマで評判になっていると説明すると、その地方でも売れるようになる。

 その御蔭で利益が三倍に増えた。


 ちなみに、その商売を担当したのが影舞の忍びたちである。薬を売り歩きながら情報を集め始めたのだ。影舞たちはイスルギ郷やシノノメ郷へも行き情報を集めている。


 その二つの郷を調べた忍びが戻った時、俺はカイドウ郷のミモリ城で評議衆と話し合っていた。

 チカゲがほうじ茶を淹れて持ってきた。

「何か報せが有ったのか?」


 チカゲが頷いて報告を始める。

「イスルギ郷とシノノメ郷の兵士が、盾を片手に持ち行軍する訓練を始めたそうでございます」

「槍はどうした?」


 チカゲが否定するように首を振った。

「槍は持っておらず、剣を背負って行軍しているようです」


 クガヌマが鼻息を荒くした。気に入らない時にする癖だ。

「ふん、槍を捨て、盾と剣で戦おうというのでござるか。馬鹿な事を」


「馬鹿とは言えまい。十字弓への対策なのだろう」

 トウゴウが反論すると、クガヌマが首を振った。

「我らの兵が十字弓を使うと言っても、槍も装備している。敵が近付いたら、十字弓を捨て槍で戦う事になっておる」


 剣を武器にする兵士と槍兵が戦えば、技量の差がなければ槍兵が勝つ。懐に入れば剣が有利だという者も居るが、その懐に入るのが難しいのだ。


「待て、その兵士は盾を持ったままなのだろう。盾で槍の攻撃を防ぎながら、懐に飛び込めばどうなる?」

 チカゲの報告を聞いて、敵の姿を想像した俺が尋ねた。


 トウゴウとクガヌマが同じように想像したようだ。頭の中で槍兵と戦わせているのだろう。

「なるほど、盾と剣の組み合わせは手強いようですな」

「某も、そう思いまする」


「鉄砲が欲しいな」

 俺がポツリと言うと、トウゴウとクガヌマが首を傾げる。トウゴウが少し考えてから、

「なぜでございますか?」

 そう尋ねた。


「鉄砲の玉は、盾を撃ち抜くからだ」

「なんと……それほど威力のあるものなのですか」

 評議衆の全員が驚いた顔をする。


 俺は盾が木製で片手で持てると聞いて、銃なら敵を倒せると考えた。しかし、カイドウ郷には銃を作る技術もなければ火薬もない。黒色火薬は硝石・硫黄・木炭で作れるが、この中で硝石の比率が一番高い。黒色火薬を作るには、大量の硝石が必要になる。


 あくの強い草ニガクサ・ヨモギなどと大量の人尿や蚕の糞を原料にして硝石を作る方法がある。

 硝石小屋を建て、その床下を掘って作硝ムロを作っておき、そこに人尿や蚕糞をまぶした草と掘り出した土を交互に積み重ねる。堆肥のように積んでおくと数年で硝酸石灰を含んだ土が採取できるようになるというものだ。


 この塩硝土に水を加えて濾過して煮詰め、硝石が完成する。最初は四、五年という時間が掛かるが、それ以降は毎年採れるようになる。


「仕方ない。将来のために硝石を作る用意をしよう」

「硝石とは作れるものなのですか?」

 イサカ城代たちが知っている硝石は、大陸の砂漠地帯で掘り出されたもので、人間が作れるようなものだとは考えていなかった。


「作る方法は分かっている」

 その知識が神の叡智として授かったものだと気付いた評議衆たちは感心した。


「硝石を作るのは、いいでしょう。ですが、それでは次の戦に間に合いませんぞ」

 モロスが声を大きくして言った。

「分かっている。その前にイスルギ軍とシノノメ軍の兵力について詳しい事を、教えてくれ」


 チカゲが頷いてから答え始める。

「イスルギ軍の総兵力は四百、シノノメ軍は六百になります」

「それで、盾を装備した兵の数は?」


「イスルギ軍は二百、シノノメ軍も二百ほどでございます」

 全部の兵に盾を用意する事はしなかったようだ。新しい剣を用意するのも大変なのだろう。


 チカゲから敵の武将やイスルギ家の当主トモユキとシノノメ家の当主ヤスマサについても情報を聞いた。

「森華頭殿と御帯頭殿は、戦より内政家としての手腕が優れているのか。そうすると、なぜカイドウ家を攻めようとしているのかが、不思議に思える」


 チカゲは笑みを浮かべた。

「それは、殿を怖いと思ったからでしょう」

「何だと、俺が怖いというのか?」


 トウゴウたちも笑いを堪えている様子だ。

「殿は、カイドウ家の当主になって間もないというのに、キザエ郷を打ち負かし、ドウゲン郷を奪われました。その実力を恐れておるのです」


 イサカ城代の言葉に、何だか納得できないものを感じた。キザエ郷は攻めてきたから撃退しただけ、ドウゲン郷は樹河頭が墓穴を掘るような事をしたから、占領しただけだ。

 ん……占領したのが悪かったのか? いや、あの場合だったら誰でも占領するだろう。


「俺を恐れているか。ならば、手を出さなければいいだろうに」

「恐怖が有る故に、それを排除しなければ、安心できないのでございましょう」

「ふん、まあいい。地図を広げてくれ」


 トウゴウが地図を床に広げた。俺は地図を睨みながら情報を整理する。

 イスルギ家とシノノメ家は連合して、カイドウ家を攻めるつもりだ。まずはキザエ郷を奪おうとするだろう。ならば、どういう手順で攻めてくる?


「イスルギ軍とシノノメ軍が、どういう経路で攻めてくるか、考えを聞かせてくれ」

 時を同じくして両軍がキザエ郷に攻め込んでくる、とクガヌマは予想した。一方、トウゴウはどちらかの領地で合流してから、侵攻してくるだろうと予想する。


 トウゴウが予想する作戦案なら、撃退するのに苦労するだろう。俺はチカゲに視線を向けた。この場に居るのが場違いなほど可愛い少女だ。


「イスルギ家とシノノメ家の間で、争い事はないのか?」

「領土の境にある二つの山である妙蓮山の銀鉱山でしょうか。鉱山の所有権を巡って争いが起きております」


「確か北と南の二つの山を纏めて、妙蓮山と呼んでいるんだったな。両方の山に銀鉱脈が在るのか。羨ましい事だ」

「その銀鉱脈を巡る争いは熾烈を極めたそうでございます」


「なるほど、イスルギ家とシノノメ家の間に、強い絆があるという訳ではないのだな。それなら付け入る隙がある。カイドウ家へ兵を出す時に、それぞれが銀鉱脈を狙っているという噂を両家に流せ」


 イサカ城代とトウゴウが笑いを浮かべた。

「両家の繋がりにヒビを入れようと言うのでござるな。これでキザエ郷に攻めてくる兵が少なくなる」

 クガヌマも命令の意味を理解したようだ。


 イスルギ軍とシノノメ軍は、全兵力をキザエ郷へ投入する事が難しくなるだろう。

「両家とも百の兵を残して、キザエ郷へ攻め込む場合、イスルギ軍が三百、シノノメ軍が五百になる。我軍が六百だから、負けるとは限らない」


 トウゴウが頷いた。だが、カイドウ軍は新しく兵士となった者が多い。その点が心配だと言う。

「もっともな意見だ。我軍でも盾を作って、盾と剣を装備した兵と戦わせる訓練をするのはどうだ?」


 トウゴウとクガヌマが賛成した。翌日から盾を製作するように領地の職人たちに頼み、俺は硝石を作る場所を探した。


 秘密を守れる場所が必要だった。カイドウ郷にはミモリの東に小さな村が点在しており、その中でミモリに比較的近いが、目立たない村を選んだ。


 その村はイナミ村という。東西を小さな山で遮られ、曲がりくねった道沿いに住み着いた猟師たちの集団が村に発展したものだ。昔は狩りをして暮らしていたが、現在は畑を作り細々と暮らしている。


 俺は村長のコウサカ・ミヘイにカイドウ家のために働いてくれぬかと頼んだ。頼んだと言っても領主の頼みである。命令と同じだ。


「それで私どもは、何をすればよろしいのでしょう?」

「やってもらう事は、堆肥を作る事に似ている」

「堆肥でございますか」

 村長は理解できなかったようだ。だが、俺は硝石小屋を造り、硝石を作って欲しいと伝えた。但し、『硝石』という言葉を使わずに、新肥料と伝える。


「ですが、この村は小さな村で、余分な人手がありません」

「分かっている。人手は他の町や村から連れてくる。それに食料も配給する」

「ありがとうございます」


「何か要望があるか?」

「この村には特別なものが何もありません。その新肥料を作る事を村の誇りにして良いのでしょうか?」


 誇りにするという事は、余所者と会った時に自慢するという事だ。それはまずい。

「新肥料作りは秘密にせねばならん。誇りにしたいものが欲しいというのなら、豚を飼うのはどうだ?」

「豚でございますか?」


 俺は豚肉とハムの生産を村の主産業にしようと考えたのだ。ちなみに、ミザフ郡ではハムの生産を行っていないが、アダタラ州ではハムを生産している。ハムの生産方法は知られているのだ。俺の提案に、村長が賛成した。


 村人だけでは安心できないので、クガヌマの従兄弟であるサダヨシを責任者に任命し、秘密保持を管理させる事にする。こうして、硝石作りが始まった。


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